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 カラフルに輝くマンハッタンの夜景なんて気にする余裕のないまま、私はタクシーの中でスマートフォンを操作していた。
 ベルモットのチケットに書かれていた演目で検索すれば、すぐに劇場と開演時間がヒットした。開演は二十時。現在は十九時四十分。
 私のいたところからブロードウェイまでタクシーで二十分ほどの距離。ミュージカルが始まるまでに会えるか微妙なところだから何度もベルモットに電話をかけ続けた。
 その甲斐あって十数回目の発信で、やっと電話が繋がった。
 私はベルモットに、ファルコの弱味は通り魔であったこと、ファルコのヒットマンが通り魔を探していることを伝えた。私がこんなに心臓を痛くさせていたのは、何も知らないベルモットが通り魔に変装したら間違って狙われると危惧したから。なのに私の情報を聞き終えたベルモットは好戦的な語調で「それなら今日がラストチャンスというわけね」と返して電話を切ってしまった。
 そのあと、かけ直しても繋がることはなかった。



 渋滞に巻き込まれ劇場に着いたのは、八時を過ぎたころだった。
 もうベルモットは観劇中だろうけど、もしかするとスタッフに言えば呼び出してもらえるかもしれない。そう思って勢い勇んで劇場に足を踏み入れたのに、スタッフにシャロンは中にいないと言われてしまった。
 しとしとと降りだした雨に打たれながら、私は途方に暮れた。
 ブロードウェイを歩く人たちは、みんな着飾って楽しそうに笑っているのに、私は不味いコーヒーを飲んだように胃がムカムカした。
 スタッフがベルモットの行方を知るはずがない。そして私もベルモットと情報を共有していないから、どこでFBIを迎えうとうとしているか見当もつかない。
 ロビーで雨宿りをしながら、このあと取るべき行動を考えていたとき、劇場がにわかに騒がしくなった。
 聞き耳を立てていれば、中で人が死んだらしい。それも死んだのは主演の男で、他殺だという。



 ニューヨーク市警は思ったより早く駆けつけた。
 パトカーが劇場を取り囲むように止まり、多くの警察官が劇場に入ってきた。
 私は犯行時に劇場の敷地内にいたことから劇場に拘束されていたけど、チケットも持たず、ずっとロビーにいたことが証明されていたのですぐに解放された。
 さっさとベルモットを捜しに行こうとした足を止め、警察の方に振り返る。
 この事件はチャンスだ。
 ベルモットは発砲事件を起こしFBIを誘き寄せる。それならその事件を警察が知っているはずだ。
 私は手近な警察官に、通り魔が出たか聞いてみた。
 返事は「通り魔が出た」というもの。それが本物かベルモットかはわからないけど、通り魔の場所が明らかになった以上、ファルコのヒットマンも動いているだろう。
 もう一刻の猶予も残されていない。
「ワシントン・スクエア公園に立ち寄らないように」と忠告を受けながら私は今度こそ劇場をあとにした。
 そしてまたタクシーを捕まえた。行く先はもちろんワシントン・スクエア公園だ。



 ブロードウェイからマンハッタンに逆戻りしてタクシーから降りると、そこにはFBIの車両がいくつか停まっていた。捜査員も複数人いるが、あまり忙しそうではなく手持ち無沙汰な様子だ。
 ベルモットが動いたのならもっと騒然としているはず。ハズレを引いたかと顔をしかめたけど、FBIが動いているということはやはり何か関わっているに違いない。
 だけど、いくら遠目で調べても緊張感もなく仕事をしている捜査官ばかりだった。
 事件はここで起きた。だけど、核はここにはいない。
 そうだ。ベルモットはFBIを誘き寄せるんだ。それならここで事件を起こしたあとのんきに待っているはずがない。
 私はライトアップされた公園に背を向けて、ベルモットの行動を推測する。
 まず、夜も人が多いここでライを待つのはありえない。もっと人が少ない場所に移る。
 次に、ライは銃を持っている。となれば広いところより込み入った場所が多いところで、身を潜めてライが近づくのを待つだろう。
 そして、これはライを討つ最後の機会。それなら一度失敗しても体勢を立て直せるヒットポイントが複数ある場所を選ぶはずだ。
 私はすぐにスマートフォンで地図を調べ、公園の近くでさっきの条件に当てはまる場所を見つけた。公園から東に一キロメートルほど離れた場所にあるアルファベット・シティだ。そこは多数の移民文化が混在していて、エリアによってコミュニティが違う独特な地域だった。



 再びタクシーで移動して、決戦の地に到着した。
 傘は持っていないから、髪の毛もコートもぐっしょり濡れてしまっている。気持ち悪いし寒いけど、傘を買う気にはなからなかった。
 耳を澄まして、何かおかしな音がしないか集中するが何も聞こえない。
 いや、それがおかしい。音が少なすぎる。
 治安が悪く、夜はあまり人が出歩かないとはいえここは住宅地だ。酔っ払いや、たむろする若者がいてもいいはず。天候の悪さで片付けられない違和感を覚えた。
 辺りの様子を注意深く確かめると、不自然なバンが停まっている。きっとFBIだ。
 できるだけ身を隠して、FBIに見つからないように、そのエリアに踏み込んだ。
 聞こえるのは雨音と、車の通る音だけ。
 今、ベルモットとライがどのような状況かわからない中、あまり近づくのは巻き込まれる可能性があって危険だ。それでも、私はベルモットを止めに行かないといけない。その使命感だけで足を動かし続けた。
 いくらエリアが限定されたとはいえ、アルファベット・シティは縦一キロメートル、横六百メートルほど範囲がある。それなりに広いエリアを短い足で歩き回っていると、初めて人声が聞こえてきた。

「シュウ、あっちの通りにはいなかったわ」

 芯の通った女性の声。一拍置いて、返事があった。

「そうか。こちらも一般人がいただけだ」

 シュウと呼ばれた男の声は、随分と久しぶりに聞いたライのものだった。

「いったいどこに隠れたのかしら」
「ここまで追い詰めたんだ。あとは袋の鼠さ。俺はもう一度、アベニューDの方に行ってくる。いるとすればそこが一番可能性が高いだろう」
「……気をつけてね。相手は銃を持っているんだから」

 古い型の眼鏡をかけた金髪の女性は、ひどくライを心配した様子で見たあと、彼女も別の通りを捜すために離れていった。
 隠れていないといけない。そう、自分に言い聞かせたけど、どうしても我慢ができずに私は物陰から躍り出た。

「ライ」

 ひと気のない住宅街。私の小さな声でも十分ライに伝わった。
 私の姿を認めたライは、驚いたように目を見張り、そしてしかめた。

「どうしてここに」
「なんでもいいじゃない」
「ああ、そうだな。野暮なことを聞いた。それより俺はもうライではないのだから、そう呼ばれるのはあまり好まない」
「シュウくん?」
「……聞いていたのか」

 下唇を軽く食みながら頷き、そしてライに尋ねた。

「……明美さんのこと、好きじゃないの?」

 わざわざ危険を晒してまでライに姿を見せたのは、それを聞くためだった。
 さっきの彼女の声音はライに心を許しているものだった。それは親密な関係であることを示している。確実に、二人はただの同僚じゃない。
 ライは表情を変えることなく、雨の降る空を少し見上げた。

「どうだろうな。俺に言えることは、同情はしているってことくらいだ」
「嘘でも好きだったって言えばいいのに。……たぶん、明美さんはまだライのことが好きだよ」

 一瞬押し黙ったライは、だけどすぐに表情を変えて大袈裟に肩をすくめてみせた。

「そんな嘘をついてどうする」
「嘘でも、嘘だってわかったとしても、それが希望になるときだってあるんだし」
「逆にその嘘で傷つくことだってある。子供のお前にはまだわからないかもしれないが、大人は子供ほど単純には生きられないんだ」

 表情を曇らす私を気にすることなく、ライは腕時計を見た。まるで話は終わりだと言うようだ。
 私の用はそれだけなので、ライより先にベルモットを見つけようと足を動かそうとしたけど、「一緒に来い」と言われて動きが止まった。

「……どこに?」
「あそこに停めている車だ」
「その中でお喋りってわけじゃないでしょ。……そのまま連邦捜査局に連れていかれるんじゃないの?」
「ああ、そうだ」
「行かないに決まってるじゃない」
「今ならお前を保護できるんだぞ」

 ライはひどく訝しそうな顔をした。保護されるのが当然、なんなら私から保護を求めるべきだと言わんばかりの表情だ。

「FBIのところに行くわけないじゃない! もう急いでるから行くね」
「……まさかベルモットか?」
「そう。ベルモットの危機なんだから邪魔しないでよ」
「……どうしてあんな女を助けようとする? 見捨てたっていいだろう」
「だって美人じゃない。……牢屋で初めて見たとき、こんな綺麗な人がいるんだーって思ったよ。肥溜めみたいな汚いところにベルモットみたいな人が現れたら、女神様が来たって思うよ、誰だって。ライだって私と同じ経験をしたら思うよ」

 私の嘘にライは気づかない。
 ライは何か言いたそうにしたが、遮るようにライの携帯電話が鳴って言葉を飲み込んだ。

「……なに? 通報? ……ああ、すぐに向かう」

 通話を終えたライは、急いだ様子で踵を返した。だけど、去る前に振り返って再度私を見た。

「あの女が女神なら、バーボンは神か? お前を正しい道に導いてくれるといいな」

 どこか馬鹿にしたような言い方で吐き捨て、今度こそ走り去っていった。
 捨て台詞とともに残された私は、ライのあんまりな物言いに、咄嗟に言い返せなかったのがすごく悔しくなった。私がバーボンくらい頭の回転が早ければ瞬時に喧嘩を買えたのに。
 絶対に次に会ったときに言い返してやる。そう決意した。

ヒトリヨガリ