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 ニューヨークはまだ冬の息吹が残っていたけど、日本はもうすっかり春だった。
 あの夜、日付が変わるころに帰ってきたベルモットに翌日の航空券を渡されお役目ごめんを言い渡された。慌ただしく荷造りをして、十三時間の空の旅をしてようやく久しぶりの日本の地面を踏んだ。
 空港には透くんが迎えに来てくれていた。ゲートから出てきた私を見つけた瞬間、透くんは破顔して私を抱き上げ、そしてチークキスするかのように私の頬に顔を近づけた。

「ベルモットは?」
「ニューヨーク。私一人で帰ってきたの」

 透くんは私から顔を離すと、一瞬顔をしかめたけどすぐに元の再会を喜ぶにこやかな笑顔に戻して私を地面に下ろした。

「おかえり。夕食はハンバーグですよ」
「やったー!」

 透くんは、私の子供用のキャリーバッグを右手で掴み、左手は私の手を握って歩きだした。
 広い空港ターミナルで、飽きるほど繰り返されているような風景に同化している私たち。だけど、透くんは一刻も早く車に乗りたそうだ。いや、車というより他人の目や耳を気にしなくていい密室か。



 車に乗り込むと、すぐに厚いコートは脱ぎ捨てた。
 透くんは後部座席に私のキャリーを積んでから、エンジンをかけた。その音でかき消されるほどの声量で、透くんは「ライの始末は失敗ですか?」と聞いた。

「たぶんね。ベルモットは成功したって言ってないし。FBIを誘き寄せるために使った通り魔はもう処分しちゃったから」
「作戦を変えて追う可能性は?」
「なくはないけど、ジンはFBIに近寄ろうとしなかったし迂闊に接触しないと思う」

 機会があれば組織が牙をむくだろうけど、今すぐではないだろう。本気で追うなら私を日本に戻さなかった。
 てっきりライが死んでいないことに悔しそうにすると思っていた透くんは、何かを押し殺すような形容しがたい表情を浮かべていた。
 透くんはそれ以上ライのことを聞いてくることはせず、ただ黙って車を発進させた。

「透くんの方は変わったことはなかった?」
「何も。平和な一ヶ月半でしたよ」
「組織も?」
「ええ。……ああ、いやスナイパーが増えたらしいですけど僕もまだ会っていませんし、愛子もしばらく会うことはないでしょう」

 わざわざ言ってくるということは幹部だろう。末端構成員ほどではないけど、上層部も入れ替わりが多い。危険な仕事が多い組織だから。
 なので、これも私が感じた悪寒とは関係ない。

「愛子の任務は成功したんですよね?」

 逃げるようにフロントガラスから夕焼け空を見上げた。
 急なことだったから、透くんには「今日の便で戻る」としか伝えていなかった。だから透くんはことの顛末を知らない。
 成功、したのだろうか。
 当初ベルモットが私を呼び寄せた理由のファルコへの接触は早々に断念したし、通り魔に加担するのは拒否した。ファルコの監視と、最後にベルモットから頼まれた脅しはうまくいったけど、ファルコとの取り決めも何もわからないうちに戻されたから中途半端な気持ちだ。透くんから見ればきっと赤点の出来だ。
 そう思っていたのに、透くんは優しい声音で「元々、ターゲットに取り入るのはベルモットの仕事でしょう? 愛子はその手伝いで呼ばれたんだから十分よくやりましたよ」と褒めてくれた。
 急な呼び出しも、慣れないアメリカ生活も、すべての苦労が報われた気がした。

「お祝いをしないといけませんね」
「……嬉しいけど、こんなことで?」
「こんなことでもどんなことでも、成功したんだから祝わないと」
「まあ、透くんがそう言うなら。……それなら、ご褒美にハンバーグに大葉と大根おろしを乗せてほしいな」

 ちょうど赤信号で車が停まり、透くんはきょとんとした顔で私を見た。

「それでいいんですか? ケーキとかじゃなくて?」
「今は透くんの和風ハンバーグが食べたい気分だからそれでいいの。それにケーキはもっとすごい成功のときまで取っておく。そのときはホールケーキだからね! 絶対だよ。『食べ過ぎはよくない』とか言うのはなしだから!」

 透くんは、噴き出して笑った。

「わかりました。……それじゃあ大葉は家にないのでスーパーに寄って帰りましょうか」

 楽しそうに、透くんはハンドルをぎゅっと握り直した。
 随分と透くんは料理が上手になったから楽しみだ。きっとすごく美味しい和風ハンバーグができるだろう。
 それを食べるころには、透くんはライのことを忘れているといいな。
 透くんには剣呑な顔よりも気の抜けた笑顔の方が似合うから。

ヒトリヨガリ