107

 透くんは本当に次の日には私が教えた三人の身元を突き止めた。今はその三人が不審な動きをしていないか調べている。
 一人目の瀬羽尊徳は資産家のお爺さん。政界に顔が効くし、年嵩がいっている分、資産家の中でも声が大きいようだけどそれだけ。須藤家と繋がりが強いから竜太郎さんは気にしているのだろうけど、透くんはあまり重視していない。
 二人目の宝田太は杯戸駅の前にある時計台のオーナーをやっている。ほとんど親の七光り。
 透くんが作り置きしてくれていた野菜ジュースと一緒に、焼きたてのパンにかぶりついていると、テレビから今まさに考えていた地名が読み上げられた。

「続いてのニュースです。正体不明の怪盗キッドが三日に新たな挑戦状を出していたことを警視庁が公表しました。予告は今月十九日の夜に時計を盗むというもの。警視庁によりますと、この時計とは杯戸駅前の時計台のことではないかとのことです」

 テレビから、まさに考えていた場所が流れてきた。
 怪盗キッド。最近ニュースで耳にする名前だ。
 今日は透くんはもう出かけているから一人の朝。だからマナーを気にすることなく朝食片手にスマートフォンで怪盗について調べてみた。
 そこには、こう書かれていた。
 八年前に姿を眩ました大怪盗。それがつい数ヶ月前に再び活動するようになった。狙うものはビッグジュエル。盗った宝石は持ち主に返すし、銃を持っているけど人を殺すことはない。
 ふうんと読みながら、この分なら宝田太は何も動かないだろうなとあたりをつける。妙な気を抱いていても怪盗キッドに狙われている時計台のオーナーなら警察が近くにべったりだろうしすぐには動かない。もしその状態で何かするほど考えのない人物なら、透くんが情報を掴んでも組織で使い物にならないだろう。
 三人目の都司信彦はツジ建設という会社の社長だ。透くんは、私に三人の身元がわかったと報告してくれたとき、彼が一番怪しいと言っていた。どういうところかまではわからないけど。
 私は食べ終えた食器を洗い、テレビを消してから部屋に戻ると豪快にパジャマを脱ぎ、クローゼットから白いトレーナを出して頭から被った。そして黒いデニムのサロペットに足を通して肩紐を調整する。最後に黒いリュックを背負って、私は家を飛び出した。今日はやることが盛りだくさんなのだ。



 バスに乗って向かったのは公園。今日は明美さんに会う日だ。
 私が公園前のバス停に到着したとき、明美さんからも「公園に着いたよ」とメールが届いた。約束している入り口に向かうと、白のトップスの上に黒のキャミソールワンピースを着た明美さんが立っていた。
 「お待たせ」と言いながら近づいて、「今日の服、ちょっと似ているね」と私と明美さん
の服を指差せば、明美さんは嬉しそうに笑った。

「姉妹コーデね」
「じゃあ今日は明美お姉ちゃんだね」

 差し出された手を握って今日の散歩が始まった。
 雑木林の小道は、差し込む日が少なくて秋風が冷たい。
 公園をゆっくりと半周して、スタンドで林檎ジュースを買った。そのとき、私は店員のお兄さんに「妹さん」と呼ばれて、明美さんとこっそり笑いあった。
 だけど、そのあとくらいから、明美さんは上の空になっていった。

「どうしたの?」

 明美さんは私を見つめた。

「妹かあって思って」
「いやだった?」
「そんなわけないわ! すごく嬉しい」

 その言葉に嘘はないようだけど、でもやっぱり思うところがあるようで、ストローを咥えてジュースをズズっと吸い込んだ。

「ただ、志保のことを考えちゃって」
「志保って……」
「妹よ。もう十八歳だから広い世界を見せてあげたいなって最近思うの」

 どきりとして、プラカップを握る手に力がこもった。
 まるで組織を抜けたがっているような台詞だけど、有能なスパイだって簡単に殺されてしまうのだから、一般人の能力しか持たない明美さんが妹さんを連れて逃げ延びられるわけがない。

「広い世界もいいけど、でもお姉ちゃんがそばにいる方が嬉しいと思うよ。志保さんからしたら」
「……そうかしら」
「そうだよ。私もバーボンがいるから組織が好きだし!」
「ふふ、もうすっかり愛子ちゃんはお兄ちゃんっ子ね」

 こんな簡単な嘘で騙されるのだから、明美さんに裏切りは向いていない。

「うん。だから、明美さんは志保さんとたくさん会ってあげるだけで十分だよ」
「会うだけ、か……。でも私も志保も忙しいから難しいわね」
「うーん、私はバーボンを手伝ってるけど、明美さんと志保さんの場合は手伝い合ったりできないもんね」

 何かいい案はないかと腕を組んで考えていると、明美さんが「手伝うって家事を?」と聞いてきた。

「それもあるけど、最近特に忙しいから探偵の仕事も」
「へえ、すごいね!」
「って言っても猫さがしだけど……」

 私が持ち帰った情報で透くんの家にいる時間があまりにも減ってしまったから、見兼ねて私が名乗り出たのだ。ちょうど浮気調査が終わったところで、次の仕事が逃げた猫さがしだったから、それなら私の得意分野だと任せてもらった。
 いなくなったのは一週間前。飼い主の娘さんと喧嘩をした猫が家出をするように飛び出して行ってから帰ってきていないのだという。元々ノラ猫だったらしいので拾ってきた周囲を探したけど今のところ収穫はゼロ。
 試しにスマートフォンを出して明美さんにも猫の写真を見せてみたけど、見たことがないと首を横に振った。

「こんなに可愛いならすぐに見つかりそうなんだけどねえ」
「そうなんだけど、まだ全然目撃情報がなくて……」

 画面に映るのは、ベージュの長毛の可愛い猫だ。顔と耳はブラウンの毛で、ちょっとタヌキっぽい。どう見ても野良猫には見えない。
 飼い主の家の近辺に張り紙をしているけど、いなくなった日に家のそばで見かけた人がいたっきり。
 バーボンの役に立ちたい、そういう私の気持ちに感銘を受けた明美さんは、すっかり妹さんの話なんてなかったように真剣に猫がいそうな場所を考えてくれた。
 そして眉間にシワを寄せて口を開いた。

「犬なら飼い主の匂いのあるところにいそうだけど」
「そうなの?」
「……ごめんなさい、よく知らずに言ったわ。適当だから無視して」

 小さく舌を出して謝る明美さんに笑いながら、匂いはいい考えかもしれないと思った。
 透くんから引き受けてから、猫について調べてみた。その中に、こんな実験結果があった。たくさん出口のある迷路の中に入れられた猫は、家の方角の出口から出てきた、というものだ。その理由まではわかっていないみたいだけど。
 猫は犬ほどではないけど、嗅覚は人間の数十万倍いいらしいし、迷子になったあと飼い主の匂いのある場所に進んだ可能性も大いにあるだろう。

「っていっても、飼い主の匂いのするところってどこだろう」
「よく行くところかしら?」
「でもスーパーとかにはもう張り紙をしているの」
「職場は?」

 そうかもしれない、と思いかけて、私は透くんから聞いた依頼主の家族構成を思い出した。父親は車通勤で職場が遠い。母親は専業主婦。だから職場ではない。
 だけど、たしか――。

「娘さんが高校生だったはず」
「じゃあ、そこの可能性もあるわね! どこの高校?」

 私は固まってしまった。
 私はあくまでお手伝い。契約書や詳しい個人情報が書かれた書類は見せてもらっていない。口頭で簡単に説明されたのみだ。
 組織の愛子としてはバーボンから信頼されているけど、ただの愛子としての私は透くんから何の信頼もない。今回の依頼だって、はじめてのおつかいみたいなもの。
 だけど、たしかに聞いたはずなんだ。それを忘れて透くんに「なんて高校だっけ?」と聞くのは悔しい。
 プラカップを右手に掴んだまま、私は頭を抱えて唸った。
 私に縁もゆかりもない名前だった。並盛でも前の研究所でもない。だけど聞き覚えはあった。地名、いや、駅名だ。

「駅? えき、え、えこ……」
「もしかして江古田?」
「そう! 江古田高校だ!」

 一人で思い出せなかったけど、透くんに聞くことにならずに済んでよかった。
 頭の中で、依頼主の住所と江古田高校の場所を思い浮かべる。少し遠いけど、行けない距離ではない。
 今日は平日。それなら夕方に行けば生徒から情報がもらえそうだ。

「じゃあ、お昼を食べたら江古田高校に行く?」
「え? 一人で大丈夫だよ」
「……だけど心配なの。あれからちょうど一年くらいだし。ねえ、お願い」

 明美さんの言う「あれ」とは、銃乱射事件だ。ついこの前一年が経った。私の太ももにはあのときの銃創が消えずに残っている。だけどあれくらい裏社会だと軽傷だ。

「……バーボンに一人で頑張ったって言わなきゃいけないから、いくら明美さんのお願いでも聞けないよ」

 最近、言い訳に透くんを多用している。
 その自覚はあるけど、便利だからつい使ってしまう。透くん本人にバレないようにしないと。

「本当にバーボンのことが好きなのね。……まあ妹の成長を見守るのが姉や兄の役目だもんね。しかたないわ」

 眉尻を下げた明美さんが私の髪をすくように頭を撫でた。

「でも、駅までは送っていくね。それくらいはいいでしょ?」
「うん」

 それくらいならと頷けば、明美さんは安心したように微笑んでくれた。

ヒトリヨガリ