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冷たい夜風が子供特有の細くてしなやかな髪を揺らす。
私は乱れた前髪を手櫛で整えてから食事を再開した。
赤ワイン風味のソースがかかったローストビーフは、食べ応えがありつつしっとり柔らかい。だけど――。
「ううーん、もう冷めてきた」
「今日は一段と寒いですからね」
私の目の前で優雅にステーキを切り分ける透くんは肩をすくめた。
夜景の綺麗なテラス席も、晩秋ともなるとそのよさが半減してしまう。夜遅い時間ということもあって他に周りに客はおらず、それもまた寒々しい。
ワインでも飲めれば身体は温まるだろうけど、今の私じゃ飲酒なんてできるわけない。
「せっかくさっきのスープで温まったのに」
「だからメインはアクアパッツァにした方がいいって言ったじゃないですか」
「今思えばそうだけど、でも魚の気分じゃなかったんだから仕方ないじゃん」
味には満足しているんだ。問題はすぐ冷めることだけ。
透くんは苦笑いして「早く動いてくれればいいんですけどね」と言って、向かいのビルに目をやった。
白く塗装されたそのビルには、いろんな店舗が入っている。その多くはコンセプトカフェ。メイド喫茶からブックカフェまで客層は様々だ。
私たちの用があるのはその三階にあるウサギカフェ。可愛いウサギに癒されながらお茶ができるのが売りだ。そういうコンセプトだけど、店内の装飾はホテルラウンジのように落ち着いていて、女性客だけでなく男性客の利用も多い。
「来ましたよ」
透くんの一声で、私はさっと目を閉じた。そして分身の目を通して見えたのは、一人の小太りのおじさんがビルに入っていく姿だった。
都司信彦を探る手伝いをしてほしい。
数日前、そう透くんに頼まれた私は一拍置くことなく頷いていた。
私が竜太郎さんから情報を得た三人のうち、透くんはその男を重点的に調べていた。怪しいところはたくさんあったらしい。都司が社長を務める建設会社は、経営規模はそんなに大きくないのにやたらと都司の羽振りがいいとか、決まった曜日に同じ店に立ち寄るとか。
その店が件のウサギカフェだ。
透くんも数度足を運んだけど、一般客が入れるのはごく普通のカフェ部分のみ。特定の客が立ち入ることが許されるVIP席までは行けなかった。だけど、透くんは別室にあるVIP席がどのようなものなのかの推察はついていた。
透くんは「バニーガールが接客するんでしょう」と、さらりと言った。
店の広さからしてガールズバーのようなもの。だけど都司の滞在時間は短い。
そこで透くんは、都司の目当てはバニーガールではないのだろうと考えた。でも、透くんが調べられたのはそこまでだった。いや調べようと思えば調べられるのだろうけど、その労力をかけて見合うほどの情報が得られるかわからないからそこで止めた。そして私に協力を頼んできたのだ。
透くんが手間暇かけて探るより、私が中を覗いた方が早いから。
――透くんの予想通り、ウサギカフェの奥はバニーズバーになっていた。席は五つ。客は一人、カウンターの中には三人のバニーガールがいた。
――先客は都司が入ってきたことに気づくと気安げに挨拶した。都司はぺこぺこと頭を下げてそれに応え、先客の隣の椅子に座る。
――さっぱり短い金髪をオールバックに固めた先客はまだ二十代前半のようにも見える。なのに都司と対等か、先客の方が立場が上のようだ。
――「ご無沙汰してます、コウキさん」
――「ああ。商売の方はどうだ?」
――「おかげさまで順調ですよ。いやあ、一時はどうなることかと思いましたけど、コウキさんとこのおかげで、本当に」
――「そりゃあよかった。親父も喜ぶよ」
なんだ、家族ぐるみの付き合いなのか。
ほのぼのとそう思った矢先に先客は不穏な言葉を吐いた。
――「貸した金はちゃんと返すし、いい仕事するし、親父はあんたのこと気に入ってるぜ」
親父って、父親じゃなくて親分の方か。
全然ほのぼのじゃない。真逆の殺伐とした関係だ。
だけど先客の言葉どおり悪い関係ではないらしく、仕事の話は早々に終わらしバニーガールを楽しみ始めた。
それを見届け私は目を開き、透くんに金貸しのコウキのことを伝えた。都司があの店に行っていた理由はコウキだろうと。
透くんが顎に手を当てて何やら思案するのを眺めながら、私はすっかり冷たくなったローストビーフを食べていた。
「ただ、やっぱりまだ謎は残りますね」
「そう?」
「お金を借りたから気が大きくなって羽振りがいいならともかく、返済が終わってるのに金回りがいいのは変な感じがします。そもそもコウキという男はただの金貸しに思えませんし……。食べながらでいいので、もう少し探ってもらえませんか?」
私は一つ頷くと、リュックに仕舞ったままだった黒いサングラスを取り出した。サイズの合っていないそれは、かけたらぶかぶかだけど多少のつけ心地の悪さは気にならない。
そして、さっきとは違い目を色を赤に変えて、開いたまま向こうの様子を見た。
――普通のガールズバーのようにカウンター越しに接客を受けている二人だけど、しばらく会話を見ていると関係が濃厚であることがわかった。特にコウキとキャストだ。店の外でも会っていることが伺える内容や、個人的な付き合いがあるように思える会話をしている。それも一人だけではなく、三人すべてのキャストと。そして、コウキに対する過剰な接待はキャストだけではなく都司も同じだ。三人の女と、一人の男から媚びられているコウキは、まるでそれが当たり前のような態度で受け入れている。
たしかに、ただの金貸ではなさそうだ。
――ひとしきりコウキはバニーガールたちとの会話をすると、ロンググラスに入っていた透明の液体を飲み干して席を立った。そして一番話が盛り上がったバニガールを呼び寄せると、札を数枚折り畳んでこぼれ落ちそうな谷間に差し込んだ。
――「ええ〜、この前もダイヤだったじゃん! コウキさん、私のこと嫌いなの?」
――「オパールちゃんも好きだけど、なんかダイヤちゃんに惹かれるんだわ」
――「えへへ。私もコウキさんのこと好きだから嬉しい〜。今日もありがとうね。今月困ってたから助かっちゃったあ」
――「え? そんなん聞いてないけど。言ってくれればよかったのに」
――もう一度、ダイヤと呼ばれたバニーガールを呼び、札をまた谷間にねじ込んだ。
――くすぐったいと笑うバニーガールの反応を楽しんでから、今度こそVIPルームから出て行った。
「コウキ、出てくるよ」
言ったすぐあとに、ビルの中からコウキが現れた。
その姿を認め、透くんは眉をひそめた。
「あれは……」
「知ってるの?」
「ええ。泥参会の若頭です」
でいさんかい、と頭の中で検索をかけていると、すかさず透くんが「指定暴力団ですよ」と教えてくれた。
なんとなく聞いたことがあると思ったけど、日本の組織は雲雀くんの管轄だからどういったことをやっているのかは知らない。透くんも、そこまでは教えてくれなかった。
コウキが去っていくのを見送り、私はウサギカフェの中の分身を消した。
コウキのいなくなったVIPルームは火が消えたように静かになったからだ。接客はされていたけどコウキに対するような熱はない。都司の目的も終わったから、あとは頃合いを見て帰るだけだろう。
監視している間に、テーブルの上の料理はすっかり片付いていた。
「一応、資金源になりそうな人物として組織に報告しておきます」
ペーパーナプキンで口元を拭いながら透くんは言った。
「うん。よろしくね」
「それで、情報源の須藤竜太郎の名前は出しても?」
ベルモットの顔が脳裏をよぎる。
須藤家はベルモットのコネクションだ。だけど、そのベルモットは死んだとニュースで見た。そのことに関して誰も何も言わないけど。
少し悩んでから、隠すほどのことじゃないかと思い直して了承した。
透くんなら竜太郎さんのことも悪いようにはしないだろうし。
レストランからの帰り道、渋滞に引っかかって車が停まっている間、私は手持ち無沙汰になってサングラスで手遊びしていた。そして、ふと二週間ほど前のことを思い出して透くんの横顔を見つめた。
「透くんって探り屋だよね」
「今さらどうしました?」
「つまり情報を聞き出すプロだよね」
「……まあ、そうですね。自分で言うのもなんですが得意ですよ」
「ねえ、透くん。警察から情報を抜くのってどうやればいい?」
「は?」
透くんらしくない間抜けな声に驚いて、私は目を白黒させた。
松田の墓参りに行ってから、佐藤さんの言葉の謎を解くより松田の事件を調べる方が早いと気づいた。そのために犯人の情報を警察から得る方法を考えていたけど、まったくこれっぽっちも思いつかなかった。
警視庁に忍び込むのは最終手段。それより低いリスクで情報を得られるならそれに越したことはない。だから大先輩である透くんから警察に接触するときのアドバイスをもらいたいな。そう思って軽い気持ちで聞いただけだったのに、透くんはひどく訝しげな顔をして、考え込んだあと、苦々しい表情を浮かべた。
「……雲雀恭弥に何か言われましたか」
唸るような低い声だ。
「いやいやいや、何も言われてないよ! たまたま、ちょっと気になっただけ!」
雲雀くんにあらぬ疑いがかかりそうになって、大慌てで否定した。
どうして雲雀くんに思い至ったのかわからない。雲雀くんは関係ないけど、たしかに雲雀くんのいる前で起こったできごとだったから透くんの推理力にどぎまぎした。心臓に悪い。
「気になっただけで警察を?」
確実に不審がられた。
必死に言い訳を考えて「この前、刑事さんに会ったから」とか「いつか必要かと思って」とか言ってみるも、透くんはまったく信じない。「雲雀恭弥に何を頼まれたんですか」とまで言われた。
雲雀くんは警察なんて興味ないよ。あるのは並盛だけ。
そう言えたらどれだけ楽か。
ぐっと我慢して、気を逸らす作戦で「それにしても、平日のこんな時間に混んでるなんておかしいね」と車の外に話題を振っても「怪盗キッドの予告日だからです」とバッサリ切り捨てられた。
結局透くんからの追及は、家に着いて透くんが諦めるまで続き、肝心の情報の抜き方については一切教えてもらえなかった。