123

 商業ビルの一階にあるダイニングレストランは、決して高級ではないけどふらりと入るには気兼ねする雰囲気があった。とはいえ、立地的に人の入りは多くて話し声も大きい。
 明美さんに指定されたそこは、後ろめたい話をおおっぴらに話すのにうってつけの店だった。以前の明美さんに誘われたのであれば、おすすめの店なのかなと思って終わっていたのに、今はいろいろと邪推してしまう。
 先に席を取っていた明美さんは私が来てもすぐには本題に入らず、まずは腹ごしらえをしようとメニュー表を私に渡した。
 私はクリームパスタを、明美さんはスープパスタを注文した。
 仕事の話をするスーツ姿の若者、就活やゼミの愚痴を話す大学生、趣味の話をする婦人。そういった客たちに紛れていると、まるで、年の離れた親戚と食事に来た一般人の気分になる。
 だけど和やかな雰囲気は食事を終えた瞬間に消え去った。

「組織に入ったの」

 明美さんは目を伏せて、お手拭きで唇の端を押さえながら言った。

「ごめんね。愛子ちゃんはずっと心配してくれてたのはわかってるんだけど」
「どうして……」
「妹が、……志保が可哀想で。ずっと組織にいて言いなりで恋愛だってしたことないのよ? もう十八歳なのに。お母さんに似て、すごく可愛いのにもったいないわ」

 明美さんは妹さんを思い浮かべて、綻ぶように微笑んだ。
 美しい姉妹愛だ。だけど、組織はその尊い鎖を簡単に引きちぎる。きっと今まで組織に関わらなかった明美さんはそのことを知らないのだ。幸か不幸か、FBIだったライが今も生き延びているのも影響しているかもしれない。それに、もしかすると私みたいな子供だってやっていけてると思ってしまったかもしれない。今まで組織は明美さんに接触しなかったし、ライはわざわざ組織との繋がりである明美さんをおどかすようなことは言わなかっただろうし、私だって妹さんがいる組織のことを悪く言って不安にさせたくなかったから組織の冷たさも暗さも言ったことはなかった。
 すでに組織の仕事をしているらしいけど、それだってあくまで末端の取り引きの見張りなんかの仕事を割り振られているだけ。
「無理だよ」その言葉が、喉に引っ掛かって出てこなかった。
 ただ無邪気に、清く正しい気持ちだけを抱いて乗り込んできた明美さんは、妹さんを自分の手で助けられると信じて疑わない。そのことは妹さんの話をするその表情から、ありありとわかった。
 水の入ったグラスを握りしめながら、私はどうするべきかを思案した。
 そして、ふと今まで明美さんから妹さんの話はたくさん聞いてきたけど、姿かたちを知らないことに気がつく。

「志保さんの写真ってないの? どんな人か見てみたい」

 明美さんはきょとんとしたあと、ぱあっと表情を明るくさせた。今まで受け身で聞くばかりだった私が、妹さんに興味を持ったことがよほど嬉しかったらしい。すぐにスマートフォンのアルバムを開いてスクロールして写真を探した。
 定期的に妹さんと会っているみたいだけど、あまり写真は撮っていないらしく随分と遡っているけど見つからない。
 明美さんは「一緒に食べた料理の写真はあるんだけどなあ」とぼやいたあと、「あ、そうだ」と何かを思い出して勢いよく画面の上で指を滑らせた。そしてそれからすぐに一枚の写真を表示させた。

「志保が留学してたとき、珍しく写真を送ってきたの。向こうの人って結構そういうことするみたいで」

 どこか外国の学校の門前で一人写真に写る妹さんは、女性と言うにはまだ幼い顔立ちで、でも少女と言うには冷めた目をしていた。だけどその造形は美しいので、陰鬱な表情もアンニュイな魅力があった。

「ね? 可愛いでしょ?」
「うん」
「……別に恋愛がすべてじゃないけど、でも志保は人間不信なところがあって、そうなっちゃったのは私も原因なのかなあって思うと私がどうにかしなきゃって思うの」

 明美さんは写真の妹さんの頭を撫でるように画面に触れた。
 自分が原因だと思う理由がわからなくて尋ねると、明美さんは「大くん」と元彼の名前を一言呟いた。
 私は、「ああー」と息を吐いて天を仰いだ。
 自分は監視の目がありつつも自由に生きられて、妹は組織の言いなり。それなのにライと関わってしまったせいで、妹は自分に近づく人間に対して敏感になってしまった。自分とライとの関係のせいで悪い方に人生が変わってした妹さんに負い目を感じているのだろう。
 なんとも言えなくなってしまった。
 ライはFBIとしてなんとしてでも組織に関わらないといけなかった。明美さんは自由に生きる権利がある。すべての歯車が最悪の形で嚙み合ってしまったがゆえに、一番年下で抵抗する手段を何も持たない妹さんが割を食う形になってしまった。
 その三人に誰も悪人がいない。悪いのはすべて組織で、だけど三人とも個人の力で組織を跳ね除ける力はなかったからこんなことになってしまった。



 昼どきを少し過ぎて、近くのテーブルから人がいなくなったころ、明美さんは突然「でもね、今度の仕事を成功させたら志保と組織を抜けてもいいって言われたのよ」と自慢げに言ってきた。
 あり得ないと思ったけどジンはたしかにそう言ったと言い張る。
 ジンの要望は十億円。明美さんは銀行強盗で手に入れるつもりだとスマートフォンに打って私に見せ、すぐに消した。
 明美さんがそんなことをできるのかと眉をひそめたけど、明美さんはなんてことないように「仲間を集めたから大丈夫」と安心させるかのように笑った。

「一応、……本当に一応、愛子ちゃんには計画を教えておくね。だからといって助けてほしいわけでも、誰かに伝えてほしいわけでもないの。ニュースになるだろうから状況を愛子ちゃんに伝えられるかなって思って」

 明美さんはそう言って鞄から手帳を取り出して開いた。指差したマス目は今週末。物騒な予定とは裏腹に、ドルマークの可愛いシールが貼ってある。
 急すぎるなあ。
 もっと準備期間を作るべきじゃないかと思って明美さんの手帳を引き寄せると、他のページに挟んであった何かが滑り出た。

「あ、プリクラがあったんだ。忘れてた」

 言いながら片手サイズのプリクラを私に見せてきた。そこには明美さんと妹さんが写っていた。さっきの無加工写真だって相当可愛かったのに、プリクラ加工で磨きがかかっている。お人形のように目はくりくり大きくて、ほっぺや唇はぷっくり色づいているし、手足は折れそうなほど細い。過度な加工をすべて味方につけていた。そしてそんな中でも留学中の写真より少しだけ大人びていているのも見て取れた。
 華やかなプリクラに目が奪われるけど、被写体より気になることがあった。

「二人分?」

 プリクラは真ん中で二つに切れるデザインなのに、手帳にあったシートは丸ごとだった。

「そう。志保はいらないって言って切り分けなかったのよ」
「可愛く写ってるのに」
「でしょ? でも『貼るところないからお姉ちゃんが持ってて』って言って断ったの」

 プリクラ自体、明美さんが撮りたいって言って妹さんを連れていったのだろう。複数ある写真の中には、ぎこちない表情のものと少しゆるんだ表情のものがあるから、撮っている間に慣れていったことは探偵でない私でもすぐわかった。
 目を細めてプリクラを見つめる明美さんは本当に愛おしそうで、しかも「やっぱり私がやらなきゃ」と呟いたのを聞いてしまうと、これ以上私がとやかく言うことはできないなと思いながらグラスの水滴を指先でなぞった。

ヒトリヨガリ