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 明美さんが十億円を取り返してジンに渡したところで、ジンが素直に約束を守るとは思えない。よくて現状維持。明美さんはと妹さんは組織に所属したまま、たまに会う機会を与えられる。悪くて妹さんを取り上げられる。妹さんの枷として生かされるけど妹さんとは二度と会えない。そして、最悪の場合は死が待っている。組織に反抗した場合の見せしめとして始末されてしまう可能性だって大いにある。
 ただ家族と一緒に過ごしたいだけなのに。妹さんに普通の生活を教えたいだけなのに。
 そんなちっぽけな明美さんの願いも叶わないかもしれないと思ったらやるせない気持ちでいっぱいになる。
 スクアーロに言われたように、私は私の任務を遂行しないといけない。天秤にかけて私の大事なもののために明美さんを助けることを諦めた。
 その結果、明美さんはジンに殺されてしまった。
 電話で報告を聞き終えたあと、私はふらりと部屋を出てマンションのそばにある公園のベンチに座った。
 明美さんと会っていた広々とした公園とは似ても似つかない、高い建物に囲まれた薄暗く閉塞感のある公園だ。何度か前を通ったことがあるけど、いつも人はいなくて、忘れ去られた空間のようだといつも思っていた。
 私は雨が降りだしそうな曇り空を見上げて、長い時間、散らばる思考の海を泳いでいた。
 冷える手先を擦っていると、パーカーのポケットの中でスマートフォンが震えた。

「はい、もしもし?」
「愛子、今どこにいますか?」

 少し上擦った透くんの声に、何度か瞬きしてから周囲に意識を向けると、公園は完全に影の中に入っていた。公園の外は部活帰りの高校生がふざけ合いながら歩いている。
 マンションを出たときはまだ明るかったのに。気づけば何時間も経っていた。

「えっと、今から帰るね」
「今どこに?」
「……マンションとコンビニの間にある小さな公園」
「すべり台だけの?」
「うん」
「じゃあ、そこで動かずに待っていてください」

 ぶちっと電話は切れた。
 私は通話が終わった画面を見つめる。
 これは心配をかけてしまったかもしれない。
 わずかな申し訳なさを感じながら待つこと十分。透くんは走って公園まで駆けつけた。

「もしかして、透くんも明美さんのこと聞いた?」

 開口一番に尋ねれば、透くんは少し躊躇ったあと「ええ」と頷いた。
 やっぱり。
 その知らせを聞いて、明美さんと仲のよかった子供が暗くなっても帰ってこなければ、普通の神経をしている大人は心配するだろう。同じような状況のとき、透くんは彼の死を随分と引きずっていたのだからなおさら。
 だから、あえて先手を打った。

「明美さんのことは悲しいけど、私は大丈夫だから」

 笑いながらベンチから立ち上がろうとすると、それを押さえるようにして透くんが隣に腰をおろした。そして普段のおしゃべりな口を閉ざしたまま、ゆっくりと、深く呼吸している。
 なんと切り出していいか探っているのかもしれない。親しくしていたお姉さんを亡くした子供の心労なんて計り知れない。透くんのことだから、迂闊なことを言って傷つけてしまわないかと心を配っていてもおかしくない。
 冷たく硬い風が私たちの間を吹き抜けていく。

「仕方ないんだよ」

 淡い空色の瞳がゆらりと揺れた。

「仕方ない、ですか」

 透くんは、目を伏せて息を吐いた。

「本当に?」

 もう一度こちらを見た目は鋭かった。

「本当だよ。明美さんのことは好きだったけど、でも、組織を抜けようとしたんだもん。私には庇えきれないよ」

 肩を竦めてみせた。なんでもないんだと透くんに思ってもらえるように。
 公園のそばを通る人は途絶え、私たち以外の声は消えた。まるでこの世界に私たちしか存在していないみたいだ。

「つらくはありませんか?」
「そりゃあ少しはね。心が痛くなったけど。……裏切り者が始末されるのなんて今更でしょ。まだ私が直接手を下さなかっただけましだよ」
「……もし、始末しろと言われたら、愛子はやりましたか?」
「そう指示されたのならしたよ。私はその覚悟でここにいるしね」

 ジンから渡された小さなベレッタは、今回幸運なことに日の目を見ないまま机の引き出しに仕舞われている。だけど、いつかはその銃口を私の知り合いに向ける日がくるかもしれない。

「透くんだって、そうするでしょ?」
「ええ、もちろん」

 透くんは一拍も間を置くことなく迷いなく頷いた。
 予想通りの返答に私は満足して、もうこの話は終わりだとニッと笑ってからベンチから立ち上がった。
 服の裾から入り込む冷気に身体を震わせると、透くんは呆れたように目をすがめて「どうしてそんなに薄着なんですか」と私のパーカーを引っ張った。

「何も考えずに出てきちゃったから。こんなに外にいる予定じゃなかったし」
「……やっぱり、自分で気づいてないだけで、彼女のことがストレスになっているんじゃないですか?」
「いや、そういうのじゃないよ。別に明美さんのことだけ考えてたわけじゃないし。本当に平気だから大丈夫」

 安心させるように透くんの手を取った。寒空の下で冷えていた手だけは、透くんと喋ってる間ずっと握りしめていたおかげでかぽかしている。
 真っ直ぐ同じ目線にある透くんの目を見つめながら安心させるように透くんの大きくて固い手をにぎにぎしていると、彼はふっと力を抜いて眉を下げた。

「こう言ったらあれだけど、明美さんのことはもう終わったことだと思ってるの。時間を巻き戻せるわけじゃないし、それよりも私はまだ生きている妹さんのことが気になってるんだよね」
「妹か……。でも、彼女は研究者として立場があるから、そう簡単にはジンも手を出さないでしょう?」
「そうだけど、それだけじゃなくて……」

 言葉を切って、スマートフォンと逆のポケットに入っている、手のひらサイズのシートを取り出して透くんに見せた。
 透くんはつるっとしたそれを摘んで、そこに写っている小さな人物を認識すると目を丸くした。

「明美さんと最後に会ったときに、記念にもらったの。妹さんがいらないからって明美さんにあげた分のプリクラ。……こうなった今なら妹さんもこのプリクラ持っときたいんじゃないかなって思うんだけど、でも渡す手立てなんてないからどうしようか考えてたんだよね」
「……妹さんに返すんですね」
「そりゃあ、私が持ってるよりいいでしょ。明美さん、妹さんの写真ほとんど持ってなかったの。ってなったら妹さんも持ってないだろうし」

 透くんの手からプリクラを取り上げて、どこにでもいるような普通の姉妹の笑顔を一瞥してから、またポケットに戻した。

「あとスコッチのことはお兄さんに言えなかったから、せめて明美さんのことはシェリーに言ってあげたいのかも」
「スコッチのお兄さんに会ったんですか? いつ?」
「あれ、言ってなかったっけ? 長野に行ったときだよ。お兄さんに景光さんの警察服姿の写真を見せてもらって、だからスコッチだって知ったんだよ」
「……そうだったんですね」
「うん。松田の友達にも会えてないから、本当に、せめて同じ組織にいる妹さんには渡したい。すぐには会えないだろうけど」

 やっと立ち上がった透くんは、一度離れた私の手を取って強く握ってきた。
 透くんを見上げると、暗闇の中、街灯のかすかな明かりに照らされた彼がまるで迷子の子供のように見えた。私の顔を見ているのに、その瞳に映っているのは私じゃない気がする。

「……渡せるといいですね」

 誰を見ているの。どうして、そんなに寄る辺のないような表情をしているの。
 なんて聞こうとしたけど、私たちはそこに踏み込んでいい関係じゃない。
 私はただ「うん」と頷いて、応えるように手に力を込めた。



 たとえば、私がボンゴレじゃなければ明美さんに寄り添えたのだろうか。と考えてみるけど、私はボンゴレに所属していなければこんな底無し沼のような不気味で恐ろしい組織と関わることはなかったし、そうしたら明美さんと出会うこともなかった。
 透くんに言った「仕方ない」は、あながち強がりでもない。
 うまくいかないことばかり起こる人生だから、他のことに気を取られているわけにはいかない。
 ――優先するべきものを忘れるな。
 スクアーロの言うことはもっともだ。
 私は私のたった一つの願いのために、それを叶えてくれるボンゴレに八年前に忠誠を誓った。
 私は何よりもボンゴレを第一に考えないといけない。情に流されて、それを忘れていると大事なものを喪ってしまうから。

ヒトリヨガリ