130
金貨の情報はジンのものだから好き勝手する権利はもちろんジンにある。だからといって、この使い方はあまりにも目に余る。
名古屋から東京に戻ってジンたちと別れたあと、私はいまだふつふつと沸き上がる感情を抑えながら家まで帰る電車に乗った。
帰宅してから私はすぐさま自分の部屋に戻り、今まで着ていた子供らしくて動きにくい服を脱ぎ捨ててソファーに投げた。そのとき、ごろんとスカーフを巻いたクオレが落ちたけど、気にすることなくクローゼットからシンプルでジェンダーレスなデザインの服を引っ張り出して手早く着替えた。そして、その勢いのまま雲雀くんに電話をかけた。
私の提案を、雲雀くんは愉悦を味わうように聞いていた。
そしてすべてを聞き終えると、一言「いいよ、連れておいで」と返事をして通話を切った。
ツーツーと音の鳴るスマートフォン。
さっきまで昂っていた気持ちが凪いだとこでさっさと家を出ようとしたけど、忘れそうになっていた透くんへの連絡を済ませた。「今日は遅くなるから夜ごはんはいらない」と。
向かった先は、十日ほど前にも訪れたジェンマファミリーの根城だ。
相変わらず寂れた地域だけど、前とは違ってぽつぽつと人がいた。それでもいるのは若い人たちではなく、みんな強面のおじさんたちだから治安の悪さは察する。
私は物陰に隠れて、自分の姿を幻術で若い男に変えた。ここにいても不自然じゃなさそうなチャラついた男だ。髪の毛は肩につくくらいの長髪で、目つきは愛嬌がありつつも鋭い。繁華街に行けば掃いて捨てるほどいそうな見た目。
私の幻術は実体のある有幻覚だし、こんなところに逃げてくるような弱小マフィアには幻術だとバレるわけがない。
普段より高い視線に気分をよくしながら、私は軽快な足取りで男のアパートの部屋まで歩いていった。
カメラなんてついていないインターホンを押すと、ブザーのような音が鳴った。数十秒待っても応答がないので、もう一度押し、そのあと錆びたドアを叩けばようやくドアが開いた。
「雲雀さんのお宅で、すか……」
「わたし、少し、日本語、わからない」
「あー……」
てっきり日系の構成員が出てくると思っていたのに、現れたのは彫りの深い髭面のイタリア人だった。それも調べたときに見た資料の一番上に載っていた顔。ジェンマのボスだった。
いくら平和な日本だからといって、逃亡中のボスが出てくるなんて。
面食らってしまったけどちょうどいい。気を取り直してにっこり笑顔を作った。モデルは透くん。無害そうな優男を装うにはちょうどいいから。
「すみません、家を間違えたようです。チャオ」
言いながら、私はそのイタリア人の奥まった目を見た。アンバーの目は、しだいに光を失っていく。
「……チャオ」と力なく言い返して扉の奥に戻っていくイタリア人を見送ってから、私は踵を返してアパートをあとにした。
下準備は完了した。
だけど、まだ帰るわけにはいかない。
電車に乗ると、今度は雲雀くんの待つ並盛に向かった。
姿はまだ男のまま。子供の姿でも不都合はないけど、一応相手にするのはイタリアンマフィアの端くれだし舞台は並盛だから、万が一、私とマフィアとの関係が誰かに見つかっては事だ。
並盛町に入ってから雲雀くんに連絡すると、直後に草壁くんの運転する車が現れた。後部座席にはスーツを着た雲雀くんが悠然と長い足を組んで座っている。
私は挨拶しながら雲雀くんの隣の座席に乗り込んだ。
車が動き出してから、困惑した様子で草壁くんがおそるおそる口を開いた。
「……愛子さん、ですよね?」
「そうだよ、久しぶり。運転ありがとうね」
「やっぱりそうだったんですね。恭さんが愛子さんだとおっしゃるので車を停めたんですけど、オレにはさっぱりで……」
「そんな簡単にバレたら困るから。これでも私、骸の弟子だよ。……雲雀くんが暴くのはさすがとしか言えないねえ」
「いる場所がわかっていて、君が術士だと知っていたらわかるよ」
あっさりと言うけど、それだってできない人が多い。
雲雀くんはある意味、固定概念を持っていないのかもしれない。固定概念というか、思い込みや先入観といった方が近いか。最後に会った私の姿を思い描くことなく、ただ今現在わかっている事実だけで考えている。
まあ、雲雀くんが囚われるのは並盛の秩序だけだから、世の中の価値基準なんてどうでもいいのだろう。
車は大きな通りを走り、一棟の解体中のビルの前で停まった。
降りるのは雲雀くんただ一人。
私や草壁くんが行っても邪魔になるだけだし、余計な手出しは機嫌を損ねることを私たちはよく知っている。
ただ、サポートするために雲雀くんには通信機器を持っていってもらった。
感度はばっちり。雲雀くんの準備したものだから心配はなかったけど、建物に反響する雲雀くんの足音までしっかり聞こえてくる。
建物に入って数分もしないうちに、鉄製の扉が重々しい音を立てて開いた。
「おい、どこだ! いるんだろう!」
僅かに訛りのあるイントネーション。さっき私があったジェンマのボスの声だ。
あのときは日本語がわからないような片言だったのに、今は多少アクセントに癖があるだけで普通に話している。
ボス以外の音がない。部下は連れてこなかったのか。
雲雀くんもそう思ったらしく、少しだけへそを曲げたような声で「一人できたの」と尋ねた。
「ああ」
「まあいいや。金貨は?」
「ここにはない」
どん、と言い切ったボスに雲雀くんはヒリついた声で「どういうこと?」と聞いた。それはボスに対しても、私に対しても。
なぜなら私が雲雀くんに持ちかけた提案はとてもシンプルな、日本に逃亡しているファミリーを咬み殺して金貨を横取りしてほしい、というものだったから。
ジンにいいように使われるくらいなら、ジェンマは雲雀くんのストレス発散に使って、金貨はイタリアに還してしまった方がいい。利害の一致で即決した共闘作戦だった。
私の役割は、術で構成員に金貨を高く買い取る組織がいると暗示をかけること。そうすると彼らは勝手に金貨を持ってここに現れるという寸法だった。
そのあとは雲雀くんが暴れて、残された金貨は草壁くんが回収。の予定が、なぜか彼は一人で来たし金貨も持っていない。怒るのも当然だ。
「俺は他人を信じない。お前が本当に信用できるやつかわからないのに金貨を持ってくるわけがないだろ。隠してある」
悔しいけど、腐ってもファミリーのボスか。私の読みが甘かった。
「それなら君に用はないよ。……せめて僕の暇潰しくらいにはなってね」
「は?」
ボスの間抜けな声を最後に、平和的な音は聞こえなくなった。
トンファーが風を切る音、鈍い殴打音、水っぽい音、汚い悲鳴。そういうものがスピーカーから垂れ流れてくる。
見なくても中の様子はありありと脳裏に浮かぶ。きっと雲雀くんは愉しそうに唇の端を吊り上げているだろう。そしてボスは赤に染まってぼろぼろ。
だけど、いつまでもそうやって雲雀くんを楽しませていられない。ボスの利用価値はまだ残っている。
そう思って雲雀くんにストップをかけるのと、荒々しい音で扉が蹴破られるのはほとんど同時だった。
「警察だ! 武器を捨てろ!!」
固い声音で叫ばれた言葉に、私は息を飲んだ。
でも雲雀くんはそれくらいの修羅場は慣れたもので、すぐにドサリとボスを地面に捨てて走り出した。
その音から私は、まさか咬み殺して足りなくて警察にまで牙を剥くつもりかと、ぎょっとしたけど、雲雀くんはそのまま窓を開いてビルから脱出した。
草壁くんは雲雀くんがどこから出てきたのか検討がついているようで、すぐに車をビルの裏手に回した。
「まさか警察が乗り込んでくるなんてね……」
雲雀くんを無事に拾ったあと、私はぐったりとシートに背中を預けた。
「わざわざ入ってくるなんて、近くで何か事件でもあったのかな? 最近事件が多いし、警備でも強化してたのかなあ」
「いいや。あれは公安だから元々あの男を追っていたんだろうね」
さらっと述べた考えに私は一瞬固まり、それから「こーあん?」と、さっきのボスよりも片言でおうむ返しした。
「逃亡中のマフィアなんだから、そういう可能性くらい考えてなかった?」
「いや、それはそうなんだけど、私が気になってるのは、どうして雲雀くんがあの警察が公安ってわかったのかだよ」
「知ってる顔がいくつかあったからさ」
簡素すぎる答えに頭上にクエスチョンマークをたくさん出していると、見かねた草壁くんが補足してくれた。
「うちも公安に睨まれていますから、こういうときのためにある程度公安の顔を覚えてるんです」
「まったくいい迷惑だよ」
たしかに雲雀くんはテロなんて企てないだろうけど、並盛を優先するあまり国に喧嘩を吹っ掛けかねない。警察が睨みを利かすのは当たり前だ。
「え、それなら、警察に雲雀くんの存在がバレたの? 大丈夫?」
「そんなヘマすると思ってるの? 部屋は薄暗くて、外から入ってきた公安から僕の顔は見えてないよ。それにあんなに迂闊に中に入ってくるってことは、よっぽど焦っていただろうし」
「それならよかった……」
僕を誰だと思ってるの、と言いたげな顔で見られても、心配なものは心配だ。
「そんなことより、咬み殺すこともできなかったんだし、金貨くらいちゃんと持ってきてね」
「あ、うん、それはもちろ――」
「来年度のうちの財源なんだから」
「いやいやいや! イタリアに還すんだってば!」
つんと外を向いた雲雀くんは、それから私が何を言っても返事をしてくれなかった。いつもは援護してくれる草壁くんも、諦めてくれといった表情をバックミラー越しに寄越してきた。
それでもさすがに盗品を横流しするなんて私にはできないから、どうにかして金貨が雲雀くんのポケットに入れられる前にイタリアに還さないといけない。
雲雀くんたちと別れると、その足でジェンマのアパートに舞い戻った。
アパートまでの道は時間が止まったかのように静まり返っていて、到着した彼らの部屋には電気がついていなかった。
周囲を見回すが、周囲に人の気配はなく、ただぼんやりとした青白い街灯がぽつりぽつりと寂しげに道を照らしているだけ。
私はあたりを警戒しながら手早く部屋の鍵を解錠して中に忍び込んだ。
昭和の香りが漂う古い部屋は、壁や床の塗装がところどころ剥げている。玄関には履きつぶされたスニーカーが散乱しているし、その先の廊下は新聞や衣類、ゴミ袋で足の踏み場がない。
酸っぱい臭いのする室内に足を踏み入れるが、ここも床が見えないほど物が散らかっている。
ざっと見回して、タンスや押し入れの中を調べてみたけど、私が探している金貨は見つからない。部屋にあればすぐに見つかる量のはず。
元々、すんなり見つかるとは思っていなかった。ボスは「隠してある」と言っていたからここにないのも想定内だ。
だけど、家にあってくれたら探す手間がなかったのに、と思ってしまう。
ひとまず、ここにいても意味がないからアパートをあとにして家に帰った。