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船が、波を掻き分けて突き進んでいた。
定刻どおりに港を離岸し、夜でも煌々と輝くコンビナートが壁一面に並ぶ窓から見えたときは歓声を上げて外にカメラを向けていた乗客たちも、今はすっかり景色に見慣れてしまっている。
遠くから聞こえるのはソプラノ歌手の歌声。ホール内では着飾った老若男女がグラス片手に談笑し合い、シャンデリアの不規則な揺れが銀食器に当たってまばゆく輝いている。
ここは豪華客船クイーンセリザベス号の一室。
私を乗せた船は、先ほど横浜港を出航して東京港に向かっている最中だった。
「あれ、愛子ちゃんも来てたの?」
人混みの中から、幼い少年の声が聞こえた。
「え、コナンくんも来てたんだ」
コナンくんは私の横に立っている竜太郎さんを見上げて「この人がお兄ちゃん?」と不思議そうに首を傾げた。
私も竜太郎さんを見上げた。
パーティとだけあって、いつもはくしゃくしゃの髪の毛がきちんと固くセットされているし、服ももちろん仕立てのよい上品なスーツを着ている。おかげで普段より若く見えるけど、それでも私の兄なら年齢が違いすぎる思ったのだろう。
「ううん、この人は須藤竜太郎さん。服を作っている会社の社長の弟さんで、秘書をやってる人。昔からよくしてくれてるの」
この鈴木財閥六十周年記念の船上パーティに招待されたのは社長だった。だけど急用で行けなくなったので名代として竜太郎さんが来ることになり、私はその話を聞いて無理を言って同行させてもらった。
竜太郎さんは私より背の低いコナンくんのために膝を折って目線を合わせた。
「こんにちは。愛子ちゃんのお友達?」
「うん! 江戸川コナンです!」
可愛い声で元気よく挨拶して、最後ににっこりと笑う様子は、まるで子役のようだ。
なんかこの前会ったときと雰囲気が違うなと胡乱な目を向けてしまったけど、こんな華々しいパーティ会場だしお行儀よくなるのも無理はない。
コナンくんのあとに蘭さんも竜太郎さんに自己紹介をして、最後にボブカットの女の子は私に名乗ってくれた。いくら鈴木財閥のパーティとはいえ、まさか令嬢と会えると思わなくて返事をする声が上擦った。
一通り挨拶を終えると、竜太郎さんは蘭さんと園子さんのドレスを見たあと難しい顔をして私を見下ろした。
「真珠をつけるなら、違う色にすればよかったね」
私も自分の身体を見下ろせば、そこには鮮やかなピンク色が広がっている。スカートはふんわりと膨らんだ膝丈、胴はツルッとしたサテン生地でノースリーブ。肩にはラメが散らばる薄いレースのストールがかかっている。
普段着ないデザインのこのドレスは、今日のために竜太郎さんが用意してくれたものだ。
最初服を渡されたときは、ドレスというより女児アニメのコスチュームのようなデザインで着るのを躊躇ったけど、面倒がっている竜太郎さんのパーティ出席を後押ししたという負い目があって断ることができなかった。まあ、着てしまえばどうってことない。中身はともかく外見は合っているから。
そして竜太郎さんの視線の先には、そんな可愛らしいドレスに似つかわしくない黒真珠のブローチが艶やかに輝いている。
怪盗キッドが鈴木財閥の家宝である黒真珠を盗む予告状を出したらしく、撹乱のために招待客全員に模造真珠が配られたのだ。
「ピンクに黒も合わないこともないよ?」
「でもコサージュのわりにドレスがファンシーだし、コサージュがあるなら胸元はもっとシンプルでもよかったね」
さすがはアパレルメーカーの一族なだけあって、ファッションに関しては厳しいらしい。
須藤グループのメイン事業はスポーツウェアのはずなんだけどな、と思いながら竜太郎さんの話に付き合っていると、壇上に一人の中年の男性が上がった。茶木と名乗った彼は警察官で、祝言を述べることなく怪盗キッドの襲来を喚起する。
怪盗キッドは変装の名人だから、連れの人と合言葉を決めろ。そう言われて私と竜太郎さんは顔を見合わせた。
「合言葉って言ったって、ね?」
「そんなに深く考えなくてもいいんじゃない? 俺たちだけが答えられることってことは、ペアになっていなくて推理できないものでしょ。……例えば愛子ちゃんが探偵の妹なら、俺は――」
「社長の弟?」
「それだとすぐに察するかもしれない。……ダメ親父の放蕩息子、とか」
「……それはたしかに思いつかないね」
冗談か冗談じゃないのかわからないまま、他の案が出ることなく事態が急転した。
突然明かりが消え、スポットライトが天井の隅を照らす先、そこには全身白に身を包まれた人物が悠然と浮いていた。
次の瞬間どこからか、パァン! と乾いた発砲音が轟いた。そして続けざまにもう三発。
白は赤に変わり、力なく地面に墜落する。
「……愛子ちゃん!」
会場は騒然とし、少し遅れて竜太郎さんが私の視界を遮るように手で覆った。
「大丈夫だよ、竜太郎さん」
「な、なにが」
「何かのパフォーマンスでしょ、あれ」
発砲音や血飛沫、キッド悲鳴なんかが嘘っぽかった。
その私の勘が当たったようで、すぐに撃った張本人の鈴木夫人がネタばらしをした。警察がいるのに、よくこんなドッキリを考えるな。
そして撃たれた怪盗キッド役は、なんと私のお目当てだったマジシャンが演じていた。
「真田さんだ!」
二十七歳という若さと、爽やかなルックス、軽やかな手捌きで大人気のマジシャンだ。
バラエティ番組にゲスト出演しているのを何度か見かけたことがあるだけだったけど、彼がこのパーティに招待されている噂を竜太郎さんが聞いたと言うので、是非とも目の前で手品を見てみたかったのだ。
念願の手品は、まず手慣らしの簡単なカードマジックから始まった。
わくわくしながら私はステージに立つ真田さんを見つめる。けれど残念なことに手品は途中で中断された。トランプカードを予言する演目中にキッドの予告状が見つかったからだ。
「残念だったね。せっかくここまで来たのに」
私がすごく楽しみにしていたことを知っている竜太郎さんが慰めてくれた言葉を聞いたコナンくんが「え?」と驚いた。
「手品のために来たの?」
「そうだよ。竜太郎さんに頼み込んだの」
「そんなに好きなんだな……」
変なやつだと言う目で見てくるけど、やたらと目敏かったり金貨強盗の暗号を解読したりするコナンくんだって十分変だからお互い様だ。
それに比べて、蘭さんはとても素直に「マジックが好きなんだ!」と興味深そうに私を見た。
「見るだけ? やったりもするの?」
「ちょっとだけならできるよ」
可愛い笑顔で、やってみせてとお願いされたら術士の腕を見せつけてやりたくなる。普段なら物を隠すだけの手品しか見せないけど、今日は隠しづらいドレスだし、何より真田さんのパフォーマンスをキッドに中断された彼女たちが可哀想だったから特別に幻術を使うことにした。
さっとトランプを有幻覚で出現させ、コナンくんに「まぜて」と渡す。パーティにトランプを持ってきたのかよ、と言いたげな顔は無視だ。
シャッフルされたトランプの山を返してもらい、裏向けたまま蘭さんに一枚引いてもらう。それを覚えてもらって山の中に戻し、蘭さんと園子さんにもまぜてもらった。
再び私の手に戻ってきたトランプを左手の上に置いて、いかにも演技っぽい調子で「あなたの引いたカードは……」と、むむむと悩む。
山の一番上のカードを表に向けると同時に「ずばり、ハートの十一ですね!」と言う。
わあ! と歓声を上げる園子さん。目を丸くする蘭さん。そしてさすがのコナンくんも幻術に感心してくれている。
「あんたやるわね! 合ってるよ!」
「本当にすごい! 愛子ちゃんの服だったらカードを袖に隠したりすることもできないし、子供って手が小さいからカードマジックなんて難しいのに!」
二人に絶賛されて「へへ」と照れ笑いをする。
全然わからなかったのは当たり前だ。タネなんてないのだから。
仕掛けは簡単。蘭さんが引くカードを最初から術でハートの十一に変化させていた。そのあと戻ってきたトランプの一番上のカードも同じように変化させただけ。実際引いた元のカードが何かなんてまったく知らない。