135
闇に染まった街を歩きながら、私はボンゴレに幹部入りの報告をするべく滅多にかけない番号に電話をかけた。応対したリボーンはとても淡白に「そうか。じゃあ引き続き頼むぞ」とだけ言っておしまいだ。
そりゃあ、潜入中の連絡は危険を伴うし、まだ任務が終わったわけじゃない。でも、それでも労りの言葉の一つくらいあってもいいと思う。少なくとも、綱吉だったら言ってくれたのにな。
せっかく昇進して機嫌がよかったのに、家に着くころにはすっかりヘソが曲がっていた。
玄関のドアを開け、靴を脱いでいると奥の部屋から透くんの「おかえりなさい」という声が飛んでくる。それに「ただいまー」と力の抜けた声で返事をしながら洗面所に向かった。手を洗いながら視線を上げると、鏡に映る顔は仏頂面。
ダメだダメだ。ボンゴレのことを持ち帰ってはいけない。
手を洗ったついでに冷たい水道水で顔も洗って、気分を切り替えた。
「ごはんなにー?」と聞きながら扉を開くと、キッチンにいた透くんが「お寿司ですよ」と、カウンター越しにダイニングテーブルを指差した。
「ケーキを準備していたら時間がなくなってしまったので、お寿司を買ってきたんです」
申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「買ったので十分だよ! え、それよりケーキって?」
すんすんと匂いを嗅いでみると、微かにチョコレートの香りがした。よく見ればシンクにチョコレートがついたボウルが浸かっている。
宝探しをする子供のようにキッチンの中をぐるぐる見回していると、エプロンを外してセーター姿になった透くんが小さく笑いながらダイニングに移動した。
そして「今はまだ冷凍庫で冷やしているので、食後に食べましょう」と椅子を引いて先に座っているよう促す。
言われたとおり素直に座ると透くんも私の目の前に座り、漆塗りの寿司桶の蓋を開けた。中には瑞々しく色鮮やかなお寿司が詰まっている。
「どうぞ召し上がれ」と醤油皿とお箸を渡されたので、一番に脂の乗ったサーモンをぱくりと食べた。
「ジンから聞きましたよ。これからはアマレットと呼ばないといけませんね」
「まあ、外ではね」
なんとなく察していたけど、やっぱりこの高そうなお寿司と透くんが作ったというケーキはお祝いか。
「それにしてもアマレットか……」
「透くん、知ってるの?」
「ええ、もちろん。と言っても詳しくは知らなかったので、さっき調べました。……アマレットは、イタリアで生まれた杏の種を使ったリキュールなんです。甘く芳醇な香りがして、それがアーモンドやココナッツに似ていることから製菓にも使用されますが、リキュール自体のアルコール度数は高めです。アマレットという言葉もイタリア語で『少し苦いもの』という意味ですし、可愛いだけじゃない愛子に似合ってますね」
ぴくりと次のお寿司を選ぶ箸が止まった。
彼の言う可愛いというのは幼いという意味だってことはわかっている。それにお世辞も多分に含まれていることも。
わかっている。わかっているけど、溜息が出るほど綺麗な笑みとともに言われたら、うっと胸がいっぱいになる。
もごもごと口の中の酢飯を飲み込んで、「そう言う透くんだって、バーボンって似合う名前だと思うよ」と言ってから、ホタテを食べた。
「ありがとうございます」
「前から思ってたことだよ。お世辞じゃないからね」
バーボンだって、チョコレートと一緒に食べたりバニラアイスにかけて食べたりして楽しめるお酒だ。アマレットが甘いだけじゃないのなら、バーボンだって同じ。
可愛い顔をして、したたかな透くんにぴったりだと思う。
今だって、手放しに褒めているようで腹の中で何を考えているのかわからない。口が上手いのはよく知っている。それを利用して探り屋として確固たる地位を築いたことも。
私はコードネームを得たのだから、これからは今までよりも多くの情報が入ってくる。透くんがそれを狙わないとも限らない。
そういった警戒心が顔に出たのか、透くんは苦笑して「せっかくなんだから楽しんでください」と私を宥めた。まるでぐずる子供への対応みたいだけど、私の反応だとあながち間違っていないから文句は言えない。反論は諦めて好きなお寿司をどんどん食べ進めた。
そしてさっぱり桶が空になると、透くんは桶をシンクに持っていって、代わりに冷凍庫からチョコレートケーキを取り出して持ってきた。
羊羮のように細長い棒状のケーキだ。それを目の前で薄くカットして白いケーキ皿に乗せてくれた。
「テリーヌショコラです」
フォークを刺すと、生チョコのような重くもったりとした感触。口に含むと、体温で濃厚なチョコレートが溶けていく。そしてカカオの苦味の中に、ほのかにアルコールと華やかなアーモンドの香ばしさを感じた。
「美味しい! すごく大人っぽい味」
「せっかくだからアマレットを使ってみました」
「すごいね。前から思ってたんだけど、いつの間にか料理がうまくなっててびっくりした」
「いつの間にかって言っても、初めて愛子に料理を作ってから何年経ったと思っているんですか」
「でも、『慣れる』と『上達する』は違うでしょ」
「まあそうですけど。……そうですね、あえて言えば美味しいって食べてもらいたいから頑張った結果、かもしれませんね?」
「そういうところが『バーボン』なんだよ」
あざとく言えば自画自賛だって嫌味に感じないのだからびっくりする。甘い笑顔から逃げるようにケーキをもう一口食べ、その中からほろ苦いアマレットの風味を探す。
「本当なら一緒に飲みたいところですけど、愛子はまだ飲めませんからね」
その言葉からは、いつか一緒に飲みたいというニュアンスを感じた。
でも私は十年以上もここにいるつもりはない。
それにコードネームを得たということはより一層、危険な仕事を任されることだってあるのだ。ボンゴレとしては願ったり叶ったり。組織がボンゴレに牙を向ければすぐに私が攻勢をかけられる。でも私の背後は崖だ。油断すれば逃げることもできず死が待っている。もちろんアマレットとして終わるつもりはさらさらない。でも未来は誰にもわからない。生きたかったはずの、生きるべき人たちだって呆気なく散っていった。私だけが特別だなんて自惚れてはいない。
命の儚さをいやというほど知っているから、無責任に一緒に飲もうねなんて約束はできなくて、代わりに「また作ってね」と薄っぺらい言葉を吐いた。