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米花町にある新出医院は、私にとっては近いとも遠いとも言えない距離だった。時間だけ見れば三十分ほどで行けるから近いけど、乗り換えが必要だから心理的には遠く感じる。
そしてそれは、かかりつけ医には不自然な距離だった。
しばらく様子を見たけど病気も怪我もしなかった私は、結局新出医院のそばを通ったときに体調不良になったフリをして病院で休ませてもらった。それから新出先生に懐いた子供として何度も病院に通っている。柔和な新出先生は嫌そうな顔をすることなく受け入れてくれた。後から知ったことだけど、最近父親を亡くして代替わりをしたらしい。きっと忙しいだろうに患者でもない私を無下にしない新出先生は本当に優しい。
ベルモットはシェリーの件で新出先生になろうとしているけど、今のところシェリーとの繋がりはない。
新出医院は同じ敷地内に自宅もある。昔ながらの豪邸と言ってもいい広さだから、当初はそこにシェリーを匿っているのかと思った。でも、いくら気配を探っても見つからない。
新出先生とは直接関わりないのかも。と考えながら五回目の訪問を終えて帰ろうとしたとき、視界の端にその人を見つけた。
オレンジがかった金髪のソフトモヒカンの髪型こそ初めて見るものだったから気づかなかったけど、童顔でありつつワイルドな顔つきや小柄な体つきは見たことがあった。
「ねえ、お姉さん。あの人も患者さん?」
受付の女性にこっそり、会計待ちの男性のことを聞いた。彼女は詳しいことは何も言わなかったけど、小さく笑いながら「普通は、愛子ちゃんみたいに怪我もしていないのに来ないのよ」と、言外に男性が患者だと教えてくれた。
ソファーにどかりと腰かけてスマートフォンを触っているその人は、泥参会若頭のコウキだった。
「菅井コウキさーん」
名前を呼ばれてこちらに向かってきたコウキは、お尻のポケットから長財布を取り出しながら横に立つ私を見下ろした。
「よう。怪我でもしたのか?」
「う、ううん」
「この子、先生に懐いててよく遊びにくるのよ」
「ふっ、なんだそりゃ。病院は遊び場じゃねえぞ」
ケラケラ笑って会計を済ませるコウキは、バニーズバーにいたときとは違う爽やかな笑顔を浮かべている。まるでヤクザとは思えない。ただのやんちゃな気のいいお兄ちゃんといった感じだ。
「お兄さんは、どうして病院に来たの?」
「事故ったんだよ。お前もちゃんと周り見て歩けよ」
ズボンの裾を少し上げて、足首に巻かれた包帯を見せてくれた。本当に怪我をしているらしい。でも事故の通院にしてはやけに病院に馴染んでいた。
なるほど、新出医院に通っているコウキが匿っているのか!
ピンと閃き、病院から出ていったコウキの後をつけた。
「何をしてるの」
コウキを追っている途中、震える少女の声が聞こえ、大袈裟なくらいビクッと肩が揺れた。
声をした方に顔を向けると、そこには両腕を抱くように組んで立つ灰原哀ちゃんがいた。後ろにはコナンくんも。
「まるで誰かのあとをつけているような歩きだけど、何かあるの?」
追悼式で会ったときよりも砕けた態度のコナンくんに聞かれ、うろっと視線をずらした。
「病院で知り合った人がどこ行くのか気になっただけだよ」
「気になったって……、そんな変なやつだったの?」
「……ううん。普通のお兄さん」
「それなのに追ってたの?」
レンズの奥で目を丸くするコナンくんに何も言い返せず、私は口ごもった。
歩き方で尾行ってわかるものなの?
コナンくんの洞察力の前に、私はもうコウキのことなんてどうでもよくなった。それよりどうにか私への不信感を払拭させようと話題を変えた。
「そうそう、お別れ会のときのことなんだけど! ……コナンくんたちってあそこで美人なお姉さん見なかった? えーっと、灰原哀ちゃんみたいな髪の毛の色だと思うんだけど……」
プリクラのシェリーを思い出しながら聞いてみて、すぐにそれが間違った話題選択だったと気づいた。二人の顔色が変わったからだ。
ピリつく灰原哀ちゃん。コナンくんも僅かに緊張感を漂わせたけど、それはすぐに弛緩した。そして警戒心をあらわにする彼女の腕を掴む。
「落ち着け灰原」
「……コナンくん、何か怒らせるようなことやっちゃった?」
「あ、いや、そうじゃないんだけど、灰原はちょっと色々事情があって……」
言葉を選びながら、人嫌いなのだと教えてくれた。
「灰原、愛子ちゃんと一緒にいた須藤竜太郎さんは園子姉ちゃんと知り合いだし、愛子ちゃんも悪い人じゃねえって」
もっと他に擁護の言葉はないのかな。そんなに素性が怪しいのか、私って。ちょっとだけ項垂れながらもコナンくんの言葉に引っかかって顔を上げた。
「竜太郎さんって園子さんと知り合いなの?」
「うん。パーティのときに園子姉ちゃんが竜太郎さんじゃなくて愛子ちゃんに自己紹介したから、あとから聞いたんだ。社交パーティで何度か会ったことがあるって言ってたよ」
「え、なんで聞いたの?」
「だって普通、先に挨拶するか、それか両方にするものじゃない? それなのに園子姉ちゃんは愛子ちゃんだけだったから不思議で」
「そこで不思議になるものなの?」
「なっちゃった」
やっぱり侮れないコナンくんは、えへへと笑ったあとくるりと灰原哀ちゃんに向き直り「だから、そんな警戒すんなよ」と軽い調子で彼女を宥める。
彼女の顔色は依然として悪いけど、張りつめていた気配は少しだけましになった。
「……そうね」
一言だけそう言って、それっきり黙ってコナンくんの腕を掴んで去ってしまった。
クールすぎる。私が子供になりきるために頑張ってテンションを上げたのはなんだったのだろう。大根役者と骸に言われたことを思い出してしまった。
たしかに私が演じているのはまやかしの子供だ。でも、それこそが大人が求める子供の姿だろう。無垢で愛想がよくて、手がかからない程度にわがままで、幼さゆえの浅慮から大人ではできないことをやってのける。だからこそ、大人はその無邪気さの裏に打算があることを暗黙のうちに理解していても、つい余裕ぶって振り回されてあげる。
そういう関係性は私にとっては都合がいい。私の裏に隠されたものが、真っ黒なものなんかじゃなくて、あくまで子供らしい欲求だと勘違いしてくれるから。
それに引き替え、灰原哀ちゃんは等身大だ。大人からすると、彼女の態度を生意気だとか可愛げがないと言うかもしれないけど、その偽っていない姿は偽りまみれの私からすると眩しくて憧れさえ抱く。
仲良くなれたら嬉しいとは思うけど、嫌なものを嫌だと言える彼女のままでいてほしい。
そう思いながら何の収穫もなく帰った私は、家についてから結局二人がシェリーを見ていたのか答えてもらっていないことに気づいた。