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 芝崎が彼女とともに家に帰るのを見送ってから、私と透くんも帰宅した。
 二人揃って洗面所に向かうと、透くんは「しっかりうがいしてくださいね」と、わざわざコップを渡してきた。

「気づいてたの?」
「そりゃあ、あれだけ咳払いしていたらわかりますよ。……あの廃ビルは立地はいいけど、もう使わない方がいいでしょうね」
「キラキラ光って綺麗なんだけどねえ」
「所詮は埃ですからね」

 透くんに言われるがままに何度かうがいをすれば、ずっとイガイガしていたのがましになった。
 そしてまた二人でリビングに入れば、透くんは干したままの洗濯物を取り込むためにベランダに出た。日は長くなったけど、まだまだ夜の訪れが早い春の夕方。もう他のお宅は取り込み済みだ。

「愛子が急患だと言うからそのまま出てきてしまったんですよ」

 急かして申し訳ないとは思うけど、早く来てくれないと芝崎は痺れを切らして帰ってしまいそうだったからあのときは緊急事態を装うしかなかった。
「ごめんね」と一言謝ってベランダとリビングを行ったり来たりする透くんにそそそっと近づく。透くんは私の服を渡してきた。ひんやりした服を抱え、自分の部屋に戻ってクローゼットに片付けていく。もう一度もらいに行こうとしたところで、透くんがベランダから「あ、クマのぬいぐるみの服を洗ったので、持ってきてください」と声をかけてきた。
 「はーい」と間延びした返事をしながら、ベッドサイドに置いていたクオレを抱え上げた。ずっしりと重いそれを、引きずらないように気をつける。
 洗濯物はもうすでに取り込み終えていて、リビングで仕分けをしている透くんにクオレを渡すと、オレンジのスカーフをほどいて黒の服を着せた。
 それにしても、透くんはよくクオレのスカーフを交換する。そんなに汚れてないと思う
んだけどなあ、と脱がされたオレンジのスカーフを見ていると、私の考えを察した透くんが苦笑した。

「案外、見えていないだけで菌が繁殖してるものなんですよ」
「……そう言われたら気になるようになるじゃない」

 円らな瞳のクオレを睨んでいたら、「ぬいぐるみも定期的に干しているから、そんなに気にしなくてもいいと思いますけどね」と笑ってキッチンに入っていった。
 コトコトとごはんを作ってる透くんを眺めるのも好きだけど、今日はやりたいことがあるから着替えたクオレを担いで部屋に戻った。
 しばらくドアのそばでキッチンの様子を窺って、パチパチ油の跳ねる音やジャージャー皿を洗う音が聞こえてくるようになったころ、私はクオレと一緒にソファーに座ってスマートフォンを取り出した。
 仕事用のスマートフォン。アドレス帳から呼び出すのはかけ慣れた番号。
 数回の呼び出し音のあと、雲雀くんは電話に出た。
 挨拶は手早く済ませ、時間がないので単刀直入に用件を伝える。

「ベレッタの改造拳銃が出回ってるみたいなんだけど、雲雀くんの件に関係あるかな?」
「あるとも言いきれないけど、ないとも思えないね。出所は?」
「わからない。知らない人に指示されて、そこに行ったら拳銃が置いてあるらしい」

 芝崎から聞いた話をそのまま雲雀くんに伝える。さすが雲雀くんは理解が早くて、特に聞き返してくることなく最後に「ふうん」と相槌を打つ。
 改造拳銃は透くんが預かっているから雲雀くんに実物を見せられないことを謝ると、雲雀くんは「並盛が関係ないならいらない」と心の底から興味なさそうに言った。自分のシマでわけのわからない拳銃が使われるのは嫌うけど、並盛で起きた拳銃事件からすでに一年以上経ってるし、とりあえずの犯人は雲雀くんが咬み殺しているから外まで追いかけないらしい。
 一応、挨拶のように「そっちは、それから事件は起きていないの?」と聞く。

「出所不明の拳銃を使ったものは起きてないよ。全部正規品を使ったヤクザか、中国製のコピーを使った強盗くらいなもんだよ」

 僕の並盛でいい気なものだ、と言葉を結ぶ雲雀くんは本当に揺るがない。思わず苦笑いがもれた。
 とりあえず私はベレッタの改造拳銃が現れたということを共有したかっただけだから、透くんに電話がバレる前に電話を切った。そしてクオレに倒れかかって、大きく息を吸う。清潔な石鹸の匂いがした。
 引戸の向こうから、微かに聞こえる手際のいい家事の音は子守唄のように私を眠りに誘うけど、のんきに寝てはいられない。
 私はスマートフォンを持ち変えて、今度は今日新しく登録したアドレスにメールを送った。ことの顛末を知りたがったコナンくんに無理やり交換させられたのだ。
 何通かやり取りして、コナンくんは若者の間で流行ってるチキンレースのことを警察に相談するべきだと進言してきた。
 私は画面の上で指をさ迷わせ、何て返すのが一番適当かを考えていたらだんだん疲れてしまって、結局警察に相談するともしないとも言いきらない曖昧な返事を送った。もうそれきりスマートフォンはリュックの底に片付けた。
 コナンくんは、正義感が強い子だ。
 私にはもうない真っ直ぐさが羨ましくも思うのに、生きているうちに歪んでいった心が「大人には大人の事情があるんだよ」と愚痴をこぼした。

ヒトリヨガリ