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 歩道橋を離れた車は、てっきりそのまま家に向かうのだと思っていたけど、途中で逆の方向に進んでいった。
 いまだに興奮が覚めやらない私はどこに行くのかも聞くことができず、ただサングラスを握り締めたまま振動に身を任せていた。
 そして着いた先は杯戸町のショッピングモール。車を降りてカラフルに塗装された真新しい観覧車を見上げ、次に後ろに広がる空に意識を移す。
 そういえば松田も暇があるとぼんやり空を眺めていた。どうして宙を見ているんだろう、そんなに空が好きなのかなって思っていた。だけど、あれはきっと萩原さんを見ていたんだろう。私が空に散った松田の面影をいつだって探してしまうように。
 松田が死ぬまで、私は松田や透くんが遠くを見つめるのを他人事のように思っていた。出会いや別れは人並み以上に経験したけど、本当の別れは知らなかった。こんなに苦しいなんて思わなかった。広い空の下にいるのに、まるで水中に沈んでいるように息ができない。

「さよならだけが人生だ、って透くんが言ったの覚えてる?」
「ええ。愛子がまだ研究所で暮らしていたときですよね?」

 頷いて横にいる透くんを見た。あのときと違って、私は大切な人の死を知った。
 咲き誇る花も、いずれは散ってしまう。そう透くんが目蓋を伏せた気持ちも今なら少しだけわかる。

「その言葉に込められた思いがわからないまま返事をしてたって気づいたんだ。……でも、それでもやっぱり、私はさよならだけだなんて思いたくない。そんなの寂しいから」

 透くんの唇の端が僅かに下がった。
 ふうっと憂いを吐き捨てるように息を吐いて、堪えるように息を吸うと、「僕もそう思います」と諦念めいた微笑を浮かべた。
 別に私は自分の考えを押しつけたかったわけじゃない。だから透くんのそんな表情を見て少し怯んだけど、でも透くんの一瞬の間はきっと「そうだと信じたい」という気持ちのあらわれだろうから、私は念を押すように「そうだよ」と言いきった。



 一番と書かれたゴンドラが下りてくるのを待って、それに乗り込んだ。
 透くんと隣同士に座って、空っぽの七十二番のゴンドラを見ている間、私も透くんも何も言葉を発することはなかった。ふと窓の外に目を向けると、広がる視界のスピードが三年前よりずっとゆっくりに感じた。あのときは、地上にいる警察を見ることはあっても景色を楽しむ余裕はなかった。
 ようやく松田が眠りについた気がした。それと同時にもう二度と会えないことを実感する。
 事件が未解決だったときは心の片隅にあったしこりのおかげで松田が私の胸に居座っていた。犯人が逮捕された今、それはすっかり消えて、とても喜ばしいことなのにどこか寂しいと思ってしまった。
 会えないのだ、もう。
 松田と会っていた神社は、あの日の午前中に透くんと行ったきり。松田と歩いた道も、死んだ友人のことを打ち明けられたファストフード店だって、それきり。行ったら松田の姿を探しそうでいやだった。探して松田がいないことを実感するのは、もっといやだった。本当は、佐藤さんや喫茶店の警官たちから死んだ松田の話を聞くのもいやだった。そのくせに、無意識のうちに空を見上げていた。
 十分ほど経ち、私たちのゴンドラが頂点に着いたとき、おもむろに透くんが私の手を握った。そこで初めて自分の手に爪を立てていたことに気がついた。
 目を閉じれば、今だって目蓋の裏に混沌とした惨状が思い出される。二度目の爆発の煙、地上から聞こえるパニックの声、覚悟した松田に対する胸の痛み。でも、目を開くと隣のゴンドラは相変わらず空っぽで、地上も平和な音で溢れている。
 松田はいない。
 いないから、松田が守った平和が続いている。
 一周するのに二十分もかからなかった。地面を踏んでも私たちはまだ黙ったまま。
 観覧車から一歩また一歩と離れていると、ふいに乾いた秋風に乗って松田のハスキーな声が聞こえた気がした。
 振り返ると若い男の子が数人、騒ぎながら観覧車から降りてくるところだった。私が聞いたのはそのうちの一人の声。よく聞けば全然違う声音と話し方なのに、ただ少しだけ声質が似ているだけなのに。
 私はそのまま観覧車を仰ぎ見た。
 ぽろっと溢れた一粒の涙が、頬を伝って落ちる。
 事件は今日で終わった。松田のことも区切りがついた。だけど私の中から松田という存在が消えることはないし、これからも私は空を見上げてしまうだろう。
 嬉しいのに悲しくて、苦しいのに清々しい。そんなめちゃくちゃな感情の私を気にすることなく、観覧車はあの日のことなんて覚えていないかのように悠然と回り続けていた。

ヒトリヨガリ