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 充電が切れたように突然眠りに落ちた愛子は、手にフォークを握ったままテーブルに突っ伏した。テーブルに押しつぶされた頬にはクリームをつけたまま。
 僕は話し途中だった口を閉じ、それから口元がゆるむのを禁じ得なかった。
 薄々そうなるだろうことはわかっていた。愛子は夜更かしは得意だけれど、次の日の睡眠時間が増える。一日半も松田の事件に奔走して寝ていなかったのだから睡眠時間は足りていない。
 それをわかっていたけれど、事件解決のお祝いとして何が食べたいか聞けば元気よくティラミスと答えたため、つい張り切ってスコップケーキを作ってしまった。店で小さなものを買ってもよかったが、繊細で高価なスイーツは飽きるほどベルモットにもらっている。それなら、家で作ったものの方が思い出にも残るし、いい経験にもなる。そしてできたティラミスが自分の顔よりも大きいことに愛子は大興奮して喜び、ガラス越しに見えるコーヒーとクリームの層を何枚も写真に収めていた。作った甲斐はあったけれど、たぶんそのせいで僅少な体力が尽きた。
 僕は残ったティラミスにラップをかけ、それと一緒に愛子の手から抜いたフォークをキッチンに持っていってから、今度は濡らした布巾を持ってダイニングに戻った。
 寝息を立ててぐっすりと眠る愛子は顔を拭ったくらいでは起きない。愛子に会ったころは食べるのが下手でよく食べこぼしていたのにすっかりなくなったな、なんて愛子の成長をしみじみと実感することも最近は多い。それほど子供の成長は早くて、あっという間にこんな風に無防備に眠ることもなくなるだろう。そう思うとぷっくりと膨らんでいる頬が惜しくなる。
 早ければそろそろ成長期が始まる頃だ。そうなると、血の繋がらない男と住むことすら厭うかもしれない。「一緒にいたくない」と面と向かって言われるのは少々堪えるが、そうなったときは愛子の身の振り方を考えなければいけない。間違っても、あんな無機質な
研究所に戻すことはあってはならない。
 元々愛子の精神面は少し危ういところがあったが、松田のことで特に不安定になっていた。それこそトマトジュースを浴びた姿を見て「危惧していたことが起きてしまった」と錯覚してしまうほどに。事件が解決した今だって、油断はできない。それに本人は気づいていないからこそ誰か見てやる大人がそばには必要なのに、研究所はただ寝起きするための空間にしかならない。
 口元を綺麗にし終え、愛子の髪を整えていると、ポケットの中でスマートフォンが振るえた。取り出して発信者を確認したあとで、僕は一度電話を拒否してポケットに戻した。そして愛子を椅子から持ち上げ部屋まで連れていって愛子のベッドに横たえる。しっかり肩まで布団を被せてついでにソファーの上に置かれている黒い服を着せたシロクマのぬいぐるみを愛子の横に寝かせ、それから部屋から出た。
 さっきの電話に折り返したのは、自室に戻って、パソコンを起動させてからだった。画面に映る音声ソフトの波形に変動がないことを確認しながら僕は相手に話しかけた。

「何の用だ、風見」
「すみません、少女のことでわかったことがありまして」
「身元がわかったのか?」
「い、いえ、そちらはまだ……」

 親族が見つかったのかと思ったが、さすがにそれは無理だったか。
 愛子に外国の血は感じないし、日本文化にも馴染みがあるようだったから日本で生まれてイタリアで誘拐されたと思っていたが、これほど探しても手がかりがないなら、外国で生まれたのかもしれない。

「それで? 君の用は?」
「はい。少女が改造拳銃を使った事件について調べているようだったので、その報告を」
「銃か……、それなら把握している。雲雀恭弥関係だろう」
「雲雀って、風紀財団の?」
「ああ。よく連絡を取っているよ。組織の仕事でも改造拳銃が関わっていたら入手先を知りたがっているし、その情報を雲雀恭弥に流している。まあ、たいした情報は得られていないようだが」
「流しているって、雲雀は少女の情報源では? 雲雀から情報を抜くことはあっても、情報を与えるなんて……」
「それがどうやら協力関係らしい」

 電話口で絶句する風見に、僕は苦笑した。
 僕も愛子と雲雀恭弥の関係が逆転しないかいつもひやひやしているから、その気持ちは大いに理解できる。風見には協力関係と言ったが、おそらく力関係は相手の方が上。二人の関係が明るみになって愛子が組織に罰せられたとしても雲雀恭弥は助けには来ないだろう。

「雲雀恭弥がご執心の並盛で改造拳銃を使った事件があったから、それでだろう」
「でも雲雀は並盛以外には興味を示さないのでは? 少女は他の地域の事件も調べていますが」
「さあ、さすがにそこまでは僕も理由は知らないな」

 確かに風見の言うとおり、並盛で改造拳銃を使った犯人はすでに雲雀恭弥によって私刑されている。深追いするのは彼らしくない、か。

「気になるなら君が調べておいてくれないか?」
「はい、もちろんです!」
「そのときはくれぐれも愛子のそばに近寄らないように。君は愛子に警察だとバレているから」

 重い嘆息とともに吐いた言葉に、風見は動揺した様子だった。

「え、いや、しかしバレるようなことは」
「愛子は千里眼を持っているんだ。君の知らないところで何かを見られていても不思議じゃない」
「そ、そうですね。……恐ろしい限りです」

 警戒心を顕にする風見に、僕は一度閉口してから言葉を選んで風見の緊張を解してやる。

「とは言え、愛子の能力は万能じゃない。よく組織からの仕事に『透視はできない』と拒否しているくらいだ」

 なにより彼女は好んで人に危害を加える性格でもない。
 人が傷つけば彼女も傷つくし、できるだけ守ろうとしている。多少、利他的な面が強すぎるきらいがあるが。

「ああ、そうだ。爆弾犯の件は助かったよ。ありがとう」
「いえ、降谷さんのお役に立てたのなら」
「まさか愛子に防カメのハッキングを頼まれると思っていなかったから、急な要請になってしまって悪かったな。歩容認証システムも使えないし、君の協力者も疲れたんじゃないのか?」
「まあ、多少は。でも防カメから覗き見するのが趣味みたいなやつですから。久々に見れて喜んでいるでしょう」

 投げやりな言い方に、僕は少し笑ってから「ちゃんと労ってやれよ」と言った。
 僕はパソコンに映る波形が微少な揺らぎを繰り返しているのを眺めながら、そろそろ電話を切った方がいいだろうと考えた。いくら睡眠時間が足りていないといってもきっと眠りは浅い。いつ起きるかわからない。
 風見に「夕飯の準備があるから」と声をかければ、間を置いて「今日くらい休まれては?」と訝しげな声を出した。
 窓から薄暮の迫る街に目をやりながら答える。

「爆弾事件のお祝いはリクエストでティラミスを作ったんだが、それだけだと味気ないからサプライズをしてやろうかと。彼女はイタリア料理が好きだから、ちょっと凝ったものを作ろうと思ってね」
「あの、差し出がましいことを言うようですが、少女に肩入れしすぎでは? いくら同情する経歴とはいえ」

 肩入れか。そう取られても無理はないくらい愛子の世話を焼いている自覚はある。だが、それぞれ意味のあることだ。彼女の頼みを聞き入れるのは雲雀恭弥に身を寄せさせないためだし、今回のお祝いは僕の個人的な都合によるものだ。
 もし僕が本当に愛子に同情して肩入れをするのなら、そして松田のことで傷ついた少女に寄り添う善人なら、自らが降谷零であることを名乗り出て松田の遺した言葉を聞くはず。それをせずに愛子がたまに漏らす呟きで松田の最期に思いを馳せ、警察と仲良くなった愛子がいつか班長と出会い松田の言葉を伝えるのを無責任に願う僕は卑怯ものだ。

「君が心配するようなことにはならないさ」

 どう頑張っても、僕は愛子を僕の一番には据えられないのだから。
 僕がやっているのはすべて罪滅ぼしでしかないのだ。いくら愛子の父親役を演じても、僕は無償の愛など与えられない。浮かべた自嘲に風見は気づくことなく「それならいのですが」と無理やり納得した声で電話は切られた。

ヒトリヨガリ