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体内の酸素が足りなくて、口を大きく開けて精一杯息を吸っては吐き出す。冷たく乾いた空気で喉が張りつきヒリヒリと痛む。
ジンに指定されたポイントから随分と離れてしまった。足を止めたくても、私の腕を掴んで引っ張る男の力に勝てなくてもつれそうな足を動かすしかなかった。
事の始まりは、三十分ほど前。私は来葉峠の入り口である街道の片隅にある公園のベンチに座って峠を登る車両を見張っていた。
夜が深まるにつれ峠に向かう車も減り、ジンに言われた「FBIらしきの車両」を探すのも簡単になった。
ジンの仕事の時間まであと少しとなったとき、公園の外から小競り合いをする声が聞こえた。見ると、一人の中年男性が囲まれて暴行を受けていた。囲んでいる男たちはプロテクターのついたジャケットを着ていてライダーだということがわかる。それに対して中年男性は比較的軽装。しかも髪はロマンスグレイで、どういう事情で若い男たちに襲われているのかわからない。それでもとりあえず一方的なリンチ行為を止めるために私は彼らの輪の中に入り、中年男性の腕を掴んでその場から逃げた。ライダーならきっとバイクから離れてまで追いかけてこないだろうと踏んだとおり、数分もしないうちに彼らは来た道を戻っていった。
一応もう少しだけ距離をとって中年男性と別れようと思ったのに、それから三十分経っても私は彼と一緒に走っている。しかも気づけば私の前を走っていた彼は峠を背に街道を下りだしたので、私は何度も「もう追いかけて来てないから放して」と声をかけたけど一度も足を止めてくれない。
中年男性は外国の血が入っているらしく日本人より体格がいい。普通の子供だったらきっとその長い足についていけなくて、今ごろ倒れている。私だってそろそろ体力の限界で文句を言う元気もなくなったころ、ついに町まで辿り着いた。
民家が増えてくると彼はスピードをゆるめ、少しだけシャッターが上がったままになっている町工場の中に体を潜り込ませた。
中は、機械や作業台、スチール棚がぎゅっと詰め込まれた作業場のようなところで、電気もついていないからさながら迷路のよう。
ぜいぜいと荒い呼吸をする間に「いい加減にして」と掴まれた右腕を力いっぱい振るったけど、逆にぎりっと握られてしまう。
「……悪いが、もう少し付き合ってほしい」
初めて聞いた彼の声は、まったく疲労を感じさせない冷静なもので憎たらしい。
「どうしてこんなところまで私を連れてきたの」
「さっきの奴らが追いかけてくるかも知れないだろう?」
「だから、もう来てないって」
「バイクに乗られたらあっという間に追いつく距離だ。道を歩いていた人間に急に喧嘩を吹っ掛けてきたような奴らだから、念には念を入れた方がいい」
彼は不快そうに血のにじむ頬を袖口で拭った。
彼の言い分もわからないこともないけど、私だけならあんな不良くらいどうにでもできる。ジンの仕事はもう始まっているのだ。私はサポートだからあの場にいなくても怒られることはないだろうけど、ずっとこの人といるわけにはいかない。
彼を残して私は街道に戻るべく言い訳を考えていると、私が警戒していると勘違いした男が「俺はティムだ。怪しいものじゃないから安心してほしいが、そう言っても信じられないだろうな」と肩をすくめた。
「あー、そうだな。警察を呼ぼうか。そうしたら俺たちの安全は約束されるし、君も安心できるだろう?」
「……呼びたければ呼んでもいいけど、私はもう行くよ」
「それは困る。だいたい君みたいな小さな子供を一人にできない」
お互い意見を曲げることなく睨みあっていると、ふいに奥から人の気配を感じた。
作業場には誰もいないけど、奥に目を向けると階段があり、二階に人がいるらしい。意識してみるとぼそぼそと話し声が聞こえてきた。それも作業場に降りてこようとしているらしく、どんどん声が鮮明になってくる。
「ねえ、シャッターが上がっていたってことは、人がいるんじゃないの?」
「……かもしれないな」
二人で息を潜めて顔を見合わせた。
見つかったら不法侵入でややこしいことになる。依然として腕は掴まれたままだけど、彼もここからでることについては賛成らしい。
だけど、私たちが外に出るよりも上の人たちが降りてくる方が早かった。
「はあ、ラーメン食べてえな」
「あーいいっすね。俺も行きます!」
「じゃあ俺も」
一人、二人、三人。話し声の人数を数えながら、彼らが戸締まりをしている隙に物音を立てないようにシャッターの方に進んでいく。
「あ、やば。ライに定期報告すんの忘れてたわ」
「おいおい、早く電話してこい」
ぴくりと指先が動いたけど、私の知っているライは二年前にその名前を捨てている。きっと別人だ。
そんなことより、外に――
「あ、そうだ。ライの銃もちゃんと片付けてるか確認しとけよ!」
ガシャンッ
隣から聞こえた音に、血の気が引いた。
横を向けば、ティムが足元にあった段ボールを蹴飛ばした体勢のまま固まっている。
「誰だ!」
「おい、侵入者だ!」
ああ、本当にややこしいことになった。せめて、あの台詞を聞く前だったらかくれんぼしてる子供と探しに来た親のフリだってできたのに。
物が溢れかえる作業場で、明かりはわずかに開いたシャッターのみ。そんな状況でどちから有利かなんて考えるまでもない。
ガキンッと後頭部に鈍痛を感じると同時に意識が遠退いていった。