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 びくっと身体が跳ねる衝撃でぼんやりと意識が浮上した。
 頭部は何やらびちゃびちゃと液体を浴びているし、両腕を後ろ手で縛られた状態で固いコンクリートに転がされているから身体はバキバキで満身創痍だ。
 痛む後頭部にいやな予感を覚えながら、ふるふると目蓋を持ち上げる。
 灯りはなく視界は不明瞭だけど、どうやらさっきいた作業場とは違う場所らしい。
 寝転んだまま目を凝らしてあたりを見回すと、近くにティムが倒れている。意識はなく、私と違って足も縛られた状態だ。彼の服が真っ赤に染まっていて、私の頭部に感じる生暖かい液体も同じ色をしているんだろうなと気が滅入る。
 だけど他にこの空間に気配はない。敵がいないだけラッキーだ。
 私たちを縛る縄はすうっと蛇に変わると、そのままあっという間に物陰に消えていった。
 ふらつく頭を手で押さえながら身体を起こして、まずはボディーチェックをする。荷物は奪われてしまったようだから連絡はできない。後頭部の怪我以外はたいした怪我はない。手足がひりひりするのは地面と縄で擦れたせい。
 ゆっくりと立ち上がり、手探りで床や壁を確かめる。
 広さ五メートル×三メートルくらいの長方形の部屋は、床も壁もコンクリート。出入口はシャッターと扉があるけど両方鍵は閉まっている。かすかにガソリンの臭いがこびりついているところを考えると、たぶんガレージだろう。
 それなら完全な密室ではないかもしれない。私はもう一度這うように壁を調べた。
 そして、拳ほどの大きさの換気口を見つけた。
 勝機を得た。
 もちろんこんなところから私は出られない。でも、救援を呼ぶことはできる。
 青い蝶が私の指先から生まれ、迷うことなく換気口に飛んでいく。

「雲雀くんをよろしくね」

 なんて、蝶に言葉なんて通じないけどぽつりと呟き、外界に飛び立っていくのを見送った。
 さて。くるりと室内に身体を向ける。
 寝息を立てているティムは命に別状はないみたいだけど、口元が血で汚れている。窒息しないように、ティムの身体を血溜まりから少し離し、それからティムの服を引っ張って拭う。



 建物に繋がる扉は上部が磨りガラスになっていた。縄で縛っているから油断したのか、そこまで頭が回らなかったのか知らないけど、向こうも侵入者なんて不測の事態だから私に有利なことばかり見つけてにんまりと笑う。
 シャッターやスチールの扉を破壊するのはあとで言い訳が難しいけど、ガラスなら別だ。幻術で音を消して、あとはティムから奪った靴を力いっぱい投げつければ粉々に割れた。
 割れた窓から外に出れば、目の前に階段があった。作業場の奥の、そのまた奥にあるガレージに閉じ込められていたらしい。
 階段を上がると二階は事務所になっていて、中をこっそり覗き込むと私が寝ている間に呼んだのか、十人以上がひしめきあっていた。
 彼らはこの緊急事態に、あっちに電話をかけて、こっちに手を回してとガヤガヤ動き回っている。
 そんな中、階段に近いところにいた数人の会話が漏れ聞こえてきた。

「買い手は見つかったか?」
「子供の方はいくつか声が上がってるけど、男は全然だな」
「今日中に見つからなかったらバラすか」
「ええ〜。そしたら銃買う金ねえじゃん」
「銃があっても弾が切れたら意味ねえだろ。……おい、ライに連絡して値段交渉しとけよ!」
「あ、今日本にいるらしいから、すぐに連絡来るかな。まあとりあえずメールしとくか」

 ただの犯罪者と思えない言葉の数々に、思わず溜息を吐きたくなるのを我慢して階段に目を向けた。
 階段はまだ上に続いている。
 人身売買を生業にしているかはわからないけど、少なくとも数時間で買い手を見つけるルートを持っていて、被害者が他にも続く可能性は高い。だとすると、逃げて終わりにするわけにはいかない。何か証拠を掴んで警察に通報しないと。
 三階は物置として使われているらしい。作業場とはまた違った雑然とした雰囲気の中、正面に配した窓から夜空が見えた。ずっと暗闇にいたから、月明かりですら眩しく感じる。
 埃っぽい物置に足を踏み入れ、いつから置いてあるかわからない箱やがらくた類を掻き分ける。仕事で使いそうなものがあるのはわかるけど、どうして眼鏡が物置に転がっているんだ。他にも衣類やバッグなんかもあって、まるで物置兼更衣室みたいだ。
 そういえば、証拠って何だろう。人身売買の帳簿?
 手を止めて考え込んでいると、パチンと部屋の灯りがついた。
 ハッと息を飲んで振り返る。
 物置の入り口に、恰幅のいいスキンヘッドの男が立っていた。

「……縄はどうした」
「さあ? 逃げちゃったんじゃないかな」

 大きく舌打ちした男が拳を振りかぶるのを見て、私は足元に脱ぎ捨てられているジャケットを拾って男に投げた。
 ドゴンッ
 視界を遮られた男は照準が狂い、棚を殴った。

「い゛ってえ!!」

 その地を這うようながなりに、下から人が上がってくる。

「は? なんでこいつがここに?」
「いいから早く捕まえろ!」

 彼らはナイフや棍棒を片手に襲いかかる腕を、私は右へ左へ跳んでしゃがんで必死で避ける。
 だけどいつまでもこうしていられない。唯一の出入口のドアから次々と人が入ってきて、どんどん私の逃げ場が減っていく。
 そして、ついにバサッと布を投げつけられ、まとわりつく布を剥がそうともがく間に一気に距離を詰められた。かと思うと、「あ゛っ!」と全身の筋肉が一瞬で硬直し、ガードすることもできないまま床に叩きつけられた。
 何が起こったのかわからなかったけど、私を見下ろす男の手にある黒い機械を見て察した。
 スタンガンだ。
 痺れる身体は言うことを聞かず、男が私を跨ぐのにろくに抵抗できない。
 男は私の首に手を伸ばす。

「おい、気絶だけにしろよ。臓器売る方が稼げるんだからな」
「でもさっき綺麗な死体がほしいって奴がいるって言ってたから、そいつに金額吹っ掛ければいいだろ」
「おう。じゃあ殺すなら綺麗にな」
「わかってる」

 ぐっと体重をかけられ、ゲホッと咳が出る。圧迫された喉が痛いと思ったのは最初だけで、すぐに苦しみが襲ってきた。
 ばたばたと足を蹴りあげるけど、子供の力なんて攻撃にもならない。
 どくどくどくどく。頭に血がのぼったように耳元で脈が聞こえる。
 ふわふわと思考が霞み、男の腕を掴んでいた手から力が抜ける。
 ああ、これはダメだ。力を抑えている場合じゃない。
 意識するより早く防衛本能から幻術を発動していた。
 パリンッと割れた窓ガラスがカシャンと私たちに降り注ぎ、それから台風かと思うほどの強風が物置に吹き込んでくる。荒れ狂う風は割れたガラスや散らばったがらくたを巻き上げ男たちに襲いかかる。
 尋常ではないできごとに、私の上にいる男も怯み、私から手を放して身を守る。

「ごっ、げほっ、う゛」

 一気に肺に入った空気に咳き込みながら、それでも何度も息を吸う。心臓も肺も、喉の頭も痛い。胸の上にいる男がいなければ、今ごろ体を丸めてその痛みを抑えようとしていた。

「チッ、この野郎!」

 この異常事態を私が引き起こしたとは思ってもないだろう。だけど、思いどおりにいかなかった苛立ちから、男はバシンと私の頬を打った。

「おい! 痛めつけられた死体は需要があるか?」
「知らねえよ!」
「探せばあるんじゃねえか!?」

 周りの男たちは阿鼻叫喚をきわめ、我先にと部屋を出ていったからもう残っているのは三人ほど。その彼らも前の人に続いて階段を降りていく。

「あ゛ー、鬱陶しい!」

 男は片腕で顔を守りながら、片手で私の首を押えた。そしてそのまま、ぐっと全体重をかける。
 男の露出している肌はガラスで切り刻まれ血が吹き出ている。それなのに私を殺そうとする執念はどこからくるのだろう。
 ガラスでダメなら、もっと戦意喪失させる手を考えないと。
 くらくらする頭を巡らせていると、階段の下から荒々しく扉を開く音がした。そのすぐあとに言い争う声やドスッドンッと鈍い音、それから呻き声が聞こえてきた。
 ああ、雲雀くんが来たんだ。
 張り詰めていた身体から、ふっと力が抜けた。

ヒトリヨガリ