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「くっ」
階段を駆け上ってきた勢いのまま物置に飛び込んできた彼は、強風に足を止めた。そのときに漏れた声は、予想してい風格のある低いものとは違い、丸みのあるものだった。
聞き覚えのあるその声が誰のものか脳が答えを出す前に、私は勢いよく入り口に顔を向けた。
のし掛かる男に視界を遮られ姿は見えないけど、風に揺れる髪は満月のように鮮烈に輝いていた。
えっ、と声を上げるのと同時に、私の上にいる男が鈍い音とともに横に吹き飛ぶ。
開けた視界に飛び込んできたのはファイティングポーズのまま男を睨む透くん。
ぴたりと風が止む。
久しぶりの解放感を喜ぶ余裕もなく、ぽかんと口を開いたままそれを見つめた。
透くんは男が完全に昏睡したのを確認すると、「ふっ」と息を短く吐き切れた口の端を手の甲でぐっと拭った。
月夜に照らされた透くんは優雅さすら感じさせるけど、細かく見れば唇をだけではなく頬や腕にも血が滲んでいる。それが壮絶な戦いを繰り広げたことを物語っている。
「な、なんで?」
「ジンからあなたが行方不明だと連絡をもらっので愛子のスマートフォンを確認したら、指定暴力団のビルでGPSが途絶えたから慌てて来たんです」
「いや、それも気になったけど、そうじゃなくて。え、暴力団のところにいるってわかってたの? なんで一人で、そんな、何も持たずに……」
次々と沸き上がる疑問が口から溢れる。支離滅裂なことを言っていることはわかるけど、いろいろありすぎて止まらない。
いくら透くんが私の保護者役だとはいえ、傷だらけになりながら乗り込んでくる必要はないはず。
「なんでって、連れてくる人を選ぶより助けに来る方が早いと判断して来たんですけど、おかしいですか? まあ武器は痕跡を残したくなかったので多少は無理はしましたけど」
小首を傾げてゆるく微笑む透くんは、本当になんてことないように言う。だけど、その首も負傷しているのか手で押さえて一瞬ムッと顔をしかめた。
「……大丈夫?」
「愛子に比べれば」
いまだにうまく飲み込めない私を起き上がらせ、透くんは私の体を触診していく。絞められていた首や乾いた血の付着した髪を撫でるときは、たれた目を細めた。
「血は止まっていますね。気分は?」
「悪くないよ。ちょっと貧血っぽい感じはするかな」
「じゃあ家に帰って手当てしますね」
透くんは私を背負うと、よろけることなく歩き出す。
「シャマルさんは呼ばないの?」
「……必要そうなら連絡します」
ものすごくいやそうな声音に、ふふっと笑いが漏れる。二人って相性悪そうだもんなあ。
「あ、ちょっと待って、あいつら、人身売買してるみたいだから、このまま帰ったら次の被害者が出ちゃうかも」
襟を引っ張って引き留めると、透くんが足を止めた。
「それならあとで警察を呼んでおきます」
「それでどうにかなる? ただの傷害事件だけで終わらない?」
「警察だって、ここがそういう場所だってわかってますから大丈夫ですよ。傷害事件を足掛かりに余罪の証拠を探しますから」
そういうものかと納得する私に透くんは再び足を動かした。
抜群の安定感で階段を降りていき、一瞬見えた二階の事務所はまさに死屍累々といった光景が広がっていた。身一つで現れたときは無謀だと思ったけど、あの人数の暴力団を相手にこれだけしか負傷していないって、考えてみればすごいことだ。
とんとんとん、とリズミカルに揺れる透くんはまるで揺りかごのようで、広い背中に頬をくっつけても分厚い服のせいでぬくもりはまったく感じないのに指先はじんわりと暖まっていた。