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 渋った透くんだったけど、結局頭部を損傷していることから帰りにシャマルさんの診療所に寄ってくれた。
 私たちの見立てどおり傷自体はたいしたことがなかったけど、受傷してから長時間不衛生な場所に放置されていたので抗生物質を処方された。そのついでにシャワーを借りたため、帰宅したころには東の空が白んでいた。
 部屋に入って真っ先にキッチンに入って冷蔵庫を開く私と違い、透くんは暖房のリモコンを操作しながら薬をカウンターに置いた。

「ジン、何か言っていた?」

 コポコポとマグカップに麦茶を注ぎながら尋ねた。

「いえ。見つかったならいいと」

 それならよかった。私は今回端役だからティムを助けたけど、もし機嫌を損ねていたらどうしようと少しだけ不安だった。
 一つ気掛かりだったことが消えたことに心が軽くなると、お腹がぐうと鳴った。お茶を冷蔵庫に戻してから、何か食べるものはないかと物色していると、アウターも脱いですっかりリラックスモードになった透くんが私の横に並んだ。

「透くんも何か寝る前に食べる? あ、もしかして寝ずに仕事に行く?」
「いえ、今日は昼からなので仮眠します」

 言いながら冷蔵庫をパタンと閉じた。
 まさかの嫌がらせに驚いたけど、どうやらそうではなく、寝る前だから消化に悪いものは食べるなということらしい。かわりにケトルでお湯を沸かし、フリーズドライのお味噌汁を作ってくれた。
 ダイニングで二人向き合い、豆腐の味噌汁をズズズと吸い込む。透くんが作るものより濃い味が疲れた体にしみわたる。
 テレビをつけ、何ともなしにザッピングを繰り返す。
 特に面白そうな番組も見つからずクラシック音楽の流れる天気予報で落ち着きリモコンを置くと、おもむろに透くんが顔を上げた。

「どうして、あんなところにいたんですか?」

 透くんに助けられてから今まで、話すタイミングは何度もあったのに事情を聞かれていなかった。それはどうやら腰を据えて話すためだったらしい。
 相手がジンなら少し誤魔化すだろうけど、透くんなら組織の仕事より人を助ける方を優先したくらいで怒りはしないだろう。そう思って、絡まれているティムを見つけて一緒に逃げた先があの工場だったことをすべて説明した。
 てっきり、そうですかと一言笑っておしまいになると思ったのに、私の話が終わったあと、透くんは目を伏せた。端正な顔に影がかかる。
 透くんはわずかに口ごもったあと顔を上げ、まっすぐ私の目を見た。
 ピリッとした空気に息が浅くなる。
 大空を彷彿とさせるその色に見つめられると逸らすのが悪いことのように思えて逃げられない。

「ごめんなさい」

 先手を打つように謝罪の言葉が口をつく。

「それは何に対する『ごめんなさい』ですか?」
「透くんに迷惑をかけた、から?」

 それに迂闊な行動で私に何かあれば組織の不利益にもなっていた。
 この組織は裏切りさえしなければ足を引っ張っても多少見逃してもらえるけど、他の組織だったら罰されることだってある。それこそヴァリアーならどんな目に遭っていたかわからない。
 気のゆるみを自省して肩を縮こませる私を見て、透くんはまったくとばかりに短く息を吐いた。

「僕に迷惑がかかるくらい別にどうでもいいことです。これくらいのフォローなら造作もありませんからね。……それより、人を助けることはいいことですが、状況をよく見て自分の身の安全を確保した上で動いてください」

 ぱちんと瞬きして、言い聞かせるように伝えられた言葉を頭の中で反芻する。
 心配はされている自覚はあった。透くんは、目の前に怪我した子供がいれば胸を痛める優しい人だ。
 だけど、まさかそんな直球に自分を大事にしろなんて言われると思わなかった。
 私が驚いていると、透くんは畳みかけるように「走って逃げることができるくらい元気な被害者なら、もう少し様子を見ることもできたはずではありませんか? 本当に愛子が身を挺してまで割って入る必要がありましたか?」と問いかける。

「……ない、かも」
「ありません。愛子は同い年よりはできることは多いです。でも愛子ができることにも限度があります。そこをきちんと見極めてください。わかりましたか?」

 こくんと頷くと、透くんは愁眉を開き、だけど次の瞬間には憎々しげに目を細めて視線を流した。

「まあ、今回は助けた男に巻き込まれたので愛子も予想ができなかったと思いますけど……」

 ああ、そうだ。結局ティムは何者だったのだろう。
 私たちが工場から出るとき、捕らえられていたティムを解放しようとガレージに向かったけど、すでに彼の姿はなく血溜まりだけがコンクリートに残されていた。
 ティムに連れられて工場に行って暴力団に捕まったのに、知らない間に一人でさっさと逃げられてしまって、透くんの言うとおりティムに巻き込まれた一晩だった。
 うんざりするけど、それでも赤く染まったティムを思い返すと「ちゃんと逃げきったかな」と気になった。

「……おそらく無事ですよ。今ごろ仲間に保護されているんじゃないですか」
「仲間? って、もしかしてあの暴力団?」

 まさかティムに謀られたのかと思ったけど、透くんは唇をへの字に歪めて否定した。それから「その男はおそらくFBIです」と苛立ちを抑えた声音で吐き捨てた。

「でも私が頼まれたのはFBIの車両の監視で、ティムは車なんて乗ってなかったよ?」
「ジンは峠の作戦の邪魔をするFBIを排除したかったのでしょうけれど、FBIの方は千里眼を持つ愛子をあの場から遠ざけたかったんだと思います」
「……まあ、たしかにティムは明らかに峠から引き離そうとしていたけど」

 でも、どうして……。と呟いた声に、ニュースキャスターが原稿を読み上げる凛々しい声が重なった。

「――昨夜、東京都の国道十七号来葉峠で普通乗用車一台が全焼する火事がありました。車からは男性一人の遺体が見つかり、警察は男性の身元の確認を進めるとともに事件、事故の両面で調べています」

 はっとテレビに目を向けると、中継映像が映っていた。
 来葉峠の車両火災。もしかしなくてもジンの件のものだろう。だとすると、ティムはせっかく私を引き離したのに組織の魔の手を振り払うことはできなかったのか。
 「じゃあ失敗したんだね」と何気なく呟くと、神妙な表情を浮かべた透くんがぐっと唇に力を込めた。

「……昨日の仕事は、峠に呼び出したFBIをキールが始末するというものでした。離れたところでジンもその様子を監視していましたし、正直、愛子の目を遠ざけたところで、組織の脅威から逃げることはできないとわかっていたはずなんです。しかもティムという男が愛子を連れていったあと、FBIの仲間が峠に現れることもなかったそうです」

 ふっと、透くんがら表情が抜け落ちた。

「……だとすると、見られて困るものがあったと考えられませんか?」

 考えすぎだという思いは、次の言葉で消え去った。

「殺されたのは、赤井秀一ですから」

 思ってもいなかった名前にぴくりと驚いたあと、「ライかあ」と力が抜けた。

「そうだね。ライなら何か策があって私を連れ出してもおかしくない」

 ひどく納得して、背もたれに寄りかかった。
 軽く受け止める私と違い、透くんは何かに耐えるように深く深く息を吐く。
 もしかすると、昨夜の件にライが関わっているから私がまんまとティムに連れていかれたことを不快に思ったのだろうか。なんて。透くんが心を砕いてくれたのに、私が邪推してどうするんだろう。透くんが本当にライに対する敵対心しか抱いていないのなら、あんな子供に道徳を説くようなことを言わなくても、組織以外を切り捨てろと言ってしまえばよかったのだ。
 いまだに透くんの甘さには戸惑うし、素直に受け取れないことも多いけど、それでももう五年ほどの付き合いなのだ。他に含まれるものがあったとしても、その優しさも本物だと知っている。
 そんな透くんがこれほど恨むなんて、本当に二人の間に何があったのだろう。

ヒトリヨガリ