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 赤井秀一について、私が知っていることはとても少ない。
 一年前の春に邂逅した男には、ライの面影をあまり見つけることはできなかった。顔と背丈こそ同じだけど、特徴的だった髪の長さも纏う雰囲気も声音さえ違っていた。あれはまさにライではなく赤井秀一だった。



 なんて考えながら、私は後部座席から前に座る二人の色素の薄い髪をぼんやりと見ていた。

「ねえ。あなたもライが生きていると思っているの?」

 助手席に座っているベルモットが長い前髪を掻き上げながら振り返った。耳についた大ぶりの真珠のイヤリングが東都タワーのイルミネーションに照らされて怪しく輝く。

「わからない。だけど、訃報をニュースで知って驚いたのに平然と連絡してきた人を知っているからね」

 あなたのことだよ。じとっと目を細めて見つめ返すと、ベルモットは大げさに首をすくめた。

「あのジンが死んだことを確認したのに」
「まあ私も絶対に生きていると確信しているわけじゃないよ。生きていても不思議じゃないってだけで」
「それなのにバーボンの考えに乗るのね」
「バーボンだしねえ」

 話術を武器にするだけあって、バーボンの主張は納得できるのだ。かすかに感じていたティムの行動の不信感は、ライが意図を引いていると言われた方がすっきりするし。だけど、それは私が透くんの推理力を今まで見てきた信頼があってのこと。そうじゃないベルモットからすると、FBIが私の千里眼をよく理解しないままとりあえず峠から引き離したと考えるのもわかる。
 ベルモットはうんざりした様子で窓の外に顔を向けた。

「まったく。しおらしく運転手役を買って出たかと思えば」
「おや? すんなり了承したから、僕はてっきり作戦に乗ってくれるのだと思たのですが」
「バカ言わないでよ。前に断ったでしょ」

 会話が途切れた車内に、ウインカーがカチカチ鳴る音が響く。
 なんとか丸め込みたいバーボンと、軽くあしらうベルモットの間にブリザードが吹いている。中立の私は居心地が悪いし、そもそもバーボンの作戦とやらを知らない。ベルモットのドライバーをすることだって、彼女が車に乗り込んできて初めて知ったくらいだから。

「ねえバーボン。ライが生きているか探るなら、私が手伝うよ?」

 バーボンが探って、私がボロを出すまで監視する。いつもやっていることだ。わざわざ消極的なベルモットを巻き込む必要はない。
 そう考えて提案したけど、バーボンは押し黙り、ベルモットは呆れたように息を吐いた。

「なに? そんなに変なことを言った?」
「いいえ。あなたじゃなくて、この甘い男に驚いたのよ。まさかジンの意向を教えていなかったなんて」

 イルミネーションから視線を外したベルモットは、ちくちく攻撃的な目でバーボンを見る。

「前からアマレットをFBIに近づけないように指示されているのよ」
「どうして」
「攻撃は弱いところを攻めるものだからよ。幼く弱いあなたは格好の餌食なの。しかもあなたの千里眼はあちらからすれば邪魔な存在、真っ先に攻めるでしょ」

 あれ、ニューヨークで会ったとき、ライはすんなり見逃してくれたけど。ああでも、あのときはベルモットのことでドタバタしていたからライと接触したことを報告していなかった気がする。
 もう一年半も前のことだけど、一応言っておくかと口を開きかけたとき、ミラー越しにバーボンと目があった。まるで余計なことを言うなとばかりに。
 そっと口を閉じると、バーボンもすっとフロントガラスに視線を戻す。

「こちらとしてもアマレットを奪われるのは困るから、FBIに関わる仕事は補助でしか入れないの。実際、この間FBIに連れ去られそうになったでしょ」
「まあ、そうだね」
「だから、この男は私に協力させようとしているのよ」

 それでもやり方によっては私も協力できるんじゃないかと思った。だけど、どうやらライの関係者の周りに生存を知っている人がいないか探りを入れるらしい。

「関係者ってティムとか?」
「いえ。もしその男が赤井の作戦を知らされていたなら、アマレットを工場に置いておくことはしなかったでしょう。おそらくアマレットを峠から引き離すことだけ頼まれていたのだと思います」

 ライが生きていることを前提に話を進めるバーボンに、ベルモットは白い目を向ける。
 ふと工場で「ライ」という名前を聞いた言葉を思い出した。まさかそれが赤井秀一ではないだろうから無視していたけど、もしかしたらという可能性もある。

「ティムに連れていかれた工場にいた暴力団が、『ライから銃を買った』って言ってたんだけど」

 バーボンの反応は薄く、偶然同じ呼び名の武器売りがいるだけだと私と同じ結論を出した。
 私の報告に興味を示したのはベルモットの方だった。とはいえ、赤井秀一のこととはまったく違ったけど。

「そういえば最近、銃の所有者が殺されているそうよ。あなたたちはあまり使わないでしょうけれど気をつけることね」
「そうなんだ、知らなかった」
「ニュースにはなっていないわ。プロの犯行だから、すべて自殺で片付けられているのよ」
「ほー、そんな極秘情報をベルモットは掴んでいるとは、さすがですね」
「白々しい。これの回収をしに来たくせに」

 ベルモットは真珠のイヤリングを乱雑に外して、バーボンに投げるように渡した。
 運転しつつも難なくキャッチした透くんは、片手で遊ばせながら「パールは本物ですよね?」と尋ねた。

「ええ。クリップの金具のところが盗聴器よ」
「随分と小さいですけど性能は?」
「問題ないわ。狭い部屋だったもの」

 ベルモットがさっきまでいた繁華街にあるビルの一室にある会員制バーでは、違法カジノが行われていた。参加者は著名な投資家たち。ベルモットはクリス・ヴィンヤードとして会に招待されたから潜入したけど、どうやら空振りだったようだ。

「持て囃されているだけの小物ね。それなりに裏のことは詳しいけれど、所詮表の人間が裏の真似事をしているだけ。たいした情報は持っていなかったわ。それに情報の取り扱いがなっていなかったから近いうちに警察に捕まるんじゃないかしら」
「たいした情報はなかったのに捕まることを予想できるなんて、さすがですね」
「……捕まるのは違法カジノのことよ。普通の女の子も混じっていたから、その子が友達に話すのは時間の問題でしょう?」
「ええ。まあよくある流出ルートでしょうね。ただ絶対に漏れるとも限らないし、そもそも捕まるまでいくかもわからない。それなのに組織に手を引かせるなんて。さすがは慎重な組織ですね」

 嫌味っぽいバーボンの言葉にベルモットが顔を歪めただろうことは、見えていなくてもわかった。
 ベルモットとバーボンはどちらも見た目麗しくて、その容姿を利用しなが言葉巧みに情報を抜き取る。だからベルモットはバーボンの演技がかった言動の裏に隠された思惑を読み取ってしまうのだろう。あと、さすがにハリウッド女優だけあってイケメンを見慣れているからバーボンの誘い込むような微笑みもさらりと翻す。バーボンのターゲットや透くんの依頼人なんて、含みを持たせた笑み一つで幻術にでもかかったかのように、ぽやっと思考がバーボンに掌握されてしまうというのに。それは私も例外ではなくて、本気を出したバーボンと対峙したら平常心ではいられない。
 私の視界の両端では二人が無言のまま圧をかけあっている。
 ぴりぴりと一触即発の空気が漂う。
 ベルモットを降すまで冷戦は続くかと思われたけど、いくつかの信号を通り過ぎたころにベルモットの方が折れた。

「いいわ。ただし、あなたに協力するかわりに、バーボンはシェリーを探してちょうだい」
「ということは、僕はアマレットと一緒に動けばいいということですか?
「……いいえ。アマレットはシェリーの件から降りてもらうわ」

 突然私にお鉢が回ってきて「え!?」と素っ頓狂な声が出た。

「だって、あなたシェリーの情報を何も掴んでいないでしょう? それなら子供が踏み込めないところにいるんじゃないかしら?」

 シェリーが姿を見せたのは、杯戸シティホテルの追悼式のみ。もしそういうところに招待される上流社会に属する人に匿われているのだったら、ベルモットの言うとおり私では探しきれない。私のコネは竜太郎さんしかないから。

「そうですね。シェリーは僕に任せてください。ただ、いつものようにアマレットの目が必要なときは力を借りますよ」
「勝手にしなさい」

 バーボンは、私がシェリーにプリクラを渡したいというのを知っている。だからきっと見つけても組織に引き渡す前に会う時間を作ってくれるはずだ。それを信じて、私は渋々シェリー捜索から手を引くことにした。

「赤井秀一のことは、変装して彼の周りを調べればいいんでしょう?」
「ええ。調べるのは——」
「ジョディ・スターリングやジェイムズ・ブラックでしょ。知っているわ」

 ジョディ。ニューヨークで赤井秀一と親しげに話していた金髪のボブヘアの女性の顔が脳裏にパッと蘇った。それと同時に、あのときの彼のセリフが頭の奥に響く。
 ——あの女が女神なら、バーボンは神か?
 奇しくも今、目の前に二人がいる。車はクリスマスのイルミネーションに囲まれていて、それこそ神や女神と言われても不思議じゃないほど神々しい雰囲気を放っている。
 だけど、彼らはそんな偶像じゃない。
 あのとき抱いたもどかしい気持ちまで思い出し、もし本当に彼が生きているのなら今度こそ言い返してやろうと腹の底に力を込めた。

ヒトリヨガリ