22
ベッドボードに埋め込まれた液晶時計がゾロ目になる寸刻、私はぼんやりとベッドメイキングされたままの隣のベッドに目を向けた。
今日はもう帰って来ないのかな、なんて思っているとガチャリと扉が開く音がした。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました。遅くなってすみません」
部屋に入ってきたバーボンから微かにアルコールの香りが漂ってくる。
離れたところからでも匂うなんて、相当飲んだに違いない。
バーボンはテーラードジャケットを脱いでハンガーにかけると、黒地に白い花柄シャツのボタンを二つ外してソファーに倒れこんだ。
しばらく呼吸を整えるように深く息をして、それが終わったころには疲れなんて見えない顔で体を起こした。
スマートフォンを片手に、私に「スコッチに報告しますね」と声をかけてから耳に当てた。
「予想どおり、我々の組織に狙われていることは勘づいて怯えていたので話を聞いて励ましてきましたよ。それで、面白い話が聞けました。女性が好きそうなレストランを探しているそうです。なので誘導します。……当日はベースだけではなく、ギターもあったほうがいいでしょうね」
今バーボンは、スコッチの任務の協力をしている。スコッチにもたらされた任務はターゲットを狙撃するという単純なもの。それを確実に行うためにバーボンは下調べをしているのだが、どうして楽器が必要なのか。
電話を終えたバーボンにすかさず「ベース? ギター?」と尋ねた。
「少し使う用事があるんですよ」
「楽器で仲良くなるとか?」
「まあ、そういうことをすることもありますね」
表情は、よくわかりましたね、と微笑んでいるけど絶対今回は違う。だけどはぐらかすということは教える気はないということ。
他には楽器で殴るしか思いつかないから考えることをやめた。
バーボンは「上手くはないですけどね」と謙遜するけど、バーボンのことだから人並み以上できるんだろうな。
どんな曲を弾くんだろう。
じっとバーボンを見つめた。
「聴きたいんですか?」
アルコールでわずかに掠れた色を含んだ声にどきりとした。だけど努めて平静を装う。
「酔ってるの?」
「酔ってはいないです」
はっきりとした声音だけど、酔っ払いだって酔っていないと言うから信用できない。
バーボンが酔っている姿なんて想像もつかないけど、朝早くにホテルを出てターゲットに接触してアルコールの香りを振りまくほど飲んだのだから実は酔っているのかもしれない。
ベッドからひょいと飛び降りて、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをコップに注いでバーボンに渡した。
バーボンは、小さくお礼を言ってからコップを受け取り、一気に水を飲み干してから大きく息を吐いた。
「酔ってないから、そんなに心配しないでください」
「本当?」
「ええ」
笑ってみせるバーボンは確かに酔っぱらっているようには見えない。
それならどうしたのだろう。いつもと違うバーボンの様子に戸惑い、そしてそのあとガシガシ髪の毛を乱してから伸びをするバーボンの姿に一驚した。
任務のためにこのホテルに泊まって三日。その間、今のようにリラックスしている姿は見たことがなかった。朝起きてから夜寝るまで普段どおりのきちんとしたバーボンだったため、今みたいに眠そうに目をしばしばさせるバーボンは初めて見た。
別に私に気を許したわけではないのだろう。ただ気を張るほどの気力がないだけ。疲労の色が顔に濃く出ているから間違いない。
「疲れてる?」
バーボンは目を閉じて、ゆっくり息を吐いてから重い口を開いて「大丈夫です」と答えた。
「無理したらダメだよ。……そうだ、お風呂に入って体を温めた方がいいよ。最近寒いし」
「……そうですね」
アルコールをあまり摂取していないなら、お風呂に入った方がいいだろう。早く早くと背中を押して急かした。
バスルームに向かおうとしたバーボンは、振り返ってぱちりと私を見た。
「あれ、愛子は入らないんですか?」
「もう入ったよ」
バーボンが帰ってくるまでは、この部屋は爽やかな石鹸の香りに包まれていた。
「一人で、ですか?」
「だから一人で入れるって言ったじゃない」
わずかに不服そうなバーボンは、それでも言葉には出さず「シャワーに手が届いてよかったです」となんでもないように言った。
「私よりバーボンだよ。うっかり滑って溺れないでね」
嫌味っぽく言えば、バーボンは苦笑して「気をつけます」と肩をすくめた。そして今度こそ、部屋の灯りを暗くしてバスルームに消えていった。