28
地上は眩しいほど輝いているのに、天は吸い込まれるように真っ暗で何も見えない。まるで天の星屑をすべて地上に集めたようだ。
「星が見えないね」と言うと、スコッチが「ここじゃあな」と苦笑いした。
「愛子ちゃんは星が好きなのか?」
「好きってほどじゃないけど、たまに見上げたくなるかな。スコッチは?」
「俺は好きだったよ」
「だった? 今は好きじゃないの?」
「そんな余裕ないからなあ」
私と同じようにスコッチも何も見えない空を見上げた。それにつられるようにバーボンも空を見て「そもそも今夜は曇りだから星なんて見えませんよ」とぴしゃりと会話を終わらせた。
思わずスコッチと顔を見合わせて笑った。確かにそれじゃ見えない。
黒いリュックからサングラスを取り出してかけると、またバーボンは何か言いたげな顔をした。そんなに作戦に私が加わるのが不服なのだろうか。だけど、せっかくライから貰ったサングラスを仕舞ったままにするのは申し訳ないから、能力を使わないとしてもかけていたい。
おもむろに、握っていた私の手を離したバーボンは流れる動作で腕時計を見た。
解けた手がひやっとした。
「そろそろです」
その声につられるようにバーボンに近づき、ぐいっとバーボンの腕を引き寄せて腕時計を見た。蛍光塗料が塗ってある時計の針は長針も短針も下を指し示そうとしている。ディナーにしては随分早い時間だ。このあとどこかに移動するつもりだったのかな。
まあ、それは叶わないんだけど。組織に関わらなければ、その愛する奥さんと幸せな日々が続いたというのに。
バーボンは私の名前を呼ぶと、「愛子のためにもう一度計画を説明しますね」と言ってゆっくりとスコッチとライの顔も順番に見た。
「ターゲットの藤原は十八時半に予約しています。到着したら僕が知らせます。夫妻はさっき確認した道路に面した窓の席に座るので、スコッチは注文を終えてウエイターが一度下がったあと狙撃してください。おそらく二人だけで来ますが、もしかすると藤原が雇っている護衛がついている可能性もあるのでライはスコッチが二発目を撃ち終わるまで遠距離からの反撃を警戒していてください」
二人に指示したバーボンは、そのあと私を見て「愛子もライと同じく周囲を監視して、何か不審なものを見つけたらライに知らせてください」と言った。突然降って湧いた役割に驚いたけど、厄介払いか遠くまで見る訓練だろうと納得して頷いた。
ターゲットの顔はバーボンが把握しているし、狙撃主は二人もいる。取り逃がすことはないだろうから私は練習しているふりでもして時間をつぶそう。
帰りのコンビニで買うものでも考えようと思った瞬間、何か引っ掛かるものを感じた。しかしそれが何かを考えるのを阻むかのようにバーボンが「藤原夫妻が来た」と小さく呟いた。
バーボンは双眼鏡を覗きながら夫妻の行動の実況を始めた。
「今、店に入りました。すぐに席に着くと思います。……準備はできていますか」
「ああ、もちろんだ」
「俺も問題ない」
スコッチとライは地面に寝そべり、じっとスコープを覗いている。
「ねえバーボン。ターゲットって男だけじゃないの?」
緊迫した空気の中、どうしても気になったことをバーボンに尋ねた。撃つ前から二発目のことを想定しているなんておかしいのだ。もしスコッチの狙撃技術がよくないのなら、バーボンはそのことも考慮した作戦を考えるはずだ。撃ち漏らすことを前提にするはずがない。
私の予想どおりバーボンはあっさりと奥さんも同時に始末することを告げた。
「じゃあ奥さんも裏切り者なの? でもターゲットは男って言ってなかったっけ」
「裏切り者は男だけです。ですが男が奥さんに何か話している可能性もありますから。……まあ十中八九、あの男なら何も話してないでしょうけど。愛する者を巻き込むと思えませんから」
それじゃあ一般人を一緒に殺すの、と言いかけた口を両手で押さえた。バーボンは双眼鏡を覗きこんだままで私の様子には気づいていない。
関係のない人を一緒に殺すのはダメだ。可能性だけで殺されるなんて、ボンゴレとして見ないふりできない。でも狙撃を止めることはできない。下手な動きをすれば私が怪しまれてしまう。
どうやって助ければいいだろう。パニックになりそうな頭を抱えて思考を巡らすが、思いつく前にスコッチが「射程に入った」と呟いた。
夫妻が席に着いてしまった。注文なんて、きっと事前にコースを決めているに違いない。もう猶予は残されていない。
とりあえず分身を飛ばそうと意識を集中させたとき、スコッチの肩が揺れた。寒いのかと思ってスコッチを見れば、狙撃直前だというのにスコッチはスコープから顔を離して私を見ている。その顔には困惑の色。瞳が揺れたのが見えた。
「スコッチ?」
「あ、いや、なんでもない」
なんでもないと言う様子ではない。スコッチはしきりに私とバーボンとを見比べている。バーボンもその様子に気づき、双眼鏡から目を離した。
「どうしたんですか」
「いや、なんでもない。……いや、バーボン、奥さんの方は本当に何も知らないのか?」
「おそらくは。ですがジンに確認したら二人とも始末するように言われているので、奥さんには申し訳ありませんが……」
「そうか……。ああ愛子、このビルの裏にある公園を見張っていてくれないか。もしかしたら不良が溜まっていて、誰かがこのビルに入ってくるかもしれないからな」
そう言ってスコッチはまたスコープを覗いた。
あからさまに無理矢理レストランから意識を逸らそうとしているのを感じた。
「ウエイターが戻ったぞ。バーボン、合図を」
スコッチの報告でバーボンも再び双眼鏡を覗いて、カウントダウンを始めた。
おかしい。バーボンはともかくスコッチが狙撃現場を見せないようにするとは思えない。もう何度か殺しの任務に同行しているんだから今さらまだ子供が遊んでいる平和な公園に意識をそらせる理由はない。あるとすれば――。
バーボンがカウントダウンを終えるのと、私がレストランに分身を飛ばすのは同時だった。
「大月さん!!」
――分身の目の前で、ターゲットの男が着飾った大月さんのことを愛おしそうに楓と呼んだ瞬間、額から血が噴き出した。目玉がこぼれ落ちそうなくらい、めいっぱい目を見開いた大月さんが叫ぼうとしたがその声が出る前に胸が真っ赤に染まった。二人の身体は力なく床に倒れた。
「大月さん」
気づけば分身は消えていた。意識が乱れたから幻術を使っていられなくなったのだ。
バーボンが驚いた顔で私を見たけど、バーボンが動くより先にスコッチがライフルから離れて私のかけているサングラスを外して、温かく大きな手で私の両目をふさいだ。
「忘れろ」
「大月さんはきっと何も知らないよ。いつも旦那さんが仕事で忙しくて寂しそうだった」
「愛子ちゃん」
「旦那さんが仕事のこと何も教えてくれないけど、でもそれでも好きだって言ってたよ。幸せそうだった」
「愛子ちゃん、何も考えるな」
大月さんはただの一般人だった。それなのに殺されてしまった。私が何か動けば助けられたかもしれないけど、今さらそんなことを言ったってしかたがない。しかたがないことなんだ。
スコッチの手でバーボンがどんな顔をしているかわからない。ライはたぶん片付けをしているのだろう。そんな音がする。私を気遣うスコッチよりライの行動が正しい。早くこの場から離れる必要があるのだから。だから私も「大丈夫」と言って、目を覆うスコッチの手を外した。
「愛子」
「バーボン、大丈夫。大丈夫だから、早く帰ろう? もう身体が冷えちゃったよ」
「……ええ、そうですね」
関係のない人が巻き込まれることがあることなんて前から知っている。ここはボンゴレじゃないんだから、こういうことがたくさん起きるだろう。少し気が動転しただけ。大丈夫。
スコッチがベースケースにライフルを片付けたのを見計らって、バーボンが私の手を握った。「寒いんでしょう?」と聞いてきているが、有無を言わさぬ顔をしている。無言で頷くと、もう片方の手をスコッチが握った。
「お前たち」
あぶれたライが呆れ顔で、私の頭上にある二人の顔を見た。けど何も言わずに「さっさと帰るぞ」とギターケースを背負って屋上の扉を開いた。扉を出る前に、少しだけレストランの方を見た。ここからじゃ何も見えないし両手が塞がっているけど、手を繋ぐ二人にバレないように目を閉じた。そして大月さんに黙祷を捧げた。