48

 ホテルに戻ったからといってやることはなく、うろうろしていると廊下を複数の警察官が通り抜けていった。
 何か事件でも起こったのかと小さい身体をもっと小さくして様子を窺った。
 四年前の殺人事件の再来。それも今度殺されたのはイケメン俳優。そう話しているのが聞こえてきた。
 思わず溜息を吐いた。きっとマフィアも裏の世界もこの事件に関わっていない。それでも人は人を殺してしまうんだ。
 重い気持ちのまま部屋に戻り、汚れた服を脱ぎ捨ててボスンとベッドに飛び込んだ。
 もぞもぞと泳ぐように前進してサイドテーブルの上にあるエアコンのリモコンを手に取り、そして天井に向けて電源ボタンをピッと押した。
 鈍い機械が動く音が部屋に響く。
 冷えた肌に生暖かい風が当たり、寒さで強ばっていた筋肉がほぐれていく。
 バーボンは何時に帰ってくるのだろうか。というか何をしているのだろう。
 バーボンが何かの情報を集め始めたことは気づいている。任務の合間にこそこそと人と会っているのを見たことがあるのだ。何度か尾行したことがあるけど、いつも裏世界と繋がりのなさそうな人と会っていて何を調べているのか皆目見当がつかない。
 一般人としか接触していないということは、まだ情報を集める準備中なのかもしれない。人脈を作ってから怪しまれないように情報を得ていく。バーボンならそれくらいやりそうだ。
 でも、どれだけ警戒心が強くてもボロが出るのが人間だ。いつかは油断が生まれる。そのときにバーボンの調べていることを知りたい。
 目を閉じてエアコンの送風音と時計の秒針の音のコーラスを聞く。何回か深呼吸をすると頭がすっきりした。
 それと同時にお腹もすっきりしたので何か買いに行こうとドアに手をかけて一瞬動きを止めた。
 そうだ、バーボンに書き置きを残していこう。
 そうしたら探しに来ることもないだろう。
 部屋の中に戻り、ベッドサイドの机にあるメモに簡単に「ホテルの散策をしてきます」とだけ書き残し、今度こそ部屋を出た。


 売店で山形豚の黒胡椒サラミを買っていると、何やら慌てた警察官が前を通った。
 ビニール袋を片手にまたもやこっそりと盗み聞きすると、中学生が見事事件の真相を突き止めて、今、ゲレンデの小屋で謎解きをしているらしい。
 事件に興味はなかったけど、それを聞いたら答えが知りたくなる。
 小走りで駆けると裾の長いダウンがぱたぱたと揺れてふくらはぎを擦る。こそばゆい感覚に耐えながらゲレンデに向かった。
 さっきとは違い、もう日が落ちている。煌々と雪山を照らすライトはあるけど、不気味さは消えていない。
 外に出てきたのはいいものの、はたしてリフトに乗れるのだろうか。いざとなれば、どうとでもなるけどそれを今使うべきなのかと足踏みした。
 今さらだけど、ホテルで帰ってくるのを待って話を聞けばよかった。
 もう帰ってしまおうかと悩んでいると、遠くに動く影が見えた。近づくと、それは遠山さんを背負った服部くんだった。

「お姉ちゃんどうしたの?」
「こいつ、足捻挫してるのに一日中歩き回りやがってん。ほんまアホやわ」
「うう……、だって……」
「だってもクソもあるか。……愛子、捻挫酷くなってないか見てくれんか」

 服部くんが遠山さんのズボンの左裾をめくった。言われてみれば腫れているような気もする。内出血をしているわけでもないから、おそらく軽い捻挫。特に悪化してるようには見えないから首を横に振っておいた。
 遠山さんは、服部くんに叱られてしゅんとしているけど、ぎゅっと抱き締めた腕はそのままだし「そこまで言わんくてもいいやん」と拗ねているけど顔は赤い。
 可愛らしいピュアな反応に、マフィアやなんやらで荒んだ心が癒された。

「そんなことより、なんで愛子がこんなとこにおるねん。一人はさすがに危ないやろ」
「服部お兄ちゃんの推理がどうなったかなって気になって」
「どうもこうも、もう解決したわ」

 服部くんの横を歩きながらさっき披露した推理をもう一度教えてもらった。
 答えを聞けば簡単なことだった。実は四年前に殺されたスタントマンはイケメン俳優の影武者。こっそり入れ代わるためにイケメン俳優がバッグに入っており、リフトの上でバッグから出てスタントマンを殺した。リフトが地面と接近するところに事前に置いていた雪詰めのバッグを引き上げ、自分は入っていたバッグとともに飛び降りた。
 実際は警察の目を欺くために様々なトリックを使ったり計算したりしているのだろうけど、計画自体はシンプルこの上ない。
 今日は、逆に新しいスタントマンが復讐するために同じ計画でイケメン俳優を殺したのだと言う。
 そこで一度話が止まったのでビデオカメラを回していた女性の話を振ってみた。女性は風景ではなく私たちにレンズを向けていたからだ。
 すると、あっさりと正体を教えてくれた。女性は服部くんの母親だったらしい。一人息子の成長記録を撮るためにわざわざ大阪から追いかけて来たというのだから驚いた。
 「愛されてるね」とコメントしたら、「中学生にもなって恥ずかしいわ!」となぜか私が怒られた。
 遠山さんのことを考慮して、下山スピードはひどくゆっくりだ。それでも、ずしずしと踏みしめる振動が足に響くのか遠山さんが小さく唸った。
 遠山さんの左足首に、触れるか触れないかの距離で手をかざした。
 幻術で痛みを誤魔化すこともできるけど、痛みを感じないと治ったと誤解して無理をするかもしれないから避けたい。
 捻挫の治療で大事なことは、安静、挙上、冷却、圧迫だ。負ぶされて安静にはできている。挙上、つまり患部を高く上げるのは今はできない。あとは冷却と圧迫か、これなら私がどうにかできそうだけど、どちらもピンポイントで焦点を当てるのが難しいものだ。寒くするのは、暖かくするのと原理は一緒だけど足首だけというのはなかなか難しい。
 あれもできないこれもできない、まったく自分の無力さを思い知る。それでも、せっかく力を持っているのだから使ってあげたい。謎解きを披露してくれた服部くんと、優しくしてくれた遠山さんに恩返ししてあげたいし。
 神経を集中させて慎重に遠山さんの左足首の付近だけ温度を下げ、圧力をかけた。急激にするとバレてしまうから、少しずつ少しずつ。ちょうどいいところで止めて、周りに影響が及んでいないことを確認してほっと息を吐いた。
 これがどれくらいの効果があるかはわからないけど、それでも何かできたことに満足した。

ヒトリヨガリ