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あっという間に凍てつくような冬は終わり、コートを来ていると汗ばむ季節になった。
相変わらず私の日常はつまらないもので、バーボンに同行するか一人で部屋にこもるかで自由な時間はない。そんなことを言ったら綱吉や獄寺に怒られそうだけど、やりたいことができないのは自由がないのと一緒なのだ。いくら寝続けることができても一人で外出はできないし、高そうな料理を食べることができても友達に会うこともできない。
ベッドの上で大の字に寝転がり「ひまだなあ」と呟く。
パスカル曰く、人間は考える葦だそうだ。それなら思考するということをせずに命を消耗している今の私は人間ではないようだ。
いろいろ考えないといけないことは山積みだ。私の任務は有事の際に動けるようにすることなのだから、いろんなことを想定して私の組織内の立ち位置や役割を選ばないといけないし、何かあったときの情報のリーク先や受け渡し方法なんかも決めておかなくてはならない。それなのに今の私じゃ身動き取れないからできることがない。
そんな新しい風を待ち望む私のところに、嵐がやってきた。
「骨折はもう治ったわね」
ベルモットは部屋に入って早々そう言い、私が返事をする暇もなく「短期と長期、どっちがいい?」と聞いてきた。
骨折は、もう四ヶ月も経ったからギプスも外れて日常生活にまったく支障はない。だけどその問いの意味するところがわからず戸惑った。
ベルモットは断りもなくソファーに腰を落とすと、その華やかな唇からは想像もできない低く渋い声で 「あいつは俺たちの想像以上によくやった。これからは一人で任務に就けるようにするつもりだ」と言った。
思わずベルモットを凝視していると、「ってジンが」といつもの美しい声を出した。
あまりの鮮やかな声帯模写に拍手してしまった。
意味はわかった。だけどすぐに返事はできない。
今まで私が同行してきた数日かかる任務はすべて短期だ。長期になると短くて数ヶ月かかる。そうなってしまっては、それこそボンゴレに何か起きたとき私は出遅れてしまう。
そう思って「短期がいい」と答えたが、返ってきたのは無言。いったいベルモットが何を考えているのかさっぱりわからない。しばらく見つめているとベルモットはおもむろに口を開いた。
「どうして短期任務がいいの?」
「バーボンに会えなくなっちゃうから」
なんて、本当のことを言うわけにはいかないからいじらしい言葉を吐く。
ベルモット「わかったわ」と頷いてから、「ただし」と言葉を繋ぐ。
「あなたに向いている長期の任務がどのようなものかの説明はするわよ。それでも短期がいいのならそれでかまわないわ」
食わず嫌いはするなということか。
ベルモットは「着いていらっしゃい」と部屋から出ていった。
車に乗って向かった先は東京のビル群の中にひっそりとある庭園だった。ベルモットが由緒正しい日本庭園に来るなんて、まったく想像もつかなかった。
車を降りる前に、ベルモットは美しくウェーブのかかった髪をゆるく一つに結び、ツバの広い帽子の中に隠してしまった。そしてボストンタイプの眼鏡をかけた。仕上げに化粧直しを軽くすれば、そこにはもうベルモットはいない。そこにいるのは年老いた女性。そしてその顔に見覚えがあった。映画の中で。
ベルモットは私の目をじっと見つめた。
「いい? 今から私はシャロン・ヴィンヤードよ。あなたは余計なことは喋らなくてもいいから、適当に笑ってなさい」
それだけ言うと、さっさと車から降りてしまった。本当にベルモットってシャロンだったんだ。テレビ越しにしか見たことのない大女優の姿に興奮を抑えきれない。
余計なことを考えてミスしないように深呼吸をして息を整えた。
ベルモットは何をしに来たのか、どうして変装するのか、細かいことは何も教えてくれない。それはいつものことだけど、ぴりぴりした空気にいつもとの違いを感じた。失敗してほしくないなら、ちゃんと指示をしてほしい。私の心の準備だってあるのに。シャロンになるなら言ってくれないと。って、六歳の少女がシャロンを知っているのはおかしいんだけど。
溜息を一つもらしてから、私もベルモットを追いかけて車を降りた。
ベルモットは一人勝手に歩いていく。足の長さが違うのだから少しは考えてほしい。
木々の間からマンションやビルが顔を覗かせる小径を歩いていると、立派な日本建築の、家と言っても差し支えない建物が現れた。ベルモットはそこに入ることなく前で立ち止まった。
しばらくすると、歳を取った男性がずらずらと出てきた。和やかな雰囲気と私の横を通ったときの匂いから、会席料理でも食べていたのだということがわかった。
何人かが通り過ぎたあと、一人の老人がベルモットを見て笑顔で手を振った。
「須藤会長、お久しぶりです」
普段の妖艶な声音と違って、真面目そうな声だ。シャロンの性格に合わせているのだろう。
ベルモットに須藤会長と呼ばれた老人は、髪は真っ白で腰も曲がっているが表情ははつらつとしている。
「やあシャロン。来ていたなら入ってくればよかったのに」
「みなさんのご歓談の邪魔はできないわ」
須藤会長は、シャロンならみんな盛り上がるのにと残念がる。そのあと、私を見て「この子は?」とベルモットに尋ねた。
「孤児院にいたのを引き取ったのよ」
ぎょっとしてベルモットを見上げた。そんな特殊な設定だとは思わなかった。
須藤会長は感心したように頷いている。
「おお、養子にしたのか?」
「いえ、今は孤児院の代わりに世話をしているだけなの。……愛子、挨拶しなさい」
「はじめまして。愛子です」
他に言うことは思いつかなかった。打ち合わせがあればなんとでもできるけど、ベルモットの計画がわからないことには不用意な言葉は吐けない。ベルモットも余計なことは言うなと言っていたし、ひたすら笑顔を浮かべた。
にこにこと須藤会長を見ていると、須藤会長もにっこりと笑い返してくれた。この人からは、裏社会の気配がしない。
「はじめまして」
「愛子、この方は須藤ブランドの会長さんよ」
「こらこらシャロン、こんな小さなお嬢さんが私のことなんて知っているはずないだろう? ……お嬢ちゃん、おじさんは運動するときの服を作っているんだよ。お嬢ちゃんも小学生や中学生になったら使うかもしれないね」
会長の説明を聞いて、スポーツメーカーのコマーシャルを思い出した。国内最大手のスポーツメーカーの、あの須藤か。並盛高校の指定ジャージも須藤のものだったし、日本の最先端技術を手ごろな価格で販売していて毎年黒字だとニュースでやっていた。
ベルモットの人脈はどうなっているんだ。
会長がベルモットに「中でお茶でもどうだい」と誘った。悪い人ではなさそうだけど下心を持ってそうな顔をしている。
私はいない方がいいかな、と距離を取ろうと一歩後ろに下がった。遊んでくるとでも言えばいいかと口を開くと、私より先にベルモットが「愛子、ちょっと須藤さんとお話しているから散歩していらっしゃい」と私の肩を叩いた。
「一人で大丈夫かい?」
「護衛もいるから大丈夫よ」
そんな人いないけど、その言葉で会長は納得した。そもそも会長も無理に引き留める気はなかったみたいで、ベルモットの細い腰に軽く腕を回して笑顔で私を見送った。