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「次はどこに行くんですか?」
運河を走る水上バスの上でバーボンが聞いてきた。
ヴェネツィアに着いて三日目。初日にバーボンと服を買って綱吉と会って、昨日は一日観光をして過ごした。今日もすでにホテルからサン・マルコ広場に行き、かの有名な金色のドームのサン・マルコ寺院や高くそびえる鐘楼を眺めてから、まるでロマンス映画の舞台になりそうな王の庭園を通って水上バスに乗った。そこからベネチアの中心を流れる運河、グランド・カナルを現在進んでいる。十分すぎるほどヴェネツィアを満喫しているので、どこに行くか迷ってしまう。
観光している間、二人は仕事をしているようには見えないけど、たまに鋭い目をしているから何か目的があって歩き回っているのだろう。人を探しているのか、建物を探しているのか詳しいことは何もわからないけど。
あれこれ考えながら、観光地で有名な白い石造でできたリアルト橋の前の停留所で水上バスを降りて人がごった返す道を歩く。
「ベルモットとバーボンはどこか行きたいとこないの? ずっと私の行きたいところに行ってるよね」
「行きたいところ……、ベルモットはありますか?」
「ないわ」
「ですよね」
一言で返したベルモットにバーボンが苦笑いを浮かべた。
時間は昼過ぎ。帰るには少し早い。だけど目的地もないし今日はこれで終わりかと思ったが、腕時計を見たバーボンは「たまには目的もなく歩くのもいいかも知れませんね」と笑って言った。ベルモットも異論がないようだ。
おかしい。ベルモットのことはあまり知らないけど、でも常に冷めた目をしていてあてもなく歩き回るのに着いてくるような人とは思えない。今日、何かあると直感した。
先頭を切るバーボンについていきながら、子供の私を連れて歩くことでターゲットに勘づかれないようにしているんだなとあたりをつけた。まあ私には関係のないことだ。あまり考えすぎると動きが不自然になってしまう。思考を断ち切るように首を振った。
工芸品など土産物屋が建ち並ぶ路地は、想像よりも狭くはないけど、多くの店が軒先にオーニングテントをつけていることと多すぎる観光客のせいでどうにも窮屈に感じる。
そんな中、店先にグレーのパラソルをいくつか出している店があった。その下には何かを食べているお客さんたち。近づいて目に飛び込んできた可愛い看板を指差した。
「ジェラート食べたい」
私の指すお店を見たバーボンは、ちらりと私に視線をやった。
「昨日もベルモットと食べましたよね?」
「昨日は昨日、今日は今日だよ。こんなに暑いんだしジェラート食べながら歩こ」
目の前にあるバーボンのジャケットの裾を引っ張って連れていこうとすれば、バーボンは小さく息を吐いてあたり見回した。
「人が多いので僕が買ってきます。何味がいいですか?」
「うーん、ピスタチオ!」
「はい了解しました。……ベルモットは」
「いらないわ」
一つ頷くと、身を翻して人の波を縫うように歩きカフェの方へ歩いていった。
バーボンはヴェネツィアに馴染むように、白いシャツの胸元を広く開き、踝丈のテーラードパンツ、黒の薄手のジャケット羽織っている。たしかにファッションは浮いていない。だけど地中海の陽気な日差しを浴びて輝く髪や、胸元や手首足首の引き締まった褐色の肌は人――特に女性の目を引いている。
カフェの店頭で店員さんと短いやり取りをしたバーボンは右手に薄緑の、左手に白のジェラートを持って戻ってきた。
「バーボンも食べるんだ」
「せっかくなので愛子と思い出を共有したいなと思いまして」
にっこりと綺麗に笑顔を作ったバーボンは、刺さっていたプラスチックスプーンで大きくジェラートを掬って「どうぞ」と私の方に向けた。
「……ん、バニラも美味しいね! ボーノ!」
バニラといっても甘ったるいわけではなく、さっぱりとしたミルクにバニラの風味が合っている。
自分の手にあるピスタチオも一口食べると、コクのある豆の味がして美味しい。
「そろそろ行くわよ」とベルモットの急かす声に促されてコーンを握りしめながら歩き出した。
道はどんどんと細くなる。そして路地裏に入った。
赤褐色のレンガの壁に、大きな窓、緑の鉄格子、細く切り取られた青空。ただの路地裏でもすごくお洒落に感じる。さっきより人も少なくて、ひと息つくのにちょうどいい。
人のざわめきと、遠くから聞こえるアコーディオンの音を聞きながらジェラートを食べ進める。
「暑い日に食べるジェラートは美味しいね」
「そうですね。ほんのり涼しくなって食べ歩きに最適ですね。でも、イタリア人はジェラートを夜に食べるそうですよ」
「夜に? どうして?」
「炎天下の下だとあっという間に溶けるからだとか、そもそも夏は日が沈んでから出掛けることが多いからだとか、いろんな理由があるみたいです」
「へえ」
ベルモットがフンと鼻で笑った。
「探り屋はジェラートの情報にも詳しいのね」
「探り屋?」
バーボンを仰ぎ見ると「ええ」と頷いた。
情報を探るのが得意だからそう呼ばれているのだと私を見下ろしながら話していると、向かいから歩いてきた男がバーボンにぶつかった。そのとき風とともにふわりと花の香りが漂ってきた。
衝撃で、バーボンが持っていたジェラートが男の黒いTシャツにべったりとくっついたが、謝るバーボンを無視して足早に立ち去っていった。
「大丈夫? バーボン」
「僕は大丈夫ですけど、残念ながらジェラートはもう食べられませんね」
「もったいない……」
ほとんど食べていなかったのに、男の服に食べられてコーンしか残っていない状態になってしまった。
大通りに戻って食べられなくなったジェラートとさよならしてから、ぼうっと露店を見ていると仮面を売るお店を見つけた。気になったのでバーボンを止めて仮面を指差した。
「仮面?」
「カーニバルで使う仮面ですね。見てみましょうか」
「うん!」
近づくと、貴族が仮面舞踏会にでもつけていくような装飾のマスクに圧倒された。綺麗だけどそれと同時にどこか不気味な感じがする。美しい日本人形と同じで、なにか不思議な力を秘めていそうで触るのを躊躇してしまう。
「仮面舞踏会の仮面みたいだね」
「みたい、じゃなくて仮面舞踏会なのよ、ヴェネツィアカーニバルは。仮面をつけてドレスを着たり仮装をしたりするの」
「楽しそうね! 行ってみたい!」
「年に一度、春先にやるから今年はもう無理ね。大人になったら行ってみなさい?」
「うん、楽しみにしてる」
この任務が終わったら参加してみようと決めた。
目の周りだけのアイマスクや、顔全体を隠すフルマスク、マスクの装飾の種類も様々ある。壁に飾られている仮面を見ていると、一つのフルマスクが目にとまった。それは装飾がすべて白色の仮面で、顔の右側に大きな蝶がとまっているデザインのものだった。シンプルだけど、翅の細工は繊細で、真珠やキラキラと光る素材が使われていて見ていて綺麗だった。
「これほしい!」
「じゃあ、それを買いましょうか」
五歳の子供がフルマスクなんて、とでも言われるかと思ったがあっさりとベルモットが支払いをした。太っ腹だ。
店の中でも高い仮面だったようで、店主はにこにこと愛想よく接客して上機嫌で送り出してくれた。