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 延期していた僕の予定もある程度片がつき、愛子の体調も万全になったので、僕は愛子をつれてデパートを訪れていた。家には事前に僕が準備した大きな家具しかないからだ。唯一、僕の部屋は入居前に完璧に誂えていたが、愛子の部屋はベッドと勉強机、それと研究所から持ってきたソファーしかない。収納は備え付けのクローゼットがあるから生活上の問題はないけれど年頃の女の子の部屋としては味気ない。
 バレンタインの残滓を感じる店内で、毛布やクッションなどの雑貨、それからフロアを移動して衣料品店を回った。研究所では、女性職員が定期的に衣服の交換を行ってくれていたが、これからは僕がしなくてはいけない。
 服を愛子の体に当ててサイズを確認しながら、愛子の成長を実感した。
 ヒロと愛子の成長が遅いことを心配して食事の栄養バランスや生活習慣について話し合った日々が懐かしい。今ではすっかり身長も伸び、手を繋ぐために体を傾けることもなくなった。
 必要なものをすべて買い終え、たくさんの荷物を抱えながら立体駐車場に向かっているとき、愛子がぴたりと足を止めた。

「愛子?」
「あ、ううん。ごめんね、なんでもないよ」

 そう言いながらも愛子は何かを気にしていた。視線の先には、スーツを着た若い女性。
キャリアウーマン然とした気の強そうな人だ。愛子との接点を見つけられないが、その女性も愛子の姿を認めると「あっ」と声を上げた。

「あなた……、愛子ちゃんだったかしら?」
「う、うん」
「ああ、あなたのことは松田くんから聞いていたのよ。私は佐藤美和子よ」

 彼女が警察だと気づいた瞬間に、僕は自然な動作でマフラーを鼻まで上げた。
 愛子は戸惑いつつも、彼女に頭を下げた。

「まさか愛子ちゃんにこんなところで会えるとは思わなかったわ。ちょうど、愛子ちゃんに用があったのよ」
「用?」
「ええ。今、時間あるかしら? 待っててもらいたいんだけど……」

 彼女がちらりと僕を見やったので、「もう帰るだけなので大丈夫ですよ」と頷いた。
 彼女はわずかに微笑んで駆け足でどこかへ去っていき、そしてものの数分でまた戻ってきた。手に細く黒い筒を持って。

「これを愛子ちゃんに渡したかったのよ」

 愛子はその筒を受けとると、磁石がついた蓋を開けた。
 中にはスクエア型のサングラスが鎮座している。

「これ、松田のサングラス……」
「ええ。デスクに置いていた予備のものよ。あの日、あなたのサングラスも壊れたんでしょ? 鑑識の人にそう聞いたから、これはあなたに渡したくて、遺品わけのときに貰っておいたの」

 ぽたりと、黒いレンズに雫が落ちた。
 小さな手で、包み込むようにサングラスを握りしめた愛子は、しゃくり上げながら涙を流した。

「あっ、ありがとう、ございます」
「こちらこそ、松田くんのことを大事に思ってもらえて嬉しいわ。……つらいこと思い出させちゃってごめんなさいね」
「ううん、本当に、嬉しい」

 言葉とは裏腹に、愛子の表情は苦悶で歪んでいる。その痛々しさに僕も、そしておそらく彼女も心が痛くなった。
 ここにいては、いつまでも愛子の涙は枯れないだろう。ずっと死に引きずられる。
 そう思って、荷物をすべて左手でまとめて持ち、空いた右手で愛子の手を取った。そして彼女に向き合う。

「そろそろ時間なので……」

 彼女も意図がわかったのだろう。すぐに頷いて「ええ。私も仕事の途中だから」と身を引いた。それから、少し悩んだ素振りを見せたあと、「私は警視庁で働いているの。もし、どこかで会ったらまた話しましょう」と愛子の頭を柔らかく撫でてから、今度こそ綺麗な会釈をして踵を返して去っていった。
 その後ろ姿を見送ったあと、まだ鼻をすする愛子の手を引いて駐車場に向かった。

「本当に、嬉しいんだよ?」
「ええ、わかっていますよ」
「ライから貰ったサングラスは壊れちゃったからどうしようかって思ってたし」

 ライ。その名前を聞いて、無意識のうちに左の掌に爪が食い込むほど手を握りしめていた。
 奴には色々な恨みがある。スコッチのこと、FBIのこと、そして愛子のこと。奴さえいなければと何度思ったことか。必ず話をつけなければ気が収まらない。が、今はそんなことを考えている場合ではない。
 たどり着いたRX-7の後部座席に荷物を押し込めながら、いまだに興奮状態の愛子の様子を窺った。
 どうにか取り繕うとしているが、悲しみの色は消えない。
 シートを戻して運転席に座ってから、淡々とシートベルトを締めてエンジンをかける。
 暖かい空気が流れてきて、ほっと一息ついてからできるだけ明るい声で「それより」と愛子の気を引いた。

「彼ことを『松田』と呼び捨てにしていたんですね。それなら僕も『透』って呼びませんか?」
「えっ」

 愛子が固まった。

「そもそも、まだ一回も『透くん』と呼んでいませんよね?」

 助手席に座っている愛子は、そろりと窓の外に目をやった。

「どちらも呼びにくいなら、僕は『透』と呼ばれたいです」

 愛子は勢いよく僕を見た。わたわたと慌てながら、何度も首を左右に振る。

「そ、それは難しいよ!」
「どうしてですか」
「バ、バーボンの名前を呼び捨てにするのは……ちょっと」

 どうしても、松田はよくて僕はダメらしい。
 愛子の気持ちを切り替えるために出した話題だが、ここまで否定されると松田との仲を見せつけられているようで悔しい。僕の方が早く愛子と仲良くなったはずなのに、距離は友達である松田の方が断然近い。

「今日みたいに一緒にいるときに話しかけられることだって、これからはたくさんあるんですから早く呼び慣れてください」

 愛子は「はあい」と気のない返事をした。きっとしばらく僕の名前が呼ばれることはないだろう。
 自分の小さな嫉妬心を誤魔化すように、車を走らせた。

ヒトリヨガリ