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「で、僕のところに連れてきたと」
「だってバーボン、暇そうだし……」
連れ帰った河堀さんをダイニングに残し、私はお茶の準備をするバーボンにこっそりと事情を説明していた。
こっそりと言っても、カウンターキッチンだからバーボンに事情を説明していることはダイニングにいる河堀さんから丸見えだ。それでも大っぴらに言うことではないから小声でやり取りをしている。
河堀さんの様子を窺えば、心細そうに赤ちゃんを抱きしめていた。
「こら、僕のことは何て呼ぶんでしたか?」
「……と」
「と?」
「……とおるくん」
「よくできました」
とても不服だけど名前を呼ぶと、透くんはにっこりと目を弓なりに細めて私の頭に手を置いた。だけど次の瞬間には責めるようなじとっとした目に変わり腰をかがめて私の耳元に口を寄せた。
「ジンの用はなんだったんです? まさか、彼女の相手をすべて僕に任せて愛子はジンと一緒に、なんてことはありませんよね?」
「さすがにそんな無責任なことしないよ! ジンはいつもどおりの人捜しをしろって内容だったから大丈夫!」
黒のポルシェの中で交わした言葉を思い出す。
ジンから任されたのは、半グレという、いわゆる暴力団に所属していない反社会集団のトップの居場所を突き止めろというもの。直接的に組織と関わりのない人物であることと、初めから最後まで一人で行うことを除けば今まで何度もこなしてきた内容にすぎない。期間も特に定められていないので河堀さんの件を透くんに一任することはない。
ケトルの中のお湯がぐつぐつと揺らぎ、パチっと電気が切れた。
透くんはケトルを持ち上げ、熱湯を三つ並べられたティーカップに注ぎ、シンクに流す。そして赤色のパッケージの袋から取り出したティーバッグを一つ、黄色いパッケージから二つ、カップに入れてから再び熱湯を注ぎ入れた。
この家は、あくまで私と安室透の居住スペースである。透くんは探偵業を開始するにあたってこの家を事務所として登録しているけど、それは書類上でしかない。実際はどこか外で依頼人と会って依頼を受けている。
なので、この家には二人分の家具しかない。
ダイニングテーブルだって二人用の小さなもの。一つにはすでに河堀さんが座っている。そして今から彼女と話をするのは透くんだから、河堀さんの正面には透くんが座った。そうなると私の席がないので、私は自分の部屋から椅子を引っ張ってきて二人の間に座った。ちょっとしたお誕生日席だ。
それぞれの前には、湯気の立つカップが置かれた。私と河堀さんは色の薄く鮮やかな黄色。透くんは琥珀色。
すべての準備が整ったので、透くんは河堀さんの顔を真っすぐに見つめた。
「愛子に軽く事情は聞きましたが、もう一度あなたの口から説明していただけますか?」
「は、はい。……えっと、私、この子がお腹にときに、あるオンラインゲームにはまっていたんです。そこで仲良くなったのがパピヨンさんという人です。この子が生まれてしばらくは忙しくてゲームから離れていたんですけど、急に彼女からメールがきて投資をしないかと誘われたんです」
河堀さんはそこで一旦口を閉じた。そしてティーカップに手を伸ばして、引っ込めた。その動きに首を傾げていると、透くんが「ああ」と心得顔で頷いた。
「カモミールティーなので、カフェインは入っていませんよ」
「あ、すみません。お気遣いしてもらって」
「いえいえ」
にこにこと人好きする笑顔は、バーボンではなく安室透としての顔。同じ顔なのに、うまいこと使い分けるなあと横から見ていた。
今度こそティーカップを掴んだ河堀さんは、左腕で赤ちゃんを支えたまま飲もうとする。
「赤ちゃん、私が抱っこしていようか?」
私の提案に困ったように眉を下げた彼女は、「この子、私以外に抱っこされたら泣き止まないの」と断って、慣れたように片手でハーブティーを飲んだ。
私はその河堀さんの言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えたけど、それを突き止める前に彼女は再び口を開いた。
「私も、さすがにネットで知り合った、会ったことのない人にお金を預けるのは怖かったんです。でも、そう言ったら本名を教えてくれたし、調べたら実際にパピヨンさんに投資をした人からの評判もよくて、どれだけ調べても悪い噂はなかったんです。……それでも怖かったけど、この子が生まれて予想以上にお金がかかって、これから先のことを考えたら不安だったから……」
「お金を渡してしまったんですね」
「……はい。パピヨンさんはずっと続いているギルドでも問題行動を起こしたことはない
人だし、ネット送金じゃなくて会ってお金のやり取りをしてくれるって言うし……。でも、渡してから、実は彼女が投資をしているわけではなくて、他の雅威亞さんという人が投資を行っていたって知ったんです」
すべての元凶は雅威亞という自称投資家の男。その男が去年あたりからSNSで「俺にお金を預けたら、倍にして返す」と言って、フォロワー限定企画を始めたのが事の発端。
河堀さんの友人であるパピヨンは雅威亞のフォロワーで、初期のころからその企画に参加していた。最初は自分のお金で。そして、実際に二倍になって返ってきたことから雅威亞という男のことを信じ、ついにパピヨンが自分の知り合いからお金を集めて、その大金を雅威亞に渡すようになったらしい。
「知らない人にお金を預けたくなかったから、パピヨンさんに返してほしいって言ったんですけどもう遅くて、雅威亞さんがバックレたあとだったんです。パピヨンさんは『私のところにはお金がないから返せない』としか言わないし。何度も謝ってきたんですけど、謝られたってお金がなかったらどうしようもないじゃないですか!」
河堀さんは、怒りや後悔の混じった声で叫んだ。だけど公園のときよりは冷静で、声量は絞られていた。赤ちゃんは腕の中できょとんと首を傾げている。
元々、河堀さんは子供を育てられるかギリギリの貯蓄しかなかったらしい。それなのに欲をかいて大金を渡してしまい、生活することすら難しくなってしまった。その上、旦那さんには何も相談しておらず、この状況もまだ知らない。もうどうすることもできなくなって、あの駅前の公園にいたところ、私に発見されたのだと言う。
それを聞きながら、河堀さんには悪いけど、よくある詐欺被害者の例のようだと他人事のように思った。
環境の変化や将来への漠然とした不安による弱った精神に付け込まれ、誰にも相談できないように囲い、正常な判断ができなくなったところを突く。
透くんだってそう思っているのだろう。彼女の話を聞いている間、驚く素振りを見せない。
河堀さんは気持ちを落ち着けるためにハーブティーで口を潤し、そして何度か深呼吸をして、きゅっと眉間に皺を寄せて透くんを見た。
「……パピヨンさんが、雅威亞さんに騙された被害者の会を作ってくださったんです」
彼女はスマートフォンをテーブルの上に置いて、メッセージアプリを起動させた。そのトーク画面の一番上に「雅威亞被害者の会」というグループが表示されている。参加者は二十一人。雅威亞というやつは、随分と儲けたに違いない。
「ただ、パピヨンさんが『今警察に言ったらお金が返ってこなくなる』と教えてくれたので何もできていない状態なんです。安室さんは探偵だから大丈夫ですよね? ……で、えっと、つまり、雅威亞さんの居場所を突き止めてほしいというのが、私の依頼なんです」
聞き終えた透くんは、細くすらりと長い人差し指をトーク画面の上に滑らした。そして無言で会話を遡って読んだあと、ふうと息を吐く。
「パピヨンさんも雅威亞さんに騙されたと言っていますが、典型的なブローカーでしょうね」
河堀さんは「え」と驚いたように声を上げた。透くんを見つめる瞳はゆらゆらと揺れている。
透くんからスマートフォンを借りて会話を読んだ。そこの最初の方に、「私も自分のお金を雅威亞さんに持ち逃げされた。だから私がみんなに返せるお金はない」と自分も被害者だと説明している。
「で、でも、パピヨンさんは有名な人で、フォロワーの数も……」
そう言ってスマートフォンを操作した河堀さんは、パピヨンのSNSアカウントを表示させた。
受け取った透くんは、またパピヨンのネット上のやり取りを熟読する。
「河堀さんはパピヨンさんのことを信じたいようですが、彼女のことを賞賛しているフォロワーというのはほとんどが未成年です。彼女は定期的に数千円の少額のプレゼント企画というものをやっていますから、それが目的の人たちでしょうね。そうやって小さいお金を撒いてネット上での信頼を買って、それを信じた大人から大きなお金を騙し取っているんですよ」
透くんは、河堀さんが言っていた「すごく評判がいい」の内容を示した。それはたしかにパピヨンによるプレゼント企画で当選した未成年たちによるものだった。実際にウェブマネーなどを手にしている人がたくさんいるのだから、信じてしまうのも仕方がないだろう。
「そ、そんな……」
「でも透くん、それだけでどうしてブローカーってわかるの?」
「どうしてと言われても、本当に典型例ですからね。被害者と騙って自分から被害者の会を作って、本当の被害者を警察に行かないように誘導するのもよくある手口ですし。ネット上では二人はあまり親しくしていませんが、だからこそあやしいんです。これだけ大きなお金を動かすのだから他のところで密接なやり取りをしているでしょう」
いつの間にか、透くんはパピヨンのアカウントから雅威亞のアカウントに移動している。
「あと、あまり言いたくはありませんが……、雅威亞さんを見つけても、おそらくお金はすでに使われている可能性が高いですよ」
そこに載せられている写真は、まさに贅沢三昧と言えるもの。お金をばら撒き女と遊び、食べて飲んで買ってがわかる内容ばかりだった。
「まあ、でもそういうことは見つけてから考えましょうか」
スマートフォンを河堀さんに返した透くんは、安心させるように、にっこりと笑顔を浮かべた。
河堀さんもぱあっと表情を明るくし、何度も何度もお礼を言った。そしてまだ何も進展していないというのに、まるですでに解決したかのようにきらきらと輝く涙を流しながら喜んだ。