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 三つの山脈を有する自然豊かな長野県とはいえ、新幹線を降りて駅から出るとビルや商業施設が建ち並んでいた。私だって、長野県のすべてが自然に囲まれているとは思っていなかったけど、それでも想像よりはるかに灰色に囲まれ、見覚えのある大型チェーン店の看板が目の前にあって拍子抜けする。長野駅を出てまず目にするのがドン・キホーテだとは思わなかった。
「都会だね」とぽつりと呟けば、透くんはすかさず「長野オリンピックの栄光ですね」と前置きしてからオリンピックで都市化された光と、その反対の影の部分を語った。
 小学校低学年に話すような内容じゃないけど、大人の私は結構この透くんのうんちくが好きだ。慣れてない南田さんは戸惑っていたけど。
 南田さんたちの母校はここから三十分くらい路線バスに乗ったところで、そこなら私がイメージしているような田舎風景が広がっていると教えてくれた。
 ただ、そこに私は行かない予定だったらしい。
 南田さんは諸伏さんを探していることが地元の人にバレるのが恥ずかしいから同行するつもりはなく、透くんも同じく私を聞き込みに連れて行くつもりはなかったみたいで、二人の中では私と南田さんは長野駅周辺で留守番をするはずだったらしい。
 だけど私は駄々をこねて「せめて最寄り駅まで一緒に行きたい!」と頼み込んだ。
 松田の友人を捜すのなら、私も力を貸したい。
 普段の透くんなら一人でも十分だろうけど、でも今回は少しだけ不安がある。
 この依頼を受けたあと、透くんが「愛子は、会えない人に会いたいときはどうしますか?」と聞いてきたことがあったからだ。まるで南田さんの初恋の人とは会えないことが決まっているような言葉に、私は返答に困り、その間に透くんは話を終わらせた。それが今も私の心に影を落としている。
 結局二人は大人になって子供の私の意見を尊重してくれて、私もバスに乗れることになった。



 バスに揺られて十数分。川を越えたあたりで視界を占める緑の割合はぐっと多くなった。そのままもう少し乗り続け、民家が少なくなっていったところで私たちはバスを降りた。
「何もないから、長野駅で待っていた方がよかったと思うんだけど……。あっちなら駅にスタバもあるし」と言った南田さんの言葉も納得してしまうくらい見事に広い道、古い家、草木しかない。山からは遠ざかったのに、不思議と長野駅にいるときよりも山が近く、そして濃く感じる。
 ここまで着いてきても透くんは同行することを許さなかった。危険もないはずなのに。これが危険な組織の仕事なら、透くんが断固として頷かないのもわかる。でも諸伏さんの行方を示す情報を探しに行くのなんて何もないはずだ。
 なんとかして言い負かそうとしていた私も、さすがに透くんの張り詰めた様子にそれ以上食い下がるのを諦めると、透くんは眉を開いて私の頭を撫でた。



「いいお兄さんね」

 なんとか見つけたカフェに入ってから、南田さんがそう言った。

「うーん、そうかな」

 別れ際のゆるんだ雰囲気の微笑みと、褒めるように撫でた手つきは、確かに優しげなお兄ちゃんみたいかもしれない。だけど、組織の仕事をしているときのような夜の空気はまとっていないとはいえ、きらきらと見えない鱗粉を振り撒いているところなんて胡散臭いやり手の営業マンみたいだ。いいお兄さんという言葉は似合わない気がする。
 そんな失礼なことを考えていたけど、南田さんが言いたかったのはそういうことではなかったようだった。

「私が依頼したときにね、安室さんが言ってたの。愛子ちゃんを探偵の仕事に巻き込みたくないって。さっき安室さんが渋ってたのも、愛子ちゃんを巻き込まないためなのよ。だから意地悪されたって思わないであげてね」
「うん、それは思わないけど……。……ねえ、依頼したときって電話してきたとき?」
「そうだよ。家に子供がいるからって最初断られて、愛子ちゃんの分のチケットも準備するからって言ったら『連れて行くわけにはいきませんから』って。そのあと、愛子ちゃんが加勢してくれたから本当に助かったわ。ありがとう」

 ぽやぽやと南田さんはお礼を言ってきたけど、私はそぞろに返事した。
 てっきり、透くんが最初依頼を断ったのは私を家に残して一人で長野に行かないといけないからだと思っていた。それなのに、本当は私を連れて行くから断ったなんて。
 南田さんに言っていた「探偵の仕事に巻き込みたくない」なんて理由は嘘だ。
 何がこの長野に、いや諸伏さんに隠されているのだろう。
 注文したケーキを食べながら考えてみるけどまったく答えは見つからない。やっぱり私は探偵にはなれないらしい。



 透くんは、まだ日の明るいうちに帰ってきた。そして、「少し歩きましょう」と私たちを狭いカフェから田畑の広がる青空の下に連れ出した。
 東京と違って遮るビルがないから、太陽の熱が直撃する。前髪は汗で額にへばりつき、服もぐっしょりと濡れている。息を吸い込めば草の青い匂いがして、そこかしこでミンミンゼミが鳴いている。全身で夏を感じながら、私は二人を見上げた。
 固唾を飲んで結果を待ち望む私と南田さんにもたらされたのは、「残念ながら」という悲しい結果だった。
 東京で調べていたこと以上の足取りは掴めなかったらしい。

「すみません。わざわざ長野まで来させてもらったのに手がかりが見つからなくて」
「いえ、それは私がやりたくてやったことだから気にしないでください。彼のことも、本当は諦めが強いんです。引っ越した事情も事情だし……」
「事件、ですよね」
「ああ、調べてくださっていたんですね」
「もちろんです」

 透くんは何も知らない私に「彼のご両親は随分と前に殺されてしまったんだよ」と教えてくれた。

「うん。その事件があって引っ越したから、もうこっちに戻ってくることはないかなって。もしかしたら、ここのことを思い出したくもないかもって思っていたし」

 苦笑する南田さんを慰めるように、透くんは「明日も帰るまで調べてみますね」と言った。帰るのは明日の昼過ぎだから午前中なら確かに少し時間は取れる。でも、今日だってまだ時間は残されているのに、もう切り上げるんだ。
 やっぱり、どこかおざなりというかあっさりしすぎな言動が気になってしまう。

「ねえ、透くん。諸伏さんのことってどこまで調べられたの?」

 話に割って入れば、透くんは「どこまでって?」とおうむ返しをして首を傾げた。

「諸伏さんって警察じゃないの?」

 諸伏さんが小学生のときに東京に引っ越した理由が殺人事件によるものだということまで調べているなら、それに諸伏さんのお兄さんの居場所がわかっているなら、透くんだって諸伏さんが警察だってことくらい調べがついているはず。なのに、私はまだ一度も透くんの口から諸伏さんが警察だってことを聞いていない。

「……たしかに警察官でした。でも、数年前に退職しているので、今は違いますね。……ところで、どうして愛子は彼が警察官だったと知っているんですか?」
「私、諸伏景光さんの話を聞いたことがあるの」
「え?」

 南田さんの驚いた声に、透くんの声も小さく重なった。
 松田の存在を知らない南田さんのために「年の離れた友達がいたんだけど」と前置きしてから二人に説明する。

「その人が警察学校のときに同じ班だった諸伏景光さんの話をしてくれたの。だから名前と警察だってことは知ってるの」
「じゃ、じゃあ愛子ちゃんのお友達なら……」

 希望に満ちた表情を浮かべる南田さんに心が締めつけられた。
 私が口を開く前に、透くんが「去年、亡くなってしまったので」と言葉を紡いだ。
 南田さんは、「あっ」と短く声を漏らして、それから眉を下げて「ごめんなさい」と謝ってきた。全然、彼女が謝るようなことじゃないのに。
 暗くなった空気を変えるように、透くんが私のさっきの質問に答えた。

「警察を辞めたあとは東京で転々とアルバイトをしていたようです。そこで深い繋がりのある人を作ることなく、最後のアルバイトを辞めたあとは行方知らずになった、というのが僕の調べられたことです」
「諸伏くんがアルバイト?」
「ええ。そこまでは調べがついているのでたしかですよ」
「……すみません、疑ったみたいになっちゃって。でもそんな感じの子じゃなかったから。って言っても私が知っているのなんて小学生のころのことだけなんですけどね。……十年以上も経ったら、変わりますよね」

 一瞬、苦しそうな表情を見せた南田さんは、それを振り払うように微笑むと、「ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」と静かに言った。
 田畑のそばを離れ細い道に入ると、民家がぽつぽつと現れた。それを南田さんは懐かしげに眺めて歩く。

「ここ通学路なんです。集団登校で、毎朝彼を見ることができたんですよ。彼の方が前の列だったから、友達と楽しそうに喋ってるのが見られて本当に私も楽しかったなあ」

 南田さんに案内されて諸伏さんとの思い出の場所に立ち止まる度、私は諸伏さんの輪郭を想像した。畑の中で鬼ごっこをしたり、田んぼの用水路で虫を捕まえたりした話。運動会ではリレーのアンカーに選ばれて三人抜きして一位になった話。授業中はよく手を上げて発言していた話。お兄ちゃんっ子で、上級生とペアになって活動する兄弟学級のときは、ペアでもないのにお兄さんのところにいって先生に怒られていたという話。
 聞けば聞くほどいい人で、そんな人が松田の友達なのだと思うと少しだけ心が弾む。

「ねえ、南田さんはどうして諸伏さんのことを好きになったの?」

 好奇心から聞けば、南田さんは今までで一番綺麗な笑顔を見せた。

「長野見学っていう、長野県庁と善光寺と少年科学センターを回る行事があったんだけど、途中ではぐれちゃった私を諸伏くんが走り回って探してくれたの。一人で心細かったところに助けにきてくれたから、まるでヒーローみたいにかっこよくて、それで好きになっちゃった」

 南田さんは照れ笑いしながらも、そのときのことをたくさん教えてくれた。



 十分ほど歩くと、古びた小学校に行き着いた。そこが彼女たちの母校らしい。
 夏休み中だから子供たちの声は聞こえない。少しだけ寂しい校舎を南田さんが見上げている。

「明るくて優しくて、本当にすごく好きだったのに。いつかいつかって思っている間に言えなくなっちゃった。こんなことなら、フラたらとか怖がらずに告白しとけばよかったなあ」

ヒトリヨガリ