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 夜になっても私はまだ帰れずにいた。
 高明さんと別れたあと長野駅に向かったけど、なんとなく帰るのが嫌で再び行き先も見ずにバスに飛び乗ってしまった。善光寺を通りすぎ、住宅地を抜け山道をぐんぐんと登っていき、ついに乗客は私一人だけ。乗ったころはまだ明るかった空も、終点についたときには深い紫色に変わっていた。
 山の中のバス停は、砂利が敷かれた車庫だった。何もないそんなところに子供一人で来たこともあって運転手が心配そうに話しかけてきたけど、それを適当にやり過ごして私は駐車場の入り口にぽつんとあった青いベンチに腰掛けた。
 そうやってぼんやりと景色を眺め続けて三十分が経ったころ、暗闇を裂くようにヘッドライトを光らせたバスが駐車場に入ってきた。目が眩んで思わずぎゅっと閉じた。
 バスは停車するとすぐにエンジンが切られた。それでもまだ目がじくじくと痛むので閉じたまま、両目に手を当てた。
 遠くから砂を踏む音がする。運転手かと思ったけど、その足音は聞き覚えがあった。
 目を開くと、暗闇の中でも鈍く輝く亜麻色の髪が揺れていた。

「夕飯の時間になっても帰ってこないから迎えにきましたよ」
「よく私のいる場所がわかったね」
「GPSを辿りました」

 透くんはスマートフォンの画面に映る地図を見せてきた。
 そういえばオンにしたままだった。そんなことまで意識が回っていなかった。
 まさか、初めての活躍が夕飯を呼びに来るときだなんて。GPSには可哀想なことをした。

「わざわざ、ごめんね」
「いえ。僕も星が見たかったのでかまいませんよ」

 透くんはにっこりと笑って私の横に腰を下ろした。そしてスマートフォンで発車の時刻を検索する。「十二分後に出るのが終電ですよ」と言われて思わず私もスマートフォンで時間を確認した。

「え、まだ七時半だよ?」
「東京じゃないんですから、そんなものじゃないですか?」
「……そっか。透くん、迎えに来てくれてありがとう。危うく終電を逃すところだったよ」
「そのときはさすがに運転手が声をかけてくれると思いますけどね」

 顔を上げて空を見上げる透くんを真似して私も上を向けば、東京では見ることができない満天の星が瞬いていた。
 鮮やかなのに太陽ほど苛烈ではない、不思議な優しさの星は見ていると気持ちが落ち着いていく。

「バーボンは、諸伏景光がスコッチだって知ってたんでしょ」
「ええ」

 動揺もせず肯定した。
 だけど、バーボンと呼んだことに対して「僕は安室透ですよ」と訂正してきたときの声は、少しだけ固かった。
 ずっと星を見ていた透くんが、私の方を向いた。昼間だと目が覚めるような空色の瞳は、夜だとその綺麗さもなりを潜めている。それでも黒い瞳にはない不思議な輝きをしていて、吸い込まれるような気がした。

「幼少期の写真と、南田さんの年齢でそうではないかと思っていました。……今日調べているうちに彼女の初恋の人が彼だという確証を得ました」
「調査はどうするの?」
「僕では力不足だったということにして失敗で終わらせます。……死んだと言ったら、次はきっと原因を突き止めようとするでしょうからね」

 南田さんの気持ちの強さを思うと、そうなることが容易に想像できる。もし景光さんの跡を追って、万が一にも組織と交わってしまったら危険だ。彼女の安全を考えれば透くんの案が一番いいだろう。
 私は靴を脱いでベンチに足を乗せて膝を抱えた。それから膝小僧に額を押し付けた。
 私も、高明さんにスコッチの死を伝えなかった。私みたいな子供の言葉を信じるかわからないし、信じたら信じたでどうして私がそれを知っているんだと聞かれたら困るからだ。透くんみたいに相手を思いやったのではない、保身が理由。
 でもどんな理由で言わなかったにしても、南田さんも高明さんも、これから会えない人との再会を期待しつつけることになる。
 重い罪悪感が心にのし掛かる。

「長野に着いたときは、もっとわくわくしてたのになあ」

 思わず、溜息とともに嘆きが溢れた。それは止まることなく、ぽろぽろと口からこぼれていく。

「友達が景光さんと知り合いだったって言ったでしょ? だから、絶対に見つけてやろうって思ってたの。透くんが無理でも、依頼の期限が終わってもって」

 今でも耳の奥に、電話越しの松田の声が残っている。

「景光さんの話を聞いたのは、友達が死ぬ直前。誰かに連絡しなくていいのかって私が聞いたら、わざわざ連絡するやつはいねえって言って、かわりに思い出話をしてくれたの。そのことを、教えてあげたかったんだけどなあ……」

 私は、景光さんが見つかったら松田のことを話したかった。松田の大人げない話とか、一緒に過ごした思い出とかを笑って共有したかった。それに、松田が景光さんのことを大切に思っていたことだって伝えたかった。
 ――それなのに、景光さんがスコッチだなんて。
 やりきれない思いで、何もかも嫌になる。

「愛子が覚えてあげているだけでも、その友達は喜ぶんじゃないですか?」

 ようやく口を開いた透くんは、柔らかい声を出した。
 慰めるような台詞だけど踏み込んではこない。少し離れた位置からの言葉だった。
 それはそうだと思うけど、でもやっぱり私は松田の友達に教えてあげたいのだ。最期まであなたたちのことを考えていたと。
 顔を上げると、透くんと目が合った。

「その友達は」

 そこで一度口を閉じた透くんは、何かを飲み込んでから「諸伏景光のどんな話をしていたんですか?」と言葉を続けた。
 すぐに答えようとしたけど、目の前のこの男だって組織の人間であることを今更ながら思い出した。迂闊なことを言えない。

「ありきたりだけど、いいやつだったって。……何かがめちゃくちゃ目立つわけじゃないけど、その分なんでもそつなくこなすし、グループにいてくれて助かったっていう話。あと諸伏さんが面倒見がよかったのは絶対に傍若無人な幼馴染みがいたからだって言ってた」

 言いすぎないようにと思っていたのに、具体的なエピソードを話す余裕はあのときなかったから、結局ほとんど言ってしまった。まあ、きっとバーボンなら諸伏さんの情報を悪用しないだろう。調べようと思えば南田さんの依頼にかこつけて同期で今も警察をやっている人に探りを入れられたはず。それなのに調査を打ち切りにするということは、バーボンとして諸伏景光の情報を利用しようとは思っていないに違いない。
 遠くでバスにエンジンがかかった音がした。
 星を見ていた透くんは、長く息を吐いて、それからおもむろに「帰りましょうか」と立ち上がった。

「え、え?」

 てっきり、スコッチもそういうやつでしたね、とか何かしら感想を返すと思っていたのに透くんはさっきまでの空気がなかったように微笑んで急かしてくる。

「もうバスが発車準備していますし」
「そうだけど……」
「このままここにいても、愛子はまた友達のこととかを考え込んでしまうでしょう?」
「そ、それもそうなんだけどさ。でも、それとこれとは別というか……」
「お腹がすいているから気分が落ち込んでるんですよ」
「そんな馬鹿な」

 そう言ったタイミングで、お腹がぐうっと鳴った。
 ほら見たことかと目を細める透くんに、私はさっきとは違う意味で膝を抱えた。

「すみません、今すぐ食べられるものは持っていなくて……」
「別にいいよ……。っていうか、もうそのことは放っておいて。……でも、まあたしかにお腹はすいてるね。カフェでケーキを食べたきりだし」
「でしょう? ホテルに戻って夕飯食べて、シャワーを浴びて、ゆっくり休みましょう」

 手を引かれて空っぽのバスに乗り、透くんは迷うことなく一番後ろのシートまで進んだ。そして二人で並んでゆったりと座ると、透くんに握られたままの手を引き寄せられて、ころんと膝の上に転がされた。

「着くまで時間がかかるから寝ていてもいいですよ」

 私の頭上で透くんが囁いて、握ったままの手に少しだけ力を込めた。
 骨張っていて、お世辞にも寝心地がいいとは言えない膝枕。至近距離で見守られているから居心地だってそんなによくない。それでも、透くんが私を気遣ってくれた行動だとわかっているから気持ちは安らぐ。
 そして気分が上昇すると、さっきとは違う思い出がよみがえってきた。

「そういえば、松田が『俺は立派な警察官でロリコンじゃないって保護者に言っとけ』って言ってたよ」

 松田からごはんに誘われたときに私が冗談を言って、それに松田はそんな返事をしていたのだった。
 すっかり忘れていた伝言を伝えると、透くんはきょとんと呆けた表情をした。下から見上げているからか、それはいつもより幼く見える。
 松田の言葉を理解したあと透くんはプッと小さく噴き出して、小刻みに肩を揺らした。それにつられて膝に乗っている私の頭もぐらぐら揺れる。

「ロリコンじゃないのはわかりますけど、たまたま出会った少女を連れ回すのはどうなんですかね」
「そんなこと言ったら、透くんだって似たようなものでしょ」
「ほら、僕はパパンですから」
「はいはい」

 言い出しっぺは私だけど、ただの仕事上の繋がりしかない少女のパパンを自称するのも客観的にみると危ないと思う。だけど、どうしてか南田さんにしても他の人にしても、透くんは「いい兄」に見えるらしい。みんな透くんの見た目に騙されている。
 なおも楽しげな透くんに息を吐く。
 すっかり心の底に沈んでいたもやもやはなくなっていた。



 長野駅まで戻ると、コンビニで夜ごはんを買ってホテルに帰った。普段は栄養だなんだとうるさい透くんも、このときは腹をふくらますのを優先した。
 そして先にシャワーを浴びてベッドの端で透くんが上がってくるのを待っている間、絶対に阻止しようと思っていた寝落ちをやらかしてしまった。そのため、目が覚めると視界いっぱいに透くんのパジャマが飛び込んできて、朝から頭を抱えることになった。

ヒトリヨガリ