仮初めのプリンセス
――「好きな人か……。そうだな、俺は二年の✕✕さんが好きだよ」
それは夏休みの数日前のできごとだった。
放課後、私は食堂の中に諸伏くんとクラスの男子数人の姿を見つけた。いつも一緒にいる降谷くんが隣にいなくて珍しいとは思ったけど、そんなこと気にならないくらい諸伏くんがいることに浮かれていた。せっかくだから話しかけようと近づいたとき、諸伏くんがそう言った言葉が風に乗って聞こえてきたのだ。
体が崩れ落ちるような衝撃を受けた。
別に片想いで終わってもいい。そう思っていたけど、いざ好きな人が私以外の子を好きと言ってるのを聞いてしまうと頭の中が真っ白になって、私は照りつける太陽の下で立ち尽くしていた。
諸伏くんの声はもう聞こえない。うざったくなるくらいの蝉の声だけが聞こえていた。
祭り囃子の太鼓と鐘の音が遠くで聞こえる。
日が暮れた宵の口。湿った空気には、昼間と違った熱気が含まれていてじっとりと汗が出る。
フェイスタオルで顔を拭って、それから汗くさくないかスンスンと服を嗅ぐけど屋台から漂う煙であまりわからなかった。
早く来すぎたかな。
ケータイを開けば、約束の時間にはまだ二十分もある。降谷くんのことだから、絶対に早く来ると思ったんだけど、予想を外したか。
手持ち無沙汰にケータイをパカパカ開け閉めしたり、センターに問い合わせたりしながら、もう少ししたら来る降谷くんのことを考えた。
学校のアイドルである降谷くんは、私のことが好きらしい。
決して私の自惚れではない。第三者からそういうようなことを言われたのだ。そのあと降谷くんのことを気にしてみたらたしかに私のことが好きなような素振りを見せていた。
たとえば、降谷くんはよく私の反応を確かめる。幼馴染みトークが始まったときなんかそれが顕著だ。私が話に入れていなかったら、さっと話題を変える。夏休みまで私は降谷くんを淡白な人だと思っていたから意外だった。
それに――。
私はケータイを開いた。そこには私から降谷くんに送った「着いたよ」というメールが表示されている。そのタイトルには「Re:」がいくつも繋がっていて、元のタイトルはすでに消えている。
降谷くんは、よくメールをしてくれる。
アドレスを交換した当初は勉強会の連絡だけだったのが、勉強、学校、趣味と話題が広がっていった。今では降谷くんからのおはようメールで一日が始まって、私のおやすみメールで一日が終わるほど。
私の生活に降谷くんが入り込んでいる。数週間前まで考えもしなかった日常だ。
夏休みに入ってからの降谷くんとのメールのやり取りを読み返していると、小走りに近寄ってくる足音とカシャカシャとビニール袋が揺れる音が聞こえた。
顔を上げるとやっぱり降谷くんだった。真っ昼間よりはマシといってもまだ暑いからわざわざ走らなくてもいいのに。
「ごめん、遅くなった」
「全然遅れてないから謝らないでよ」
「でも、神崎さんを待たせちゃったから」
降谷くんは、はあっと熱い息を吐いてビニール袋から水のペットボトルを取り出し、ゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に、本当に最後の一滴まで飲み干した。
ペットボトルはまだ冷たそうに汗をかいていたから、それを買っていたから私の方が僅差で早かったらしい。
降谷くんが空のペットボトルを近くのゴミ箱代わりの段ボールに捨てに行くのを追いかけながら、彼の私服を確認した。
ゆるい白Tシャツに、同じくゆったりとしたグレイのテーラードパンツ。足元は涼しげなスポーツサンダル。顔のかっこよさが引き立つシンプルスタイルだ。
ほっと安心した。私が着ているのはボーダーシャツにデニムスカートだけど、この服を選ぶまで紆余曲折あったのだ。
学校では気軽に二人で行くのを了承したけど、当日に近づくにつれて、だんだん「相手は、みんなが恋に落ちると名高いあの降谷くんだよ?」という気持ちが芽生え、パニックになってデート服を調べてしまった。出てきたのはレースやフリル、ミニスカート。検索したときは降谷くんの隣にいるならこれくらい可愛い格好の方がいいに決まってると思ったけど、いざガーリーな服を選ぼうとすると、「めちゃくちゃデートって意識してる人みたい」と恥ずかしくなって、結局無難な服にしたのだ。
でも、降谷くんは気負わない夏服だったから気合い入れなくて正解だった。
ペットボトルを捨てた降谷くんが、「じゃあ回ろうか」と私の横に戻ってきた。
当たり前だけど、普段学校で三人でいるときと降谷くんの雰囲気は違っていた。
学校では広い教室を三人で贅沢に使っているからそんなに距離は近くない。帰り道だって、ある程度の物理的距離を保っている。
だけど、屋台が並んだ狭い参道ではその距離をとることはできない。何度も私の肩が降谷くんの腕にあたった。そうやって身長差を感じる度に、私の隣にいるのが異性なのだと意識してしまう。それに周りの雑音に負けないようにゆったりはっきりと発声するのが大人っぽくてそわそわした。
来る前から私はデートのようだと緊張したし、人の流れに飲まれそうになったときなんて「漫画だと手を繋がれるシチュエーションだ」とか降谷くんの手をちらっと見てしまった。
なんか、私、へんだ。
私が好きなのは諸伏くんなのに。
そして、また食堂の場面を思い出してグサリと心が痛んだ。私は好きだけど、でもそれはもう叶わない恋だ。
私の混沌とした思考を知らない降谷くんは、興味深そうに参道を眺めている。
「太鼓の音がするのに神輿はないんだな」
「昼間は外に出してるけど、夜はどこだったか倉庫に入ったまま飾られてたはず。見に行く?」
「ううん。気になっただけだからいいよ。……それにしても、神崎さんに聞いたあと神社を調べたんだけど、小さかったから祭りももっと小規模だと思ってた」
「屋台が多くて驚いた?」
「ああ。でも、考えてみればここは近隣に学校も多いし、人が来るなら屋台もたくさん出るよな」
ぽつり、ぽつりと。今にも立ち止まりそうなスピードで人の流れに乗って歩きながら、寄りたい屋台があれば寄っていった。降谷くんはその細い体のどこに入っていくのかと思うほど、ずっと食べていた。焼きそば、たこ焼き、かき氷、イカ焼き、じゃがバタ。食べ終わって容器を捨てて、屋台があればまた買う、というのを繰り返している。
降谷くんが祭りのうんちくを語るのを聞いているうちに私の頭も心臓もだいぶ落ち着いていて、そのころには私も降谷くんとテニスをしたときのことを思い出して「スマッシュはもう一拍ボールが落ちてきてから打った方がいいよ」なんてアドバイスをしていた。