鏡合わせのような君と私
「せーの」でビー玉を押し込むと、プシュッと中の透明な液体が溢れだした。
わーきゃー叫びながらラムネ瓶を地面に置いたけど、それじゃ間に合わないくらい二人とも手がびちょびちょになってしまって、顔を見合わせて笑った。
参道を一周した私たちは、最初待ち合わせしていた付近の階段に腰かけていた。祭り囃子こそ遠いけど、周りにも同じように屋台で買ったものを食べる人たちでごったがえしているし、少し離れたところで宴会をしている青年団の喧騒も聞こえていて祭り気分は十分味わえる。
「おつかれさま」
地面に置いていたラムネ瓶を掴んで、かっこつけて降谷くんの瓶にコツンとぶつけた。
減ってしまったラムネを飲めば、喉の奥がシュワシュワしてちょっとだけ頭がスッキリした。
半分くらい飲んでから、途中で買ったりんご飴の袋を外した。
カリッ、ジャク。
歯を立てて食べ進める。ベタつく飴が顔につかないように気をつけると、どうしても変な顔になる。私はそっと降谷くんにバレない程度に背を向けた。
「あ、そうだ」
降谷くんは飲んでいたラムネ瓶を片手に、空いてる手でズボンのポケットを探る。
「どうしたの?」
「写メを撮ろうと思って」
「写メ? どうして?」
「ヒロに送るんだよ。祭りの誘いを断った罰に羨ましがらせてやるんだ」
にやりと意地悪く笑った顔が、いつもより幼く見えた。
降谷くんは手始めに自分の手にあるラムネ瓶を撮って、「ラムネ」と一言だけ添えてメールを送った。
屋台の灯りがないここは薄暗い。それでもケータイの小さな光を浴びて降谷くんの髪は綺麗に輝く。少しだけ羨ましくなった。黒髪は闇にとけてしまうけど、降谷くんの亜麻色は昼は眩しく存在感を放ち夜は淡く浮かび上がるから。
綺麗な人だな。心の綺麗さが見た目にも表れているみたいだ。
「なに?」
「ううん、なんでもない」
「そのわりにずっと見てただろ」
じとっとした目を向けた降谷くんは、そのまま動かなくなった。
「なに?」
今度は私が尋ねた。
「神崎さんって今日リップ塗ってたっけ?」
「ううん。別に乾燥してないし塗ってないよ」
「だよな」と、降谷くんは顎に手をやって思案したあと、ぬっと顔を近づけてきた。鼻先が、当たりそうだ。
降谷くんの視線は、私の唇に注がれている。
なに? さっき降谷くんからもらったたこ焼きの青海苔でもついてた?
片手で口を隠そうとしたとき、降谷くんは「ああ」と何かに気がついた。
「りんご飴か」
「……え?」
「唇が赤くなってるんだ。さっきまでそんなことなかったからリップを塗ったのかと思ったんだけど、りんご飴の色が移ったんだな」
降谷くんは、理由がわかって満足したように笑って少し離れた。それでも「そんなに色がつくんだ」と感心しながら私を見ている。
探究心が強いのは降谷くんのいいところだけど、その対象が私だと抑えてほしくなる。普段は降谷くんの方が照れるのに、疑問を解消することしか頭にない降谷くんは、さっきのがまるでキスするような距離だったことにちっとも気づいていない。
どきどきする。
今日はずっと降谷くんに心を乱され続けている。それがなんだか悔しくて軽く唇を噛み締めると、たしかに降谷くんの言ったりんご飴の甘味を感じた。
「……食べにくいよ」
「え、いやっ、ごめん」
「りんご飴は食べるとき不細工になるからあんまり見ないで。……本当は今日も買わないつもりだったんだからね」
「ふっ、なんだよそれ。じゃあいつ食べるの? 家で?」
「去年は女テニだけで行ったから気にせず食べたよ。今日は降谷くんと一緒だから」
時が止まった気がした。
「え」と降谷くんは大きく目を見開いて私を見下ろし、「あ」と私は降谷くんのその大きな目を見た。
輝く青い瞳は夏空を詰め込んだようで、私は数秒、間近で直視した降谷くんに見惚れたあと、はっと気づいて他意はないことを伝えようと「ほら、降谷くんかっこいいし、」と言い訳しながら、それもそれで言葉を間違えたと口をつぐんだ。
降谷くんの頬がじんわりとりんご飴のように赤くなった。それから、ふいと顔を背けた。
可愛い。
私より身体は大きいし声も低い。見た目も言動もかっこいいと形容するのが当然なのに、たいした意味のない一言で照れる降谷くんはものすごく可愛かった。
「……あのさ」
「なに?」
「あー……」
降谷くんは何か言いたげに、でも言葉に迷って視線を泳がした。
そういえば境内でも何か言おうとしてたな、と思いながら降谷くんの言葉を待つ。
降谷くんの緊張が移ったように、私の心臓はすごいスピードで鼓動を打つ。
まるで、まるで告白するみたい。いや、でも、まさか。降谷くんが本当の本当に私のことを好きだとして、降谷くんは真面目だから高三のこんな大事な時期に告白なんてしないだろう。
降谷くんは形のいい唇をもぞもぞと動かして決心したのか「神崎さん、」と改めて私を呼んだ。
返事を、した方がいいのかな。
口を開こうとした瞬間、至近距離でケータイが鳴った。音源は降谷くんだ。
「……ヒロからだ」
「さっきの返事だね」
二人を包んでいた空気が弛緩した。
降谷くんは髪の毛をくしゃくしゃに掻き回したあと、息を吐いてケータイを開いた。私もそれを覗き込む。
「美味しそうだな。こっちは星が綺麗けど全然写らないや」という文とともに、星空のかわりに草が生い茂る田舎の風景の写真があった。
「……全然羨ましがってないね?」
「くそ、じゃあ奥の手だ。神崎さんの写真撮らせて」
ケータイを向けられて、思わず「はあ?」と声が裏返った。
「いやだよ、絶対にいや! 別に断った罰なんて与えなくていいじゃん。諸伏くんは家の用事で来られなかったんだから」
「いいんだよ、これくらいしたって」
降谷くんはムスッとしたけど、写真を無理強いしてくることはなかった。ただ、カチカチとメールは打っている。
そんなに諸伏くんも一緒がよかったのかな。
「本当に仲がいいんだね」
降谷くんは、ぱちりと瞬きしてから「まあ、ヒロはいいやつだし」と照れ笑いした。
いいやつ。たしかにそうだ。私が好きになったのも、諸伏くんの優しいところだった。
入学して間もないころ、諸伏くんは移動教室の場所がわからなくて困っていた私を助けてくれた。わかりにくい場所にある教室だったから、諸伏くんはわざわざ教室まで連れていってくれて、そのせいできっと彼は授業に遅刻した。それでも私の謝罪を受け取ることなく、そうすることが当たり前のような態度だった。あまりにもスマートで、てっきり先輩と誤解してしまったくらい。
それがバレたときも、諸伏くんはお腹を抱えて笑うだけで私の勘違いで不機嫌になることはなかった。
私がテニス部だと知った諸伏くんは練習を見にきて応援してくれたし、今年、同じクラスになってからもいろんなことでお世話になった。私が困っているとき、気づけばそばにいて解決に導いてくれる。
降谷くんと仲良くなった日だってそうだ。突然テニスコートに来たと思ったら、受験のことで行き詰まっていた私に降谷くんという最強の助っ人を紹介してくれた。
優しいし、頼りになるし、人としてできている。すべて引っくるめて、いい人だと言っていい。
だけど、それと同じくらい諸伏くんは酷い人だ。
終業式の日、二人きりの教室で諸伏くんに言われたことを思い出しかけて、その残像を振り払うかのように「写メ撮ろう!」と声を張り上げて、さっき取ってもらったキーホルダーがついている自分のケータイをポケットから出して見せた。
「え? 何撮るの?」
「私と、降谷くん」
自分を指差したあと、その指先を降谷くんに向けた。
「……え?」
「私だけを撮るのは嫌だけど、ツーショットならいいよ。それで諸伏くんに送って羨ましがらせよう!」
ケータイを握り締めて闘志を燃やすと、降谷くんは「ぷっ」と噴き出した。
「さっきまで乗り気じゃなかったのに」と笑われたけど、突然怒りを思い出したんだからしかたがない。
「神崎さんの携帯で撮るの?」
「私のケータイ、インカメが綺麗なやつだから」
カメラを起動させて、インカメラにモードを切り換える。それからいそいそと光の入り
方や背景、顔の角度なんかを調整しながら小さな画面に二人が入るように顔を近づけた。
「はい、ちーず」
パシャッ
私たち二人が世界から切り取られた電子音が響いた。思ったよりも大きな音が鳴ったけど、周りの人たちはそんな音、気にも止めない。
小さな画面の中に続く一瞬。二人とも、ちょっとだけ目を細めて口元はきゅっと上がっている。楽しそうで、だけど少しよそ行きな表情で固さを孕んでいる。まさに今の私たちの関係性だ。親しくはなったけど、やっぱりまだお互いに諸伏くんといるときのように打ち解けてはいない。
「降谷くんって写真苦手?」
「得意ではない」
苦々しい顔が新鮮で笑うと、今度はむっと拗ねたような顔になった。
「そんなに変に写ってた?」
見せて、と言われたので素直にケータイを手渡した。
別に変なんかじゃない。降谷くんは相変わらずかっこいい。綺麗な瞳はケータイなんかじゃ写せないけど、そのかわり、電球の黄色い光が瞳を照らして瑞々しく輝いている。
写りはいい。モデルがいいから。でも、降谷くんならもっと華やかな笑顔で写っている
と思っていた。
「あんまり写真って撮らないからなあ」
「そうなの?」
「特にこういう二人で撮ることってほとんどない」
「女子は休み時間でもいつでもどこでも撮ってるけど、男子は撮らないのか〜」
思い返せば、降谷くんは人気者だけど顔だけじゃなくて言動もかっこよくて礼儀正しい優等生だから、あまりぐいぐい積極的に絡む女子は多くない。行事のときはここぞとばかりに理由を作って囲まれているのを今まで見たことがあるけど、それだって二人きりで写真を撮っているのは見たことがない。そういうのは、もうちょっと女子の扱いが上手い男子が選ばれる。
たとえば諸伏くんのような。
諸伏くんとは私も体育祭や遠足なんかのときに撮ったツーショットの写真がケータイに入っている。話の流れでそれを降谷くんに見せると、興味深そうにそれを見た。
同じ色の鉢巻を額に巻いて、弾けるように笑う私と諸伏くん。二人ともたくさんかいた汗が光っている。
「いい写真だな」
「でしょ。お気に入りなの」
一番楽しかった時期だ。気になっている男子とやっと同じクラスになって、好きだと気づいたあとの最初の行事。私も諸伏くんもクラス対抗リレーに選ばれて、走り終わったあとに思いきって記念撮影した。
その写真よりはぎこちないさっき撮った写真。でも、それだってわざわざ撮り直すほど悪いわけじゃない。
降谷くんと撮った写真を諸伏くんに送ろうとしたら、降谷くんは「僕が送るよ」と止めた。さっきまで諸伏くんとメールをしていたのは降谷くんだし、それが妥当だろうと思って言われるがまま赤外線で送った。
降谷くんはその写真と一緒に「ヒロの体育祭の写真を見せてもらったよ」と文を打ち、送信した。
すぐに返信が来た。
「諸伏くんはなんて?」
「……『仲良くやってるようでよかった、俺にメールばっかしてないで遥と祭りを楽しめよ』って、あいつは僕の親か」
「諸伏くんってそういうとこあるよねー。心配しいって言うかさ」
「わかる。同い年なのに随分と先を生きてるみたいに感じるときがあるんだよな」
幼馴染みでさえ、降谷くんでさえそう感じるんだ。ちょっとだけ安心した。
諸伏くんは降谷くんに負けず劣らずなんでも器用にこなす。勉強も遊びも人間関係も。困っているときに助けられたのは私だけではない。他の子たちだってたくさん助けてもらってるのを見てきた。
そして、一緒にいるのに見ているところが違う。
いつだかに、どうしてそんなにすごいのかを諸伏くんに聞いたことがあった。諸伏くんは「ゼロに追いつきたいんだ」と言っていた。諸伏くんの目標は降谷くんで、降谷くんは諸伏くんが先を歩んでいるような気がしている。似た者同士の幼馴染みだ。