色褪せるシャングリア
ヒロが彼女のことを好きだという確実な証拠はない。けれどこの勘はきっと当たっている。
ただ少しだけ気がかりなのは、ヒロの目には僕やその他の男たちのような燃え上がる熱を感じないことだ。親愛を煮詰めて結晶化させたような、綺麗な感情だけがそこにある。
もしかして、彼女のことを妹のように可愛がっているだけかもしれない。
彼女を自分のものにしたいと思う僕は、そんな希望的観測にすがりたくなるし、計算しなくても彼女と話せる距離のヒロを羨ましく思ってしまう。そんな自分が嫌だった。
想いを燻らせた今のまま、何も行動に移せずにヒロと彼女が付き合ったりしたら、僕はきっと悪い感情に支配されるだろう。心の底から祝福できなくても、せめて「僕の分まで彼女を幸せにしろよ」と言えるような男でありたい。
そのために、僕は終業式を二日後に控えた日曜日の昼過ぎに、ヒロをハンバーガーチェーン店に呼び出した。
僕はアイスコーヒーとポテトのLサイズを、ヒロはコーラとナゲットを注文した。僕も炭酸が飲みたい気分だったけれど、試験の面倒を見たクラスメイトがこの系列店でバイトしていて、コーヒー引換券を押しつけてきたことを思い出してそれにした。
成績のこと、受験のこと、夏休みのこと。ふらふら取り留めのない話をしながら僕は頭の中でどう切り出すか考えていた。
あらかた話のネタが尽き、トレーの上のナゲットやポテトもなくなったころ、ヒロは帰る気配を見せた。元々勉強の息抜きを理由に誘っただけだから長時間居座るつもりはなかったのだろう。だから個数の少ないナゲットを頼んだのだ。
もう時間がない。この機会を逃したら、きっと僕はヒロと正々堂々と向き合えない。
意を決して、口を開いた。
「神崎さんのことが好きなんだ」
あまりにも脈絡のない直球の言葉に、言ってから失敗したと頭を抱えたくなった。
ヒロはぽかんと口を開いて僕を見ている。
人の気持ちに敏いヒロなら気づかれているかもしれないと覚悟していたけれど、どうやらそうではなかったようだ。
何度が瞬きして「え?」と声に出して、それからゆっくりと口を閉じた。数十秒経ってようやく僕の言葉を咀嚼し終え、「そうなんだ」と噛み締めるように言った。
それからまた数秒して、少し心ここにあらずな感じで「どこが好きなんだ?」と聞いてきた。
僕は、一年前のことを思い出す。
初めて彼女のことをきちんと認識したのは去年の初夏だった。全校集会で体育館に集められた僕たちは校長先生の長い話のせいもあってダレていた。生徒指導の先生の話は背筋を伸ばしていた生徒たちも、そのあと各委員会の先生たちにマイクが移っていくとどんどん雑談を始めるようになっていた。終わり際、表彰される生徒が名前を呼ばれた。何の賞を取ったのかは、周りがうるさくて聞き取れなかった。
興味のなかった僕だったけれど、一応ずっと前を見ていたから表彰された生徒が前に出ていくのも見ていた。
それが神崎さんだった。
お洒落を優先して夏でもセーターを着る女子が多い中、神崎さんはすでに夏の半袖を着ていた。その白が、たくさんいる生徒の中で目立っていた。
そのあと名前を知り、テニス部に所属しながらも成績もよく、人当たりもいいことを知っていった。
興味から好意に変わり、そしてもっと知りたいと思うようになっていった。そのころ神崎さんに向ける感情が恋だと気づいた。
実際に彼女と会話したのは片手で数える程度。去年彼女のクラスの担任に用事があったから所在と聞いたり、今年になってヒロを呼んでもらったり、それくらいだ。
だから、どこが好きと聞かれたら何か一つを挙げることはできない。一年間で、少しずつ気持ちが形になっていったから明確な何かは存在しないのだ。
でも、確かに僕は神崎さんが好きだ。
幼馴染み相手に好きな女子のことを説明するのは照れるけれど、ヒロに負けないくらいの気持ちがあるのだと伝えたくて包み隠さず話した。
コーヒーを頼んでよかった。自分のことながら甘ったるい話に逃げたくなる度に、苦いコーヒーを飲み込んだ。
すべて話し終えると、ヒロは少し上空に顔を向けて思案した。なんて返すのだろう。手に汗握っていると、ヒロはあっけらかんと「応援するよ」と言ってきた。
僕は拍子抜けして「え」と声が出た。
「でも、」
ヒロも神崎さんのことが好きなんじゃないのか?
ヒロの神崎さんへの気持ちはそんなものなのか?
たくさん言いたいことはあったけれど、僕には言えなかった。
僕はヒロを強敵だと思っていたから、そのヒロが自ら応援すると言ってくれたのに蒸し返すようなことはできなかった。幼馴染みに誠実でありたいと思って呼び出したのに。
もしかしたら、やっぱり、ヒロは神崎さんに親愛以上の感情を持っていないのかもしれない。なんて馬鹿なことを考える自分が情けなかった。