無言の航海の旅が始まる
目が覚めると猫だった。
というのは冗談で、正しく言うと、目が覚めると赤ん坊になり猫の着ぐるみパジャマを着ていた。
目を覚ましたのが三日前。それまで悠々自適な大学生活を送っていた俺は、なぜか起きるとごわごわした水色の毛布が敷き詰められた大きめの木箱に寝かされていた。姿はさっき言ったように赤ん坊。年齢はわからない。服は黒猫のパジャマというべきかベビー服というべきか。この歳で猫耳は羞恥心に襲われるけど、寒いからフードまで被っている。
摩訶不思議な体験に最初は戸惑ったけど、木箱から脱出することすら叶わない俺にできることなんてなにもなく、早々に諦めてしまった。
まったく、捨てるなら拾ってもらえるところにしてもらいたいものだ。それとも俺を殺したかったのだろうか。弱気になったが、それはないと首を振った。なぜなら住み処の片隅に少量のミルクとパンが置いてあったからだ。そのおかげでなんとか生きながらえている。
まあ、その食料も今朝尽きてしまったけど。
空腹を紛らすために毛布の端を食んでいたが、そろそろ木箱の中の風景も見飽きてしまった。
ごろんと仰向けに寝返りを打って空を見上げた。
「にゃんにゃんにゃっにゃ……」
こんなときでも気が滅入ってはいけないと体力が底をつきそうな中、歌をうたった。歌詞を思い出す気力もないから猫語で誤魔化し、サビ以外のメロディはそもそも覚えていないからずっとサビのループ。
だんだん目を開けるのも億劫になった。
手足の力を抜き、目を瞑り、ただ不似合いな明るい歌を歌っていた。
さわさわと木々が揺れる音だけが外の世界を教えてくれる。
俺は捨て猫ならぬ捨て人間なので、誰かに拾ってもらわないと生きてはいけない。できればいい人に拾ってもらいたい。老夫婦とか、子供のいない新婚夫婦とか。贅沢なこと言っているとは思うが理想は高くだ。せっかく拾われたのに、奴隷のように働かされては困る。軟弱な大学生が奴隷なんてやっていけるはずがない。だから、できれば心優しい人に拾われたい。
十数回目のサビに入るころ、顔に影がかかった。雲が太陽を隠したのかと思ったが、薄目を開けて驚いた。
シロクマがいる。
服を着たシロクマが俺をじっと見ていた。驚き、飛び退きそうになったが力がうまく入らない。目を丸くすることしかできない。
このまま食べられて死ぬのだろうか。抵抗もできない今、助かる見込みなんてないに等しい。こんなよくわからないところで死ぬのは嫌だけど、でも動かないんだからどうしようもない。
「俺、食べても美味しくないよ」なんて、よくある台詞。言ってみたいが言いたくないベストスリーに入る台詞を言ってみた。舌が回らないし、どもってしまい自分でも何を言ったのかわからない。まあ、クマに言葉が通じるとは思っていない。案の定、首をかしげている。
しかし、これほど大人しいのなら見逃してくれるかもしれないな。見逃されても飢え死ぬだろうけど。
まあ、現実は無情で、シロクマが俺に近づきゆっくりと俺に腕を伸ばす。急に訪れた命の危機に、手足がキンと冷えた。そしてすべてがスローモーションに見え、あまりの緊張に意識が朦朧とする。
薄れゆく意識の中、頭上から英語が聞こえたが、きっと空耳だろうな。