ほしみ 3


 さて。
星見留羽≠ニいう存在は、正しくこの世界の住人である。
 この世界で生きる権利を獲た知的生命体――親に、兄弟に、親しいひとびとから愛されて育ち、未来を嘱望され、『人生』という未開の地を開拓できる存在だ。
 普通の人間として生きる権利。本来、人間ならば誰しも持っているもの。
 しかし、すべての世界で「彼女」がそう在る権利を持つわけではない。
 産まれ落ちたことに気づいた瞬間、自我を獲た彼女は必ずあることを確認する。
 彼女の中にある、もっとも大きな懸案事項。

 ――〈罰(ペナルティ)〉の有無である。

「では留羽様、我々はこれで」
「ありがとう皆、今日はご苦労さまでした。どうか身体を休めてちょうだいね」
「はい」

 一族の術師たちを見送った留羽は、背凭れに身体を預け、息を吐き出した。

 ――東京都内、星見家別邸。
 呪術高専姉妹校交流会の開催中、都立呪術高専の結界を掻い潜り、呪詛師一派と特級呪霊の顕現。交流会は中断され、全員が事態の収束に努めた。
 そして現在、留羽は襲撃の「後始末」を行っていた。
 おそらく今頃、京都校の仲間たちは東京校の生徒たちと五条が潜り込ませたゲームを行っていることだろう。留羽も参加できればよかったのだが、彼女には当日護衛を務めた星見一族の術師たちの統括として、次期当主・当主代行として報告書をまとめる義務が生じていたのだ。真依たちからは最後まで引き留められていたが、泣く泣く退場した次第である。

(視たかぎり、ふつうの楽しい野球って感じだったし)

 呪術師として最前線に身を置く子どもたちが等身大の青春を体験できるのはいいことだ。これを聞けば、かの最強の呪術師は「君もその一人でしょ」と呆れた顔で言うのだろうが――留羽がそれを享受するにはまだ問題が山積しすぎている。
 まずは第一歩。
 とても小さな一歩だと思われるかもしれない。だが、これは留羽にとって価値のある一歩だ。境界線≠見極めるために手探りで進めてきたものに、ひとつの確信が獲られたのだから。
 これがわかるかわからないかで、この先の道筋と手段が大きく変わる。悲しいかな、この襲撃によって、ようやく確信が持つことができた。
 留羽の口元には、三日月型の笑みが象られていた。

(この世界なら、わたしは『裁定』を受けることがない)

 これがどれほど大きな意味を持つか、きっと誰にもわからない。
 その事実が、自分は「じぶん」であるという確固たる自信を与えてくれる。

 いつかの世界――前だったような、前の前だったような。兎に角、留羽にとっては「前」のこと。
 今は過去、過ぎ去りし日々の、いつか擦り切れてうつくしい夢となるような魂に刻まれた記憶〈レコード〉のひとつ。
 剣と魔法、そして世界を超えて自分を追ってきた奇特な人外〈かれ〉がいた世界の「わたし」はそうではなかった。

 世界というものには、いくつかの『規則(ルール)』が存在する。それに気づいたのは身を以て〈罰〉を受けてからだ。
 もう数え切れないくらい、それこそ星の数ほど、生まれ変わってはさまざまな人生を送ってきた。
 他人に言える人生、言えない人生、傾向は様々だが、数少ない「白」か「黒」かで分けられる傾向が存在する。
 それこそが「裁定」――〈罰〉の存在だ。
 とはいえ、彼女がその対象となったのは、振り返っても二割未満ほど。しかし、母数が母数なため、それらは彼女に〈罰〉のなんたるかを理解させるには充分すぎた。

 自我を獲得し、ある程度の自由が認められるようになってから、留羽は自分に掛けられている制限の有無を確認する。
 いちばん簡単な手段は、未来視によって見えた未来を「塗り替える」ことだ。

 特に、その世界における”シナリオ”が下敷きのように存在する場合、なおのこと制限が強い傾向にある。わたしのような存在がシナリオ内にぽろりと産まれ落ちた場合――

(『裁定の槍』が大会で落とされたときは死んだかと思ったなあ)

 一度、運命に逆らって本気で(・・・)勝とうとしたことがある。

 髪の毛を操る魔法を扱う少女を先読みによって蹂躙し、組み伏せ、絶対的な王手を決めた――その刹那。
 突如として天空に現れた光の槍は、いともたやすく「彼女」の身体を穿った。

 ともすれば即死の――しかし、『役』が与えられている彼女なら死ぬことはない、ただしく罰則――ルール違反に対するお叱りのようなもの。
 組み伏せた少女にはもろに自分の血液がかかり、かわいそうなことをしてしまったけれど、その後の少女の抱えた問題を解決するというアフターケアで手打ちとさせてもらった。
 罰のある人生はどんなものか?
 簡単に言うなら、世界が定めたレールの上を、ギリギリ脱線しないように歩いていくだけの人生だ。自分がマリオネットにでもなったかのような不快感を背負いながら、自死することも許されず、天に弓を引けば死なない程度に身を裂かれる。
 ただそれだけ。

 この現象の理由が知りたくて、いつかの「彼女」は必死に調査していた。
 さまざまな情報を得るためにいろいろな媒体に触れた。映画、ドラマ、小説、哲学、漫画にアニメ、特撮――それこそ二次創作だの、ファンアートだの、ほんとうに様々なものに触れて、近しいものを見つけた。

成り代わり=\―本来キャラクターがいるべき場所に、当人のガワを被った状態でその対象として、あるいはそのポジションにのみ≠ノ収まって物語を進めていくというもの。
 これと類似するものとして、対象の肉体に憑依するというものもある。これには「彼女」もなるほどと手を打った。あらかじめ定められた未来≠ェあるのなら、それから逸脱する行為は世界にとってのルール違反だ。
 だが当時に、彼女の頭に疑念が浮かぶ。
 「対象に成ってしまった人物にその自覚がない場合」、果たしてそれは成り代わった≠フか? 結果として定められた道を外れたとして、それは責められるべきことではないのでは――
 人の数だけ人の解釈があり、人の数だけ多様な未来へ分岐する。
 蝶の羽ばたきひとつ、一度として『おなじ』にはできないし、再現も難しいだろう。これまで築いてきた関係性まで含めて「ぜんぶおなじ」にするためには、それこそ天文学的な難しさになるに違いない。
 さて、そう考えたとき。

 果たして彼女は、『責められるべき対象』ではなかった。
 ただ、彼女には特殊な脳力があっただけだ。
 そう、未来視である。
 奇しくもそれが条件≠満たし、そう定義されてしまったのなら。
 彼女は運命の奴隷として、その生を全うするしか道は残されていないのだ。

(まあ、抜け道はあるけど)

 とはいえ、もう『罰』なんて受けなくて済むならそれでいい。あんなの二度とやりたくない、そう毎回思う。その世界で出会えた人たちとどれだけ幸せな日々を得たとしても、それはそれ、これはこれ。
 所詮は泡沫の夢。一度生を終えたらすべて『前』である。過去は振り返らないし、振り返れない。真っ当な人間が転生者なわけないのだ。

「今回はたまたま前と似てただけの話だし」

 ぽつりと呟いて、少女はもう一度大きく息を吐きだした。
 安堵の息である。
 内心、ハラハラしていたのだ。万が一「前」に引っ張られて罰が存在したら、愛する双子の女の子たちを手助けする際の障害になりかねない。

(あー、ほんと他人の空似で安心した。彼が来たせいでちょいちょい不安だったんだよね)

 金色の髪、先祖返りに近いらしい異国の風貌。星を司る脳力に、『前』を思い出させる名前。
 顔立ちはさすがに人種のこともあってあきらかに違っているが、それでも不安は潰えなかった。「さて、次はどうしたものかな……」頬杖をついて、留羽は思考を働かせる。


 コンコン、と扉を叩く音。「はあい」と応えると、この一年弱で見慣れてしまった男が笑顔で現れた。

「お茶にしよう。君の好きなお菓子も用意してあるよ」
「ありがとう」
「お安い御用さ、マイハニー」
「違います」

 椅子から立ち上がって、留羽は文字通り輝く笑みを浮かべる男を一瞥する。

「きみのせいで余計な心配が増えてるって話だよ」
「ええ? 僕のことで君の頭を独占できる……空想上の自分とはいえ、妬いてしまいそうだよ」
「いや貴方ですけど」


「君の敗因があるとして、それは僕を『人間』の枠組みで見てしまったことだろうね」
残念ながら、僕もまた、ヒトとして生きるために変質している自覚はあるから――と男は目を細める。
「君の心を独占できなくてもいいさ。最期まで添い遂げられるのなら」
「私には真依という愛する女の子がいるのに」
「そうだね――真依嬢も君の輝きには負けてしまうけど、とても美しい子だね。二人並ぶと天使たちの戯れ、真希嬢や他の女の子たちが加わったら、それはもう女神たちって感じだ」
「女好きはブレないねえ」
「僕≠形作る側面の一つだからね。それは『前』の君もそうだったろう?」

 返す言葉もない。留羽はただ、ひとつ息を吐いただけだった。

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