志村家次女は諦めない

 両親はわたしが物心つく前に亡くなった。家族はお姉ちゃんとお兄ちゃんのふたりだけ。たいして歳の変わらないきょうだいに守られ、わたしは「親」という存在を知らずに育った。
 生まれつき虚弱な体であったわたしは、同年代の子どもたちと遊ぶことはおろか、布団から出るのも難しい幼少期を過ごした。
 トモダチは誕生日に貰った大きなうさぎのぬいぐるみと、ひらがなの勉強で読む絵本の中の住人たち。床に伏すばかりだったわたしを、お姉ちゃんやお兄ちゃんはいつも気にしてくれていた。
 わたしは、それが申し訳なかった。
 ふたりだってわたしとさほど歳が変わらないのに、わたしの体が虚弱だったばっかりに、ふたりを家に縛りつけている。
 ふたりには近所に友達だっている。わたしとは違う。
 ――なんとか元気にならなければ。

 そう決心したわたしは、なるべく布団を出て自力で歩き回るようになった。
 臥せってばかりではつく体力もつかない。せめて一人でも留守番できるくらいの体力はつけなければ――という、その一心だった。
 そんなわけで始まったのが、元気アピールをしたいわたしと大人しく養生していてほしいきょうだいたちとの仁義なき戦いである。

「さ、お布団に戻りましょうね」と薙刀片手のお姉ちゃんに首根っこを掴まれ引き摺られて布団に強制送還され、
「大丈夫。焦らなくたってすぐに元気になれるよ」とエプロンをしたお兄ちゃん(お姉ちゃんは暗黒物質《ダークマター》を生み出すスペシャリストだった)に小脇に抱えられて強制送還され、

「わたしげんきだもん゛ゴフオエ゛ッッ!!」
「なァにが元気じゃオラァ!! さっさと布団戻らんかいワレェ!!」
「姉上待ってください果恵が死ぬから! これ死んじゃうから!! 一回戻って!! いい子だから戻ろう果恵!! そんな血反吐撒き散らしながら疾走しなくていいってどこから出てんだその素早さァ!?」

 負けてたまるかと時に血反吐を撒き散らしながら大脱走を繰り広げるわたしと捕獲に回るきょうだいの大捕物が日常となってきた頃――転機は訪れた。

 まんまるなお月さまの夜、化け物に襲われたのだ。

 それ《・・》をどう表現すべきだったのか、大きくなった今もわからない。「それ」は、言葉で表現するにはとても難しい姿をしていた。
 かろうじて、ヒトと呼べるかどうか――そもそもこれをヒトと形容することが正しいのだろうか。
 表面はヘドロのような色で、鼻につく匂いに吐き気がする。本当に表現に困る生き物――これは生きているのか? と問われるとわたしは答えられないが、便宜上、一応、生き物にしておいた。

「その子に手を出されるのは困りますね」

 うちでお預かりしている、大切な子なんですよ。

 そう言いながら刀で化け物を斬り捨てたのは、近所に住んでいるおにいさんだった。若いのにいつも着物を着ていて、女の人よりも長いさらさらの髪の男の人は、歌舞伎町を探し回ってもこの人しかいない。
 貧乏なお家の子たち向けの塾を営んでいて、みんなに勉強を教えてくれる人だった。
 わたしのおにいちゃんもおねえちゃんもそこに通っていて、わたしも調子のいいときは遊びに行っていたので、彼のことは夜でも鮮明に目に映った。

「……せんせえ?」
「さ。もう大丈夫。家に戻りましょう、お姉さんとお兄さんが心配しています」

 腰が抜けてへたり込んだわたしに、おにいさんは着物が汚れるのも気にすることなく地面に膝をついて手を差し伸べた。
 ビュウと吹いた風で、おにいさんのすすき色の髪が揺れる。
 月明かりに照らされた長い髪が揺れるのを見ていると、ザザ、と視界が砂嵐がかかったかのように濁り始めて――

 気づけば、私《・》の口は言葉を紡いでいた。


「松陽先生《・・》?」
「……嗚呼。思い出してしまったんですね」

 私《・》の言葉に、彼は眉を下げて微笑んだ。
 それはどことなく寂しそうな、悲しげなもので、私の胸もなぜかギュウと痛くなる。
 不思議だ。

 だってこの人は、松陽先生は、銀ちゃんの先生《・・・・・・・》なのに――

「話はまた明日、目が覚めてから。……今日は疲れたでしょう。ゆっくり休みなさい」

 言いながら、先生が私を抱き上げる。
 ちいちゃくてどこも食いでがなさそうな貧弱な身体。変わらない姉と兄、私が物心つく前にいなくなってしまった両親――
 パチンパチンと、頭の中でパズルの欠片《ピース》が埋まっていくような感覚。

 志村果恵、六歳の夏の夜。
 私はこの日、自分が生まれ変わったことに気づいたのだった。



「銀ちゃ〜ん、果恵ちゃんとちょっと旅行行こ♡ 三ヶ月ぶんの家賃肩代わりしてあげるからッ♡」
「来て早々笑顔で札束ビンタすんのやめてくんない!?」

 ぱっつぁ〜ん! お宅の妹どうなってるわけェ!?
 今は不在の兄へそんな泣き言をいう男に、少女は満面の笑みで帯封を施された札束で男の頬をやさしく叩く。男が現金《これ》に弱いのは、公然の事実であった。
 男――坂田銀時を床に組み敷き、彼の腹部に跨って、「ウフフ」と素敵な微笑みを浮かべる少女。制服と思われる全体的に黒が基調となった衣服を纏う彼女は、「しょうがないでしょう?」と首を傾げる。

「だって、兄上はお仕事ですし、神楽ちゃんも学校あるし、暇なのって銀ちゃんくらいしかいないじゃない? ほら、こうしてお駄賃も出るわけで、銀ちゃんにデメリットなくない?」
「大アリだよ! もう銀さん騙されないですからね、オメーの持ってくる甘い罠に嵌ったりしないって心に誓ったの銀さんは! お金の誘惑に負けて自分を身売りする真似はしないって決めてんの!!」
「やだなあ、童貞寄越せっていってんじゃないんだから」
「その合法女児顔で童貞とか言うのやめてくんねぇかなァ!? 心のやわい部分がグサグサ切り裂かれて恋しさとせつなさと心強さでどうにかなりそうなんだよこっちはよォ!」
「やん♡ 愛しいだなんて……銀ちゃんったら大胆♡ 私も愛してるっちゃ♡」
「オメーその語尾が許されんのはラムちゃんだけだからな! いくらお前が可愛さをウリにしててもそう簡単に流せると思うなよ!!」
「え〜〜?」

 笑顔で銀時の言い分を聞いていた少女は、ひとしきり言い分を聞き終えたところで、彼の頬に優しい手つきでそっと触れる。

「――銀ちゃんさあ」

 途端。
 無垢で愛らしい表情から一転、彼女はひどく冷めた顔で銀時を見下ろした。

「いま憑かれてんのに祟り殺されて数日でくたばんのと、果恵ちゃんと湯治行くついでに祓ってもらうスペシャルツアー、どっちがいい?」
「申し訳ありませんでした謹んで同行させていただきます」
「わ、よかった♡」

 銀ちゃんのそういうとこ好きよ。
 そう笑ってさり気なくズボンに札束を捩じ込む少女。まだいとけなさの強く残る彼女の名前を、志村果恵という。

「あ〜よかった〜! 某県の秘境にある知る人ぞ知る温泉宿に最近”出る”って依頼が先生のほうに来ててさぁ、あっ、それじゃついでに銀ちゃんに憑いてるのと引っくるめて祓っちゃお♡ って思ったの〜! 兄上と神楽ちゃんとお登勢さんたちには事前に根回し済みだから安心してね。数日同行してもらうから必要経費として兄上にきちんと依頼金は渡してあるし、お登勢さんにも前払いで家賃渡してるから、ネッ!」
「待ってェ?? 出るって何?? 銀さんただでさえ自分になんかヤベーの憑いてるって時点で泣きそうなのに出るって何!? 何が出るのよ!? スタンド!?」
「ううん。江戸末期あたりにヒトの信仰によって発生したと思われる『神様』として祀られてた“なにか”」
「ぱっつぁぁぁん! 助けてェェェ!! お宅のカワイイ妹が社長を殺そうとしてくるよォォォ!」
「も〜銀ちゃんったら、今の社長は兄上でしょ? 間違えちゃやーよ」
「澄んだ眼差しでスネ抉りに来んのやめろォ!!」
「んも〜、大丈夫だって! 果恵ちゃんが一緒に行くんだから百人力だよォ」

 グッ、と拳を握りしめ、満面の笑みで応える果恵。
 見た目こそいまだに女児に間違われることもあるが、れっきとした十七歳の花の女子高生であり――呪術師である。



 私の世界は、主に三つのもので構成されている。

 ひとつ、愛する家族。
 ひとつ、人には見えない化け物。
 ひとつ、その化け物を殺す人たち。

 志村果恵《かえ》の世界は、それで出来ていた。



 初めての任務で私は死線を彷徨った。
 簡単な話である。吉田一門を快く思わない御三家の手先の補助監督に、背後からグッサリ刺されたうえ、依頼内容とは異なる呪霊の前に餌として放り投げ捨てられたのだった。うーん、最悪。
 しかもその補助監督、よりによって五条の家の末端。つまり命令したのは五条の――それも担任である悟くん以外の誰かになるわけで。
 悟くんは吉田一門に対して好意的というか、『ズッ友だょ!』みたいな距離感で私ともよく手合わせしてくれる。身長一四〇センチ台だというのにパンダと同じく近距離パワー型というトチ狂った(彼いわく「ぶっ飛んでる」)性能である私に、どうやら伸びしろを感じてくれているようだった。
 まあ、そんなわけで。実質ワンマン、ウン百年ぶりの六眼と無下限術式の掛け合わせというハイスペックな若当主に逆らうような真似をする人間がいるわけない――そう、思っていたのだが。
 しかし現実問題として私は死線を彷徨ったわけで。

 驚いたことに痛みはなかった。痛すぎて痛覚が麻痺したのだろう。私は叫ぶこともできず、ただ呪霊に食い荒らされる自分を俯瞰するように見つめていた。
 半分、幽体離脱に近かったのかもしれない。とてもぼんやりと、しかし明瞭な感覚。まるで明晰夢でもみているかのような。

 ――私、このまま死ぬの?

 それはあんまりじゃないかと思った。
 だって、まだ十六年しか生きていない。それも、誕生日もまだ迎えていないのだ。これからどんどん稼いで、姉と兄に孝行するんだって心に決めている。虚弱だった私を、親もいなくてお金目当てに近づいてくる大人だって少なくなかった環境で、ふたりは大きな愛で私を包み守ってくれた。だから今度は私が恩返しするんだって。
 だというのに、このざまはなんだ?

 ふざけている――頭は冷静なのに、腹の中は非常に熱い。
 ああ、とてもふざけている。どれだけ、どれだけ私を――一門を舐めているのだ。ふざけるな、後ろから不意打ちする程度の力しか持っていないヤツにやられるなんて、絶対に、絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に御免だ。

 身体に呪力を流す。頭の中でマイナスを掛け合わせ、プラスへ変換する。
 ゴポ、と食い散らかされた肉が盛り上がるのがわかる。
 頭の奥、まるで黒い閃光が弾けるような感覚。

「あ゛〜〜〜〜、いってえなあ、クソがよ……」

 目を見開く男に、私はわらった。
 そこから先は、あまり記憶がない。

 ◆

「果恵、僕が現着したときには補助監督に馬乗りになって顔面陥没するくらいに殴っては綺麗に治すのを延々と繰り返してたんだよね。いたはずの準一級相当の呪霊も跋霊済み。ひたすら真顔でそれを繰り返すあの姿――まるで殺戮マシーンみたいだったよ。え、補助監督? 下半身がありとあらゆるもの垂れ流しのひっどい状態だったけど、まあしょうがないでしょ。僕の生徒に手を出したんだし――うん? ああ、そいつはちゃんと処分したさ。果恵にはマジで申し訳なかったと思ってるよ。だから松陽先生のグーパンを僕も無下限解いて甘んじて受け入れたわけだし。ウン、死ぬほど痛かった。あの人ほんと規格外だから。吉田一門は思想的にも人間的にも面白くって味方にしておきたいからさあ、ほんとしばらく塩対応に泣いちゃったよねー」
「果恵は?」
「いや、果恵はそんな怒ってなかった。一周回って冷静になってたっていうか、まあいくら五条でも一枚岩じゃないよねー、みたいな。逆にそれがキツかったー! ブチ怒ってたのは姉と兄の方。あの二人、『窓』程度で戦えるほどの呪力はないんだけど、なんか土壇場の火力がえげつなくってさあ。最大火力だと真希くらいブチかますときがあるんだよね。まあかぶき町関係はみんなそうなんだけど。会いに行こうとすると岩塩ぶん投げられるしゴミ見るような眼で見てくるしお妙の暗黒物質《たまごやき》がお茶請けに出されるし」
「遠回しに死ねって言われてんじゃねえか」
「それ絶対死ねって思われてるだろ」
「しゃけ」



「え〜〜銀ちゃんったら今生でも万事屋なの? 無難に教員免許とか取りそうだと思ったんだけど。言っとくけど昔より法規制厳しいんだからパチンカスはダメだよ?」
「起き抜けになんで銀さんディスられてんの? 泣くよ?」

 まァでも、無事で何よりだわ。そう言って銀ちゃんはわたしの頭を撫で回した。わたしはそれをおとなしく享受しつつ、見慣れた和室に自分がまた(・・)倒れたのだと心の中で項垂れた。
 わたしの呪術の先生は松陽先生である。
 前の彼のことは、それこそ兄からの又聞き――姉と共にターミナルに特攻かました際にふんわりと聞かされたくらいだった。そもそも故人だと思っていたので生きてるなんて思ってなかったし、なんなら不死身だなんてもっと思ってなかった。きちんと話すこともなかったので、その人物像は「銀ちゃんの慕っていた先生」ということくらいだ。
 そんな元・不死身で今回は「人」として生まれ落ちた松陽先生は、どうも今生でもちょっとばかし厄介な立場らしい。
 現在はこの町で「吉田松陽」として暮らしながら、学校が終わってから親御さんが迎えに来るまでの間、子供たちの面倒を見たり勉強を教えたりしている。いわゆる学童保育と塾がミックスしたような感じだ。
 階級的に松陽先生は一級術師らしいのだが、呪術界との方向性の違い(バンドかなんかですかと訊いたら笑顔で怒られた)で一線を退き、実質的に資格は凍結。現在はこうやって皆の先生をしているそう。

 私は朧げにしか覚えていないのだが、かつて、兄に手を引かれて松陽先生のところへやって来たわたしを見たとき、彼は「はじめまして」の挨拶もそこそこに、わたしに呪術師としての素養があると分かってしまったという。
 うちは姉も兄も霊感のようなものが優れているのもあってか、呪霊を視認することができた。だが、わたしのように呪力を持ち合わせているわけではなかった。
 もし関わるとしても、精々が「窓」になれるくらいのもの。だから末妹のわたしも、きっと視えるだけの子だと思っていたらしい。
 見えているだけなら、見ないようにする技術を磨けば平穏な日常生活を送れる――だから先生は、姉や兄にその技術を教えた。

 さて。そんな松陽先生だが、わたしに素質があると見抜くやいなや、即座にいずれ弟子にすることを決意していたそうで、私に記憶が戻ったとわかるやいなや、あれよこれよという間に修行を開始した。
 曰く、呪術界は腐ったドブのようなところだそうで、かよわいわたしはいま関わってもどう控えめに言っても手篭めにされて汚ねえモブおじのお妾にされるのが目に見えてるのだとか。
 ここで話を聞いていた姉上がブチ切れた。居合わせた全員で抑え込んだ。そして呪術師のほんこわ話を聞いて、ギリギリで冷静であろうとした兄上もブチ切れて銀ちゃんを締め上げた。銀ちゃん完全にとばっちりである。

「ですので、まず果恵はあの世界で生き抜く術を得ることから始めましょう。君の能力は術師向きです。けれど今の君の肉体はそれに耐えられるほど強くはない。それは君もよくわかっているはずだ」
「……はい」

 不思議な話だ。こうしてわたしは松陽先生の弟子となり、銀ちゃんたちが兄弟子となったのだ。いや、銀ちゃんたちは見えない人たちなのでちょっと違うかも。兄弟子(概念)みたいな。そういう感じだ。
 対するわたしがなぜここまで見えるうえ戦えるのか――仮説ではあるが、自分の中で納得のいく説がひとつある。

「わたし、虚弱だし昔から死の淵にいたから余計見えるのかもなあ」
「果恵ちゃん? そういうの今話すこと? やめてくんない? 虚空を見つめながら話すの良くないよ? 銀さんはここにいるよ?」
「ああ、あそこに居るのは悪いものではありませんよ。私の一番弟子の式で、いざという時は通信もできる優れものです」
「なるほどー」
「なるほどーじゃねぇんだよォォ! なぁにあっさり納得してんだァァァ!」

 悪霊退散!! と喚きながら塩を撒き散らす銀ちゃんをよしよしとあやし、なるほどなあとうなずく。
 呪術師にしか見えない――つまり一般人には視認できないため、監視などにも役に立つってワケ。こうして考えると中々便利だ。だけど、どう言っても呪力は負のエネルギーなわけで。

「どうせなら呪術師より魔法使いになりたかったなあ」
「澄んだ眼差しで鉄バット握りしめんの止めなさいよほんとマジで」
「これはオモチャ。獲物は日本人らしくポン刀だよ? まあ、対人戦闘なら現代銃器も積極的に採用すべきだと思うけどね。時代は省エネ」
「突然のマジレスやめろォ!」
「今すぐ返してきなさい!!」


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