第六感の女はいつだって退職したい

なのに周りがそうさせてくれない」までが正式名称。

夢主
転生者。
コナンの原作知識は主人公の名前と米花町はヤベーところということしか知らない。
幼児期に転生が発覚、二度目の人生親孝行をと頑張ってきたもののあまりの物騒さに早々に目が死んだ。人並みに幸せになって親孝行がしたい。
警視庁交通課所属。後輩とペアでよく違反車をしょっ引いたり、捕まえた相手のカウンセリング紛いをして更生できるよう尽力してあげるなど何かと面倒見が良い。

本当は普通の会社員になりたかったのに就活にことごとく失敗し、神頼みをしても「流れに身を任せるべし」と匙を投げられSAN値がピンチになったところ、高校からの友人の誘いで警察学校に入った悲運の女。
しかし入学した警察学校にて今までそこそこだった第六感が完全に開花。
歩く死亡フラグ回避装置と化す。
髪型は前髪がワンレンのロングヘア。童顔であり、前髪を作らないことで大人っぽく見せている。前髪を作ると一気に幼くなるらしい。
名字(旧姓)は宮本。職場では旧姓で通している。
実はユミの漢字は「由美」ではなく「優美」だったりする。蝶々の羽ばたきってヤツ。
今の姓は羽田。警察学校卒業直後に籍を入れた。

―――

 序

 人生はいつだってままならないものである。
 それは何度生まれ変わったとしても変わることのない、世の理なのだと思う。

 私がいわゆる『前世の記憶』を思い出したのは三歳の頃。覚束ないよちよち歩きで動き回っていたところ、うっかり足を滑らせて家具の角に頭をぶつけたときのことであった。
 幼児には想像を絶する痛みに号泣しながら、脳裏に走ったのは知らない記憶――波のように一気に流れ込んできたそれに、私はもっと泣き叫んだ。

 泣き過ぎたあまり失神したらしい私は、気づくと病院で点滴を打たれていた。腕に針が刺さってることに半泣きになったが、私よりも泣きそうな顔でこっちを見る両親の顔を見てしまったら、その涙も引っ込んでしまう。
 幻覚か事実か分からない記憶を宿してしまったが、「私」という人間のベースは幼児であり、『親』は目の前の二人だったのだ。

「らいじょうぶよぉ」

 半泣きの声で何が大丈夫なのかと今なら思うけれど、当時の私にはそれが精一杯だった。パンパンに腫れた顔で笑う私を、両親は痛いくらいに強く抱き締めてくれた。
 そして点滴が終わった病院の帰り道――車に備え付けられたチャイルドシートの上、窓から見えた看板に私は絶句することになる。

 『米花町』――べいかちょう。
 ローマ字でもご丁寧に表記されたそれに、ふええと情けない声が出る。
 運転席と助手席に座っていた両親にまた心配をかけてしまったが、私の頭の中はそれどころではなかった。

 1

 『米花町』が存在する世界へ生まれ落ちて早二十数年。
 戦々恐々とした日々ではあったものの、私は両親の愛情を一身に受けながらすくすくと育った。何度かメンタルをやられたため目は少々濁っているが、こうして成人し、なんとか生きている。
 両親の支援のおかげでありがたくも進学できた大学を卒業し、就職と共に家を出て、今はマンション暮らしだ。趣味は学生の頃に教えてもらってハマった麻雀と囲碁の観戦。疲れた時は前世からお世話になってる、今生でも国民的アニメの一柱である、猫型ロボットの劇場版を観てデトックスしている。

 平々凡々、どこにでもいそうな一般人。
 そんな私につけられた渾名は、『第六感の女』である。

 第六感――これが、前世と今生での最大の違いだ。シックスセンスとも呼ぶそれを、私はデフォルトで装備していたらしい。
 思い返せば、昔から意図せず勘や直感的に危ういものを識別することができてしまっていた。そしてそれを私自身はただのラッキーだと思い、特別な能力だとはつゆほども思っていなかった。
 これはいわゆる『異能』なのかもしれない、しかし今や私の一部となってしまっていることもあって、それに対し思うことはない。手足と同じようなものなのだから。

 そして、シックスセンスを備えていたことにより、私は意図せずして人を助けていたらしい。
 詳細は省くが、勤め先――警視庁内で開催された麻雀大会で仲良くなった一期上でタレ目の甘いマスクが痺れる爆処の萩くんを筆頭に、見た目とは裏腹に熱いハートをお持ちなナイスガイ・松くんと、ちょっとうっかりさんなリア充の伊達さん、あとは中学からの友人である顔面偏差値お化けの男どもが主な対象である。

 記憶にあった限り、特にヤバかったのは中学からの友人たちだろう。
 中学からの腐れ縁である顔面偏差値お化けたちは、プロのテニスプレーヤーから財閥総帥など真っ当な職に就いた人から、表の経歴は大変クリーンだが裏でミッションがインポッシブルなことをしているのが数名居たりするのである。
 中学時代から人外魔境のようなテニス界でしのぎを削り合っていたのでそう簡単に死ぬとは思わないが、やはり心配だし、何より友人に死なれるのは寝覚めが悪い。

 ただ、この能力を私は仕事で自分から発揮することはできない。使うとすれば、本当に不意打ちで意図せず使ってしまう場合ばかりだった。
 何故かといえば、中学の頃この能力を検査してくれた、友人のけいごくんが連れてきてくれた英国の心霊なんちゃら協会の女性曰く、バレてしまうとキャトルミューティレーション的なことをする標的にされる可能性がある、と言われてしまったからである。
 つまり、人体実験のモルモットにされちゃうかもよと遠回しに宣言されたのだ。
 それを聞いた私とけいごくんはこの能力を必要以上に表に出さないことを誓った。私の人生の目標はいつだって『親孝行をして素敵な旦那様と幸せに暮らすこと』なのだから。

 そんなわけで、私はこの能力を隠しつつ、今日もせっせと悪いやつを狩るのに精を出している。主に違反切符を切ったり、市民のいざこざを諌めたり、大変だけど税金から給料を貰っている以上はやるしかない。
 ちなみに最近の悩みは上司に退職願を提出してもいつの間にか揉み消されてること。
 転職先は決まってるのでいい加減この職場からトンズラしたいのだが、引き継ぎもあるのでうまくいかない。そろそろ退職代行サービスに頼むしかないのでは――とも思っている。
 あとそろそろ夫がキレそうなので本当に危ない気がする。胃が痛くなりそう。
 そう、なんと私既婚者。愛する夫がきちんとしっかりばっちり存在しているタイプ。しかし職務上生活スタイルが合わないため、結婚前から暮らしているマンションで別居婚状態であった。

 神よ、私はただ親孝行がしたいだけなのに何故許してくださらないのですか?
 両親も昨今の米花町の犯罪検挙率の異様な上昇を心配しているので、できることなら退職キメて早々に町から出たいというのに、神様はどうして邪魔ばかりするのだろう。
『前』のときはできなかったからこそ、今生は常に親に感謝を伝え、前世含めて初めてできた夫を大切にし、夫婦仲良く平和に過ごしたいだけだというのに。

 それもこれも、年々犯罪検挙率の上昇と共に犯罪の内容がどんどんトリック満載のとんでもないモノに変化していってるせいだ。この町、土地からして呪われてるんじゃないだろうかと最近は思っていたりもする。
 おかげで現場なんて休日返上やむを得ず、といった状態になってきていて、ふざけやがって! とキレた回数は数しれず。一体何度それで夫とのデートがご破算になったか。幸いにも夫は寛容なので、男と必要以上に話したりしない限りはどうこうなることはないのだが――それでも心は痛む。
 一生の伴侶にと無理を押して選んだ人なのだ。蝶よりも花よりも、なによりも大切にしたいと思うのが妻心である。

「先輩、パトロールの時間ですよ」

 あーあ、早く退職できないかな。
 後輩の前で到底口には出せないことを考えながら「わかった」と返事を返す。
 そんなエブリデイ修羅場な私の仕事は警視庁交通部交通課――おまわりさんだ。


 2

 事件である。

「ユミ、この子がコナン君よ。コナン君、この人は宮本さん。私の友人で、交通課に居る同期なの」
「へぇ〜、そうなんだ! 初めまして、おねーさん。ボク、江戸川コナン!」

 にっこりと可愛らしい笑みを浮かべて、いささかオーバー気味なリアクションと共に届けられた自己紹介に、心の中で少しだけ引きながらも精一杯の笑みを作り、「ハァイ、ボウヤ」と軽く手を振る。今の私ならきっと主演女優賞だって穫れるだろう。

「佐藤刑事の言う通り、交通課でお仕事をしてます。違反をした悪い人の車を取り締まったりね。普段会うことは無いだろうけど、ぼうやも悪い人には気をつけて、くれぐれも危ないことはしないようにね?」
「はーい!」
「あ、ごめん佐藤、私仕事戻らなきゃ。ぼうやも気をつけて」
「あっ、ごめんね呼び止めて! それじゃあコナン君、行きましょうか」
「うんっ。さようなら、おねーさん!」
「はい、さようなら」

 ――私、笑顔をきちんと浮かべていられただろうか。
 正直不安しかない。頭の中は既にオーバーヒート。いっそ一思いに殺ってくれと叫びたい程ぐるぐるしている。それでも仕事場で発狂するわけにもいかないので――発狂したら退職できるのではという邪な考えもあるのだが――この混沌を飲み干すことで折り合いをつける。
 ああ、家に帰りたい。


「……ハギちゃん、時間ある?」
「いいよー」
 どこからともなく現れたその女性(ひと)は、ひどく疲れた様子だった。
 萩原は身に着けている腕時計に視線を落とし、時刻を確認する。ちょうどいいことにランチタイムだ。彼女もそれを見越して来たのだろう、「一緒にお昼食べよ」と言って、自然な流れで萩原の手を引いて歩き出す。
 手を引き歩く背中にはいつもの凛とした雰囲気はなく、落ち込んだ様子なのが手に取るように分かる。
 ――こりゃあ、何かあったな
 そんな萩原の読みは、数分もしないうちに見事に証明される。


「あー。とうとう会っちゃったか、コナン君」
「あの子ヤバすぎない?」

 そう言った彼女の目は据わっていた。萩原も彼女の言葉にわかるよ、と頷いて返す。
 警視庁内にある食堂。その一角に二人は向かい合うようにして座っていた。刑事課では有名な――いや、新聞にも何度か「キッドキラー」として取り上げられていたのでそれなりに知ってる人は知っているかもしれない――子供と、どうやら目の前の友人はとうとう邂逅してしまったようだった。
 正直、出会わないで済むのなら出会わないでほしかったというのが萩原の率直な気持ちだった。
 なんせ、この友人はとても優しい。知ってしまえば、心を痛めるに違いないと思ったからだ。

「ユミちゃんの気持ちはわかるよ。あの子だけならまだしも、お友達の子供たちまで巻き込まれることがあるからなぁ……松田も伊達も周りに声かけて、皆で気をつけるようにしてんだけどさ」
「あの子見てると、こう、なんていうの……しんどい? そう、しんどいのよ」
「どうどう。とりあえず飯食おうよ」
「うん……」

 溜め息を吐きながらもきちんと両手を合わせて食べ始める姿に育ちの良さを感じる。その姿にちょっと胸がほっこりするのは、彼女が冗談抜きで結構な童顔というのもあるのだろうが――それ以上に自分が彼女を可愛いと思っているからだろう。
 ラブなどではない、ライクである。相手は人妻である。
 そんな可愛い友人の愚痴くらい、いくらでも聞いてやろうというのが萩原の言い分だ。

「ただでさえ米花町周辺は犯罪検挙率が右肩上がりでさぁ、忙しくって大変で。でも、私達おまわりさんだし? 市民を……子供達を守るのが役目だと思って、ずーっと頑張ってきたじゃない?」
「うんうん。そうだなあ」
「それが、ちょっとした誇りでもあったわけ。でも、あの子見た瞬間、それがぜんぶ崩れ落ちるような音がしてねぇ……ショックだったのかもしれないわ」
「まあ、コナン君は毛利さんのとこで世話になってるらしいし、毛利さんの探偵してる姿見て真似したい年頃なんじゃない?」
「七つの子供が死体見て平然としてられんのおかしくない?」
「うっ」

 痛い所を突かれた、と萩原は思わず胸を押さえる。
 目の前で魚の竜田揚げを食しながら話す彼女は、「美味しいね」と微笑んでは件の少年を思い出して肩を落としている。
 今の彼女は、十人中十人が「相当メンタルが弱ってる」と断言できるような状態だ。
 元々彼女はそれなりにマイペースな方だが、こと置いて仕事となると姉御肌で凛とした女性へと変身する。オンオフを分ける彼女の境界線が揺らいでいるなんて、不調以外に何があるというのか。

「……それにねえ、あの子、コナン君」
「ん?」萩原が首を傾げる。「なに、なんかあった?」
「ちゃんとお祓い行ったほうがいいんじゃないかな」

 おそらく、彼女にとってはなんてことない一言だった。小骨を取り除く間のおまけ程度に出されたであろうその言葉に、萩原の体は硬直する。

「……それってまさか」

 どうか嘘だと言ってくれ。
 いつものお茶目なジョークだと笑ってくれ――そう祈りながらも体は正直だった。笑みを浮かべているものの口角が引き攣る萩原に、彼女は無言で微笑む。

「なんか彼、とんでもない黒いモノが視えた気がしたんだよね」
「そっかあ〜〜〜!」

 神は死んだ。今死んだ。
 両手で顔を覆った状態で、萩原は周囲の迷惑にならない程度の音量で悲鳴を上げた。


 2  

 交通課には『第六感の女』がいる。
 それは、警視庁内で知らぬ者は居ないほど有名な話だ。

 曰く、『第六感の女』の言葉は聞き逃すべからず。
 警察学校時代から人との対話能力に長け、成績は平均の域を出なかったものの、グループに分かれてのディスカッションでは柔軟や視野と発想でチームを支え、アシスト能力が抜きん出ているというのが教官からの総評である。
 この異名、警察学校時代に教官達につけられていたものらしい。
 あの鬼教官が「宮本の言葉はよく聞いておけ」とまで言うのだから、その的中率は察しの通り。そして今回もきっと、彼女の言葉はよく当たることになるのだろう。

「その情報、マジ?」
「ハギちゃん、私がいつだって『本気』と書いて『マジ』と読む女だって知ってるでしょ」
「いやそうなんだけど」

 身を乗り出して訊ねた萩原に、ムッとした表情を浮かべながら応じる彼女の目に曇りはない。
 だとすれば早急に手を打ったほうがいいだろう。萩原は頭の中で算段をつけ始める。目の前の彼女に怪しまれないように、昼食を食べる手を止めることはせず。

「それ、佐藤さんに言った?」
「佐藤に? 言ってないし、言わないほうがいい気がする。そもそもあの坊やと会ったのついさっきのことだしね」
「あー、なるほど。オッケー、とりあえず俺の方から、よーく周知しておくようにするわ」
「……あの子の場合、自分から頭突っ込んでくるのが目に見えてそうだけどね」

 顔を顰める彼女の脳内には、きっとあの事件好きで小憎たらしい、あの小さな少年探偵が浮かんでいるのだろう。

「あれは業が深いね。きっと身近な大切なものを傷つけてもどうにもならない。本人が直そうとしても無意識的に招いてしまうものだろうし――天運かねえ」
「意味深だなあ」

 

「あはは! それでもまあ、俺らお巡りさんだからなあ。――いつだって最善は尽くさないとな?」
「ウインクがあざとーい。あーあ、早く転職したい」
「もうそれ口癖だな」
「いやほんとこれこそ本気と書いてマジなんだけど。一体いつになったら退職願は受理されるのかしら」

 彼女が少し前から転職したがっているのは周知の事実である。
 そして彼女は知らないだろうが、上の人間は、彼女を手放すのを嫌がっている。そう簡単に退職ができるとは到底思えないくらいには。しかし転職先は上の人間が敵に回したくない男が代表を務める警備会社。果たしていつまで粘れることやら、というのが個人的な感想だ。

「うん、暫くは無理だと思うよ」
「ふざけんじゃないわよ、ダーリンがキレるじゃないの」
「出たなダーリン」

 まあ、とりあえず食べよう。
 ちょっと疲れた様子の彼女を促して、ランチタイムを再開した。


 3


「あー、もうっ」

 チューハイを一気に呷って、テーブルに缶を叩きつける。髪を掻き、深い溜め息を一つ。虚しさを抱えながら、冷蔵庫から出した作りおきのおかずを摘み、テレビをザッピングしつつ「面白いもの無いなぁ」とぼやく。
 サラダに入れたきゅうりを齧りながら、あの小憎たらしい『名探偵』の顔を思い出す。
 流石元大女優の母を持つだけある。そっちの血が強いのか、第二次性徴期を迎える前は結構な女顔だったのだろう。髪が長ければただの女の子にしか見えない顔立ちだ。
 だがしかし、忘れることなかれ。あの坊やは《主人公》である。
 この世界の《主人公》は、私にとって怨敵に等しい。

(――もう“原作”に入ってるなんて思いもしなかったわ……)

 もともと、『原作』の時系列の把握はできていなかったし、内容なんてほとんど覚えていない。最後に見たのは月曜日にやっていた頃だ。あとは風の噂で近年の劇場版でなんか腐向けのカップリング投稿数が異様に増えたとかなんとか、そういうことを聞いたくらい。
 そもそも、私は国民的青い猫型ロボット派だったのだ。
 周囲が名探偵で盛り上がる中、私はキッズや大きなお友達である同士に紛れ、毎年猫型ロボットの劇場版を観ていた。月面探査記は最高だった。

 そんなわけで、いつの間にか原作に突入していたなんて予想できるわけもなく。
 友人によって出会わされた疫病神、じゃない、殺人事件吸引機――間違えた、血統書付きのトラブルメーカー男児に心は簡単に折れた。
 昼は傷心のまま、ひとつ違いの麻雀仲間で会ったらよく会話をするハギちゃんとランチをしながら慰めてもらったわけだが。
 厄ネタの香りしかしない。明日こそは退職願を受理してもらえるよう上司に詰め寄らなければ。転職先ももう決まってるのに、上が認めないせいでいつまで経っても辞められない。闇が深い。いい加減、夫と米花町の外の新居探しにも精を出したいのに――世知辛い世の中である。


おまけ

 幼少期の転生発覚事件から、私は常に自分の身は自分で守ることを念頭に置いて生きてきた。
 具体的に言うと、両親に頼んで自衛のために習い事をしていた時期があった。
 母は「なにかと物騒な世の中だものね」と賛同してくれたし、父は大会に出ない、人をできるだけ傷つけない、自分を守るためのものなら、と限定してだが私の意見を尊重してくれた。本当に二人には頭が上がらない。
 両親の許しを得た私は、まず何を習うべきか考えた。
 我が家は比較的朝が早く、低血圧気味の母に代わって、どんなに忙しいときでも父が朝食を作ってくれる。なので私もそれに乗じて早く起きて、朝のランニングを始めた。ランニングといっても、飼い犬のポメラニアンの福太郎のお散歩を兼ねての簡単なものだった。
 しかし、たかが散歩、されど散歩である。これが結構私の体作りに役立ってくれた。福太郎は保護施設から引き取った、我が家のプリティな番犬である。

 福太郎のお陰で前世では絶対に無理だった基礎体力をつけた私は、武闘を習うべきではと目をつけた。
 というのもこの世界、一般人でも身体能力の伸びしろは悪くないのではと私は踏んでいる。じゃなきゃ七歳児がスケボーであんな空中滑走できるわけがない。
 なにより、この世界には『テニス』があった。
 父のお膝に乗って観ていたスポーツ番組で特集されていた「サムライ南次郎」の文字。私の直感がピーンと反応した。――この世界、名探偵だけではなくテニスの王子様の世界でもあったのだ。
 これは朗報である。あの世界、テニスはわりと超人たちの坩堝であったし、生存率が一気に飛び跳ねた。


「私を困らせる男なんて、世界に一人だけでじゅうぶん」

 そう言って肩をすくめた女は、隣に立つ男の腕に慣れた様子で手を絡めた。「ユミさん…!」隣から感極まった声が聞こえるが、それは華麗にスルーする。付き合いだしたらキリがないのだ。ハートをばしばし飛ばしてくる夫を他所に、彼女は話を続ける。

「そもそもの話、幼気な少女の意識を首絞めて意識を奪おうたぁ、とてもじゃねえが許せねえ話よ。しかもなに? 元はと言えばテメェのクソみたいなハニトラが原因じゃあねえか! なーにスカした顔してんだすっとこどっこい! ひゃっぺん地獄に落ちろって話よ! ほんとにうちの旦那とおんなじ血ぃ入ってんのか!?」
「落ち着きぃ、姐さんどんどん口が悪なっとる! 旦那さんにも引かれてま――いや旦那さんめっちゃ笑顔やん! 一応自分の兄貴罵られとるんやで!? 分かってはる!?」
「いやぁ、妻の言うことは正論だし……何より、僕も似たような気持ちなので、聞いててスッキリするっていうか……」
「分かるよキチ兄、ボクもおんなじ気持ちだもん。なっ、ママ」
「全くだ。本当にユミさんが秀吉の妻になってくれてありがたい限りだ」
「……そ、そんな、いやですわお義母さん……そんなに褒めないでくださいな……」
「照れてる」
「めっちゃ照れてるやん姐さん」

「っていうか、なんで姐さんってみんな呼んでるんだ? ボクはキチ兄の妹だからともかく、アンタ達は別にそういうんじゃないんだろ?」
「よくぞ訊いてくれた! も〜いつ言おうか迷っとってん、いやなあ、このお姉さん、中学の頃はそらもうえらいハードボイルドな子でなぁ! 俺ら男子よりもよっぽど頼りになったもんやから、みんな自然と姐さん呼びになってしもうてん」
「えっ、姉さんハードボイルドだったのか!? なにそれもっと詳しく!」
「いいのよ真純ちゃん、いい子だからちょっとステイしてちょうだいね。お姉ちゃんもあの頃まだ若かったから、能力も何もかも若かったから――」

小話

「ごめんっ、待たせた!」
「俺も今来たばかりじゃけえ、気にせんでええ。久しぶりじゃのう、姐さん」

 両手を合わせて申し訳なさそうに謝る女性に、色付きのサングラスをした男は手を振って応えた。『姐さん』と呼ばれた女性――宮本は、「相変わらずだね」と眉を下げて笑う。
 「まあ、とりあえず座りんしゃい」男の言葉で向かいの席に座る。飲み物を注文した宮本は、自分を呼び出した男――仁王の顔を見て、「それで」と口を開いた。

「今回は何があった?」
「早速本題に入るとは、姐さんもせっかちじゃな」
「仁王くんが呼ぶなんてよっぽどでしょ。まあ今回はあなただけじゃなくて、他の子からも連絡来てたっていうのもあるんだけど」
「おっ、白石か?」
「白石くんもだけど、あのけーごくんから直々なんて緊急事態ってことくらいわかるわ。で、私は何をすればいいの?」
「跡部も律儀な奴やのう……『例の組織』から子供を保護したんじゃが、生憎俺らじゃ小さい女の子の服はわからん。なんで、姐さんにはこれからちょっとばかし買い物に付き合ってもらうぜよ」
「オーケー、その後は? 仁王くんが来るってことは社長も知ってるんでしょ」
「ご明察。今回の件はウチも一枚噛むことになったもんで、もうじき移籍してくる姐さんに内々に協力要請したってことだっちゃ」
「なるほどねえ……」

 確かに、どんな美丈夫とはいえ、三十路の男に(外見が子供とはいえ)年頃である少女の服を選ばせるのは酷だろう。まして身一つで逃げ出してきたのなら、下着から一式揃えなければならない。いくら顔がよくとも、成人男性が女児の下着を選んでるのは事案だ。
 流石にまずいと本人もわかっているのか、「サイズは測ってきた。頼むぜよ姐さん」と眉を下げた。
 任せろ、と頷いて返す。ここまできたら、最後まで付き合う覚悟は決めていた。中学時代からの旧友達も関わっている案件なら、多少危ない橋だって渡っても怖くはない。仁王はお茶目な語尾で誤魔化してはいるものの、相当デカいヤマなのは明白である。そしてこの世界は名探偵たちが跋扈している世界線。
 社長――鳴海清隆がゴーサインを出した時点で、その推論はほぼ確定だ。



 小学校の頃、とても仲の良い女の子が居た。
 その子を仮にAちゃんとしよう。
 Aちゃんと私は、一見正反対なように見えて、根っこは意外と似た者同士だった。だからきっと、本能的に惹かれ合ったのだろう。三日も経てば、私と彼女はマブダチになっていた。

 だがしかし、Aちゃんは中学進学を期に、県外へと引っ越してしまった。
 理由はお父様のお仕事の都合だそうで、私達は号泣して最後まで別れを惜しみ――以来、十年以上に渡り、定期的に手紙を交換しあっている。そう、手紙。今どき手紙、などとばかにすることなかれ。この情報化社会の中、やはり電波に載せられないような話題だって、時にはあったりするのです。手紙は乙女の嗜み、いいね?
 さて。そんなAちゃんと私は、先日――といっても数年前だけど、無事再会することができた。私は警察官、彼女は先日籍を入れた男性とまだ婚約中だった頃。
 久しぶりに会った彼女は、当然あの頃より綺麗になっていた。絵に描いたような大和撫子というか、なんというか。私が男だったら猛アタック間違いなしなかわい子ちゃんに変貌した彼女と、私は束の間のデートを楽しんだ訳だけど。

 問題はその後だった。
 そもそも彼女との再会は、手紙で彼女が「米花町に戻ることになったので、また会いたいです」と健気な言葉と共に電話番号を書いて送ってくれたことによって実現したのだが、私が側に居られなかった年月の中、彼女に悲劇が起きた。

 Aちゃんは、殺人事件の目撃者になってしまったのだ。
 それも、米花町に戻ってきて一ヶ月も経たないうちの出来事だった。無残に切り裂かれ、赤く染まり倒れている親子と、刃物を持ってその場に立ち尽くす犯人。彼女は不幸にも、その現場を偶然見つけてしまった。
 ――そして、犯人と目が合ってしまったのだと涙ながらに話す彼女に、私も涙が止まらなかった。通りで妙に顔の血色がよろしくなかったうえ、常に辺りを気にする様子だった訳だ。無論彼女は即座に逃げ出し、近くの交番に助けを求めてその一件は刑事課の預かりとなった。――が、彼女と再会したその時点で、まだ犯人は捕まっていなかった。
 悲しいかなここは米花町。そういう事件が山のように起きている日本の暗黒街。
 いつ殺されるかわからない状況の中、それでも――と彼女は私に会うことを選んでくれたのだ。

「殺される前にユミちゃんにまた会えてよかった」

 そう微笑む彼女の、なんと痛ましく健気なことか。
 顔色も優れず、犯人がまだ捕まっていないという恐怖が彼女を容赦なく苛む。外に出るのも怖くて、赤色のものを見るとその衝撃的な現場がフラッシュバックして、包丁も握れなくなってしまったのだと、結婚相手に申し訳ないと、悲しげに微笑んでいた彼女に私ができること。
 ――それは、持ちうるありとあらゆるコネを使い、刑事課の野郎どもの尻を叩き、犯人を死ぬ気で探し出させることだった。

 結論から言うと、犯人は捕まった。
 ったりめーだバカヤロー! 我々は米花町のおまわりさんだぞ。それに、いつだって走らせる時にはエサが必要だ。私もひと肌脱いで、全身全霊、今までで三本指に入る程のクオリティの高い合コンを用意した訳である。
 やはり必要なのは上質な餌。はっきりわかんだね。
 まあ、私がなにを伝えたいかと言うと――

「成人した大人でさえ、いまだにたった一度の殺人現場を目撃したことで、治らないトラウマを抱えて生きているの。いくらあなた達が平気だって言い張っていても――傷はね、気づかないうちに、深い場所にできているものだから」

 だからどうか、殺人事件になんて関わらないでほしい。
 毎日を楽しく健やかに過ごしてほしい。君たちが今過ごしている日々はかけがえのないもので、それを守るために私達大人がいるのだから。
 私のその言葉が、あの子どもたちに正しく伝わったのか、それともあの子達の中で何か変化があったのかは分からない。だけど彼らは――少なくとも、主人公を除く子どもたちは、以来殺人事件が起きても首を突っ込んでくるようなことは滅多にしなくなった。
 心底よかったと思う。あんな小さな子どもたちに凄惨な現場に慣れてなんかほしくない。そのためなら子どもたちに嫌われてでも必要悪にだってなってみせるし厳しい言葉だってかける。あの子達の未来はずっとずっと続いているのに、このたった一度の出来事で人生が変わってしまうかもしれないのは、あまりにもつらい。
 あの子達が暴走気味にならないようになって、一緒に居る哀ちゃんもとても安心しているようだし、私もよかったと心の中で頷く。やはり平和が一番だ。
 江戸川の坊やについては一課に任せてある。餅は餅屋、ならぬ、男の子には大人の男、自称探偵には国家試験合格済みの現役警察官である。
 探偵を名乗るなら、まず相応の手続きを済ませることだ。
 この国は法治国家である。そう内心高笑いをかましながら、私は今日も歩く事件吸引器を華麗に避けるのであった。


「嫌だあああっ、跡部くんのばか! 私にそんな現実を押し付けるんじゃな、あっ、ほんと肌年齢は勘弁してイヤー!」
「ハァーハッハァ! 俺様の手から逃れられると思うなよ! 今日こそ我が跡部財閥の開発した肌年齢計測器でお前の体の神秘を暴いてやろうじゃねーの、あーん?」
「この鬼っ、どうせなら私よりも今最高に潤ってるレディ達に頼みなさいよーっ! あっ、自分で言ってて虚しくなってきた……」
「なぁに、別に無償でやれとは言ってねえ。やるからには最先端の美容技術をフルコースで体験させてやるって言ってんだ。さあ、行くぞ!」
「うわああん最先端なんて魅力的な言葉使いやがってえええ」
「口が悪いぜ、ユミ! 安心しな、頭から爪先まで磨き上げてやる! パーティーの始まりだ!」

 ひとでなしぃと悲鳴を上げる宮本は高らかにフィンガースナップを決めた跡部に首根っこ掴まれて連行されていった。

「……随分と、仲が良いのね」

 一部始終を呆然と見ていた灰原が呟く。
 その言葉に中学時代からの付き合いである面々は苦笑いを浮かべながら、事情を説明してくれた。

「あの二人、初対面のときからまるで旧知の仲みたいになんや波長が合ったらしくてなぁ。宮本ちゃんは手塚の友達やったのもあって、跡部は尚の事気に入ったんやと」
「ましてあの頃の姐さん、今よりも目が死んでてすっげーハードボイルドな気質だったから、周りに流されねえところを跡部が評価しちまってなあ」
「跡部も姐ちゃんの前だとただの男子になってたC〜」

 等身大でバカなことを言って笑いあえる、そんな関係性だと忍足。その関係を中学から十年以上経ち、大人になった今も続けているというのだから、どれだけ波長が合っていたのかはお察しだろう。
 跡部と宮本はズッ友。これが中学時代からの付き合いである面々の共通認識であった。


 うーん、と少しだけ考えて――それから、私はできるだけにっこりと笑みを浮かべた。
「貴方の寝顔がかわいくて、つい、見惚れちゃったのよ」

 だから駅のことなんて気にしないでいいよ。良いもの見せてもらっちゃったし。そう続けて、私は彼に背を向け階段を駆け下りる。よだれ垂らして寝ても可愛いなんて、イケメンは得だなあと思いながら。
 ――これが、後の恋人との初めての出会いとなることなど、一切知らないまま。

「ゆ、許せない……っ」
「……ユミさん?」

 わなわなと震える宮本に異変を感じたのか、秀吉が声をかける。写真を片手に黙り込んだ彼女の姿に、周囲もその異変を察知したらしい。「どうした、ユミ」跡部が声をかけると、宮本は俯いていた顔を上げた――周囲も凍らせる、恐ろしいほどの無表情で。

「こいつ、知ってる」
「コイツ? この、赤井秀一って男をか?」
「赤井……そう……こいつは赤井秀一というのね……この下手人の名前は……ッ」
「ユ、ユミ姉? しゅうに……いや、その赤井がどうかしたのか?」
「知ってるも何も――」

 真顔で写真を見るその目は、氷点下もかくやと言わんばかりに冷え切っていた。

「ブラックリストよ」
「へ?」
「こいつっ、交通課と地域課のブラックリストに載ってるの! 違反切符切っても違反金を納めないうえ、この前なんて高速道路でライフルぶっ放したのを通信指令本部が目撃してんの! 銃刀法違反っ、違反金未納っ、とんでもねえ野郎だ! こいつのお陰で私は旦那とのデートを諦めざるを得なかったっ!」
「それ本当なのかユミ姉!」
「嘘もなにも、映像から覚書出されて交通課と管制塔じゃこいつとこいつの乗ってる車――そう、確かフォード・マスタングとかいう真っ赤な車! これもブラックリスト入り! 許せない、こいつ、この、こ、この野郎……!」

 宮本の怒りがどれほどのものか、目に見えて明らかであった。普段からマイペースで平静を保つ彼女が、わなわなと震え、怒りで語彙も足りない状態に陥る――それだけでその怒りの深度は十二分に周りへ伝わる。
 まして、顔に出さずとも彼女は愛深き女であることは周知の事実。貴重な夫との夫婦の時間をそれによって反故せざるを得なかった時の苦しみと怒りは想像に難くない。

「……すまない、ユミさん」
「? どうなさったんですか、メアリーお義母さん」
「その男――赤井秀一は、私の息子だ」
「……え? 息子……つまり、吉くんと真純ちゃんの……」
「うん、ごめん、ユミ姉……その人、一応、ボクらの兄さんなんだ。――なあママ、もう秀兄は放っといたほうがいいんじゃないか? ボク、これ以上幻滅したくないよ」
「そうだな。……秀吉、いい機会だ。お前もどうするのか決めなさい」
「いやだなあメアリー母さん。僕はいつだって妻の味方だよ」

 ずっと黙っていた秀吉は、満面の笑みでそう応えた。
 それはもう、後光が差すほどの美しい微笑みである。いつの間にか片手を妻の腰に回して支え、もう片方の手は扇子を開いて興奮気味の妻を甲斐甲斐しく扇いでいる。その姿は『愛妻家』という言葉がぴったりと当てはまっている。
 しかし、その目の奥はこれっぽっちも笑ってはいなかった。

「落ち着くんや宮本ちゃんっ、ヒッヒッフーや!」
「いや落ち着くのはお前や謙也。なんでラマーズ法やねん。羽田さん、とりあえずこのドリンク奥さんに飲ませたり。一回クールダウンや」
「ああ、ありがとうございます……ほら、ユミさん」
「ありがとう……許せねえ……入国禁止にしてやりたい……」
「あーん? それが望みなら、このヤマが終わった暁にはそうしてやろうじゃねえか」
「跡部くん!? それ権力使うつもりやな!? アカンで職権乱用!」
「ヒュウ! さっすが景吾くん頼りになるぅ! なに、お返しどうする!? なんか跡部財閥にいい感じにうまい蜜くれそうな企業新規開拓するの手伝おうか!? 私頑張っちゃうわよ!」
「ハーッハッハッハ! 悪くねえな、忘れるなよ、ユミ!」
「ガッテンだ!」
「樺地くん! 樺地くーん! 止めて! お願い屋からこの世界規模のワガママ止めたってぇ!」

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