DCつづき
偽名はワタツミさん。ワダツミじゃないよ。
由来は海神から。旦那さんが水の精霊と契約してるのもある。
「ワタツミさん」「ワタツミさんの奥さん」が通称。
夫 魔法使い 頭おかしい
妻 パンピ ちょっとずれてる?
「哀ちゃん、おはよう」
「……おはよう、ございます」
「もうすぐ朝ごはんだから、顔洗っておいで」
エプロンを身に付けて台所に立っている女性が微笑みながら言う。
その言葉に頷いて返し、灰原哀は洗面所へと向かった。
(――平和だわ)
廊下を歩きながら心のなかで独りごちる。
公安警察に秘密裏に保護されて数日――灰原は今、公安である彼等(ふるやたち)の『協力者』だという男の家で匿われる生活を送っていた。
体は幼子になってしまったものの精神は妙齢の女性であった彼女は、当初『協力者』とはいえ男性の家で匿われることに若干の抵抗があった。
しかし彼が既婚者の自他ともに認める愛妻家であること、妻である女性の懐が深く、事情を知った上で幼子になってしまった灰原の保護に意欲的ということで、当面の間、保護されることに頷いたのだった。
眠気が拭えきれない目から見る彼女は、世間一般でいう「おかあさん」のようで、遠い昔に両親を失った身としてはなんともくすぐったく、大好きな姉から向けられてる感情と似ているようで似ていない、曖昧で言葉にするのが難しいそれを、嫌じゃない気持ちを享受している。
きっと、この家に生まれてくる子供はとても幸せな子になるのだろう。不思議とそんな確信があった。
「やあ、おはよう」
「おはよう、ございます」
挨拶を返すと、先に洗面所を使っていたらしい青年が微笑んだ。
「顔を洗いに来たんだね。踏み台もタオルも置いてあるから」
「ありがとう、ございます。ありがたく使わせてもらうわ……もらいます」
「そんなに畏まらなくてもいいんだよ。今の君は僕らの家族なんだから」
妻も寂しがるしね。
そう付け加えてリビングへ向かっていった背中を見ながら、ほっと息を吐いた。あの笑顔は、未だに苦手だ。
『協力者』である彼――ワタツミは、当初灰原を匿うことに乗り気ではなかった。妻に万が一のことがあるかもしれない、と愛妻家の彼は危惧したのだ。それを聞いてそれが正しい反応だと灰原も頷いた記憶がある。
けれど、そんな二人の不安をよそに、心配されている当事者である妻は「どうして?」と首を傾げた。
「だって私、あなたがいれば怖いものなんてなにもないよ。どんな危険な組織なのかは知らないけれど……その人たちは、あなたに勝てる力を持つひとたちなの? 私は、そうは思えないけど……」
そう言われればそのとおりではある。なんせ、違法脱法なんでもござれ、全てを『法律に記載されてないのでセーフ』と魔法で突破できる第三者である。
晴れやかな表情でそう言った女性に、美貌の男は頬を赤く染め上げた。
「――ッ、結婚しよう!」
「いやだわあなた、もうしてるでしょう」
「ああそうだった! でも何回でも結婚したいよ!」
人間離れした美しいその男は、妻の前でだけただの人間になる。感極まった様子で妻を抱き締めながらでれでれと様相を崩す姿をみれば唖然となるのはやむを得まい。それだけ男は美しい風貌だったから。
例に漏れず唖然とする灰原に、屈んだ諸伏がそっと囁く。
「大丈夫、奥さんを味方につけておけばだいたいなんとかなるから」
聞こえていたらしい降谷がウンウンと頷く。公安の中では暗黙の了解らしい。
かくして彼女は夫妻に引き取られ、同居生活が始まったのだが――
「あなた〜、お皿テーブルに運んでくださーい」
「は〜い」
男が指先をひょいと振るうと、カタカタと皿が震えだし、ひとりでにふわりと浮かび上がった。皿たちは自らテーブルに向かい、三人の席の前に次々と着地していく。
その光景を見るたび、自分はいま、幸せな夢の中に居るんじゃないかと思ってしまう灰原だった。