麗しの

「僕の名前かい? 藤永麗。さして名前は重要ではないだろう? 今回限りの組み合わせなのだから」

 まるでどこぞの貴族かと思わせるような服装の少年が伏黒に薄く笑いかける。
 陶器のような肌に硝子のような瞳、柔らかな質感の長い黒髪を大きなリボンで一つに結い、さらさらと風に腰まである髪が靡く。

 この少年がどういう存在なのか、担任である五条から事前に聞かされていた。
 子供を捨ててどこぞへと消えた自分の父親がかつて作っていたというもうひとりの子供――麗と名付けられた子供は、父親の顔を一切知らずに育ったという。
 哀れだと思うことはない、どちらかといえば、あんな男が父親であると分からないぶんまだ救いがあるだろう。
 麗には、呪術界の目を掻い潜り、この十数年に渡り平穏な暮らしを我が子に与えてきた、強い母親が居るのだから。

「僕には母が居ますから。それが全て。彼女に相応しい子でありたい、けして侮られぬように――立ち居振る舞いを身につける努力など、その想い一つで十二分に原動力となる」

「ただ、今はちょっと事情がありまして――いずれ妻となる人が居ますので」

 あっさりと。
 事も無げに言われたその言葉に、衝撃が走る。妻? 妻とはそれ即ち、神の前で生涯を共にすると誓う相手のことだろう。
 繰り返すが、麗は今中学三年生、十五歳である。伏黒の一つ下、まだ義務教育期間のはずだ。そんな少年――少年? に妻? 情報量の多さに伏黒の頭の中がぐるぐると回りだす。

「高跳びも吝かではないのですが、流石に母だけではなく妻とそのご家族にも隠遁生活を強いるのは心苦しいですから……」

 曰く、妻(予定)は現在中学一年生、義弟(予定)は小学校中学年らしい。
 つまり自分にとっては腹違いの兄弟の妻――義理の妹ということになる。考えすぎてスパークした頭がそんな謎回答を叩き出した。

 だから呪術師となる道を選んだと麗は美しく笑った。



「こんにちは、伏黒恵くん」

「ごめんなさいね、本来であれば顔を見せるのも申し訳ないのに……」
「どうか今しばらくの間、同じ空気を吸うことを許してくださいね」

「……別に、藤永さんが気に病むことでは無いと思います。知らなかったんでしょう、ずっと」
 とても中学生の子を持つとは思えない若々しい風貌。二十代にしか見えない、ひとり時が止まったような印象を覚えてしまうような、浮世離れした憂いを帯びた目をした女性。
 麗から話は聞いていた。――妻を亡くし、産まれて間もない子が居ると分かった瞬間、即座に永遠の別離を決め、腹の子を一人で子を育てると判断したと。
 特異な能力故に血の繋がった家族との別離を選んだ彼女は、何より家族を愛する。だからこそ、愛する女性との間にできた子供を捨てるような真似をした男を、けして許すわけにはいかないと思ったこと。全部聞いて、伏黒はなるほど、と思う。
 きっと麗の母親は善人なのだろう。たとえそれがどんな理由でも、即座に家族の元へ帰るように促し、手切れ金を、それも大金を渡して姿を消すほどに、残された子供に対し心を痛めてくれていた。

『――よう、生きてんな』

 一度全て捨てた男が、もう一度拾い直すことを決意した。
 それくらい、この女性に影響を受けていたのだと。



 「わかった!」津美紀がパチンと指を鳴らし、なんだなんだと男二人が紅一点を見る。
 津美紀は人差し指を立て、きりりとした表情で言った。

「その人……お父さんが子供を売りそうだって思ったから、会ってくれないんじゃないかな?」
「なるほど」

 名探偵爆誕。
 まばらに拍手を送る弟に津美紀はえへへと照れ笑う。その姿は大変可愛らしいのだが、だかしかし。

「俺のどこが人でなしなんだよ」
「実際売っただろうが」
「ぜんぜん帰ってきてくれなかったし」
「つーか顔見せたの俺と津美紀が小学校高学年くらいだろ」
「一瞬誰かと思ったんだよ」

 子供たちから容赦ない言葉の刃が突き刺さる。血の繋がりこそ無いものの、それなりに可愛がっている娘からも最近は反抗期なのか手加減の無い言葉が飛んでくる。変な男に引っかかるよりはマシだが、切なさが無いといえば嘘になる。
 そう思えるようになったのも、麗の母親と出会ったからなのだが――

「麗くんママ、この前お嫁さんのお母さんと二人で温泉行ってきたんだって」
「そうなのか……あそこ、他に大人居たか?」
「麗くんママのお友達に頼んだって。麗くんその日夕方まで仕事だったから、夜帰るまでって」
「――アイツもまだ中学生だろ」
「基本的に外に出ないから大丈夫だったみたい。結界も貼ってあるし、人避けもしてるみたいだから」
「呪術以外の術か……興味深いな……」
「それなら私でも護身術くらいはできるかもって言われちゃった」

 ちょっと考えてるんだ、と津美紀が微笑む。津美紀は呪霊も見えない非術師の一般人だが、弟と義父は呪術師(とそれに近い用心棒)である。万が一の際、ある程度身を守る術はあって損はないだろう。


ALICE+