枯葉のみたユメ
――ない。どこにも、なにも。
「枯葉じゃん、やっほー」
ひらひらと手を振る五条を「枯葉」と呼ばれた女性が視線を向ける。
「…………ああ」
溜めた末に一言。さしてお前には興味は無いのだと言外に伝え、彼女はぼんやりと窓の外を眺める。
「あいっ変わらず生意気な奴〜!」
そんな対応にも心底楽しそうに五条は枯葉をつつく。されるがままの彼女は、表情を変えることはなくただ外を眺めていた。
その顔はまるで無機物の――人形のようなもので
「……虎杖悠仁」
「ん?」
「宿儺の器……という話は本当?」
「うん、本当。宿儺の指を飲み込んで自我を保ってる」
「…………」
あっさりと頷いた五条に、逡巡する素振りを見せ――枯葉は虚ろな目を五条に向けた。
「一度、会いたい」
もしかしたら、と付け加え。
「彼をただの人に戻せるかもしれない」
ブチッ、と。
さながら、地面の上の蟻を意図せず潰したかのように。
虎杖悠仁の中に在った宿儺の指が、一つ消えた。
「――は?」
五条は目隠しをずり下げ、枯葉を凝視しながら唖然とした顔を見せ、「やっぱ出来たんだ」と家入は楽しげに口笛を吹き、そのまま机にあったチョコレートの包装紙を剥いで彼女の口に突っ込んだ。
「糖分補給。術式使ったんならしばらく低血糖に気をつけな」
「……ウン。ありがと、硝子ちゃん」
もぐもぐ口を動かす姿は子どものようだ。その姿を見る家入の目は穏やかで、先ほどまでの五条に見せていた姿とはまるで違う。
ごくんとチョコを飲み込んだ枯葉は、五条に視線を向けた。
「……これで『上』も、虎杖悠仁をそう簡単に殺せないね」
ざまぁみろと言わんばかりに、深淵を煮詰めたような目の女はくつくつと喉を鳴らした。
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呪術界において、『枯葉』と云う名前で通る彼女は、上層部にとって触れてはならぬパンドラの匣の一つだった。
その術式、呪術師をただのヒトへと引きずり堕ろすもの。
ただのヒトから、未来(たね)を奪い取るもの。
そもそも呪術界――特に呪術総監部は「枯葉」という人物に対して強く出ることができない事情(・・)があった。
五条悟がかつて高専に在籍していた際出くわした事件――禁忌とされる行いを御三家の末端同士が共謀し行った『ある実験』。
その被害者は本来呪術師が守るべき非術師の少女であり、幼い子どもだった。
初潮を迎えて間もなくして拐われ、無理やり孕まされ――幾度も子を産まされ、生き残ったのは一番最初の子どものみ。その子どもを産んだ際、少女はまだ十二歳になったばかりだった。
結果として生まれたのは、五条悟と通ずる見目の、術式のない非凡な子どもと、前代未聞の「ヒトから呪いと成り果てた」ものだった。
種馬とされた道具(おとこ)たちは、子の亡骸がひとつとなり、生きたまま呪いとなったのだ。
上層部や御三家は躍起になり箝口令を敷いたものの、狭い業界だ。広まるのは時間の問題。――そしてその所業を真似する家が現れるのも、また時間の問題だった。
枯葉は件の事件の模倣を試みた家に引き取られた犠牲者の一人だ。
一般的に見てそこそこ(・・・・)の呪術師の家に内容を伏せ引き取られた彼女は、そこで孕み袋として利用されるはずだった。
世間的に見ればまだ幼い子ども。しかし、初潮を迎えているのなら孕むことはできる。呪術など名も影も知らなかった無垢な子どもは、浅ましく卑しい劣情に食い潰され――地獄の淵にて、「術式」を発現させた。
「わたくし達も、細かいことまでは分かりませんでした。ですが」
ヒュウ、と細い喉が鳴る。この場において絶対的強者は五条だ。機嫌を損なうような真似をすれば、術式も持たず、ろくに戦う術もない少女は一瞬で命が無くなるだろう。気の狂いそうなプレッシャーを一身に受けながらも、懸命に少女は五条に訴えた。
「っと、『特級呪霊』顕現事件の際にっ、ひ、被呪者となった少女と、条件の近しい少女(こども)をっ、お、親を騙して買い取り! 孕ませようとしていたのは、確かです!!」
連れてこられた子どものうち、現在家に残っているのはほんの四、五人。
そして買い取られた少女の一人が『術式』を発現させ、屋敷の人間を地獄へ叩き落とした。
それこそ彼女――「枯葉」だ。
枯葉の持つ術式は『絶』――それは、その気になれば呪術界を壊滅させられるほどのポテンシャルを秘めた力だ。
無下限術式を持つ五条を迎え撃つ、世界が産んだカウンターのような能力。
「ッのクソ共が……!」
悪態をついた五条に震えながらも、必死に両足で立ち続ける少女は続けて言う。
「あ、あ、あの方は、枯葉様はっ、泣いておられるのです。御家族を愛していらしたからこそ……なぜこんな地獄に自分を売り飛ばしたのかと、ずっとずっと泣いています」
「……騙されたのか、アイツの親は」
「おそらくは。いき、生きていた頃、ほかの、売られてきた者にも聞き取りを行いました。せ、生活が窮し売られた者、親からもっとよいところで、生きてほしいと、し、幸せを願われていた者……そして、この家に生まれた者の三種類です」
「あの件じゃ非術師の子どもを無理やり攫ったことで体裁が悪かった。だから今度は『正式な方法』で母胎を確保したってことか……呆れるな」
そも、どう転がったとしてもろくな結末になっていないことだけは確かだ。
あの事件で生まれたのは、前代未聞の特級呪霊だ。
対呪術師特攻のような能力を持つ、五条ですら手に余る可能性のある自我を持つ呪霊。生きたまま呪いと化した、呪術界の千年の宿痾が、呪いとして形を得たようなものだった。
それは御三家の業によって生まれたような存在。御三家はそれから必死に目を逸らし、臭いものに蓋をするように箝口令を敷いた。――その呪霊と遭遇した場合、即座に逃げるべしと記して。
特級被呪者となった少女とその子どもは、現在呪術界が手を出せない、鬼狩りの末裔の陣営で保護されることとなった。下手に生き残った母娘が手出しされることはないだろう――そう安心した矢先にこの事件だ。
「良いんじゃあないんですかね」
気だるげな顔で、七海の後輩である彼女は言った。
「この界隈がクソなんて今更だ。散々な目に遭って生き抜いたんなら、外の広い世界を見るも、ドブの上澄みで生きんのも自由でしょう。……特にパンピ出身の奴は、この界隈がどんだけ非常識かなんて骨の髄まで知ってっし」
井の中の蛙、大海を知らず。
つまりはそう云うことだと彼女は酢昆布を齧りながら嘯いた。その姿は限界まで張り詰めた糸のような危うさを孕んでおり、なるほどあの五条ですら持て余すわけだと納得がいく。
七海たちはこの後輩のことを詳しく知ってるわけではない。
彼女が入学した時点で七海たちは四年生で、今後どうすべきかのモラトリアム期に入っていたからだ。
先輩である五条から事前に聞かされていた話が――呪術師はクソだという持論をさらに強固にさせた――ずっと頭の中に残っていたから、細々と後輩となった少女との交流を続けていた。
そしてそれは、妹を持つ級友も同じだったようで。
「でも、心配だな。枯葉はちょっと優しすぎるから、悪い人に利用されるかも……」
「……あなたは一体、私のどこを見てンなこと言ってんですか」
「分かるよ、そりゃあ。僕、人を見る目はある方だからさ!」
爽やかに笑う級友――灰原に、どこか呆れたようにしながら枯葉は好きにしろとわらう。人形じみた、不器用な笑みだ。
「灰原センパイはいい人だから……外でだって器用に立ち回れるっしょ。んで、命の恩人の……アー、運命の相手? 見つければいいんじゃないすか」
「うん。とりあえず星見さんのところに就職して、日本中を探してみようかと思ってるんだ」
「そりゃあいい。嫁探し、がんばって」
「ありがとう!」
いや、嫁探しは否定するべきだろう。そのツッコミは七海の中でのみ消化されたのだった。
「テメェの罪?」
そうだなァ、と枯葉は嗤う。
「私のかわいい硝子ちゃんに手ぇ出そうとしとことぉ、私の前で胸糞悪ぃ話をしたこと、あとは――なんでもいーや」
「おら、歯ァ食いしばれよ、下衆」
「お前は私が好きだもんね」
「うん? ――ああ、そうだねえ。とっても好きだよ、硝子ちゃん」
それは蕩けるような笑顔だった。
無知な幼子のような、どこか歪で、哀れで、そして何より愛おしい笑み。
「硝子はさあ、ちょっと枯葉に甘くない?」
「どこが?」
「えー、無自覚かよ」
「……お前にはわからんだろうが、」
あの子は、と言いかけて、家入は黙り込んだ。
――ね、硝子ちゃん
――なに?
――嫌んなったら、いつでも言って。ぜんぶ壊して、わたしが遠いとこまで連れてったげる
少女の無垢な笑顔が、あまりにも美しくて、温かくて。
失いかけていた尊厳が取り戻せたような気がして――それを知ってしまったら、手放すことなんてできなかったのだ。
「