みずち 書きたいとこ
「――六道か!」
ミズチはカズ彦の苛烈な剣戟をいなしながら即座に理解する。仏教において、全ての生き物が生まれ変わる先とされる六つの世界――天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を総称としてそう呼ばれる。カズ彦の持つ武器の名は、その六道を冠している。
――つまりこれは、〈冒険者〉を殺せる武器である。
ミズチの脳内(ちょっかん)が弾き出した答えはそれだった。
「察しがいいな」
即座に攻撃の形を変えたミズチに、カズ彦の顔に苦い笑みが浮かんだ。
ミズチのレベルはカズ彦のレベルともうさほど変わらない域まで来ていた。最後に会ったときはまだ、ここまで近づいてはいなかった。そこから半年も経っていないにも関わらず、彼女はカズ彦に迫るまでに練度を上げてミナミへと姿を現した。
(――辛い道のりだっただろうに)
どんな手段を使ったのかはわからないが、想像を絶する程の修羅場を潜り抜けてきたのだろう。さらりと言った「何十回も大神殿の世話になった」という言葉がそれを裏打ちしている。
面頬で目から下は隠れているが、何度か会ったときに見たその素顔はまだ年若い少女のものだった。変わりゆくアキバの様子やかつての仲間の現在を話の種にして、ぽつりぽつりと取捨選択して伝えられるミズチの話は、数少ない心安らぐ時間だったのだ。
だからこそ、彼女をこの地獄に巻き込むことだけはしたくなかった。
インティクスに脅されて人殺しとなってしまった自分の手をためらいなく掴んでくれた心優しい少女を――まだ親の庇護下に居るべき年頃の子どもがインティクスの狂気によって傷つけられる姿など、絶対に見たくはなかったのだ。
けれどミズチはカズ彦の想定を超えていた。
大人よりも察しがよく決断力のあった彼女は、自分がすべきことを理解していた。
――大丈夫。おおよその事態は把握していますので。
同性ゆえにわかる何かがあったのか、それとも知らないところで接触されていたのか、ミズチは根本的な原因がインティクスであると察していた。その洞察力はインティクス本人以上にインティクスの性質を見抜いていた。これは慧眼というべきなのか、カズ彦は言葉に困った。
その察しの良さで、カズ彦はこのミズチという少女を大切な切り札(カード)の一つにしてしまったのだから。
定期的に念話で近況を報告しあいながら、時々やって来るミズチの遣いの純粋さに汚泥の中にほんの少しの光を見る。幸いなことにミズチはインティクスと直接対峙することは避け、〈暗殺者〉の技能を使って情報を集めていたのだという。
自分でもこれなのだ、ミズチが現実世界(リアル)での身内のために奔走していたということを知れば、インティクスは否応なしにその身内を人質に取るだろうと察せられたからだ。人の嫌がることを嗅ぎ取る天才なのだ、インティクスという女は。
リアルでの知人だという小さな〈冒険者〉たち――〈待宵の宴〉のメンバーの手助けもあって、今日に至るまでカズ彦とミズチの関係は誰にもバレてはいない。
けれど表立って動く以上、戦いは避けられないものだった。
カズ彦は、自分の代わりにインティクスに引導を渡す覚悟を決めている少女を止めなければならないのだ。
:::
ミズチは怒っていた。
それは人の身にはきっと持て余すものだ。けれど今、誰よりも――ともすれば濡羽以上に怒りをみせていたのは、ミズチだった。
「ふざけるなよ」
低く、地を這うような声。思わず空気が凍るほどの、怒りと殺意を押し殺したような声――そんな声を、シロエは、かつて〈茶会〉に居たメンバーは聞いたことがなかった。
それは仕方のないことだ。ミズチはいつもチャットで会話していたのだから。いくつも思考を重ね、言葉を選び、できる限り人の感情を逆撫でしないようにしていたのだから。
だから、この怒りがなぜミズチから発せられるのか、誰にも分からない。――そばに居た、ひとりの人間としての彼女を知らない人間には、けして理解することはできない。
けれど、これだけは分かった。
ミズチは――インティクスを殺すことを、けして躊躇わないだろう。
「踏み躙るな、ほざくな、囀るな。虎の威を借りて散々好き勝手しておいて、挙句貶めるのか? ――全ての冒険者は、〈冒険者〉である前に、ひとりの人間だ。人には人権がある――それは一個人が、私欲で、好き勝手にしていいものではない」
押し殺している。殺意を、必死に押し殺している。額には青筋が浮かんでいる。目は怒りにひくつき、顔の半分が隠れた面の下は、怒りで歯を必死に噛み締めていることだろう。
シロエはこの世界で生身のミズチと出会って、唯一分かったことがある。
――ミズチは、誰よりも優しく、人のために泣ける人なのだ。
けれど、濡羽に対するこれは、それだけではないとシロエは思う。
――ミズチさまは、私と少し似ているのでしょう。
濡羽の言葉を思い出す。そして納得した。
この怒りはきっと、自分もかつてそれをされたからこそわかる怒りなのだ。
これはただの仮説だ。
けれど、だけど。ミズチから滲み出る怒りには、殺意には、そう思わせるだけの説得力があったのだ。
(ミズチは……その痛みを、知ってるんだ)
凄惨な過去、人に脅され、必死に奥歯を噛み締める日々。それらを身をもって知っているから――だから。
(――そうだよな、そりゃ、許せないよな)
たとえそれがエゴだとしても。ミズチは刃を手にし、そしてそれをインティクスへ向けた。
ミズチは人のために涙を流せる人だ。
カズ彦とはまた違った優しさだ。そして、叱るためなら恨まれてもいいと割り切れる程度には、覚悟を決めている。たとえその先が地獄だとしても。
「どいつもこいつも、好き勝手言いやがって」
荒々しい口調で、ミズチは吐き捨てるようにそう言った。
「嫌なら出ていけば良かったんだ。別のゾーンへ行けばいいだけの話だ。事実、そうした人だって居ただろう。けれどそれをしなかった。身を委ねたのは自分だ――自分の意思だ。責任を取れよ。美味しいとこだけ食べようなんざ、虫のいい話は無いんだよ!」
ミズチは怒っている。
それはひとりの人間を脅し、衆目の前で独り舞台を演じ尊厳を踏み躙ったインティクスに対してもだし、ミナミに留まり、階級制度を受け入れた〈冒険者〉に対してもだし、散々甘い汁を啜っておいて、手のひらをくるくると返してばかりの〈大地人〉の貴族に対してもだ。
ミズチは行動した。責任をもって、知人友人家族身内を守ると決めた。
だから幾度大神殿で甦ろうと、死ぬ度に辛く苦しい過去を見つめても、柔く手放しがたい哀愁を失おうとも止まらなかった。
ミナミの〈冒険者〉は――決められた枠に身を委ねた人々は責任を放棄した。濡羽の語る思想に従った。濡羽の威を借りたインティクスの思想に飲み込まれた。それだけの話だ。
それが悪いわけではない。
〈冒険者〉といえど中身は現代社会に生きる日本人なのだ。日本人は良くも悪くも事なかれ主義だし、出る杭は打たれる側面がある。カズ彦が心身をすり減らしながらミナミの悲運を食い止めようとしたように、その思想に同意した〈壬生浪〉のメンバーのように、見えないところで必死に戦っている人は必ず居るのだろう。
けれど、それ以外の人間は? おんぶに抱っこで狼藉を働く愚か者が出てきている現状はなんだ?
ミズチはまだ子どもだ。それくらい自分でも理解している。
けれど、していいことと悪いことの区別はつく。分別のつけられる歳だ。それはミズチより年下の中学生たちもそうだ。
しようと思えばできるのだ。
結局のところ、文句を言うのはいつだって思考を停止して甘い汁を啜っていた人間だ。
それが何よりも、ミズチは許せなかったのだ。
「〈口伝〉ですよ」
刃を振るう度、軌道は色を帰る。
一太刀震えば稲妻を纏い、一太刀震えば炎を纏う。変幻自在――一太刀ごとに起きる様々な属性攻撃。
それがミズチの生み出した口伝だった。
「なるほどね」
敵をなぎ倒しながらハイリは笑う。
実にらしい技だと、無邪気な子どものように笑う。
「呪印……いや、符の類か? なんにせよ、ミズチらしい――素敵な力だ」
本を愛し、物語を愛し、人を愛する彼女にピッタリだと、ハイリは笑った。
笑いながら――彼は、ぶちりと敵の首をちぎった。
5/6
prev next△
ALICE+