ヴォ
幼馴染と言えば聞こえはいいが、私の場合、母親同士が友人なだけで、私と彼はほとんど接点と呼べるものはなかった。性別が違ううえ、年齢も彼の方が二つ三つほど歳上であれば尚のことだ。
それゆえ、私も母に付き合う形で彼のお母さんと会うと挨拶や立ち話をする程度の仲だったが、まともに彼と話したのは、おそらく、道端で彼のお母さんと会った時――私が高校に入った頃だった。
「あらなまえちゃん、こんにちは」
「おばさん、こんにちは」
努めて明るい声で挨拶を返す。「また可愛くなったわねえ」というお世辞に曖昧に笑って、恐縮ですと肩をすくめる。そして、普段は見ない隣の存在に、自然と目が向かった。
「あ、この子? ウチの息子よ、あんまり見たこと無かったわね」
「ええ、そうですね」
「ドーモ、こんにちは」
人好きしそうな笑顔で挨拶をくれた彼に、私も軽くお辞儀することで返す。垢抜けた風貌、両耳にピアスが付けられていて、背負っているのはおそらくギターケース。それで、何となく音楽活動をしているのだなと察しはついた。
(普段は関わらない系統だわ)
そもそも、中学は女子校だったので異性との関わりは皆無だったのだが、それを差し引いても彼のような、いわゆる『陽キャ』と接することは無かった。陽キャこわい。根が陰のものな私には眩しすぎる。
とはいえ、もう会うこともないだろう。又聞きだが、息子さんは一人暮らしを始めたと聞いているし、接点がない。
(没)
普通のものよりも少しだけ丈が短くデザインされたブレザー、くびれの辺りから膝下まである清楚なスカート、ローファーの靴。胸元の小洒落たネクタイが、彼女の通う学校がいわゆる進学校のようなものなのだと示している。東京にあるだけあって、やはり洗練されたデザインだ。
「なまえちゃんじゃん!」
声をかけると、足が止まって、くるりとこちらを振り返る少女。素朴だがけして不細工という訳ではなく、むしろほのかに感じる色気にこっちの情緒がタジタジになってしまうその女の子は、このシブヤの街にはひどく浮いて見えた。
「こんにちは、ジンさん」
にこりと口元に弧を描いた彼女に、俺は急いで近寄った。
ふわりと香るシャボンと甘い匂い。ボディークリームなのか、シャンプーなのか、男の自分とはまったく違った、人工的な香水とはまた違う匂いに体の奥が熱くなる。
「なになに、渋谷にいるなんて珍しいじゃん! あ、良かったらジンさんが案内しちゃうよ? どう?」
「ふふ。ありがとうございます。でも、ジンさんもお仕事じゃありませんか? 私は注文していたものを取りに来ただけなので、もう帰りますし」
「えーっ、そんなつれないこと言わないでさぁ。いっちょジンおにいちゃん、とかどう?」
「兄なら在庫が足りておりますので」
「き、厳しい……! でもめげないっ、ならえーっと」
とにかく、会話するチャンスを逃したくなかった。まるで中学生だ、と苦笑する自分がいない訳ではないが、そもそも彼女はこっちを避けがちなので、捕まえたらしばらくは離す気はなかった。
「私はわたしのものであって、ジンくんの物になった覚えはないんだけど」
切れ味の鋭すぎる返答である。ヴッと胸を抑えた俺に、彼女はあらまあといった顔で見てくる。そんなとこも可愛い。オンナノコはみんな可愛いと思うけど、どうにも、最近の俺は彼女を振り向かせるのに躍起になっていた。
「なまえちゃ〜ん……」
「はいはい」
ヨロヨロと近寄れば、仕方ないなあという顔でハグくらいは甘んじて受け入れてくれるようになった女の子。丁寧語ばかりだった言葉も多少砕けて、そして毒舌気味な女の子だとわかった。そこもまたイイ。
言いすぎた時は顔にあからさまにどうしようと出ているし、後で律儀に謝ってくる。育ちの良さというか、教養というか。うまく説明できないけど、純粋な子なのだとわかる。そんな風に育ててくれたご両親に頭の中でお礼をしながら、便乗してスキンシップを図るのだった。
そんな俺をバンドメンバーは呆れたような、何ならちょっと引き気味の顔で見るけど、長い付き合いなのでそれが冗談半分というのはわかりきっている。何も知らない彼女にある事ない事吹き込もうとするのはどうかと思うが。
「は〜、なまえちゃんいい匂いするね、香水つけてる?」
「ジンキモい」
「笑顔でなにセクハラしてんだ」
「サイテー」
「ねぇちょっと静かにして外野席!」
背後から聞こえるちゃちゃを入れる声に振り返ると、ニヤニヤと笑いながらこっちを見るバンドメンバーの姿。それとなくハグする力を強めつつ、負けじと言い返す。
「ヒトのカノジョが可愛いからってやめてくれます? やっと話してくれるようになったのにまた避けられるじゃん!」
「私は今すぐ離れたいけど」
「やめて! それはイヤ!」
至近距離から感じる帰りたいオーラを無視して、ぎゅうぎゅうとここぞとばかりにハグをする。
根が静かな彼女は、どうにも俺らみたいなタイプは苦手らしく、見るとそれとなく逃げようとする。休日はもっぱらうちで過ごすか図書館で勉強、あるいは友人の家でお茶会をすると聞いた時の俺の気持ち。完全に付け入る隙がない。しかし、無理ゲーほど燃えてしまうというもの。出会いがレコード店でのナンパだった俺は、彼女にゾッコンだった。
「……そもそもの話なのだけど」と、彼女が言う。
「ジンくん、わたしと付き合う前からこういうことしてきたけど、彼女がいたのに私とベタベタスキンシップしてきたの、よくないと思う」
真顔である。そしてド正論。なんなら多分『なんだコイツ意味わかんねぇ』くらいのことを思っている気がする。今の俺はなまえちゃん語検定殿堂入りレベルの翻訳力を持っているのだ。ただ、ひとつ言っておくと、彼女と出会った頃の俺は恋人と別れてフリーの身だった。その、いわゆる「体の関係」の女の子が何人かいたくらいで。たぶん、なまえちゃんの言う「彼女」はその子たちのことなのだろう。
「い、今は居ないから!」
「居るときでもしてきたでしょう。私が彼女だったら不快だからやめてほしいと思うよ。だから定期的に彼女変わるんじゃない? 離してもらっていいです?」
「言葉の刃鋭利すぎるんだけど」
舌鋒鋭く、容赦なく叩きのめされる俺を後ろでメンバーが笑っている。大爆笑である。
「ちょっと! リーダー頑張ってんだから援護してくれてもよくない?」
「いや、だって、なまえちゃんの言うこと真っ当じゃん。なんならそれ、ジンのことも心配してんじゃん。言うことない」
「彼女が長続きしないのも事実だし」
「ってかなまえちゃん的にジンは彼氏じゃないっぽいよね」
「えっ嘘!? 俺たち付き合ってるよね!?」
「寸前ですかね」
「なんでぇ!?」
思わず彼女の肩を掴む。わなわな震える俺に、目を見開いた彼女は、ひとつ息を吐いて答えた。
「卒業するまで待って。あなたを犯罪者にしたくないだけなの」
「ヴッッ」
澄んだ瞳に情けない顔の俺が写り込む。彼女の言葉は、時として俺をワンパンで瀕死にさせてくるのだ。
「すげえ、倫理観でストレート決めてきた」
「……ってか、ほんとにジンでいいの? 話せな話すほどなんかこっちが申し訳なくなるレベルでイイコじゃん」
感心した様子のメンバーの言葉に、
「ああ、いや、うちの学校は去年から共学になって……」
「待って初耳」
「近隣の男子校と合併したんです。あちらの学校が元々、生徒数も少なくなってきてたので、丸ごとこっちに移って、学科増やす形で。だから共学にって言っても、クラスの男の子は三分の一いるかどうかなので」
「なにそれ羨ましい」
「いいなー、女子校に通うとか夢じゃん」
「めちゃくちゃいい匂いしそう」
好きかって言うなあ、と内心思いながら、適当に笑って返す。クラスの男の子は男子校出身だからか、未だに女子への免疫が少なくて、話すだけでも顔を赤くしてて、可愛い半分、大丈夫か? が半分だ。そもそも私たちは受験生だし、これで進路に影響したら可哀想すぎる。
「安心して、なまえちゃんみたいなタイプの子がクラスに居るだけで男子は学校通えるから」
「それたぶん『もしかしてオレのこと好きなのかな』くらいに自惚れてる可能性あるから」
「なまえちゃん的にはどう? クラスに好きな男子いる?」
「頑張って見積もっても、弟のようにしか見れないですね。普段の姿を見てるので……」
「っしゃ!」
「えっなに?」
何故かガッツポーズをするジンくんに思わず訝しむ声が出る。いったいこの話のどこにガッツポーズする要素があったというのか。
「あつい……」
日差しがキツすぎる。仕方ない、と私は折りたたみの日傘を取り出して、それを開いた。
人工的な影に一安心しつつ、家路を急ぐ。貧血になりやすいからか、夏場は熱中症対策を徹底させられている。日傘もその一環だ。目立つのは、と我慢していたら、気を使ったのか逆に周りの子が日傘を使い始めて、おかげで昔よりは使うことへの抵抗感は薄れてきている。
しかしこの傘、フリルがついていて、ちょっとこう、お嬢様感が強いものなのだ。いや、ガチのお嬢様が選んだものなので仕方ないのだけれど、自分の見た目を理解してる身としては、使うのに気恥しさを覚えるのも事実で。
最近はメールのやり取りか手紙がもっぱらなので、今度は日傘を使っていることを書くのもいいかもしれない。この日傘は、高校進学の際、学校が更に上流階級向きの女子校に行くことになった級友のお嬢様たちが合同で贈ってくれた、大切なものなのだ。
「――なまえちゃん!」
そんな時に限って、会いたくない人に会ってしまうから運命ってやつはクソである。ここ最近よく聞くようになった声に、私は半分諦めの境地で振り返る。
「……こんにちは、ジンさん」
「やっほ、元気? ってかその傘可愛いじゃん、似合ってる!」
「どうも……」
めっちゃグイグイ来る。パーソナルスペース狭すぎないか? 頭の中も暑さのせいか茹だったことしか考えられない。
「ってことがあってさあ、最近の女子高生、日傘使うんだなって」
「へー、良かったじゃん」
「しかもさ、フリフリのスゲー高そうっていうか、高級感のあるやつでさ、深窓の令嬢っぽいねって言ったら、マジでお嬢様からプレゼントされたヤツだった」
「ガチじゃん」「ガチの令嬢の日傘じゃん」
「で、そんななまえちゃんの姿を見た感想は」
「シャツが汗で少し透けててエッチだなって思った」
「サイテー」
「なまえちゃんに言ってやろ」
「だって! お前らも見たらそう思うって! ポニーテールしてて、うなじから汗滲んでて顔が赤くなってんだよ!? エロいじゃん!」
「あー……それは」
「エロい」「健康的なスケベって感じ」「そうそれ!」
「ハイハイ、アホなこと言ってないで始めるよ」
■
「あ、あたしこのバンド好き。テレビとかにも最近よく出てるんだよ」
「へえ……」
「って言っても、なまえそんな興味無いか」
「あんまりテレビ観ないからなあ」
でも、そんなに人気なんだ。しげしげとCDを見つめながら言う彼女に、そうだよとうなずくお友達。
「ふうん……」
ジッと手に取ったCDを見つめた彼女は、にこりと口角を上げた。「じゃ、買ってみよっかな」
「え? いいの? 視聴とかしてないのに」
「うん。こういうのは熱があるときにやったほうがいいって言うし。それに、一回してみたかったんだよね」
「なにを?」
「パケ買い」
さらりと言った言葉に、お友達の女の子はすぐに笑顔を浮かべた。
「あは、いいね、そういうの!」
「ね。それに、この……茶髪の人」
彼女の指が、CDのジャケットに映る俺をなぞる。伏せた睫毛が揺れ、ぷるぷるした唇がなんとも言えないほどセクシー。隠れて立ち聞きしてた俺は、耳を象のように大きくして、彼女の言葉を待つ。
「すごくいい笑顔してる。たのしい、って見てるだけでも伝わってくる」
素敵ね、と動くくちびる。
俺はもうその唇に釘付けで、
「や、コンニチハ」
「……?」
不安げな顔でこちらを見上げる少女に、俺は付けてたマスクを下ろして、あのジャケットのような笑顔を浮かべてみせる。「あ」と目を見開いた彼女に、よし、とこっそり拳を握りしめ。
「俺、ジンって言うんだけど、よかったらちょっとオハナシしよーよ」
「……あの時、一体どこのドッキリ? って普通に考えてしまって……」
「違う違う」
「それでお持ち帰りされちゃったってワケね」
「ジンさん自分がイケメンだって分かってるからできる芸当じゃん草」
「もはや森ですよね」
「エッエッ嘘なまえちゃんこっち系? 言ってよライン交換しよ」
「ワッ……」
「いきなり圧が強くなった……!」
「マジでナンパじゃん」
「つか一時やたらショップ行ってたのそれ? 一目惚れした子捜しに行ってたの? オマエ」
「うん、そうそう。もう一回会えないかな〜って、そしたら会えたってワケ! 運命ってこういうことなんだよな〜!」
「運命っつーか執念でしょ」
「可哀想にな、なまえちゃん……受験生なのにそんなヤベー男に捕まるなんて」
「俺、地元秋田なんだよね」
「へえ……」ぱちぱちと目を瞬かせて、彼女は驚いたような声を上げた。
「雪国の出身なんですね。秋田、お父さんが出張で何度か行ったことがあります」
「え、そうなの?」
「寒いけど食べ物がおいしかったって。あと日本酒が死ぬほど美味かったって」
「アッハハ! お父さんお酒好きなの?」
「でもマ……お母さんに『次酒飲んだら離婚するから』ってキレられてしょげてました」
「お母さん!?」
「お父さん、お酒強くないのに飲もうとするから、介助が大変で……逆におかあさんは酒豪なんです。北陸出身で」
「へー! じゃあなまえちゃんも雪国に縁があるんだ。いいね、また一個共通点が増えた」
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