異界
 伊藤セイという少年は、生まれながらにして身体の弱い子供だった。
 「生」きることを願われて名付けられた名だったが、皮肉にも彼は「生」よりも「死」と縁深い人生を歩んできたのである。


 アケビ達は案内人に連れられて国境の門を出る。
「森だ……」
「ガラッと景観変わるね」
「すごーい!」
 アケビは歓声をあげる。
 門の外側は、木々に囲まれていた。日光が燦々と降り注ぐ森は生命に満ち溢れ、不思議とエンプティスの中に居た頃よりも息がしやすく感じた。
 舗装はされてないが綺麗に開かれている道は人の行き来があるのを証明していて、エンプティスのかつての繁栄の名残を思わせる。
 案内人に先導され、三人は森の中を歩き続ける。アケビが『祝福』を使ってマッピングデータを作っているので、万が一の場合にも対応することが出来きる。

「……あれ?」
 ふと見えた道の先。そこにはふたつの影が、寄り添うように立っていた。
 その姿は、あまりにも見覚えがあらもので――
「――なんで、センジュくんとナゴミちゃんが居んの?」
 呆然とした顔でアケビが呟く。
 出発の時に居なかった二人が、そこに立っていた。
 同じ外套に身を包んだ二人は、三人に向かって薄く微笑む。
 二人は小さな鞄のようなものを携えており、三人同様、これからどこかへ行くかのような装いだ。
 呆然とするアケビの肩を叩いてセイが微笑する。その顔はアケビの戸惑いもなにもかもちゃんと分かっているよとでも言うかのようで、アケビはそれ以上なにも言えなくなる。――アケビ自身も、心のどこかでこうなるのではという気持ちがあったからかもしれない。
 二人を一瞥し、ミヤコが言う。
「私達の今回の仕事は《《二つ》》。ひとつは水の都に向かうこと」
 そしてもうひとつは、
「二人を――センジュくんとナゴミさんを、燈の国まで送り届けることです」



「行くんだろ?」
 センジュにそう声をかけたのはソウスケだった。
 無言で顔を上げたセンジュに、彼はただ優しい笑みで答えを待っている。
「……なんで」
「そりゃあ、見てれば分かる」
 ソウスケは明るい声で言う。
「ナゴミちゃんを見るセンジュの顔は、見覚えがあったからな」
「……」
 少し気まずそうに目を伏せたセンジュに、ソウスケは彼と同じ目線になるように屈んで「責めてるんじゃないよ」と諭すように言った。
 この中で一番の年長者であるソウスケは、兄のような顔をしてセンジュに言う。
「誰も責めたりしないさ。決断するのは自分自身――ミヤコちゃんだって、きっとそう言う」
「……そう言われた」
「だろう?」ソウスケは歯を見せて笑った。「オレだってそうさ。別に怒ってやいないし、事実、彼女もこの世界に来てからのが顔色良く見えるもん」
「……ナゴミさんは、何も悪くない」
 全部俺が抱えていく、とセンジュは鋭い眼差しで前を見る。
「俺が彼女を元の世界に返したくないと思ったから――連れていくだけだ」
「いいねえ、そういうの。オレ好きだよ」
 にひひと笑むソウスケはイタズラっ子のような顔で、眉間にシワを寄せるセンジュの額をツンと突く。
「オレだってセンジュと同じ立場ならそうしてるさ。……大丈夫、お前が責任を感じる必要なんざどこにもない。だって、お前はどっちの世界でも同じことをしてただろ?」
「――うん」
「なら、遅いか早いかの話でしかない。野次馬の言うことなんかほっとけ。アレはハイエナみたいなもんだから」
 自分達が楽しむためなら、相手がどれだけ苦しんでも気にしない人種なのだとソウスケ。
 そういう人種のことをよく理解しているような素振りは、彼の送ってきた人生がどういうものだったのか語っているかのようで――
 気づくと、センジュはソウスケに問いかけていた。
「ソウスケは、帰るのか?」
「うん。帰るよ」
「どうして?」
「残してきたものの《《後始末》》をしなきゃいけないからかな」
「後始末……」
「そ。後始末」
 じゃなきゃ帰らないさ、と笑うソウスケは、それ以外の未練は無いのだという。
「まー、悲しい長男の|性《さが》ってヤツだよ」
「大変なんだな、長男も」
 大家族の三男であるセンジュには縁のない話だ。どこかおとぎ話でも聞いてるかのようなセンジュの姿に、ソウスケは「あっはっは!」と快活に笑った。
「」

「これより、ここから出るための会議を行いたいと思います!」

 高らかに宣言した少女に、室内は歓声と共に湧き上がった。

最早|厳《おごそ》かな雰囲気など無かった。あるのはのんびりとした日常の延長線――教室の中で休み時間に話しているかのような騒々しさである。

『せっせっせーのよいよいよいっ』

 リズミカルに歌いながら、アケビとソウスケは手遊びをして遊んでいた。
 下に弟妹が居るらしいソウスケと上に姉がいるアケビは、長男と末っ子という点で相性が良かったらしい。
 暇を持て余した末に思い出したのが手遊びで、ふたりは記憶を辿りながらよいよいと手を動かしていた。

「や〜久しぶりだなこれ! うちの地域、坊さんロケットで吹っ飛んでたんだけど」
「なにそれ!? あたしのとこかぼちゃの種が膨らんで爆発してたけどさあ」
「地域差出るよなあ、これ」
 ソウスケの言葉にアケビは「わかるう」と頷く。



「つーかオレ拐ってもメリットが無いんだよな」
 ウチは貧乏だぞとソウスケが笑い半分で言う。アケビもウンウンと頷き同意している。
「あたしも親からまだ家のローン数十年残ってるって言われてるし、大学も行くなら奨学金借りてくれってもう言われてるよ」
「世知辛い世の中だよ」
「まったくです」

 涼やかな目元が印象的な美人――ハナが呆れた顔でネネの頭を鷲掴みにしている。
「いい加減にしな、百合木」
「も〜っ、ネネって呼んでってば! ハナちゃん冷たい!」
「うっさいのよアンタ……頭に響くのよその声……」
「な〜んだよう〜」
 ぶうぶうと文句を言うネネにげんなりとした顔で言葉を聞き流すハナ。

 夢を見ていた。
 星も見えない底無し沼のような深く昏い夜空。べったりと黒く塗り潰された空の真ん中に煌々と輝いている血のように真っ赤な満月を――
 わたしは、ただ見つめていた。


 ◆

 ――目を覚ました時、胸に宿った感情の相応しい名前を、まだ彼女は知らない。
 本能は歓喜していた。延々と続く平行線の日常が突如として全て破壊された事実に、生まれ変わったかのような高揚感が神経を侵していた――(イセ・トゥイ著「異界見聞録」より)

「――ヨクくん、だっけ?」
「え……」
 驚いた表情で此方を見る彼に、アケビは一気に正気へ戻る。
「あっごめん! フツー話したことない奴にいきなり名前呼びとかキモいよね! マジごめん、名字曖昧だったからつい……教えてくれたらそっちで呼ぶから!」
「い、いや! 違う、大丈夫だよ。ヨクで合っているし、名前呼びに対して嫌悪感はないから。ただ、その」
 人差し指で頬を掻き、少年は言う。
「アケビさんが俺の名前を覚えてくれてたのが意外で……ほら、あまり話したことはなかったし。呼んでくれたことが嬉しくて、驚いてしまっただけだから」
「あ、あ〜……そだね、あたしたち、ほとんど話したことないもんね」

 そこは見覚えのない場所だった。薄暗いセピア色の視界の中、赤とオレンジが混ざったような球体が宙を揺れている。
 アケビは、倒れた状態のままその様子を見つめていた。
 ――お月様、今夜だったっけ……
 ゆらゆら揺れるそれが月のように見えて思い出したことだった。
 今夜はスーパームーンで、赤色の月が見えるというニュース。ロマンチストな父が朝からワクワクしていて、母に窘められている姿。


「これは……」
 書庫で巻物を見ていたミヤコが動きを止める。その声で顔を上げたアケビとセイは顔を見合わせ、彼女の元へ駆け寄った。
「どしたん、ミヤコ?」
「何かあった?」
 問いかける二人に対し、ミヤコはただ巻物をじっと見つめて微動だにしない。『祝福』を使っているのか、瞳の奥が薄く煌めいているように見える。
 アケビとセイには彼女からの言葉を待つことしか出来ない。緊張感が張り詰める部屋の中、顔を上げたミヤコの顔は曇っていた。
「……セイくん」
「なに?」
「エンプティスの皆さんに連絡を」
 セイが即座に頷く。杖の歯車がカラカラと回り始める。アケビはミヤコに問いかけた。
「なんかわかったの? ミヤコ」
「はい。……少々、まずい状況かもしれません」
「ミヤコ……?」
「……私たちがこの世界に喚ばれて、もう少しで半年が経ちますね」
「そだね。こっちは四季の感覚がえっと……旧暦寄りだっけ? 何月とかいうのが無くてビックリした」
「私たちの喚ばれた日、あの日は一つの楔のようなものでした。……時間が経てば経つほど、ふたつの世界の時差が広がり始める。半年で楔は解れはじめ、いずれ完全に解けてしまう……」
 ミヤコの声はアケビへというより、自分自身に向けているようだった。宙を見つめ、バラバラのピースを埋めていくように彼女は言う。
「これ以上時間が経てば……いえ、それを差し引いても……私たちはもう……」
「ミヤコ、繋がったよ!」
『どうした、ミヤコ』
 鏡面のような画面にカイが映し出される。研究の最中だったのか白衣を羽織っているカイは、ミヤコの顔を見て何かを察したようだった。
「私たちは今からエンプティスに戻ります。一応、センジュくんとナゴミさんにも連絡は入れます。……皆さん、帰る支度をして待っててください」
『唐突だな。……服装は?』
「制服を。バロンさんがクリーニングしてくださった物がクロゼットにある筈ですので」
『分かった』
 頷くカイは、言葉とは裏腹に表情を曇らせている。「……カイくん?」とミヤコが問う。
「何かあったの?」ミヤコが切り込んだ。「カイくんがそんな顔してんの、なんかマズイことあったからじゃない?」
『……ああ』
 ため息混じりにカイが頷いた。
『いま屋敷に居るのは、僕と悪食とマヒロだけだ』
「え?」
「ほかの皆は?」
『……魔素地帯で、湧き出た瘴気の獣を退治しに行っている』
「……!」
 ミヤコの顔色が変わる。「いつ向かいましたか?」と問う声は張り詰めている。
『ついさっき――三十分ほど前か。砂時計の減りからしてそうだろう』
「三十分……それはバロンさんも?」
『ああ。何でも、国王からの頼みだとかで……不味いんだな?』
 確認するかのようにカイが言った。ミヤコは頷き、少し躊躇い、しかしはっきりと言った。
「ええ。魔素に体が馴染み過ぎると、肉体が変質します。これ以上変質すれば、“門”を潜れなくなります」


 イヴ・プロテティカには秘密がある。
 それは彼女が、華やかな貴族界の裏側で暗躍するお役目を持っているということ。
 表向きは病弱な令嬢だが、実はそれはお役目を果たすための設定。12の頃から彼女は影の中をひた走っていた。
 相棒の魔人さん(男)と共に、今日もイヴは歴史を守るべく東奔西走する!
 自分のことよりお国のため、影日向の境を爆走して不本意ながらキューピット! 果たしてイヴに安息と恋愛フラグが訪れる日はやって来るのか、はたまた全部放棄してストライキを起こすのか――!
 時間も歴史も国も飛び越えるキューピット、ここに見参!



 放課後、夕焼けが射し込む教室は不思議と別の世界に居るような心地になる。
 ふわふわと浮つく心を律しながら、考えているのは待ち合わせをしている相手のこと。
 アジサイくん……私の世界の梅雨の花の名前を持つその人に、私は今日、告白をする。

 ――駄目元で送った隣界への転界願いが受理されたと聞いた時、私の頭に過ぎったのはそれまでの辛い日々だった。これでやっと解放される。やっと、まともな人生を送れる――涙ながらに喜んだ私に、家族はただそうだねと頷きながら抱きしめてくれた。
 散々な人生だった。ずっとずっと日陰で生きて、隠れるようにして生きてきた。怯えながら、虐げられながら、必死に歯を食いしばって耐え忍んできた。環境はどうにもできない。私の手元のカードには力はひとつも無かった。主役にはなれないと生まれた瞬間から決められていた生だった。
 でも、これからは違う。やっと変えるチャンスが訪れた。これを逃したら、私は一生なにも出来ないままだ。
 知らない場所――それも異世界への留学となる『転界』は緊張するし心細いけれど、それは即ち新天地へと行けるということになる。
 やり直そう、私がなりたかった私になるために。
 みすぼらしかった私を、自力で動くことの出来る私に帰るために。

「初めまして、アジサイです。どうぞよろしく」
 片手を差し出しながら微笑んだ彼は、


鏡越しのこい

鏡越しのこい(恋・故意)


 満月の夜、器に満たした水に月光浴をさせる。そうして真夜中……丑三つ時に、月光浴をさせた水を飲み、鏡(大きさは問わない)に問いかける。
『もしもし、隣の、向こうのあなた。声が届いていますか?』
 返事が帰ってきたら、それは『向こう』に居る誰かと繋がっているということ。鏡を通して、あなたと一番『繋がることができる』相手が居るということです。
 もしかしたら、あなたにとっての運命の人かも?
やる時はお父さんやお母さんに叱られないよう、気をつけてやってね!


「……もしもし、となりの、むこうの……あなた。声が、とどいてますか……」
 声を潜め、鏡に向かって問いかける。鏡に映るのは、パジャマを着た自分の姿。
 このおまじないを知って、繰り返すこと数回――結果は芳しくない。当たり前だ、こんなおまじない、真面目にやる方がどうかしている。
 けれど、私にとってこの行為は、今や精神安定剤のような役割を果たしつつあった。
 窓から見える月はとても大きくて、部屋の中を明かりがなくても歩けるくらいに照らしてくれている。

「……となりの、むこうの、あなた……」
 いつか、いつか、会いたい。顔も知らないあなたに会えたなら――なんて。
 私は鏡に視線を戻して――息を飲んだ。
『……となりの、むこうの、きみ。……こえが、聞こえる……? ぼくの、声が……』
 それまで私の姿が映っていたはずの鏡が曇っていた。そして、聞こえるはずのない――私以外の声。
 声が聞こえる。鏡越しに――向こうの『あなた』と、繋がってる!
「……聞こえるよ。ちゃんと、私に、とどいてるよ……」
 声を潜めて、どうか届いてと祈りながら鏡に囁く。


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