なぎ
 中学の頃、一度だけ人助けをしたことがある。
 頭から服まで真っ白くて、わたしよりうんと大きな男の人だった。道端に蹲っていたその人に一度声をかけて、大丈夫だと言われたけれど放っておけなくて――近くの自動販売機で買った天然水を供えて、わたしは脱兎の如く逃げ出したのである。

「おはよう、ご飯できてるよ」
「……なんでいるの?」

 誰も居ないはずの広間の扉を開くと、母がエプロンをつけて立っていた。

「もう。昨日言ったの忘れた? お母さん、こっちに泊まるって言ってたでしょ」
「別にいいのに……あっちにいないと、おとうさんが困るよ」
「またあなたって子はそんなこと言って……」
「まーくんだってまだ小さいんだから、側にいてあげなよ。わたしは大丈夫だから」

 でも、ご飯作ってくれてありがとう。わたしは席につきながら母に言う。
「いいのよ、これくらい」いつもひとりにしてごめんね、と母が悲しそうな顔で呟く。やめてよ、とわたしは笑った。

「わたしがわがまま言って別館で暮らしたいって言ったんだから、おかあさんが謝ることじゃないでしょ。むしろおとうさんには頭上がんないよ、一軒家よりでっかい別館建ててくれたんだし」

 小学生の頃、わたしの両親は離婚した。とても仲睦まじい夫婦だったはずなのに、円満離婚だったという。そして離婚から一年が経たないうちに、母は今のおとうさんと再婚したのだ。
 新しいおとうさんはとてもお金持ちで、わたしのわがままでこうして別館を敷地に建ててくれるくらい大きな土地を持っていた。詳しくは知らないけれど、それなりに有名な家系の跡継ぎだそうで、母は再婚して一年経たないうちに、弟を出産した。
 この時点で、薄っすらと事情を察することができないほどわたしは無知ではなかった。
 お金持ち、円満離婚、再婚から弟が産まれるまでの期間――それは大人になればなるほど、わたしに生々しい現実を押し付けてくるものだった。

 おとうさんは優しい。それはきっと、わたしに後ろめたさのようなものがあるからなのだと思う。
 妻となる人が連れてきた血のつながらない子供。本当なら、厭うてもいいはずなのに、おとうさんもおとうさんの家の人たちもすごく良くしてくれて、金持ち喧嘩せずとはこういうことなのだろうなあと納得する。
 だから、わたしは離れて暮らすべきなのだ。
 そうして、頑張って勉強して、おとうさんに恥をかかせないようにして、大人になったら、この家を出ていこう。
 そうしたら、お母さんはきっとしあわせになれるのだから。

――

■月■日
おとうさんから日記帳をもらった。
数年単位で書ける、とてもぶ厚い辞典みたいな日記帳。
毎日はむずかしいかもしれないけど、ちょっとずつ書いていく予定。

■月■日
中学生になった。学校は、おとうさんにお願いして普通のところに進学した。
私はあんまり頭良くないし、一応、家でも家庭教師をつけてくれるそうなので、学校へ行くのはあくまでもコミュニケーションの練習のためだそう。


■月■日

■月■日

ととに会いたい

講師の人が怖い。男の人、嫌だな
差別主義者みたい

おとうさんがきた
大きなぬいぐるみをくれた。とりあえずありがとうございますと言うと、少しだけほっとした顔をしていた
かわいそう、自分の子どもじゃないのに
はやく出てかないと

親戚の人たちの集まりにわたしも出させられた
とても居心地がわるくて、家に帰って食べたものを全部吐いた。こわい

ととに会いたい

おかあさんはすっかりお屋敷の奥さんが板に付いてきたらしい。弟もすくすく育ってる。
はやく自由になりたい

講師の人いやだ
触らないでほしい

二年生になった
あんまり友達はできない。どこからかわかんないけど、うちのことが知られてるみたい
腫れ物扱いなのはつらいけど、いじめられることはないのだけは幸いだ。きっと知られたら、相手の子は社会的にころされてしまうだろうから。

図書館がすき
町の図書館で本を借りて、寝る前に読むのが最近の楽しみ
屋敷にある本は小難しくて頭が痛くなるから読みたくない

小学校の頃によく読んでた本、気づいたら倍近く刊行されてた
しばらくはこのシリーズを読む

人を助けた

昨日、人を助けた。まだ心臓がバクバクする
真っ白な男の人だった。道端にしゃがみこんでたから、一度通り過ぎたんだけど、心配で自販機で水を買って置いてきた。
一応、迎えが来るっていってたし、平気ならいいけど……

講師の人に服を脱がされそうになった
咄嗟に持たされてる防犯ブザーを鳴らしたら、お屋敷から執事さんたちが飛んできて捕まえてくれた
なんても、前から怪しくて泳がせてたらしい
私は餌にされてたみたいだ。そうだよね、それくらいしか使い道、ないもんね

夜は気持ち悪くて早めに寝た。

ずっと気持ち悪い

ととにあいたい

おかあさんにととに会いたいと言うと、ダメだと言われた
どうして?
わたしのお父さんなのに!

屋敷にいたくなくて、こっそり前の家を見に行った
ととがいた

ととはしらない女の人と幸せそうに笑ってた
目があった気がしたけど、そんなわけないよね
おかあさんがだめと言った理由がわかった
ずっと気持ち悪い

食欲がない
ずっと気持ち悪い

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い

みんなきらい

お腹がいたい

起きれないくらい痛くて、ずっと寝込んでたら、目が覚めたら病院だった

検査を受けて、ストレスで胃が弱ってると言われた

おとうさんからお屋敷で暮らさないかと言われたから、もう耐えられなくて施設に入りたいと言った
施設でもどこでもいい
もういい、離れたい
ずっと気持ち悪い

寝込んでると、ととの声が聞こえた気がした
そんなわけないのに

みんなきらい

捨ててほしい
なんでわたしばっかりがまんしないといけないの
もういやだかえりたい

お風呂に入ると、骨が浮き出ていた
げっそりした顔をしている。ひどい顔、まるで骸骨みたいで、おかしくてわらった。

3年生になった

最近は寒くて、あんまり教室に行けていない

給食だけ食べに行ってる
休みの日はだいたい寝込んでる。最近は図書館も行けてない

高校はおとうさんの通ってたところになりそうだ
どうでもいい

おかあさんと話すといらいらする
なんにもわかんない顔で触られるのがいやだ。触らないでと言うと、青い顔をしていて幸せな人だなと笑った
いいな、私はこんなにしんどいのに、幸せそうに笑ってる


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