02

「どうぞ」
「あ、ありがとう……」
「麦茶なんだけどお口に合うかしら。あ、変なものは入ってないから安心してね」

用意した飲み物を少年に差し出す。
とりあえず話を聞いてから警察に連絡するかどうか考えよう、悪い子ではなさそうだし。
たった一言二言話しただけだけど、困惑した少年の顔を見ればたぶん私より彼の方が混乱してるのは間違いなかった。

意を決したように麦茶を一口含むと、口に合ったようで、さらに喉が乾いていた少年は一気にそれを飲み干した。

「さて、まずはあなたの名前を教えてもらっても?」

なるべく柔らかい印象を与えられるような声音で問う。

「オレはスレイっていいます。助けてくれてありがとう」
「スレイくんね、私は在明といいます。……助けたというより君が私の部屋に倒れていたっていうのが正しいかな」

やっぱり外国の子かと名前を聞いて思った。

「オレがアリアさんの部屋に……?」
「ええ、玄関も窓も閉まっていたのによ。確認なんだけど、泥棒しにきたわけじゃないのよね?」
「泥棒?!いや、そんなことしないよ!」
「なら安心したわ、半分疑ってなかったし」

泥棒という言葉にさっと顔を青くして否定する少年、もといスレイくん。半分は疑ってたんだ……とぼやくのが聞こえたが、気づかないフリをした。

「じゃあ、目覚める前に何があったのか教えてもらえる?」
「……うん。遺跡探検から帰ろうとしてたんだけど、足場が崩落して……落ちたんだ」

スレイくんは言葉を選ぶようにぽつりぽつりと話し出した。彼が言うには、いつものように幼なじみと遺跡探検をしいて新しい発見があったものの遅いから帰ろうとしていた。が、足を踏み出した途端に足場が崩れ咄嗟のことに反応できず落ちて意識がなくなり、気付いたら私の部屋だったそうだ。
落ちたというんだから、天井には穴が空いてるはずだろうと見上げてみるが今朝と同じ状態だった。何より私の上の部屋は遺跡ではなく普通に人が住んでるので、言ってしまえばスレイくんの言い分はかなりおかしい。

……おかしいんだけど、彼が嘘を言ってるようにも見えなかった。

「玄関も窓も閉まってたし、私が帰ってきた時に落ちる音がしたからスレイくんが落ちてきたってのは納得できるんだよね。……問題は『どこから』ってことなんだけど」
「オレもそう思う。アリアさんの部屋の天井に穴は空いてないし……」

二人して天井を見上げて首をひねる。
穴に落ちたら元の場所とは雰囲気の違う見知らぬ部屋でしたって話は、物語の中でしかないと思う。完全にファンタジーな話になるけれど……スレイくんは別の世界から来た、とか。決めつけるのは早合点すぎるので次の質問をする。

「そうだ、スレイくんが住んでたところの名前教えてもらっていい?」
「イズチだけど……分かるの?」
「イズチ……聞き覚えがあるようなないような。でも、調べれば多分分かるはずよ」

世界は広いもの、私の知らない都市名が出てきてもおかしくはない。調べようとスマホを取り出した。

「わ、その薄い板は何?!」
「スマートフォンよ。……見たことないの?」
「すまー……?うん、見たことない!オレ、村の外には出たことがないから。遊びなんて近くの遺跡を探検することだったし」

スレイくんはスマホに驚き興味津々に見つめる。私より若いはずなのに、スマホを見たことも村の外に出たこともないなんて……よっぽど田舎で、治安が悪いところだったのかしら。
なんて思いながら彼の故郷の名前を検索にかけてみた。

「青森県にあるみたいだけど」
「アオモリ……?いや、イズチがあるのはレイクピロー高地にあるアロダイトの森を抜けた先のはずで、」
「れいくぴろー、と……何?」

彼の口から出たのは横文字の地名で思わず顔をしかめる。その様子にスレイくんも言葉を途中で止めた。

「……スレイくんの住んでたところの、大陸の名前は?」
「……グリンウッド大陸だよ」
「……ごめん、そんな大陸聞いたことがない。ちなみに私が知ってる大陸はユーラシア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極の6つだよ」
「……オレもその名前には心当たりがない、かな」

聞いたことがない地名と大陸。これは本格的にスレイくんが違う世界から来たという線が有力になってきた。とりあえずもう一度、彼から出てきた地名や大陸名を調べてみる。
しかし結果は近いものだったり出てこなかったりだった。

「あの、スレイくん。その……大変言い辛いんだけど、」
「……ここは俺の知ってるところじゃないってことだよね」
「……ええ」

重い沈黙が流れた。スレイくんを見れば、何かを考えるように目を伏せている。かける言葉が見つからず、どうしようか悩んでいると突然彼が立ち上がった。

「アリアさん、色々ありがとう。とりあえず自分でなんとかしてみるよ」
「なんとかするって、ちょ、ちょっとスレイくん?!」

なんとかすると言って笑うと、スレイくんは玄関の方に歩き出して私は慌てて彼を引き留めようと腕を掴んだ。

「……外は、あなたの常識が通用しないかもしれないわよ?」
「分かってる。でもオレは帰らなきゃならないし、これ以上アリアさんに迷惑かけるわけにはいかないから」

そう言われてしまうと引き止める理由がなくなってしまう。だけど、本当にこのまま彼を行かせていいんだろうか。治安がいいとはいえ、こんな美少年をほっとかない悪い大人はいないはず。それで、もし悪いことに巻き込まれたなんて知ったら……とてつもなく後味が悪い。
何より、ここまで関わってしまったのに放っておくことが私にはできなかった。

「じゃ、じゃあここに住めばいいと思う!」
「……え?」

私の言葉にきょとんとするスレイくん。我ながら突拍子ないことを言ってるのは分かってるけど、今とれる最善の方法がそれしかないと思ってしまったから。

「もちろん帰れるまでね。別のところから来たってことは、帰る方法もあるはずだろうし」
「でもそれだとアリアさんの負担になるんじゃ」
「ここまで関わっておいてさよならして、後で何かあった方がよっぽど悪いわ。仮に出ていったとしてスレイくんに宛はあるの?」
「……宛は、ないかな」
「でしょう。しかもここじゃ何かとお金が必要になってくるし、知識がある人が近くにいた方が安心するでしょ」

どこからその発想が出てくるのか自分でも驚きながらつらつらと理屈を並べれば、返す言葉もないのか黙ってしまった。
もちろん私の負担(主に金銭面)は増えるが、そこは承知の上だ。幸い三年分の貯金はそこそこあるし彼が帰れるまではなんとかなるだろう。考え込むスレイくんを見つめて決断を待った。

「……本当にいいの?オレ、何も返せないけど」
「ええ。私がやるのは生活のサポートだけだし……そうね、スレイくん家事はできる?」
「一応できるよ、自分で料理もやってた」
「なら、私に食事を作ってくれると嬉しいな。簡単に掃除や洗濯もしてもらえると助かるけど……そこは慣れてからの方がいいと思うし」

どうかしらと問えば、また考え込んでしまった。
しばらく考えた末、スレイくんが口を開く。

「……ありがとう、アリアさん。その、お世話になってもいいかな?」
「もちろん!帰る方法、見つけようね」

控えめな問いに笑顔で答えると、スレイくんは再度お礼を言って笑った。安心したのか先程より柔らかい顔になっていてほっとした。

ぐぅぅ〜……

と、同時に切ない空腹音が響く。

「……そういえばご飯食べてなかったね」
「あはは……あ、じゃあオレが何か作るよ」
「いや、今日はいいわ。外で買ってきたから……足りないかもだけど分けて食べましょ」

しまらないなぁなんて思いながら、スレイくんにリビングへ戻るよう促し、玄関に置きっぱなしだったバッグと晩御飯を取りにいった。難しい話はご飯を食べながらやろう。腹が減ってはなんとやらだ。

さて、異世界からやってきた少年と私の奇妙な同居生活がこれから始まるのであった。