「ふう…」

フロンティアSに保護されて数日経った夜。慣れない環境のせいか眠れぬ夜を過ごしていた私は、割り当てられた寝床から抜け出し彼らの拠点だというバスティアンの建物の中をあてもなく歩いていた。しばらくすると、不思議と明るい部屋を見つけて覗けば、天井にぽっかりと穴が空き、そこから月明かりがさしている。危険がないことを確認して、穴の真下から空を見上げると星が瞬いていたので、座って星を眺めることにした。

「…やっと見つけたよ、なまえ」
「?! と、…か、風澄、くん」

しばらくそうしていると、呆れたような声がして、私はばっと声をした方を振り向く。その時に、ここにはいない“彼”の名前を呼ぼうとしたのを慌てて飲み込み、言い直す。入口には“彼”と同じ顔に青い髪をした男の子―――風澄徹くんがいた。その手にはマグカップが握られており、優しげな雰囲気の目は、呆れたように少ししかめられている。

「拠点内とはいえ、出歩くのは関心しないな」
「ご、ごめん、なさい」

風澄くんはゆっくり近づいてくると、咎めるような声音で言って、私の隣に座った。確かに、眠れないとはいえ、今は夜だ。それにこの世界は…あっちとは違って野盗も、変質者も出るというではないか。そう考えると私の短絡的な考えはまずかったと感じて、素直に謝る。

「…まあ、仕方ないか。こっちに来てから、眠れていないみたいだし」
「え」
「目。…クマができてるよ」

うっすらだけど、と先ほどの声音とはうってかわって、からかうような口調で言われた。それと同時に、マグカップを差し出される。何やら湯気が立ち上っており、ほのかに甘い香りが漂っていた。

「ホットミルクだよ、よく眠れるように」
「あ、ありがとう。…いただきます」

無理していることがバレていたのが恥ずかしくて、私は目を合わせないようにしてそれを受け取り、一口含む。牛乳の暖かさと隠し味で入れられたはちみつの甘さが広がって、ほっと息をついた。
…とても、優しい味がしておいしい。思わず呟くと、風澄くんが それはよかった、と安心したように言った。

「…ここでの生活は辛い?」

お互い交わす言葉もないまま時間だけがすぎていたが、彼の質問によって沈黙が破られる。

「そ、そんなことないよ!皆よくしてくれるし、子供たちは可愛いし…!」
「そっか、それならいいんだ。…なまえ、こっちに来たときとても緊張していたようだったから」

はっとして彼を見る。風澄くんは、優しい眼差しで私を見ており、そこで自分を心配してくれていたのだということに気がついた。子供たちの世話や付近の警備で忙しくしている彼が、まさか私の様子まで見ていたとは。
…やっぱり、違う世界でも風澄くんは”彼”なんだなぁ。その優しさにきゅうっと胸が苦しくなるのを感じて、視界が歪むのを隠すように彼から目をそらす。

「なまえが眠れていないのは、鏡華が教えてくれたんだ」
「鏡華ちゃんが…」
「鏡華だけじゃないよ、もちろん子供たちも。だから、僕も注意して君を見ていた」

責めるような声音で言われた気がして、肩を竦めて小さくなった。鏡華ちゃんだけでなく、小さい子供たちにまで心配をかけるなんて。年上として失格だ、情けない。でも、それ以上に…ここの人たちは優しすぎる。こんな、得体のしれない人間に対して心配だなんて。心を許してしまいそうになる。
だけど、本当は。…本当は、私がいないと、自分たちの世界がなくなってしまうから、優しいだけなのかもしれない。

そう考えると、すうっと頭が冷静になって黒い感情が胸をぐるぐると回り始める。ああ、私はなんて、ひねくれているんだろう。彼らの好意を、疑ってかかることしかできないだなんて。

「なまえ、勘違いしないでほしい」

そんな私の様子を感じたのか、風澄くんが口を開いた。

「確かに僕たちは、世界の存亡をかけて、自分自身と戦い、君を奪い合っている。けど、僕は…どちらの世界も存続できる道を探しているんだ」
「……」
「その鍵が、君のNDSFにあるんじゃないかって予測している。今は、その確証はないけれど…それでも、可能性はあると思う。その可能性を確かなものにするためには、なまえの協力が必要なんだ。だから、僕を信じてくれないか?」

立ち上がった気配を感じて視線を風澄くんに向ければ、彼は優しい笑みを浮かべて私に手を差し伸べていた。穏やかに細められた目の奥に、確かな強い意志を秘めているのが見える。ここで彼の手を振り払えば、私はここにはいられないだろう。でも、風澄くんの目を見て、彼の言っていることが嘘だとも思えなかった。
…先程までの黒い感情はどこへやら。すっかり彼を信じてみたくなった私は、自分に呆れながらも伸ばされた手に自身のそれを重ねる。

信じてみよう。”彼”と同じ顔を、声をしたこの男の子を。もしかしたら、本当に…どちらの世界も存続させられる方法を見出してくれるかもしれない。

「…わかった、信じる。私は、皆みたいに戦う力もないけれど…両方の未来が存在できるように、信じることはできるから」
「…うん、ありがとう!約束するよ、2つの未来のために頑張ること。そして…なまえを守ることも」

風澄くんが空いた手で、私の頬を、頭を撫でる。手を優しく引かれたので、逆らわずに立ち上がると、青い瞳と視線がかちあった。
ああ、私はきっと、この青い瞳に惹かれてしまったんだろう。

「さ、そろそろ戻ろう。今日は冷えるから」
「うん」

手を引かれて歩き出す。風澄くんの後ろ姿に、ここにはいない黒い服を纏った優しい男の子の姿を重ねながら、私は目を細めた。

「…やっぱり、どの世界でも、”君”は君なんだね。―――徹くん」

そっと囁いた言葉は、目の前の彼に聞こえることなく、夜の冷たい空気に溶けていった。

交わらないふたつの世界

(私と君の世界は、こんなにも違う)

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 Title by 確かに恋だった(「届かないあなたへ7題」 より