あかるい影
 世界が太陽暦を廃止し、月光歴を採用してから2000年が経った。
 エンテクスト・エレクトロニクスによる宇宙開発利権の獲得がもたらした人類の生息圏の拡大は、やがて人間の五感に新たな感覚をもたらし、また、歴史の影で密やかに紡がれてきた鬼殺もまた大きく変えた。

「パイロット。こちら『本丸』よりオペレーター。損害報告」
「こちらパイロット。脚部ユニットに違和感がある」
「数値見ろ」
「モニターしてるんだろうが」
「あーあー、してっけどよ。全部俺に投げんのやめろっつってんだ。数値は許容値から60過ぎてる。60を違和感で済ませられる人間が『柱』やってんのどうなんだ?」
「システム的には問題ないんじゃないだろうか。そちらでパージできるか? こちらは少し忙しい」
「あ? あ、おい。残敵報告」
「6」
「バカタレ喋ってんじゃねえ!」

 インカムの向こう側でコンソールがブッ叩かれる音がした。煉獄杏寿郎は強化骸骨格の脚部パーツから破損ユニットが切り離されたのを見ずに知覚して、気合のギアを一段階上げる。いま喪失したユニットの中には推進機構もついていた。ここから先は自身の膂力のみで戦わねばならない。
 しかし不安はなかった。コロニーの影は視界が悪い。視覚補強ユニットがやられさえしなければ、『柱』たる自分が、たかが6体ごときの鬼に敗れるほどクソ甘い鍛錬はしていないからだ。

「おいまだ生きてるか鳥除け目玉」
「勝手に殺すなクソ野郎、なあこのコード変えないか?」
「ナマ言ってんなら「カスガイガラス」は出さねえぞ」
「すまない! すまなかった! いや待てお前来る気か!?」
「たりめーだバカ! お前今どこで戦ってっか自覚あっか!? 『睦月』だ!」
「そうだな」
「むーつーきーだ!!」

 月光歴の採用された人類連邦政府にあって、月は太陽に代わって信仰の対象となり、宇宙へ進出した各国家や大企業のコロニーは利便性を捨てた球形をとり、さまざまな国の言語で『月』と名付けられた。
 現在煉獄杏寿郎が宙域にて戦闘を行っている場所は『睦月』コロニーの影だった。これは今でいう東京にあたる。産屋敷の大本営、鬼殺隊の本拠地もここにあった。万が一があってはいけない。

「ロンドンのお偉いさんがたの来日シャトルの航路がちょうどそこだ、いくら産屋敷ったって日本のプロヴィンス以上のことは隠し通せねえと思え! 俺が出る。「カラス」を飛ばす。以降のオペレーターは、マァなんか適当に代わるだろ。いいか、『俺が出る』。遅滞戦闘に努めろ」

 ヘルメットのフロントシールドを揺らすような大音声の叩きつける音を最後に、『本丸』との通信はいっとき途絶した。

「あー……? あー、わかった」

 討伐数、再び1。煉獄は特に困った様子もなく、しかし少しずつ着実に宙域空間にまで適応した鬼を斬った。
 いやナチュラルに生身で宇宙に出るな。気圧差で凍って死んでおけ。そうもいかないのが不死(藤)の呪いに憑りつかれた鬼の宿命であるらしい。人類が生活圏を宇宙に移すのと同時に、鬼たちも当たり前みたいに宇宙に適応した。ざっけんな、ここまでくると笑える。
 橋本が、ここに、来ると言った。睦月コロニーの影で、煉獄はフロントシールドの奥でニマリと笑った。
 ならばやることは限られてくる。
 ひとつ、遅滞戦闘に努める。まずもって俺が先に斃れては意味がない。
 ふたつ、鬼を『睦月』から離す。これは橋本の獲物に起因する。
 これだけに努めれば、事態はもはや終わったようなものだ。橋本の『俺が出る』は事実上の戦闘終了報告である。
 マァ呑気に「じゃあ来るまで頑張るか」と行動を開始しはじめている煉獄だが、残敵数未だ5。これに囲まれて呑気している時点でたいがい煉獄もまともではない。

「エンゲージ」
「早いな! 距離は?」
「2光年」
「流石に嘘だろう」
「流石に嘘だよ。距離ヒトハチマルマル。直線で狙う。射角から出ろ」
「カウントは?」
「え? 今。あ」
「は!? ふざけるな!」
「あーッ!!」

 いくら壊れていようが脚部ユニットをパージするんじゃなかった。煉獄は多少どころか大層危なげな無茶ぶりで飛び上がり、デブリをいくつも蹴り飛ばして体勢を変え、ようとしたところで閃光に呑まれた。


***


 橋本によるリニア加速を用いた超速の高熱源射撃は、ただでさえいわゆるビーム兵器であるところを、さらに蝦蛄のパンチめいた過剰な威力と余波でもって対象を撃滅するバカ射撃だ。
 そもバカなのが更にバカなのには理由がある。その射程距離である。

「わかってたろうが俺が遠くから撃つって」
「わかってても回避行動できないのがお前の射撃なんじゃないか」

 『睦月』コロニー、産屋敷の所持する療養設備にて、やっかみを投げる声と受け取る声があった。
 やっかみを投げる声は包帯に巻かれたままプリプリとへそを曲げていて、やっかみを受け取る声は傷一つないまま林檎を剥いては包帯の口元に投げ込んでいる。

「お前ほんとうに「カスガイガラス」の航行距離何とかした方がいいぞ」
「それは本当にそう。これでどこぞの死地に間に合わなかったらお前どうすんだよ。届くけど」
「俺がやってるとこにフル装備で来たのか?」
「まあそうね」
「俺のこと大好きか?」
「大好きだからこんなサナトリウムくんだりまで来てるけど」
「んぶッ」
「茶」

 林檎を噎せる煉獄に、橋本がさっさと茶を差し出した。いたれりつくせりここに極まれり。すべて橋本の自責からくる手厚い介護であった。

 先の戦闘で、『睦月』コロニーの影に直列になるよう鬼をおびき寄せた煉獄の、真正面から橋本は超長距離射撃を放った。
 クソバカ蝦蛄パンチ射撃は文字通りクソバカで、何がクソほどバカかと言われれば、先述の通り射程と威力がである。

「お前の威力で1800まで撃ったら何秒かかるか分かるか? 3秒と少しだ。喋ってたら終わるんだぞ。その間に避けろって無理だろう」
「お前なら避けれると思ったんだよ、撃ったあとに思い出したんだよお前の推進機構全部パージしたの俺だったって。あやっべって思ったらミリ被弾してたから焦った」

 結局先日の戦闘では煉獄杏寿郎は強化骸骨格の電気系統を2割、脚部ユニットを丸ごと、電磁炎刀を二振、その他遠距離補助デバイスをたくさん喪失して帰ってきた。最初以外は全て煉獄が自身のみの戦闘で喪失した装備だったが、問題は最初のひとつだった。
 誤射である。自信の射撃の有効範囲を甘く見た橋本による、誘発的な被弾が原因の故障であった。
 超電磁砲とも呼ぶべき超長距離射撃は、直線のみにエネルギーを放出し続けるのではない。射線上に電磁を逐次逃がしながら放たれる。橋本の射撃のバカさは、距離に応じて威力が減衰する兵器で超長距離射撃を行って必ず当てるところである。
 必ず当てる、外しはしないが、その射線に近づけば巻き添えが約束されている。橋本がうっかり煉獄の脚部パーツがないのを忘れたまま撃ったために煉獄は負傷し、橋本は謹慎となって煉獄の世話を任じられた。
 かしましいながらも、和やかに時間は過ぎていく。戦場からひととき解放された、何千年目かの二人が、バカみたいにアホくだらん喧嘩をしながら、モリモリ林檎を食っていた。
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