こんな僕も君のヒーローになりたい
 今なんじゃない!?
 我妻は胸の内で眠っていた正義、みたいなものを燃え上がらせた。
 心臓は燃えているが指先はギンギンに冷たくて、みっともなく息は震えて、今にも膝から崩れ落ちそうだ。それでも今しかなかった。『それでも』は若人のみに許された魔法、手前で手前の背中を蹴っ飛ばす呪文であった。
 先方様の事情なんざ知ったこっちゃねえ。なんぞアレコレはあるんだろう。『それでも』。

「橋本先生!」

 我妻は結局アホみたいに声を裏返らせながら叫んだ。クソみっともねえ。胸にあった熱がぐんぐん顔に移動していく間に、アホ裏返った声をかけられた人物はゾンビのようにゆったりと振り返った。

「ァに(何)」
「おっ、俺と! 俺とデート行ってくんないッ!?」
「は?」

 やらかした。言いたかったのはこれじゃなかった。
 我妻はあれだけ滾っていた熱が全部足の先から消えていくのを知覚しながら、遺品整理のことを考えた。


*****


 週末のショッピングモールは思いのほか混んでいなかった。食品売り場はさながら戦場であったが、雑貨店エリアはぼちぼち歩きやすい。橋本は外出用の眼鏡を何度も直した。

「だからね? 禰豆子ちゃんにはピンクもいいと思うけど黄緑も似合うと思うわけ。でもやっぱ俺もあさましい男だから黄色いもんをあげたいなって思うわけ」
「へえ」
「黄色ってでもあんま無いのよこういうとこ。赤ちゃん生まれた時のプレゼント用ギフトとかだとよくあんのよ、黄色ってどっちでもいいらしいから。でも俺黄色くて年ごろで可愛いもんが見つかりたいのよ」
「さいでっか」
「だからね、橋本先生もキリキリ探して。黄緑か黄色の可愛い小物。プレゼント用のヤツ」
「あハイ……」

 ちょっと小洒落たスウェットとスキニーで、ただしく「友達と出かけるときの恰好」の我妻が、ティーン向けの雑貨屋でアレコレ並べ立て、手にとっては戻す隣で、橋本は居住まいを何度も正した。場違いにも程がある。俺普段雑貨屋ヴィレバンしか行かんし。「カワイイ」の坩堝で、いかに溜息を吐かないかのみに注力していた。

「で、結局デートって、本命の予行演習か」
「そう。禰豆子ちゃんとデートするときに失敗したくないの。練習台になってほしくて」
「そう言えばよかったのに……」
「それすらもトチるから練習が必要なんでしょ」

 結局我妻が言いたかったのは、「今度禰豆子ちゃんとデート行くから、その時に渡すプレゼント一緒に選びに行って」であった。どこをどう略したら先日みたいな事故を起こせるんだ。周囲のアホみたいに色めき立った学生どもを宥めすかしたり誤魔化したりしながら、我妻にちゃんと日本語喋らせるのがマジで大変だった。
 我妻は真っ赤になったり真っ青になったりしながらポチョポチョと詳細を話し、最終的には逆ギレか吹っ切れたか「じゃあ週末の何時にここねッ!」と吠えて逃げた。肯定も否定もする暇なくその場に置き去られた橋本は、当日ちゃんと指定された時間場所に来た。これで次の登校日にあの声量でなじられたらちょっと立ち直れそうにない。

「あーほら、これとかどうだ」
「目ぇケツたぶの間についてんの?」
「そんなに留年したいとは思わんかった。先生に任せなさい、来年度から竈門と嘴平と同じシラバスで勉強させてやっからな」
「ここで強権振りかざしてくんの嘘じゃん。教育委に電凸するから。え、あの橋本先生ですか? 生徒を無理やり留年させたことで全国ニュースになったあの? って来年の今頃言われてるんだからね」
「やってみろお前。地毛証明書出してから偉そうな口きけ」
「そういうの時代的にどうかと思う」
「それは本当にそう」

 そうしてグッダグダほんとうにくだらない会話をして、我妻は最終候補を二つにまで絞った。黄色のバレッタと黄緑のリップクリームを交互に見て、無限に唸っている。

「ちょっと、助けてくれてもいいんじゃない。何のために来てんの」
「お前のために来たんだけど」
「歯の浮くようなことよくも抜け抜けと言えるよね」
「実際歯ァ浮いてるからな」
「お食い初めしてよ奢るから」
「いらねえよ成人済みだわ」
「主張ガバガバすぎてついていけないよ」

 ウギギと歯ぎしりしながら、我妻はバレッタを売り場に戻した。

「いいのか? リップ贈るのキショいぞ」
「じゃあバレッタにするよッ! 役に立ったかと思ったらパンチしか出てこねえじゃん!」

 橋本の手からぺちーッとバレッタを奪い、「戻してきてッ」リップを渡した。

「片方でいいのか?」
「ちょっと予算超えんの。ここで使っちゃって本番エスコートできないんじゃ本末転倒じゃん」
「ほーん。色男じゃねえか」
「もっと言って!」

 調子のいいヤツ、と言ってやれば、違うと怒ってレジへ向かった。
 かわいいなあ。橋本の胸中としてはそんなもんだった。年若い少年少女の、完全に他人事として見る恋愛事情、かっわいい。もう親みたいな気持ちだった。若人が頑張ってるとこ見るだけで涙腺が緩む。誰が誰とくっつこうが心底どうでもいい、ゲロより興味ないが、それはそれとしてアオハルだなあとは思う。橋本は老婆心を自覚しながらも、我妻の後をつけて会計に並ぶ。

「先生も何か買うの?」
「おう。とんちゃんの首輪に鈴付けようと思ってたから」
「ふーん。あレシートいらないです。ありがとうございまーす。はい」
「どうも。お願いします」

 ちろり、視界の端で我妻を見遣る。可愛らしく誂えられたラッピングに、あげる本人がメロメロになっていた。橋本は気づかれないように少しだけ笑って、「レシートもリボンもいらないです」と言った。


*****


 昼下がりを少し過ぎて、フードコートに二人はいた。ミスドのトレーをそれぞれ持って、橋本は容赦なく山盛りに、我妻は遠慮がちに選ぶ。ここでも財布の紐は固い。

「お次の方どうぞ」
「先生前空いたよ」
「お。ほい」
「おあ!?」

 急に手元が軽くなって、我妻は奇怪な声を上げた。びっくりして見れば、橋本が我妻のぶんのトレーも持って会計に向かっている。

「ちょっと何してんの!?」
「お食い初めだろ? 奢ってやろうっての」
「乳児じゃないんだけど!」
「やかましいやかましい、お前ドリンク何にすんの。キッズのオレンジジュースでいいか?」
「ファンタ!」
「厚かましいな」

 笑いながら、橋本はファンタの一番でかいサイズとホットコーヒーを頼んだ。さっと会計を済ませて、イートイン用に皿に移されたドーナツを「重い、持て」と渡す。

「これ先生のほうのトレーのじゃん」
「お前が選んでたやつのほうが食いたくなった」
「はァ〜〜〜〜〜〜???」
「お前その顔デートでするなよ」

 我妻はまんじりともせずファンタを啜った。いいようにされている。どうにか出し抜いてやりたい。デートでのエスコートを練習する意味でも、年ごろの少年の負けん気としても。

「なに、気に入らなさそうな顔して」
「気に入らないよ」
「じゃあこれはダメ押し」

 橋本はやわらかく微笑んで、先ほどの雑貨店の包みを出した。

「なに」
「開けてみ」

 促されるまま我妻は開ける。中には、先ほど断念したリップクリームと、かんたんなラッピングキットが入っていた。

「お仕着せのラッピングより、お前が誂えた飾りの方が喜ぶんじゃねえの」
「はっ、は〜〜〜……????? 敵わねえこの大人」

 我妻はソソと目の前のテーブルを片付けて、ゴチっと額を落として突っ伏した。
 勝てない。こいつに、俺は、なにも。
 今回我妻が橋本を買い物に誘ったのは、ただしく「禰豆子とのデートで渡すプレゼントを一緒に選んでほしい」なのだが、実はこれだけではなかった。
 もうひとつ、橋本でなければいけなかった理由がある。「慰安おでかけ」である。
 前世も今生も、橋本は徹頭徹尾自分の仕事は自分でのみ成し遂げる男だった。それがどれだけ膨らもうが、どれだけキツかろうが、誰にも相談せずに一人でやる。今生では煉獄にこっぴどく叱られたり「煉獄ジャッジ! 過労!」とかなんとかチョップとともに慰労されているが、なんだかもう悪癖のようなものなんだと思う。橋本は今でも時折抱え込んではゾンビみたいな顔をしているのだった。
 車もなけりゃ資金もない、まして経験もない学生だ。できることなんかたかが知れてる。それでも、あの時よりかはもう少しだけ、人の機微に聡くなったと思っていて、だから橋本のソンビ化に気付いて、今度こそ俺も助けになりたかった。でも到底敵いっこない。無力だった。

「おい、顔上げろ我妻」
「やだ」
「上げろって。禰豆子とのデートでもそれやんのか?」

 言われちまえば上げるっきゃない。ムスリとした顔のまま額を浮かせた我妻は、向かいのテーブルでニヨニヨ笑っている橋本を睨みつけた。

「いい気分しねえだろ」
「しない。悔しい。ねえどこまでわかってんの」
「およそ大体は。アレだろ、顔死んでたから連れ出してくれたクチだろ?」
「ぐぅの音も出ない」
「悔しいよな。対等じゃねえからだと思うぞ」

 我妻は身を起こして橋本の言に傾聴する。

「禰豆子だって立派な中学生で、なんならそこらのジャリガキよりよっぽどしっかりしてる。お姫様扱いしてもいいだろうが、あんまりしつこいと食傷するぞ」
「身をもってわかった……」
「……でもな、うまくいかなくても、しようとしてくれている意思自体が嬉しいこともある。……ありがとな」

 橋本は笑った。まっすぐ我妻を見て笑った。
 この人、ちゃんと人の目みて笑うようになってたんだ。俺もこれできるまで結構かかったけど。
 我妻がやけに橋本を気に掛けるのは、前世の死別もそうながら、双方前世では育ちに難があったためだ。お互い幸せとは呼べないかもしれない育ち方をしてきた。なんとなく温かいほうへ向かう雛鳥の習性に似た無意識で、我妻は橋本によく懐いていた。
 だから、ちゃんと目を見て話ができるようになったとき、ほんとうに嬉しかったのだ。

「俺こそ。目、見てくれて、ありがと」
「おう。世話かけたな。……あー、あとな、俺普段マジ生活費ととんぶりと杏寿郎以外にあんま金使わんから、マジでいい気分転換になった。他人に金使うの楽しいわ。おい奢るからケンタッキー食わね?」
「それはマジで怒ったほうがいいよ。ケンタッキーなら俺あのパリパリのやつ食べたい。マジでいいの? 俺食うよ?」
「そのはけ口に今回なってくれたんで。その礼として、お前デートコース決めてるだろ。監修させてもらおうじゃねえか」
「せ……いや師匠ッ!」
「やめれや」

 今は敵わなくてもいい。敵いっこない。『それでも』。いつかこんな大人になるために、今だけ少し甘えながら、盗めるものを全部盗んでしまおう。そんでいつか、目の前で笑うこの人をもときめかせる最強の色男になってやるんだから。見ててよね!


*****


「これマジ一日の旅程か? 一日で動物園とプラネタリウムと温泉と晩飯行く気か? もう宿とれバカ」
「そんなお金がどこにあんの! チケット代でカツカツだよ!」
「だから削れっつってんだよ旅程を! 移動費と間のメシ代も全部出す気だろお前」
「あったりまえじゃん今更何言ってんの!?」
「そこからなんだよ!!!!!!」
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