11.ある部員の密告
 学校は、社会に出るために必要なことを学ぶ場だと思う。
 何に使うかよくわかんない勉強も多いけど、大勢と同じところで生活していくための術であったり、人との付き合い方を学んだりするのは、よくわかる。
 そしてそれは、部活も同じ。もちろんバレーについてもそうだけど、目上の人と同じ目標に向かって力を合わせる方法を勉強したりする。
 共用スペースはきれいに使う。挨拶をする。ドアの建付けが悪いから、ちょっと持ち上げながらノブを回す。
 いろんな事を先輩から教わる。しかし、烏野高校男子バレー部には奇妙な教えも存在した。
 曰く、「菅原をなるべく一人にしない。連れていかれるから」と。
 なんだそれ。連れていかれるからってどこに。
 舐めてかかっていたのは認める。僕はすぐにその認識を改めることになる。





「スガァ」
「はいはい何?」
「昼休みどこ行ってた?」
「三階の特別教室棟にいたよ」
「ほんとにか?」
「ほんとほんと!」

 放課後すぐの部室は騒がしいので、いつもは遅めに来るんだけど。たまたま早く来てみれば、田中さんは半裸で早くも大騒ぎしてるし、誰もそれを止めやしない。もういつものことだから。澤村さんと菅原さんが我関せず、ほけほけと花でも飛んでそうな会話をしてるのが耳に入った。
 ふと、菅原さんが「あれっ」とか言いながらエナメルバッグの中を弄る。やがて引き上げられた手には一枚のプリントが。

「おいそれ今日期限だったやつだろ」
「うーわ、やったわ。まだ始まるまで時間あるよな? ちょろっと行って出してくる」
「おい一人で行くな。誰かつけろ」
「ちょろっとなら行けるべ。んじゃ行ってくっから!」
「あオイ! あいつ」

 澤村さんが呼び止めるのも無視して、菅原さんはタッタカターと部室を出てしまった。

「月島」
「ヤです」
「せめて聞いてから判断しろ。べったり隣でなくていいから、あいつ監視してきてくれ」
「リターンはあるんですか?」
「坂ノ下商店でなにか奢る」
「一つですか」
「……二つ」
「アリガトゴザマァース」
「クソォ……」

 べつに不満を言ったわけじゃないのにナー。澤村さんは優しいナー。そんな顔をしながら菅原さんの後を追う。隣でなくていいとのことなので、とりあえず目につく距離で後から追うことにした。

「うーん間に合うべかな。ショートカットすっか」

 菅原さんはそんなことを言いながら校舎に入り、階段を上がって、角を右。長い廊下を小走りで抜けて、次の角を左へ。視聴覚室と音楽室をすぎた先が各教科の準備室だ。ここらで待ってた方がバレないかな。別にバレちゃいけない理由もないんだケド。
 なーんて思いながら角を曲がる。
 先を歩いているはずの菅原さんの姿が、なかった。

「ハ?」

 許せよ、そんな声も出るってもんデショ。さっきまで後を追ってた人が、曲がり角を境に突然消えたんだよ。
 近くの特別教室のドアが動いた感じもしない。どこかに入ったわけじゃない。ならばなぜ。
 考え込みながら踏み出した足が止まった。つま先が、リノリウムの継ぎ目を超えるのを、なぜか拒否していた。
 なんだろう。なぜかこの線を越えてはいけない気がする。思い起こすのは墓参り。意識のどこか奥深くで感じる非日常と、畏怖。
 くそう。主将からの命令じゃなきゃ、命令でも、こんなとこ行きたくない。行きたくないけど、行かなきゃいけない。どっしり重いため息を吐きながら、恐る恐る一歩を踏み出す。
 その刹那。

「うォい月島、そっちダメだ。これからちょっと騒がしくなるって」

 背後から腕を掴まれる。悲鳴も上げられないまま振り向けば、僕の腕を掴んでいたのは菅原さんだった。

「……ハ?」
「だから、ちょっと騒がしくなるって。めっちゃ人通るから、月島の体格だと大変だと思う」

 そういうことじゃない。なんで僕の前を歩いていたはずの人が後ろから来るんだ。道がつながってないわけじゃないが、この短時間で回り込めるほど近いルートでもない。なんなんだ。

「……外部のランニングですか?」
「いや、うーん、どうすんべ」

 菅原さんはいつも通りだ。穏やかそうなわりに強い表情金をムニャムニャさせてなにかを悩んでいる。しばらくして、「月島は口軽くなさそうだし、そういうの信じてなさそうだし別にいっか」と言った。何をだ。

「そこな、霊道通ってんだ。慣れてないのが入ると気持ち悪くなったり、最悪持って行かれるから」
「……何を」
「マ、色々」
「……ハァ」

 返事なのか溜息なのかわからない声が出た。なんだそれ。なんだ霊道って。バカバカしい。
 僕が二の句が継げないでいると、菅原さんがアッと声を上げた。

「部活! 遅れる!」
「誰かさんが変な真似するからですよネ?」
「変な真似じゃねーよ! 久々にやったけど」

 常習犯かよ。もう何も言う気力がなくなった。こんなことなら頼みなんか聞くんじゃなかった。部活の前に走り込みを余分にやるようなもん。大損だ。

「うーん、内緒ついでにこれも内緒な。大地めっちゃ怒るから。手ェ離すなよ!」

 僕が「え」とも「は」とも言えない間に、菅原さんは僕の手を掴んだままリノリウムの継ぎ目を超えた。腕を引かれて、抗う間もなく僕もリノリウムの継ぎ目を超える。


 音がない。さっきまで聞こえていた合唱部のピアノも、木がざわめく音も、なにもしない。明らかに異常。明らかに超常。何が起きてるのか全く分からない。

「こっちこっち」

 菅原さんは慣れっこみたいで、慣れた足取りで廊下を進む。さっきまで合唱部がいたはずの音楽室は、小窓からチラリと覗いても誰もいなかった。

「なん、なに、ハ?」
「最初はビックリするよなー。大地も旭もすげー怒るんだもん。楽なのに」
「何なんですか、ここ?」
「あっち側」

 ざっけんな! 僕は思わず声に出しそうになって、刺すほどの静寂がひたりと身を包んでいるのを思い出した。なんとなく、この静けさを壊してはいけない気がした。

「そうそう、廊下で大声で喋ったらダメだべ? ここもそうだよ」
「……ソウデスカ」

 瞬きをする間に場所が変わる。さっきまで音楽室の前にいたのに、次の瞬間には渡り廊下にいる。また瞬きをすれば昇降口にいて。頭おかしくなりそう。

「こうしくん」
「あ、トキタさん」
「さわがしくなるといったろう。いけないよ。なれないこまでつれてきてしまって」
「ごめんごめん、すぐ出るから。あこれウチの後輩。かわいいべ? あげないけど」
「そうかい。ざんねんだ。ともあれきをつけるんだよ。そろそろおうまがどきだ」
「オッケ。ワタナベさんとサワタリさんにもよろしく伝えて」

 壁の中に、ずる、と人影が動いた。もう叫ぶとか思う頭も残ってなかった。ただ音響、女でも男でも、子供でも大人でもない声がする。菅原さんは親しい人にあいさつするみたいに、イヤ実際ほんとにそんな素振りであいさつをする。
 なんだろうこの人。なんなんだろうこの人。凍え固まってた頭がゆるゆると動き出す。最初にはじき出したのは、理解不能から来る拒絶だった。
 足を突っ張って立ち止まると、菅原さんはすぐにこっちを向いた。

「……僕が誰かに言うとか、考えないんですか」
「考えたけど、ほら」

 掴まれていた腕が解放される。自分一人の足で立つと、地面はそこにあるはずなのにグラグラして、いやグラグラしてるのは頭で、いやほんとに頭だろうか。僕そのものがグラグラしてるんじゃないか。もうパニックになりそう。パニックになるというか、考える力がなくなってくる。僕はなんでここにいるんだっけ。

「例えば、このまま置いていったらそれで終わりだべや」

 ツラっとした顔で言うから、あんまりにもぞっとして、わずかばかり残った知性で菅原さんの腕にしがみつく。このままここに捨て置かれたら、なんだかもう「帰る」とかそんな次元じゃない気がする。

「例えだよ例え、こんな可愛い後輩置いて行くわけない」
「……どうだか」
「んはは! そんなこと言ってるとホントに置いてっちまうぞお!」

 快活に言うけど、菅原さんに置いて行かれたら僕はきっと本当に終わりだ。音のないここはなんだかうすら寒くて、そのうすら寒さがグッと増した気がして、僕は一層ぎゅっと菅原さんの腕を掴む。苦虫を何匹も嚙み潰したような顔をしている自覚はある。菅原さんはもう一回笑って、「あとちょっとだから頑張れ」と歩き始めた。



「早かったな」
「だべ? めっちゃ走ったもんよ」
「の割に涼しい顔してるな。お前またやったな! やるなって言っただろ!」
「アァーッ! 言い訳を間違えた! それかちょっと走ればよかった!」

 あの場所は時間の流れも変みたいで、戻ってきた時には僕が部室を出た時からあんまり経っていなかった。田中さんはまだ半裸だった。
 なんかどっと疲れた。気疲れがマジでやばい。これならシンプルに走った方がマシだったんじゃないかとすら思う。
 僕のゲンナリした顔を見て、澤村さんは一層怒った。菅原さんがピャッと僕の後ろに隠れて、大地さんは「ぐぬぬ」と怒気を収める。諦めたみたいに息を吐いて、今度は僕に言った。

「他言無用。いいな」
「ハイ」
「あいつ目を離すとすぐアレやるから、誰かしらが目を光らせてなくちゃいけないんだよ」
「光らせてても拉致られましたよ」
「スガァ!」
「月島ァーッ! 言うなってそういうこと!」

 菅原さんはついに部室を飛び出して逃げた。ちょっとして体育館からは先に出ていた日向の「スガさーん!」とアホ元気な声がする。
 なんだろう、ほんとに疲れた。あの人最高学年デショ、なんであんなに子供みたいなの。

「子供みたいッて思ってるだろう」

 澤村さんが苦虫を噛み潰したような顔で言う。きっと僕も同じような顔をしてる。

「七つまでは神のうち、ってことなんだと思うぞ」
「……あの人いまいくつですか?」
「聞くな。言ってやるな。そういう体質なんだろう、あんまり深く考えるんじゃない」
「そうします」

 学校は社会に出てからのためにいろんなことを学ぶ場だ。人との付き合い方、礼儀作法、その他その他。
 今日、僕はたぶんこの先もずっと大事になるだろうことを学んだ。
 触らぬ神に祟りなし。
 その後、いつまでも体育館に出てこない僕らを心配して様子を見に来た永遠の七歳児に、僕はちょっとキレそうになって、唇の内側を噛みしめてしまった。
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