13.”風紀委員会”
仰げば尊し わが師の恩
 教えの庭にも はや幾年
 思えばいと疾し この年月
 いまこそ別れめ

 いざ さらば


***


「ああー!? 始まってんじゃん!」
「たりめーだろ遅えんだからよお!?」
「そこまで言わんでもいいんでは……?」
「いやしかし便利な世の中になったよねえ〜!」
「久しぶりー、太った?」
「お? やるか? 今どこ住みだ行ってやんよサシでやろうぜ画面越しじゃなくてよぉ? どこの骨折られてえか言ってみな? やってやっからよ?」
「啖呵がよどみなく出てくるのヤッバ」
「啖呵より先に回線切れ出ていけお前」

 菅原がアプリを起動すると、見知った顔がそれぞれ枠に収まってひしめき合っていた。ある者は早々と酒を呑み始め、ある者はこれ見よがしに手の込んだ飯を食い、ある者は画面越しとはいえ人前に出るのに適さない格好で座っている。
 菅原はひざ掛けを肩にかけて、スマホを顔の高さに置いた。画面の向こう側からは「カメラチェックのフリしてキメ顔やめろ」「前髪を直すな前髪を」「あざてぇんだよなあ、あざてぇんだよ」と非難が轟々と届くが、相手は残念ながら菅原である。んなもん痛くも痒くもねえ男であった。わざとやっている。

「てかお前が主役みてえな顔して入ってくんなよ。主賓を待てよ」
「待ててない人が言っても説得力ないしょや」
「酒が俺を呼んでたから……」
「その年でアル中はやばいよ。こっから先飲みもの雨水にしなよ」

 ちろ、と舌を出した諏訪は「はいはい水ね」とこれ見よがしに日本酒を出した。こちらにも非難が殺到する。

「もう始めちまおうぜ。来るかもわかんねぇんだろ?」
「プロ連中は元から遅れるって話だったしな。それでもいいか」
「主賓プロじゃねえはずなんですけど?」
「プロだろ色々と」
「まァそっか」

 誰かが「じゃあ各々方ァ」と間抜けに乾杯の音頭を取る。菅原もチューハイを掲げて言った。

「故人を偲んで〜! かんぱーい!」


*****


 ちょっと友達に会いに宮城行ってくる、と言えば、母親は怪訝そうな顔をしながらも送り出してくれた。随分急ね、と言いながら、母は「あっちはまだ寒いでしょ」とヒートテックを持たせてくれ、父は「保険証持ったか、楽しんで来いよ」と声をかけてくれた。
 北から送られてきた新幹線のチケットは嫌がらせみたいに早い時間の便で、黒尾はほぼ徹夜で東京駅に来た。だって寝付けやしなかった。本当に海を救い出せるだろうか。そも救い出すという表現は適切なんだろうか。簒奪、とか言うんじゃないか。いろんなことを考えちまって、寝るには暴れまくりすぎている心臓を抱えたまま夜を明かしてしまった。

「クロ」

 主にスーツを着た人並みとすれ違い続けながら時間を待つ最中、珍しい声に呼び止められた。
 孤爪研磨である。孤爪は目をしぱしぱさせながら、犬岡を伴って立っていた。

「……お前も?」
「俺は早起き作戦。知ってるでしょ」
「そんな事もあったっけね」

 自分と違って「早起き」したらしい孤爪は、しぱしぱしたまま大きい紙袋と犬岡を黒尾に押し付けた。

「あのさぁ、案外気づくから。一年ブランクあるって言ったって、俺いつからクロと一緒にいると思ってんの」
「俺、俺も一年しか一緒にいれませんでしたけど! 何もわかんないほどバカじゃないんですよ! 海さんにたくさん教わってるんですからね」

 あのさぁ、の語り出しに相応しい顔で告げた孤爪に対して、犬岡は緊張でガチガチになりながら宣誓した。黒尾は正直何の話だかわからなくて、それでも、言葉をかけてくれる仲間がいることを嬉しく思った。短く返された黒尾の「ン、」には、万感の思いが込められていた。

「お! いるじゃん!」
「おいクソ猫! 眠そうな顔してんなよ」
「お二人とも声抑えてください。どこだと思ってるんですか」
「んに……」
「潜は起きて」
「仕方ないよ〜、マジねみぃわ。北? ってヤツ性格終わってんね。絶対前世で圧制者とかやってたでしょ、知らないけど〜」
「新幹線で寝ていいよって配慮じゃないですか。猿杙さんも声量抑えりゃ何言ってもいいってわけじゃないんですからね」

 にわかに馴染みのある喧騒が聞こえたと思えば、木兎と赤葦と猿杙、大将と潜が、これまた黒尾と同じくらい大荷物を抱えて立っていた。各々のお泊まりセットである。

「鷲尾は留守番だよ〜、空っぽにしても何だしねぇ」
「あかーしが帰ってくるとこだから大事にしねーと」
「うわぁ泣きそう。卒業しないでくださいよ。留年してください今すぐ。俺とか殴っときますか?」
「無茶言う……」

 赤葦はサッパリした顔のまま言ったが、これがわりと限界振り切ってるときの顔であることを梟谷はよく知っている。運動部員どもは多少のお泊りなんざ慣れたもんで、大きなカバンをひょいひょい抱えて改札を目指した。東京駅の、北海道とか長野とか上越とか秋田とか、とりあえずここから地図でいう上に行く乗り場のホームには、早朝ながら想像よりも人がひしめき合っている。運動部員どもは、赤葦と大将以外は上越のことをよくわからんまま、指定席のある車両を探すのに必死になっていた。
 改札を抜ける前に、ひとり残る孤爪が呟いた。

「一年ずーっと言ってたんだから、最後までちゃんとやってよ」
「なに?」
「俺たちは血液だ」

 黒尾ははっと孤爪を見る。孤爪の顔はひどく凪いでいて、思考は読み取れない。

「寝不足。貧血。脳が正常に働かない。早く戻して。四月からまた烏野とバチる約束してるんだから」

 ン、と黒尾の前にぶっきらぼうに出された手は、チョキの形をしている。黒尾はグニャリと笑って、グーを差し出した。


***


「あ゛〜〜んときの黒尾さんマッジかっこよかったですよ。少年漫画みたいでした。もう友情努力勝利ですよ。優勝です。やっぱあの年春高優勝してたの音駒じゃなかったですか?」
「強え強え幻覚が。犬岡そんな強え幻覚ニストだと思ってなかったわ」
「何だよ幻覚ニストって」
「ここにいる誰もあの年優勝してねえんだよ」
「俺らそれ見てないからそこで盛り上がんのやめて」
「知らない話始まった瞬間へそ曲げんな小学生か!」
「それこそ犬岡の出番じゃなぁい?」
「俺! 俺いま保育士ですよ。面倒見ましょうか」
「成人してる本人前にして言うの保育士として配慮がクソじゃない?  しらねえけど」
「花巻仕事探し中じゃん。やってみれば? 保育士」
「保育ねえ〜、勧められたのが煽られた直後じゃなきゃ考えてたわ」

 画面の中で犬岡が「それはもう」と熱く語った東京組の出発風景に、諏訪や桐生も感慨深そうにうなずいている。同じような旅立ちだったのだろう。遠路はるばるありがてえなあ。菅原は自分が東京にいくってなってたらどうなってただろうと考えて、結局宮城だったからいいかと思考をやめた。真に面倒見る人間が必要なのは菅原である。

「えーちょっとちょっと、やだやだ。地方勢だけで盛り上がらないでよ」
「お前も地方っちゃろ」
「日本の首都は仙台だやい。東京に何があるっての、建て直した江戸城だけじゃん」
「青葉城があるんだぞこっちは、俺たち青葉城西高校卒だぞ文句あんのか」
「ハハ、地方武士が吠えてはるわ」
「おい京都人いねえはずだぞ! 京都弁やめろ!」

 にわかにキャットファイトの雰囲気になりはじめた中、張本人の花巻が口を開く。

「ずるいじゃんこっち来る勢だけ胸アツ展開で楽しくなっちゃってさあ。俺らも言ったろーぜ」
「言い出しっぺの法則」
「俺この年になってもろくすっぽ理解してないから松川頼んだ」
「次会ったら張ッ倒すからマジ。んじゃあ宮城チームの話すんね」
「今のどこまでが本気?」
「どこまでも本気」

 松川は蛇のように笑った。こう言われると邪悪に思うし実際高校の頃はクソ邪悪に思っていたが、こうも年月が流れて、あんなことをブチかました後ともなれば、なんだか安心すら覚える顔であった。


***


「攻城戦で一番大事なことわかる人ォ」

 決戦の日の朝早く、すっかり着ぶくれた現地勢を前に松川はのんびーりと言った。内容と声音がまったくかみ合っていない。

「火力」
「速さ」
「補給と兵站」
「あマそれも全部大事なんだけどさ」
「なんだよ破綻が早えな、キメてくれるんじゃねえのかよ」
「俺は生きてるだけでキマってるからいい」
「こいつゥ」

 ぐっだぐだである。松川は寒さに赤くなった鼻をスン、と鳴らして言った。

「一番大事なのァ自陣の護りですねぇ。あっち行ってる間に帰るとこがまるごと奪われてたんじゃ、絵本の「おかえし」みたいだろ」
「なんそれ?」
「お前あの絵本知らないで育ったとかどうやってテセウスの船を理解したん?」
「待て待て待て全部待て」
「あーのねえ、ものをもらったからおかえしですーって最終的に家まるごと交換した二世帯の絵本があんのよ。すいませんねえ例えが下手でねえ」

 その後も松川は「オセロが無限に同じ枚数になり続ける的な」とかいろんな例えを尽くしたが、なんだかうやむやなまま「疲れた」と身振りしていた手を下ろした。

「さんざ色々例えに出したけど、俺たちがやろうとしてるのは死出の道をひっくり返そうって話なわけじゃん。理屈が違うんだよ理が。俺たちが「あちら側」まで行けたって、俺たちは「あちら側」には住めたりなんかしないよ。まして「あちら側」が丸ごとこっちに露出してもダメ、交換とか絶対ダメ。だので、メインでカチコミする連中以外は防衛戦と会場整備をするわけだ。さて、この二つをやるのに一番大事なのはなーんだ」
「人手〜!」

 伸びやかな声が上がる。まだあどけなさの残る見慣れない顔がいた。

「ちァす、白水館高校の黒石です。月島は会ったことあるよね」
「あんなの見せられた後でよく普通に話し出せるよね」

 げえ、と顔をしかめた月島と隣で名乗りを上げた黒石は白鳥沢主催の県内一年生強化合宿で面識があるらしく、月島ばかりが「知り合いじゃないです、知らない人です」の顔をしていた。

「まさか俺みたいなのも呼ばれるとは思ってなかったなあ。交通整理ぐらいしかできないけどいいか?」
「お前とはコート以外で話す気ないしコートの外でもっと話す気しないからいいでーす」
「やめろクソ川このクソガキが、白鳥沢だからって誰彼かまわずケンカ売るな。ウシワカだけにしろ」
「若利にも喧嘩は売るな、あいつ天然なんだから全部こっちに跳ね返ってくるぞ」

 白鳥沢の大平が「やめてやれ」と言うのに、及川は「今から罵詈雑言たくさん考えといてやろ」と静かにしていればきれいめな顔をグチャグチャにしている。ほかにも角川学園の古牧や和久谷南の花山が参加していた。どこからそんなツテが? と菅原が呟いたのに、松川が「お前は税金の仕組みとかのほうが先に知っといた方がいいよ」と耳打ちした。知らないことの方がいいことらしい。
 宮城チームからは菅原だけが「あちら側」へ行く手筈になっている。東京チームからは黒尾、赤葦、状況によっては木兎が行く。
 「あちら側」旅行のパイオニアたる菅原は、ここに来てやっと今までやっていたバグ技ショートカットの深刻さを理解した。これだけの人員を揃えてやっと多少の安心を確保、できるかできないかの離れ業であったのだ。
 下唇に力を入れた菅原が再び口を開く。

「あんさ、ここにいるメンツ、何基準で集まってんの?」
「だからナチュラルボーンは知らなくていいって」
「生まれ基準でそういう仕組みがあるってことか?」
「熱血バカのフリして地味に頭回るからお前嫌いだよ」

 セッターってなそういうもんでね、と言えば、松川は及川に向かって「そうなの?」と言いたげな顔を向けて、しかしすぐに菅原に向き直る。奥歯でなにかを噛むような仕草をして、白鳥沢被害者の会を主張する及川の声に隠れるような声音で松川は言った。

「お前の予想通り。仕組みがある。神社関係とか寺関係とか、ウチみたいな葬儀関係の家が入ってる労働組合みたいなもんがね。東日本の頭取が夜久んち」
「バレー人口多くない?」
「労働組合って言っちゃったし、なーんか硬そうなイメージあるかもだけど、なんかもう同業の親戚の集まりみたいなもん。あそこんちの誰々くんバレー部に入るんだってさ、お前もやってみたら? みたいな感じで」
「うわあ、なんか、なんか……」
「田舎の親戚の集まりみたいだろ、ほんとにそんなもんなんだよ。生まれ基準とは言ったけど、ウチは俺が就活したくないからウチに勤めようって思ってるだけで、弟らが何になりたいかは知らない。家がこんなだからって、なんにでもなったっていいからね」
「思ってたよりゆるいなあ」
「ゆるいよ。だから外部の協力者も多い。稲荷崎とかね」
「なんか……はじめましてが固いところで殴りかかってきた感がある」
「よく言うよ」

 菅原は、おっかなびっくり、の顔をしようとしたに違いなかった。が、松川の目に映っていたのは、遠足が楽しみで仕方ないクソガキのそれと全く同じ顔である。
 こいつ。松川は社交辞令的に口角をちょっとだけ上げて、この話は終わり、と菅原から顔を背けた。及川がすっかりプリプリと怒りながら「ちょっと何コソコソしてんの、会場一応お前持ちなんだからお前が号令かけてよ。分担終わったんだから」と声を上げている。

「ほら働いた働いた、菅原みたいなやつのために俺らがいるんだからさ」
「何すりゃいいの?」
「東京組が到着するまで知恵の輪でもやってれば」
「まだやることねえんじゃん!」
「なんでスガちゃんもホットになってんの!? 」

 及川と菅原によって賑やかになった人垣へ向かって、松川が「着替えるやつはさっさと着替えて」と言う。その間に松川は厚手のダウンを脱ぎ捨て、光るような黒い喪服が現れた。宮城イチ制服が似合わない男は、恐ろしいほどに喪服が似合う。

「……お前かっけえな」
「ありがと。そうだよ俺かっけえんだよ」
「黙って働いてくれ」
「はは、メロメロのくせによく言う」

 言葉を受けた一同が「先にこいつ殺しておくか……」と冗談交じりに殺気を滾らせたのを見て、松川は笑いながら手を叩いた。
 一度。二度。叩かれる音のするたびに、緩んでいた空気がしんしんと澄んでいく。きりきりと張りつめられていく。伸びやかな笑い声の中で、なにか調律のようなものが進んでいた。
 最後の拍手が終わる。松川は手を叩いた瞬間のまま離さず、しずかに合唱して祈った。故人の道行きの安寧であったり、事がうまく運ぶようにであったり、東京組の無事であったりした。

「これよりこちらはお式でございます。どなた様も手出し等されませぬようご協力をお願い申し上げます」

 誰の目も見ずに松川は言った。目のないもの達への請願であり、宣戦布告でもある。
 宣誓と同時に、張りつめていた空気が区画のようなものを形成した。花巻以外の全員が弾かれたように四方八方へ目をやる。及川が鋭く息を吸った。

「たぶん東京の連中、逃げるようにここに来るよ! まずはそれまで陣地防衛! 天橋立が潰れてたんじゃわざわざ太平洋沿岸でやる意味ないんだから!」
「たぶんじゃなくても追われてくる。道中の御膳立ては北と夜久が何とかしてると思うけど、宗家とはいえ未成年のガキンチョ二人がどこまで出せるかわかんない本気でどこまで凌げるかわからない。陣地防衛、兼避難所の確保だよ。余力残しながら死ぬ気でやって!」
「めちゃくちゃな注文やめろちゃ。けど、木兎がどこまで踏ん張れるかがわからんけん」
「はいはいわかってるよ! だから及川さんさっき言ったじゃんね道つくっといてって!」
「何の話してんの?」
「花巻はメルティーキッスでも食べてて。縁下ー、花巻と俺セットでここに碇下ろしといて!」
「うっ、え!? わからん、わからんけどやってみる」

 慌ただしく動き出した歓迎要員たちを見送って、葬式のかたちに誂えられた催事場はにわかに静かになってしまった。菅原はカチコミ要員なのでまだやることはない。松川はすっかり慣れた仕草で体の前に手を組み、背中に鉄芯が入っているようにまっすぐに立っている。

「そういうふうにできてるんだ。マ不都合も多いけど、この仕組みで、アオバロジティクスなんつってやってきた。風雲児にはわかんないかもね」
「そ……そう」
「あー何かっこいい話してんの。まっつんアホなこと言ってよ、下手に黙ってるとかっこいいんだからバカみたいなこと言って」
「やめろ、俺喋ってもかっこいいってことだろ。場の提供しかできないんだからかっこつけさせろ」
「生意気だぞ松川のクセに」
「待てよこのメルティーキッス限定のヤツじゃん。めっちゃうまいぞ」
「マジ? ちょうだい貴大。俺とお前の間柄だろ」
「うっはは! やめろマジそういうの! シャレんならねえから!」

 菅原の目に、松川の立ち姿は妙に凛として見えた。松川の家がやっている葬儀会社がいつから続いているか知らないし、アオバロジティクスが何のことかも全くわからないが、そこには「これまでこうやってきた」と語るような誇りが見て取れる。矜持と言ってもよかった。ネット越しに見たあの顔を、花巻以外の青葉城西のメンバーがしていて、しかし花巻も「こいつらが言うなら大丈夫」と微塵も疑わない顔をしている。いつだったか見せた遠慮がちな表情はかけらもなかった。
 たまたまこんな事件に巻き込まれてしまったが、これからもこの先も俺たちは、風がそうあるように、草木がそうあるように、ここであったりここじゃないどこかで在る。その一幕にすぎない。そう受け取れる余裕が、初めてづくしの菅原にはなぜかとても嬉しかった。

「……俺、大地と旭に謝んないば。清水にも。今までのこと」

 青葉城西のやりとりを見ていた菅原が、浮かされるように呟く。思っていたことがごく自然に口に出ていて、それに一切気づいてないふうである。岩泉が「どうした突然」と言い寄ろうとするのを制して、松川は微笑んでいた。フラグみてえじゃん、縁起でもねえなあと思いながら。


***


 赤葦が遅れて通話に参加したころには、場はすっかりお祝いムードであった。なんでだ。故人を偲ぶ会って聞いて来たのに。困惑したまま「……お疲れ様です?」と言えば、歓声が赤葦を出迎えた。

「お疲れ〜! お前の事話してたんだよ!」
「え俺ですか? なんで?」
「いや結婚したじゃん」
「な〜、あれビックリしたよ。もう詐欺じゃんって思ったね」
「案外効くんだねああいうのがね〜」
「あっ、うわあー、あーそうですか、案外皆さんまだ覚えてるもんでしたか」
「忘れようがねえんだよ何もかもがよぉ」

 赤葦は指先で困ったようにこめかみを撫でた。その仕草がどうにもたおやかに見えちまって、成人済みのガキどもはそっと目をそらす。どんな経緯であんなことになったか聞いてやろうと思ったが、なんだかそこまで野次馬根性があるわけでもなし、なんだか下世話な質問をしてしまうような心地がしたのだ。それはなんかちょっと気が引ける。あれだけのことをブチかました仲であっても、聞くに聞けないことはあった。

「もう時効な気もしますし、百物語の進捗も見た感じまだ余裕ありそうじゃないですか? 話してもいいですか俺の」
「おッ……オネシャス……」
「おい誰だ……!」

 最後の二人はごく小声であった。やめなよ男子レベルではなく、本気のひそひそ諫めである。なんてったって、冗談めかして言えるのは2割だけで、残りの8割はマジで本気の結婚なのだ。木兎と赤葦は、あの騒動の最中に結婚をした。一部の成人済みのクソガキどもは結婚=夫婦であり、夫婦=めくるめく世界である。いくら仲良しとか顔見知りったって、なんかそういう話を聞きたいわけではなかったのだ。少なくとも「おい誰だ」と言った奴は。

「じゃあ、話しますね。まず最初がかなり遡るんですが、俺が……」

 社会的な分別がちょっとついただけのクソガキたちは、一様に画面を注視して言葉を待った。食いつくためでもあるし、何かあれば爆速で逃げるためである。赤葦の薄い唇がゆるく弧を描いて開くのを、全員が見ていた。

「あの人に騙されて足の裏なん針か縫ったところからになるんですけど」
「えグッロ!?!?」
「なにそれ!!!」
「いたたたたたたた想像しただけで痛い」

 初めて聞く組が阿鼻叫喚の悲鳴を上げている中、爆弾をぶん投げた赤葦と、前もって聞いたことがある菅原だけが笑っていた。

「何落ちてたと思います? 歯ですよ歯。風呂上がりのふやけた素足でガチ踏みしたんですよ。そりゃもうバッサリいきました」
「痛い痛い痛い痛いレゴどころの騒ぎじゃない」
「しかもあいつだろ? 木兎だろ? うわマジかよ最悪じゃん」
「で、痛ぁ! っつって見るじゃないですか。もうないんですよ。消してるんですよね。は!? っつってる間に廊下が血でベロベロになっちゃって」
「俺今度からどんな顔でブラックジャッカルの試合観たらいいんだよ! 普通の顔して観れねえよ!」
「そんな方法で俺をかどわかしやがった野郎だったと思って観てもらえればいいと思いますよハハハ」
「ハハハちゃうが!?」

 おもしろーい、と真顔で言い放ちながら腿を叩く素振りをする赤葦は、素振りこそキレている人間がするそれであったが、2割冗談で結婚した相手へ向ける惚気のような顔をしている。
 穏やかな場の空気もそうさせているだろうが、時折誰かの画面の端に誰かが飼っている「何か」であったり、回線の遅れみたいな気軽さで怪異が映り込んでも、赤葦は悲鳴のひとつも上げなくなった。「あーね、まぁありますよね」みたいな顔で、触れもせずに涼しい顔をしている。
 最初に会ったときは、あれだけ暴れ散らかしていたのに。オンライン百物語にしずかに参加していた潜は、画面を見ながらそう思った。
 そりゃ、あれだけのことをしたんだもの。赤葦が地獄の流血を伴う馴れ初めを話して場を悲鳴に叩き込んでいる間に、潜はポヤポヤと「あれだけのこと」を思い出した。


***


「合図で車降り。降りたらミリも振り向いたらあかん。雷霆より早く会場まで走りや」

 高校生らしからぬ大人びた風体の男は、「稲荷崎の大耳や」と名乗った。木兎と赤葦は見覚えがあった。稲荷崎のフォロー役、と言えば聞こえはあまりよくないが、調子のムラの激しい宮ツインズを北よりも近くで制御して「品質」を保っていることを思えば、その実力と統制力、気苦労は推し量れようもの。木兎と犬岡以外の遠征組は下唇にキュ、と力を入れた。

「あなたまで関わっているとは思いませんでした」
「マ、バレーでしか知らんしな、お互い。俺も信介からお前ら護送せえ言われた時はホンマか? って2回くらい聞いてもたけど。一人増えとるし」
「ご迷惑おかけしてァす!」
「宮ンズんとこの! 久しぶり! 今年会えなくて残念だった!」
「俺は嬉しかったで、お前んとこと当たるまで気持ちの余裕あるわー思て。お前の可愛がってる子ガラスにまんまと食われたけどな。ハハハ」
「すげえ! 目がちっとも笑ってねえ」

 梟谷が久々の邂逅に沸いている隣で、潜は再びキュ、と唇を噛んだ。気合いのギアをさらに上げなければいけない。
 道中彼らが無事で済んだのは北の手回しと、潜のおかげに他ならなかった。彼は一行を安全な状態に"括り"つけ、害意の全てを"潜り"抜けてきた。それだけでも神業だが、道中に破綻がなかったのは何より敬愛する大将のフォローと無自覚のバフ、さらに沼井から待たされたお守りが関係している。
 お前が戸美のバレーを証明しろ、今度こそ。お前ならできる。お前にしかできない。
 そう言って渡されたのは、近所の神社の交通安全守と、以前潜が沼井に渡したお守りだった。
 ああ、そりゃあちゃんと帰らなきゃって思う。潜は、秋口に海が黒尾からニーサポを盗んで彼岸を超えにきたときのことを思い出した。
 ちゃんと沼井さんのとこに帰らなきゃ。でも俺だけ帰るのは嫌だ。キャプテンも連れて帰らなきゃ。赤葦さんも、海さんも皆みんな連れて帰らなきゃ。俺がちゃんとやるんだ。俺がみんなを連れて帰るんだ。
 細く長く息を吐いて、大耳の合図を待つ。極限の集中。指先が、口の中が、目がちりちりする。研ぎ澄ませ極限まで薄く。"潜り"込むなら存在は薄ければ薄いほうがいい。もっともっと。ひそめ。くぐれ。もっと深いところまで。

「そういえば潜、お前来年社会の選択授業なに取んの?」

 極限の集中のなか、突如ぶっこまれた大将からの質問はあまりに空気が読めていなくて、潜は思考の一切を止めてしまった。

「は?」
「いや、は? じゃなくて。来年度の社会科選択なに取んのって」
「日本史にしたらいいよ。俺教えてあげられるし」
「俺世界史にしようかなって思ってます!」
「政治経済にしたらええで。俺教えてやれるし」
「兵庫から教えに来てくれんの?」
「やぶさかやあらへんけど」
「俺世界史だった。ヌマは日本史だったな。ネコチャンは?」
「俺も政治経済。音駒で使ってたやつだけど問題集とかあげようか? 保存状態悪くないと思うし」
「なあ俺は!? 俺にはきいてくんないの!?」
「木兎さんどうせ自分が何選択してたかすら危ういでしょう」
「うぎっ……」
「ほら。木兎さん倫理だったけどアテにできないから倫理以外にしたらいいよ」

 ふと気づけば車の外には魑魅魍魎がうじゃうじゃいて、これからこの中を少なくとも動ける程度の怪我に留めて約束の場所までたどり着かなければいけない。そんな状況でこんな会話がぽんぽん飛んでいるのが潜には全くもって理解できなかった。すっかり二の句が継げなくなって黙っていれば、大耳が呆れたように補足をしてくれた。

「あんな、ここにおる人間、君以外全員先輩やねん。一番年下の子ぉがそんな顔して頑張っとって、何も気づかんような生きモンちゃうで。俺ら全員まだ高校生やからあんまり偉そうなこと言えんけど、この中じゃそこの子犬と君が一番守られてていい人間なんよ。君だけが頑張らんでいいように方々いろいろ手ぇ回しとるんや、俺らに黙って頑張りすぎんとって」

 大将がバツが悪そうに「あ゛あ゛」と首の後ろを掻いた。犬岡は「子犬って俺?」の顔をしているが、猿杙や黒尾も「あーあ言っちゃったよコイツ」の顔をしていて、潜は一層キョトンとなる。

「いえ……できるからしてるだけで……できなきゃ死にますし……死にますよね?」
「あー潜、それ以上やめたげなぁ。大将くんが先に死ぬから〜」
「うるせえ……死ねるか……潜を置いて……」
「その潜に殺されそうになってるんですよわかってますか」
「やめたれやめたれ、一年くんがパニックになっとる」

 大将が死にそう、と言われて、潜は真っ先に自分の不出来を責めた。俺が気を抜いたから? なにがキャプテンに届いた? もっと潜ればよかった? 守れなかった? まとまっていなかった思考は一層混沌を極めた。

「潜、落ち着いて。息しよっか。大将さん大丈夫だから」
「うん。あのね、大将は潜のことめっちゃ大好きだから、頑張りすぎないでほしいのね。俺らも同じだよ、てかそもそも人が目の前でめちゃくちゃ苦労しててウウーッこっちまでしんどい! ってならない奴多くないじゃん。あんねー、頑張りすぎられっと俺らがつらいから頑張りすぎないでほしいっつってんの」
「ここまで世話んなっといて今更、って思うかもしれへんけど、そういうこと」
「俺も大したなんにもできてないけど、これから働く予定だから!」

 代わる代わる肩を叩かれ撫でられ、潜は次第に深く息をついた。綻びのような息を吐いて大将を見れば、渋面のまま潜の手を取る。取られて気づいた、潜の手は握りしめられてギッチギチになっていて、人に手を取られなければ解けもしないほどであった。大将の手によってようやく解かれた潜の手は、手のひらにガッチリ爪が食い込んだ跡がある。血が巡りはじめてチリチリと痛み始める跡を、大将の手が何度も繰り返し撫ぜていた。

「……あのさ。無事に連れて帰りてえんだよ。俺はお前を」
「……俺は、みなさんを連れて帰りたいです」
「じゃあ協力してって」
「でも、だって、俺がやるのが一番いいんじゃないですか。”潜”れるんですよ」
「くぐんなきゃいいんじゃない? いっそ」

 あっけらかんと木兎が言う。全員が「それができりゃ苦労してねえんだよなあ」の顔をしたのを見て、きんいろの目が焦って付け足した。

「だからさぁ、くぐんなきゃいいじゃん。見つかんないようにするんじゃなくて、手出しできないようにすりゃいいんじゃねえの?」
「だからそれができれば何も苦労ないんですよ」
「できんじゃん! 俺とあかーし」

 木兎はきんいろの目をグリと剥いて赤葦を見た。こちらもきんいろになっている目が正面から受け止める。

「お前さ、こないだ言ったよな。新婚旅行に地獄行こうって。俺と行くならネノクニだろうと遊園地って」
「い……言いました。え? マジで言ってます? 俺今までこんなに自分の予想が間違っててほしかったことない」
「落ち着け赤葦、どうしたの」
「ちょっと待って耳だけ塞がせてもらっていいですか?」
「あかーし、俺とケッコンしようよ!」
「ウワアーーーーッ!」
「犬岡ァーーー!」
「え何ですか!? 全部ちゃんと聞いてましたよ結婚式ですよね!?」
「木兎ーーー! こいつついにやりやがった! マジかよ! あははは! 鷲尾にライン入れるわ!」
「うははははほんまコイツ嫌いや! あークソ! ここに信介がおったらなあ! うははは」
「え何? こわ。潜耳塞いでな。たぶん教育と環境に悪いぞコイツら」
「そうなんですか?」
「怒っていい? こっち一大事なんですけど」
「一大事だからケッコンすんの!」
「一大事を一大事で上書きしようとしてんじゃねえ!」
「そう! 俺が言いたかったのそういうこと!」

 木兎はばちん! と手を叩いて、直前に喋っていた黒尾を指さした。野次のうちひとりでしかないと思っていた黒尾はかすかにギョッとして、しかし木兎の補足を待つ。

「ようは黒尾が海んとこ行こうとしてるから総出で止められてるわけじゃん。優先順位ブッ壊しちまえばいいじゃん! ハレとケなら俺たちハレの方が好きだしさ」
「は? なんて?」
「待て待て待てツッコミどころめちゃくちゃあったぞ!」
「ああ! 木兎お前口滑らしよってほんまに!」
「俺が海んとこ行くのなに問題あんの?」
「あいつ殺しやってっからさあ、そりゃフクエキシュウのヤツがこっち来ました、それ助けようとしてるヤツがいますってなったら大騒ぎだろ」
「木兎!!!」

 大耳が今日一番のらしくないほどの大声を上げて木兎を諫めた。これ以上は言ってはいけないらしい。ここまで来てもまだ知ってはいけないことがあるのか、と潜は唇の裏側を噛む。
 対して、諫められた木兎はどこ吹く風であった。蟻に噛まれた象のようである。きんいろの目は一層きらきら輝いて、瞳孔いっぱいに赤葦を映す。

「俺、あかーしに言ったよね。あかーしの神様になるよって。本当だよ。あかーしが行けって言うならどこでも行くし、あかーしが行くならどこでもついて行く。わかるよね」
「……はは。そういう感じですか?」
「どういう感じ?」
「長めの鎖のついた手錠で片腕ずつみたいな」
「いいじゃんそれ! そうそう! そういう感じ!」

 木兎は、見かけに反して恭しく赤葦の手を取る。この人の手に、そんな挙動ができる筋肉がついていたものか。切れ長の目をさらに細めた赤葦は、乱雑に上から木兎の手を引っ掴んだ。

「じゃあこれがご実家にあいさつってことで良いんですね」
「ヤ、俺両親はふつうにいる」
「そうですか。じゃあ手ずから招待状渡しに行くってことで」
「夢見させてやるよ。めっちゃいるから東京ドームで式挙げような! よし決まり! 行こ!」

 ふたりにしかわからないような約束を取り決めて、木兎は周囲に一切の合図なくワゴン車のドアをブチ開けた。一同、特に大耳がギョッと目を見開くなかで、木兎だけが「おっしゃレッツらゴー!」と街にでも繰り出すようなバカクソ呑気である。

「クソ! もういい行きや! 健闘と無事祈っとるで!」

 大耳に吠えたてられ、木兎以外の一同は叩きだされるように車を降りて走った。ピンの抜かれた手榴弾を放り投げるような勢いであった。
 放り投げられながら潜はまたもパニックであった。外に放り出されてしまった。車の外には怖いものや退けなければいけないものがいっぱいで、俺は退けられるだけの技量も度胸もないから潜むことを選んだのだ。そんな只中に全員でペッと放り出されてしまっては、俺は、と目まぐるしく思考が回る。正しくは同じところをぐるぐる巡っているばかりで、回れてはいないのだった。

「潜! こっち!」

 目を見開いたまま何も見えなくなっていた潜の肩を、大将がつよく抱いた。そのまま運搬するように潜の肩を持って走り出した大将の目は青々としていて、あれっ、この人の目はこんなに青かったっけかと思う。

「あらぁ〜、土壇場でいいもの覚えたんだねえ。俺も真似さしてもーらお」
「何の話ィ!?」
「目の話だよ〜」

 押し寄せようとしては二の足を踏んでいる「あちら側」たちの間を爆走しながら、猿杙がにゅっと現れて笑って言った。大将の吠えたのに返している間の瞬きひとつで、特に明るい色なわけでもなかった猿杙の目がぱっと光る。光った、と思ったころには、深い青になってキリキリとあたりを睥睨していた。

「こんちゃーす! 俺たち今から新婚旅行でーす! そこのけそこのけ梟谷が通るぞー!」
「私物化しないでください! 私物化するくらいなら留年しろ卒業するなうおおお」
「ダハハハあかーしまだ言っとる!」
「一生言うが!?」
「あははははは赤葦気づいちゃいねえや〜。気づいたら日和りそうだからこのまま大笑いしながら待ち合わせ場所行こっか〜」
「なあマジでさっきから何事!? 黒尾さん何もついていけてねえ!」
「俺ふつうにジャージですけどドレスコードって言うんでしたっけアレ大丈夫ですか!?」
「大丈夫大丈夫、ついてこなくていいんだよ〜。関わらないでいいなら一生そうでいいし、関わったからってこんなん深追いするもんじゃないよ。事故で半身不随になるようなもんなんだから〜」

 その点犬岡はマジ一回海のこと殴っていいと思うよお。普段よりぎらりとあかるい色の目で、しかし普段の口調で言う猿杙の頬はしかしていつもの笑顔を浮かべてはいなかった。心底、といったふうである。
 潜はそんな猿杙の顔を見ながら、自らの肩を抱く大将の手に力が入ったのをなんとなく感じる。どうしてキャプテンは今の話を聞いて力を込めたんだろう。もはや少しも動かなくなった頭のまま、足だけはしゃかりきに動かしながら、潜は大将の顔を盗み見た。

「持っていかせてたまるか、戸美のバレーは赤間と潜が繋いでくれるんだ、持っていかれてたまるか、俺たちのバレーだ!」

 大将もパニックであった。こんな色をしていたかしら、青い目を忙しなくあちこちへ牽制のように向けて、浮かされたようにぶつぶつとそんなことを呟いては、食い込むほどに潜の肩をつかんで離さない。
 ふと潜はあたりを見回した。目の届く限り怖いものは蔓延っていて、しかしその海原を船首のように木兎と赤葦が切り裂いて、つづいて大将と彼に引っ掴まれた潜が、すこし遅れて犬岡が、その後ろに黒尾が、殿を猿杙が走っている。いま自分は集団のまんなかにいるのだ、と思った。
 守られているのだ。

「……キャプテン」
「あ!? 何!? もう走れねえか!? 担ぐか!?」
「まだ走れます。あの、おれキャプテン好きです」
「あっそ! 俺の方がもっと好きだし、ヌマに言ってやれば!? クソ喜ぶから!」

 浮かされたように出たとはいえ、告白であった。それを「あっそ」で一蹴され、挙句「沼井に言え」と言われてしまえば、人間の感情四年生、コミュニケーション一年生の潜はガガン、となるしかない。ええ〜、と思いながらも走っていると、後ろから黒尾が「へったくそ!」と爆笑するのが聞こえた。

「うひゃひゃ! 大将くんも大概コミュニケーション赤点だよね!」
「副主将とディスコミュしてたやつに言われたかねえんだよバァーカ!」
「うっわ一番刺さる形の武器ブッ刺してきやがったこいつ!」
「俺にもダメージ来るんでなんかこう、変えてもらえないですか! 言い方!」
「なんぼでもブッ刺してやるよ! 反省しろ! こんなこと巻き込みやがって!」
「大将くん一番大事な日本語が抜けてんでないの!」
「うるせえわかってらあ! 潜を! 潜を巻き込みやがって! 二度とこんな危ないことさせねえからな! 大事な後輩なんだよ!」
「は〜い! もういいで〜す! 神隠しんときも五億回聞きました〜! どいつもこいつも惚気ばっかり! あーやだやだ! 春だねえ!」
「わはははは! ねえ後ろ何めっちゃ楽しそうにしてんの!? ずるくねえ!? 余興なら本番でやって!」
「もうツッコミませんからね俺は! アンタとならどこだって楽しいって、ええ確かに言いましたけどなんか毎回爆走してる気がしてきました! そろそろやだ! 空き缶つけたオープンカーとか用意してくださいよ!」
「がんがらがんがらがんがんがん!」
「誰が口で言えっつった!」

 事態は相変わらずひっ迫しているが、なにだか先輩たちがガチャガチャ楽しそうにしていて、潜はずっと張りつめていた気持ちをすこしだけ解いた。目の端に入っていた力が抜けていくのがわかる。食い込むほどに掴んでいた体から力が抜けたので、焦ってこちらを見た大将と目が合って、大将の青い目のなかに映る自分も群青の目をしているのに、なんだか安心した。

「大丈夫か!?」
「はい。……あ、みなさんも好きです」

 好きなものを好きだというのは難しいし恥ずかしいし、とにかくハードルが高い。しかしここでなら、言える気がしたのだ。自分が守りたい人たちと、自分を守ると言ってくれた人たちの前でなら。

「戸美のバレーも大好きです!」
「お、なになに言霊〜? いいじゃん言ってこ〜。俺帰ったら大根おろし味のガリガリ君プレゼンパワポ作る〜!」
「生存報告して卒業生挨拶の原稿出しに学校行かなきゃなんねえ!」
「え今年キャプテンが贈る言葉やるんですか!? 楽しみ〜! バレー部のこといっぱい言ってくださいよ!」
「ああ俺もです! 卒業生に贈る言葉の原稿書かなきゃ! 生徒会長がやればいいのに! クソ!」
「え今年あかーしが贈る言葉やんの!? ネタバレじゃん! あーあ卒業式の楽しみがボタン全部なくなるまで何分かかるかタイムアタックしかなくなった」
「転べお前! スネにでっけえ青タンできるくらいなんか、すごい転び方で転べ!」
「三年生に今の時期転べって言うやつサイテー!」
「うるせーーーー! むちゃくちゃ腹立つなーーー!」
「沼井さんも好きです! みんな好き! 勉強もバレーも教わりたい!」
「あーよしよしよしマジで世界で一番かわいいな! いくらでもなんでも教えてやるからな! でもまず帰ったら死ぬほど褒めるからな! よく頑張ったなって褒めるから!」

 クソバカな大声を出し合って、一行は駆ける。中継地点でサポートに待っていた諏訪や花山が「あれ何やってんの? 俺らめちゃくちゃ張りつめて待ってたのに?」と言うのもそっちのけ、あれが好きこれが好き、ああなりたいこうなりたいを叫びながら走る。

「おい、そこ右曲がれ! あと少しで式場だ! 青葉城西と烏野が待ってる!」

 そうこうしている間に行く道は残り僅かになっていて、遠くにこっちだと手を振る及川が見えた。見えて、及川もまた噴き出して大笑いした。

「だっははははははは! 何!? 何やってんのあれ! 頭おかしいんじゃないの! あははははは!」
「うわっ! えっ!? 黒尾さん!? 気でも触れたんですか!? 薄々思ってたけどついに!?」
「聞き捨てならない暴言飛んできたけど! ツッキーもう一回言って怒らないから!」
「絶対怒るやつなんですよそれ! 何したんですかマジで!?」
「おい松川、息してるか」
「花巻、これ終わったら俺メガネ買いに行くから似合うの見繕ってよ。生きてはいるけどたぶん俺今正気じゃないんだ……」
「そこの人〜! 大人のひと〜!? ごめん全部現実〜 ! 開けて〜!」
「タメなんだよクソ野郎が……」

 松川が縁下と菅原になにごとか指示を出している間に、境界線はぐいぐいと近づく。それと比例して、近づけないなりに阻止したいらしい「あちら側」も蠢きを増す。ああなんだか、敵味方関係なく、なにかひとつを必死になって追いかけているこの感じ、バレーみたいで好きだ。潜はそろそろ酸欠気味になってきた頭で思う。形は痛いほど色濃く表れているが、それを形容することばを未だ見つけあぐねていた。

「サッコーイ! こっから先ァ一直線だぞ! 生きて戻って牛タン食うべ!」
「一つの怪我もするなって言え! こんな時期に血なんか見たくねえよ! 春夏秋冬年中無休で見たくなんかねえがよ!」
「もういいお前らそのまま行け! 戸美のふたりはここまででいいから! それ以上やったらマズい!」
「縁下頼む! 今!」
「はいっ! ば……抜錨します!」

 縁下が、なにかを抜いた。エレベーターなんか比じゃないほどの浮遊感が一瞬あって、そのうちに音駒の二人と梟谷の三人がぐんぐん「薄く」なる。
 ああ、往くんだ。潜は赤葦たちの背中が遠のくのを見て、はじめて「括り」たい、「潜り」たいではなく「繋ぎたい」と思って手を伸ばした。
 痛むほどに目の端がひりついて、なにかが引き延ばされていく感じ。自分自身が紐になるような心地だった。このまま死んでしまうんじゃないだろうか、キャプテンに肩を抱かれたまま。
 けれど、それでもいいかと思えた。心から敬愛するひとの一人に肩を抱かれて、心を繋げることを教わるきっかけになったひとを助けられたら。死にそうになったとて、ここにいる人たちは「あっち」のスペシャリストだから、何とかしてくれそうな気もする。
 だいすき。そのきっかけともう一度話がしたい。あわよくば約束したおでんが食べたい。もう見ないふりはできなかったし、胸の内にあるおおきな形は、きっと、それこそ「だいすき」とかいう名前がふさわしい。
 悟るにはまだ早いかもしれないけど、何度もやめてしまおうと思った人生だったけど、これに出会えたなら生きてきた価値はあった。でもここで終わりたくない。何度だって出会って、少しずつでも話をして、あわよくばバレーがしたい。戸美のバレーがしたい。そのために必要なものを何一つ失いたくない。必死じゃんって笑いたければ笑えばいい。だって俺は、これが、だいすきだ。
 北国にふさわしい冷気の中で、悲願と此岸が混ざるこの場所で、背中と一緒に遠のいていく意識の中で、浮かされたように伸ばされ力をなくしていく手の中で、沼井から預かったお守りと大将の手と、心臓の上だけがひどく温かかった。


*****


 コミュニケーション中学二年生になったばかりの潜には、この場をどう切り抜けていいかわからない。唇にぎゅっと力が入ってしまって、湿らそうと持ち上げたチューハイの淵をちょこちょこつつくぐらいしかできない。通話アプリでのオンライン同窓百物語会にはほぼ当時フルメンバーほどの人数がいて、画面の中に分割しきれない懐かしい顔があっちやこっちで話している。潜は画面をあちこちスライドして、せめて喋っている人がいない画面を探すしかできなかった。
 一番端の画面に落ち着いたところで、さらに新規の参加者がある。癖のある声で「あー今何の話ィ?」と挨拶した人物に、潜は一も二もなく助けを求めた。

「優さんお疲れ様です、助けてください」
「え? おお潜おひさ。何? 助けてってなに? どいつ?」
「ヤッベおいモンペ来たぞ」
「いや内容によっては許してくれるって」
「お前ら俺がいない間に潜に何してくれてんだよって。オラどいつからでもいいぞシャキシャキ吐けや」
「こわぁ〜。褒め殺してただけだよぉ」
「そうそう、ほんと助かったってか潜くんがいないとマジどうにもなんなかったよねって話」
「固有名詞と形容詞しか出てこねえ会話だから門外漢さっぱり意味わかんねえけど、むちゃくちゃに褒め倒されてることだけは分かる会話してたぞ」
「アレとかあっちとかああいうのとかですね。何の話してるんですか? 尚保がバチボコに褒められてる以外何もわかんなかったですよ」
「よくわかってんじゃねえか俺も潜が一番頑張ってたと思うよくわからんけどでも人の困ることやっちゃいけませんって幼稚園児でもできまちゅよウチの子褒め殺すのは俺たち戸美だけって天地開闢前から決まってんでちゅからねわかりまちゅかァ〜」
「うわ聞いた? いまの一息だったぜ。強火のオタクでも一回はブレス挟むよ戸美の後輩愛マジおっかねえな」
「いつでもこっち引っ越してきてよかよ」
「兵庫でもええで」
「長野もいいぞ」
「外様大名どもは黙っててくれる?」
「それ蔑称として使う人間初めてだよ。豊臣に謝れ」

 例によってガチャガチャくだらん話が盛り上がっているなかで、幾人かが浮かない顔をしている。人の面持ちの機微に聡い犬岡が流れをぶった切って声をかけた。

「なんか浮かない顔してる人何人かいますけどどうしました? 体調悪い? 水いっぱい飲んで胃薬呑んでくださいね」
「飲みすぎ前提で心配すんのやめろ、さすがに分別あるわ」
「さっきから呷ってんの諏訪だけだろ」
「いやだな潜くんもチマチマずっと呑んでるじゃん。さすが戸美ってねうわばみってね」
「誰かこいつの近くに住んでるやつと連絡とれるか? カチコませて水飲ませろ」
「いや平気この量じゃまだ誰も止めに来ない。俺は良いよ、誰? 具合悪くなった? 祓おうか? 普通に寄ってきてるし」
「うわうわうわうわ普通に言うもんそういうこと」
「あんだけやっといて今日びチキってんのは流石にカマトトが過ぎねえ? んで具合悪い奴いんの?」

 誰だ誰だ、と声が沸くなかで、ひとりの手が上がった。

「あのさあ、具合悪いわけじゃねえんだけど」
「花巻ィ? お前鉄壁のくせに。数年見ないうちにエラッタされたか?」
「エラッタってなに?」
「弱体化というか下方修正というか。大丈夫? とりま水飲みな」
「うん……うーん……」

 花巻はチューハイで口を湿らせてから、歯切れ悪くしばらく唸った。周囲が「だから水を飲めと」と囃し立てるのに堪えかねて、放り投げるように口を開く。

「なんも覚えてねえんだけど。決着した時のこと」


 次に言葉を発したのも花巻だった。「えっ?」言ったあと、誰も言葉を継がなかったのに心底驚いて狼狽えた。なんで全員黙ってるんだ。今までのノリでいったら間違いなく「あ分かる〜」とか「そりゃお前ねーべ」とか来てもおかしくなかったのに。自分一人だけがなにかズレているんだろうか。楽しい同窓会だったのにすっかり嫌なドギマギをしちまって、花巻は誤魔化すように言葉を続ける。

「いやさ、なんか最後に「お前西野カナ歌え! トリセツ歌え!」とか「これからもどうぞよろしくねって歌え! 言われなくてもずっと大切にしてやるってんだよボケが!」っつって勢いでカラオケ行ってオールしたのは覚えてるんだけど、肝心のオチというか。結局どうやって終わったんだっけ? ってらへん全然覚えてねえのよ。覚えてるやついねえの? 俺だけ?」
「……俺もだ」
「俺もです。卒業式のことは覚えてるんですけど、どうやって卒業式出たんだっけ」
「えっ怖い怖い!」

 集団パニックだった。多少の心霊現象を「あれに比べたら全部ザコ」と躊躇なく言い放てるほどの大事件、その顛末だけが記憶からごっそり抜けている。かなりの割合が「覚えていない」と告白し、黙っている面々も何かを考え込むようにしている。それでもって長考している面々は大体「つえーやつ」なので、それが一層花巻や犬岡を不安にさせた。

「やめろ、やめろって。誰かなんか言えよ」
「……言えないって」
「せや。言えん」

 今まで聞き覚えのない関西弁が飛び込んできて、一同は画面をスライドしたり表示を変えたりして発言者を探した。
 北であった。

「覚えてないことは言えんやろ。言えないことは知らんねん。知らんことは覚えてられんやろ。そういうことや」
「そ、そういうことです」
「そういうことなら仕方ないんだよなあ」

 諏訪と松川が言葉を継いだ。北の発言を補強するような素振りであった。
 一部のメンバーは腑に落ちない顔をして、「でも」や「だって」を続ける。だって納得いかなかった。あの戦いの激しさなんて、覚えていないけれどきっと労災が出てもおかしくないほどで、それぞれがそれぞれのアイデンティティや矜持をありったけ賭けて臨んだ最終決戦であったはずなのだ。それを覚えていないなんて信じられなかったし、同意のない人為的なものであるふうなのがもっと信じられなかった。
 か細く続いていた「でも」と「だって」も、ついには途絶えた。誰も何も言わなかったからだ。孤立無援が一番人の精神的な体力をブチ削る。心臓のうえのあたりがどっしりと疲れてしまって、ついには全員が黙った。

「信介はまたそうやって、人怖がらせることばっか言うのやめなよ。本当に」

 異様に。
 朗らかで、懐かしくて、なんだか憎らしくて、そんな声が電波越しに聞こえた。
 一同は再び忙しく画面をスライドしたり表示を変えたりした。菅原はその操作をしている間、なんだか呪いが解けたみたいだと思った。なんか急に動けるや、息が楽だ。
 そうしてその顔を見つけて、菅原は今まで簒奪されたものを思い出した。

「……あー、俺、大地たちに謝んなきゃいけないから、やるならちょっと待ってくれる?」
「あ菅原くん? 久しぶり。みんなも久しぶり。お元気そうで安心した」
「あんた、いや、知ってましたけど」

 画面の中には、「いや本当マジすまねえ」みたいな素振りで手を合わせて詫びている黒尾の隣で、呑気にレモンサワーを傾けている海がいた。

「でもたまにこういう会はやったほうがいいのかもな。綻ぶもんだ」

 言うが早いか、オンライン百物語故人を偲ぶ会の参加者全員の家にインターホンが鳴った。松川がか細く「マジ? 俺んちも?」と呻く。

「……あのさー、俺これ本当嫌なんですけど。なんか申し訳なくて」
「一番申し訳ないのは俺だよ。自分が死にたくないからってここにいる人全部巻き込もうっていうんだから」
「えッ、怖い怖い怖い。何? マジで」
「突然来て思わせぶりなことばっかり言ってごめんなあ。皆出てくれるか? インターホン鳴っただろ。雰囲気だけ怖いけど、怖いこと何もないから」

 あれに比べたらなぁ。海は分厚い唇をモニモニ揉みながらほろ酔いで言うが、北や一部の参加者以外は「あれ」がわからない。なので、現状今が一番怖い。
 一人、また一人。そろりそろりと席を立った。画面の中は映るべき人がいなくなって背景ばかりが映っていく。

「いやあ、まあでも、寂しいものはあるよなあ。俺だって人間だもの」

 もの寂しくなっていく画面のなかで、海が呟く。黒尾が思うところありげに合掌したまま親指の付け根で額を擦っていた。

「……あのさ、海。これだけ言っとく」

 まだ画面の中に残っていたのは、菅原と赤葦だった。すっかりシャープになった頬が切なくて、海はサワーを置いて「はい」と応える。

「赤葦、言ってやって」
「あのですね、海さんに教えてもらった色んなこと、あなた方が思ってる以上に覚えてますから。忘れてないんですからね」
「そうだぞ。潜くんだってずーっとおでん食べたいって言ってたんだからな。あの後ご馳走したべな?」
「あっうそ。そうなの? まだしてない」
「してやれよぉー! ほんっとにずっと言ってたんだからな! マジよすがだったんだぞ」
「海さん黒尾さんにニーサポ返しました? 黒尾さんもずっと言ってましたからね」
「あっ、あ、それは返しました。ね」
「ええ返してもらいましたよキッチリ耳そろえてなあ」
「俺もちゃんと身の振り方覚えましたよーだ。俺今教員だぞ。教員だぞ? あんだけ先輩風ぴゅんぴゅん吹かせた委員会の発起人があのザマだべ、そりゃテキメンよ」
「どっち側に立つか考えなよってやつでしたっけ。ええ俺も血のにじむような努力をして今出版社で編集職してます」
「そ、そうですか。元気そうでよかった」
「よかった? なにが?」
「え? いやだって……あんなことがあったし、そういう方面に身を持ち崩していなくてよかったなって」
「あー、アハハ。ああそう」
「俺これも言うの嫌ですよ。菅原さんが言ってくださいよ」
「俺も嫌だよぉ恥ずかしいべや。たぶん黒尾ぜんぶわかってくれてるから、黒尾に任すべ」
「そうですね。そうしましょうか。そうなりましたので、お願いしますね黒尾さん」
「へばな〜」
「あ〜い任された〜」
「えっ。えっ? 俺二人にはちょっと話したいことあったんだけど? えっ本当に行くの!?」

 海がよかったと息を漏らしたのに含むところがあるような顔をして、菅原と赤葦もついに席を立った。しずかにけっこう重めの精神ダメージを負う海の横で、黒尾は合掌を解いて口を開く。

「あのさあ。北? とお前が俺らに何してあの時のこと忘れさせたかは知らねえし、なんで覚えてちゃいけねえか探るのもほんとは良くないんだろ」
「えぅ、う……。うん。そうです」
「でも少なくとも赤葦とスガちゃんと俺はマジの全部思い出してっしマジで全部覚えてっからね」
「えっ。えっ!?」

 たどたどしくはあったが、なんども練習してきたような口調で黒尾は言った。目線はスマホに向けられたままだが、逆にそれでよかったと海は思う。黒尾はシャレにならないシャレは言わない男だが、それでもせめて正面に向き直ったあとに「うっそ〜」と言ってくれるほうが想像に難くなかったのだ。
 黒尾が体の向きを変えようと、海の横に手をつく。あの時より少しだけ薄くなった肩が、あの時直視できなかった双眸がこちらを向くまでの間、海はあの時の黒尾の肩を思い出していた。


*****


 どういう神経してるんだ。
 勝負強さ、というのは一度培えば何にでも転用できる優秀かつできれば必修のスキルであるが、バレーで培った勝負強さを詐欺に利用するな。
 海は深夜のカラオケボックス、大部屋の一番画面に近い席でため息を吐いた。
 松川が持ち前の大人びた顔で「全員学生証忘れました、大学生です、フリータイムで」と受付で大嘘をついたので、一行はしばらく湘南乃風で災害のように大騒ぎしたあと海にひたすらAKBと西野カナを歌わせ、唐突に疲れと気力の限界を迎えて寝落ちた。
 何度目かもわからないアイドルの広告が横顔を照らしている。引退して間もない男子高校生や現役運動部員の男子高校生が暴れ散らかした部屋の熱気がやっと落ち着いてくるまで、海はただ毒にも薬にもならない広告を横っ面に浴びながら、ゆっくりと床やソファに落ちている人間の顔を見た。いろんな意味で一刻も早くここから逃げ出したかったが、海はソファの端から動けなかった。物理的に見動きを封じられているし、この拘束を解いたところで、床に転がっている知ったり知らなかったりする高校生を跨いで逃げるなどできなかった。
 知らない人がたくさんいる。あ、縁下くんだ。あの人春高で見たことある気がする。猿杙、来てくれてたんだ。九州の桐生だ、大将までいる。あれ誰だろう。
 そうして一人ずつの顔(頭だけであったり)を見て、海は観念したように自分の近くに目をやった。
 菅原がいて、木兎にまとわりつかれたままの赤葦がいて、犬岡と黒尾がいる。
 思うだけでも苦しくて、いざ目にするともっと苦しかった。まさかもう一度生きて会えるなんて、これから何度でも会えるなんて、海にはこれが本当に信じられなかった。
 時間を遡行するような、太陽を西から登らせるような、海の底に暮らすような、無法であり無為であり無謀であった。どうあがいても覆らないものを、彼らは覆してしまったのだ。
 その規模を、ここにいるどれだけが正しく理解しているだろう。寝顔を見てもゼロではないのはわかるが、それでも、正しく理解していてなおこの無茶に乗ったその胸中はいかばかりか。生まれて十八年、もう少しで十九にもなろうという時期になって、海は人間がわからなくなった。自身も人間であるのに。

「……泣くかと思っとった」

 不意に。
 声がして、見上げれば北がいた。すこし疲れた様子でドアの前に立ち、「もうドン引きです」の顔をしていた。

「……泣いちゃいそうだから、あんまり喋らせないで」
「泣いたらええんちゃう。今やったら俺しか見とらんし」
「ふふ。やだ。恥ずかしい」
「あれだけのことしといて今更」

 北はもう構っていられるか、と端のソファで潰れている大耳を少しどけて腰を下ろした。大部屋の端と端で、ぽつぽつと会話は続く。

「ずっと黒尾に俺のこと探すなって言ってただろ。どういう立場の変化したんだ?」
「立場は変わっとらん。お前なんか一生封印措置でいいと思っとるよ。今も外に人待たせとる」
「物騒だな。やるなら言って、みんな起こしたくないからちゃんと出て行く」
「立場はそう。心境も変わらんよ。お前、全部「あっち」に置いて来たな。パクったもんも含めて全部」

 北の言葉に、海は答えなかった。目線を落としただけを返事と受け取り、北は鼻からため息を吐く。
 海が神殺しの罰として受けたのは、彼岸と此岸の過ぎたるを是正することであった。有り余る霊害は殴りに行き、突出した霊感持ちがいればそれとなく弱体化させる。海は茶化して「ぼっちヴィジランテ」と言いはしたが、未成年一人に任せて足りるものでもなければ、そも任されていいものでもなかった。
 二人は知らないが、犬岡が海を評して「傾国」と思ったのも無理はなかった。傾いたものを元通りにできるものは、傾きと同じかそれ以上に強い。有り余る霊害を殴りにいけるということは、北ら「ぼっちではないヴィジランテ」の機構から見ても、有り余る霊害よりも有り余っていた。血も涙もないと言われれば反論もできないが、万が一海が人間に拳を振り上げるようなことが起こる前に、人間であろうと「あちら」にブチこんで封印してしまえ、何かあってからでは遅いのだというのが、松川の言う「労働組合」のスタンスであった。
 それほどまでにうっかり霊的にクソつよ人間として生まれてしまい、先日までそうあった海信行という青年は、今やただ多少霊感があるだけの、それ以上特筆することもない、卒業式を控える高校三年生になっていた。

「木兎、怒るかなあ。決勝で返せって言われたんだ」
「怒らん。怒られたら、俺が庇ったる」
「どうしたの本当に、優しいじゃん」
「……やり遂げよったから。無茶な頼みごとを」


 さて、彼岸と此岸をかき混ぜて混沌にブチ落とす今回の諸事件、引き金を引いたのは北信介であった。
 「労働組合」が海ひとりに苦役を強いているのが、無性に死ぬほど腹が立った、というだけで、今までまことしやかに続いて来た体制を根底からメチャクチャにする一手を、よりによって渦中の海にやってくれと頼んだ。曰く、「全部返上してこい」と。

「神の国に及ぶほどの力なんぞ人間にいらん。けど、根の国から来るゴロツキに屈服してやるほど人間ヒマじゃないやろ。至らんくてええ、対抗できるだけの力があれば、それでええねん」
「昔赤葦に言われたよ。「海さんの祓い方、水戸黄門みたいですよね。オラッこの紋所が目に入らんかい、みたいな」って。ずばり的中大当たりだったからびっくりしたなあ」
「あなたがたのうちに、魔法使い、呪文を唱えるもの、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをするものがあってはならない」
「申命記だっけ……ああ、信介はミッション系なんだった。つい忘れるな」
「家はそうやけど、俺は違う。この体制を終わりにしたる。少なくともこの世代でほんまに息の根を止めたる。どいつもこいつも隣人を愛せよ、汝の敵を愛せよ言うて、扱いに困るもんがおったら即捨て石扱いしよる。お前も救われるべき、いやお前こそ救われるべき一人や、信行」
「別にいいよ、俺くらい。……なんて、いつの間にか言えなくなってたんだなあ」

 誤魔化すみたいに笑って、海は北へ向けていた顔をフッと下ろした。目線の先には黒尾が潰れていて、海はもうずっと肩を枕に貸してやっている。投げ出されている手はいつだったか試合中に爪が剥がれたときの倍くらいいろんなテープでがんじがらめになっていて、それでやっとかろうじて血が見えなくなっているぐらいだった。

「それ、ウチの襖開けようとしてひっ剥げたんやけど、そんななってもまだ開けようって爪たてよるからどんどんヒドいことになっていってな。手当てしてから行ったもんやと思ってたけど」
「一応手当てはしたんだと思う。「あっち」煽るのにわざと剥がしたんじゃないかな。黒尾、そういうとこあるから。痛かったろうに」
「舌の根も乾かんうちによう言う。愛されてんねん」
「あ、信介、黒尾によくないこと教えただろ」
「ふふふ。汝この門をくぐる者、一切の望みを捨てよ。ほなら望み以外は持ち込み放題や。愛でも持ち込めば、汝の敵を愛せよ理論で地獄だろうが町内会と変わらんくできるやろ」
「円滑なご近所付き合いができるのは半分くらい本人の人徳の賜物だよ」
「残りは運やな。近隣住民ガチャや」

 海が邪推したとおり、北は黒尾に最終兵器を持たせていて、連れ添った仲間への三年間分のちっぽけな、しかし純然たる友愛でもって「あちら」をまるごと屈服させてみせた。大勢巻き込んだし手前の爪だって剥がすほどの愛情を前に、損得勘定と書いて倫理観と読むような神性たちもこれは引き裂けやしねえやと思ったか、下手に退けて二度三度こんなことがあるくらいなら渡してしまえと思ったか、海を手放した。
 そうでもされなきゃ到底手放されなかったような海を、青年たちは受け止めて引き上げて連れ出して、頭だの肩だのをバッチバチ叩いて「西野カナのトリセツを歌え」と騒いだ。押し負けて「永久保証の私だから」と歌い終えた海に「ほんとかよ一生かけて証明しろ」と野次が飛んだのを、実は人生で一番嬉しく思ったのはほかでもない海自身だった。
 俺、こっちにいていいんだ。まだここにいていいんだ。
 それだけのことが何よりうれしくて、うれしいでは収まりきらないのに、ほかに表す言葉がわからなかった。後悔もできないほど無知だった頃に決められてしまった未来が変わった。その歓喜は海にしか表せなかったし、世界中の書物をひっくり返してもそれに見合う記述はないほど言語化が難しかった。
 海は「近隣住民ガチャて、信介からそんな言葉出てくるって」と少し笑ってから、ゆっくりと泣き出した。誰も諫める人なんかいようもないのに、怒られてしまいそうで、おっかなびっくり様子を見るように泣いた。

「肩も抱きに来ないぃ……」
「俺が抱くもんやないし、遠いし」
「わぁぁ……ああぁ――――……」

 誰も止めないなか、海はしばらく、ちっちゃく泣いた。あんまり嬉しくて、しかし同時に大声を上げるにはあんまりにも悲しくて、声も途絶えてしゃくりあげるまで小さく小さく泣いた。
 この世の言葉ではあらわせないほどに嬉しい。が、その嬉しさを「よかったね」と抱いてくれる腕は今後一切天地神明に誓って現れないのだ。だって天地神明が二度と許さないから。それが悲しかった。
 到底猫にもウミネコにもできない仕草で、海は鼻をぴすぴす啜って、やっとのことで泣き止んだ。まだ涙は止まっちゃいなかったが、いい加減泣く動作に飽きたような、やっててもしょうがないんだよな、といった素振りであった。

「…………ほな、ええか」
「うん。よろしく。ごめんね」
「いうのが違う」
「ありがと」
「それでええねん」

 北が言い終わると同時に、これだけの人数どこに控えていたのか、隣の部屋の人とかに迷惑かけてたかも、と思う黒服がぞろぞろとやってきて、寝落ちているガキどもを順繰りに運搬していった。
 記憶処理、のようなことをされるのだという。夏から今日までの、海信行に端を発した超常にまつわる記憶のほとんどを、忘れたことすらも気づけない忘却の彼方で厳重に蓋をする。海が許されたのはこれによるところも大きい。
 お前みたいな腫物、抱えているだけ損なので手放してやる。その代わり、まかり間違っても二度とこちらへ来られないよう、その手段を奪う。
 ざっくりそういうことだ。それ以前の記憶は触られないし、「あちら側」に関係ないことも触られないので、半年ほどのすべての記憶がなくなるわけでもない。文字通り心血を注いだバレーボールのことも、バレーを通して出会った仲間のことも、その思い出も消されはしない。
 けれど、ナンシー・ウッドの詩のように、生きて今日を超えられると思っていなかった海は、「あちら側」のことももちろんバレーのこともそれ以外のことも、すべてが「死ぬのにもってこいの日になるように」と思って生きてきた。北が言うところの「ちゃんと」である。
 すべてではない。が、許されたことじゃないからこそ「ちゃんと」やってきたことを覚えている人がこの地上に一人もいなくなるのは、やっぱりどうして十八歳の青年には寂しくて仕方がなかった。
 あれだけギチギチ狭苦しかった大部屋は、残るは海と黒尾だけになっていた。血だらけの手がいつの間にか海の服の裾をがっちりと掴んでいて、ああ運搬の人が来るまでに外してやらなきゃ、と思いながら、すっかり寝入っているのに驚くほど熱い指先に驚いて、手を取ったまま動けなくなっていた。
 何度目かのアイドルの広告は、卒業ソングの発売告知だったことに今更ぼんやりと気づく。海はついに微笑んで、黒尾の手を解き、黒尾を抱えあげにきた黒服にバレないように呟いた。

「……第二ボタンやるから、恨んでくれるなよ」



*****


「約束って双方が「わかったそれで」って言わないと約束したことにならないのはわかる? これ社会人の常識なんだけどさ」
「だ……だって起きなかったし……」
「起きれると思う!? あんなんやった後で!? ちょっと人間してなかったからって人間エアプ発言やめてもろていい!?」
「うぐ……に、人間してたもん……」
「成人男性もんとか言わない!」
「んもー! 過ぎたことだよ!」
「かわいく言っても俺は揺らがねぇからな!」

 結局二人はキャンキャン言い合った。心底真面目な話だがよりによって二人の仲であったし、だからこそ真面目に話し出すのは恥ずかしくなっちまって、ちょっとおとぼけて言い出せば相手が拾って収拾がつかなくなった。
 双方にとって納得がいかなかったのは、海にしてみればこれだけの人数が顛末以外の部分を、黒尾や赤葦たちがすべてを思い出していることであったし、黒尾にしてみれば一切の断りなく勝手に記憶消されて、あまつさえ海がそれをそうあるべきと思っていることだった。

「心配されなくても二度とあんなことやんねえよ! 俺らのことなんだと思ってんの!?」
「あのね、言い方悪いだろうけど前科一犯なんだよ! 万が一億が一あんなこともう一回あって知り合いが「あっち」にいるってなったら絶対行くだろ!?」
「行くけど!?」
「だからだよ!!」
「お前のそういうとこ北も嫌いだったんじゃねえの! 全部自分でやりゃいいって最初っから決めつけて結局全部自分でやっちまうから!」
「失礼なこと言うな信介は俺のこと好きまで行かないでも嫌いじゃないよ! だってそれが一番誰も面倒しないで済むだろ!」
「俺の方がぜェーーーーったい好きだね! すっこんでろ馬に蹴らせるぞ!」
「なににケンカ売ってんの!」
「天地神明全部にだよ!!」

 ついに吠えた黒尾の気迫に、海は続けかけていた言葉をグッと留めてしまった。そこまで吠えるか。そこまで譲れないか、俺であっても。海は自分が知らない間に随分尊大になったことに驚きながらも、それ以上に黒尾の頑なさに驚く。
 すっかり空気を入れ替えるように深いため息をふたつして、黒尾は海の手元にあったレモンサワーをひったくり、すっかり遠くに置いて睨む。さっきまでの少しじゃれあいを含んでいた空気はさっぱりどこかへ行ってしまっていた。

「あのさぁ。そもそもスガちゃんが”美化委員会”に入ったの誰のせいだと思ってんの」

 海はドラマチックな二重に収まる目を、うっかり取り落としそうになった。そのくらい目を開いた。
 黒尾の口から”美化委員会”の名前が出た。なんで知ってる? 俺のしらない間に赤葦か菅原くんが話した? 考えただけではわからない。ぎょっと目を開いたまま、ただ続きの言葉を待つ。黒尾は黒尾で、今まで以上に唇をむにゃむにゃさせてから、たっぷり五回呼吸をして、やっと口を開いた。

「さーむらサンが行ってくれって言ったからだろ。じゃあなんでさーむらサンがスガちゃんに委員会行けって言ったと思うの」
「……待って。俺たちは初手でミスってたってことか?」
「そゆこと。お前ら副主将が”美化委員会”やってる間に、俺ら主将メンツは”風紀委員会”やってたよ。俺籍だけ置いてなんにもしてなかったけどな。なんもわかんねえし」

 海はヒーッ! と息を吸ってのけ反った。やられた! まんまと!
 本当に、ただ巻き込みたくないだけだったのだ。だから、委員会のことを主将たちには一切言わなかったし、なんなら委員会では主将たちの名前を禁句とすらしていた。ここで起こる一切はすべて秘匿されているとすっかり思い込んでいた。それがマズかった。
 そもそも、思い起こせば澤村がやけに話の早い男だった。「ちょっとヤバかったんで送迎に来ました」と言って、「ワープしたのか」と怒り出すくらいには事情通であった。単に体質(貧血がちであるとか花粉症であるとか)みたいにそういったものを認知していたのかな、と思ったっきりそれより先のことにすっかり気づかなかったしさっぱり見落としていた。
 あれから七年、海は北以外の誰ともそういった話をしなかったので、周囲の人間すべてが正しく記憶処理されたまま暮らしているものだと思い込んでいた。先ほどの通話にアポなしでカチコミするにあたって、ようやく思い出している人間がいることを知ったくらいだったのだ。
 思い出す出さない以前に、自分の知らないところで自分の知らない意思が跋扈していたことも、なにひとつ知らないまま七年を過ごしていたらしい。そのショックで、今まで上げたこともないような悲鳴を上げ、顔を覆ったままゆっくり後ろに倒れた。黒尾も止めなかった。そりゃマァそのくらいびっくりだと思うし。

「じゃあずっと俺は……主将の手のひらの上でしたか……」
「抜かせ、とんだじゃじゃ馬だわ。こと「あっち」に関しちゃ思い通りに動いてくれたことなんか一回もなかったね」
「そう……良かっ……いや何も良くないな……」
「はん。その心は?」

 黒尾は「ニヒルに笑う」のポーズをするためだけの仕草で口角を上げた。むちゃくちゃむかつく。ニヒルに笑おうともしていないのだ。きっと海が何を言おうとすべて封殺してやる心づもりに違いない。

「七年で大体フルメンバーが顛末以外は思い出すようなお粗末ざこざこガバ記憶処理がなんだってんだい。ましてこっちは次の策だって打ってんのよ」
「腹立つ……滅多に思わないけど、今ものすごい腹が立ってる」
「では解答者どうぞ」
「あれだけの間むちゃくちゃ無賃労働させられて、俺ものすごい当事者なのに、今更俺が知らないことがあるの、ちょっとむかつくだろ」

 海はモソモソ起き上がり、分厚い唇をムニ、とへし曲げて不機嫌そうに言った。その顔に黒尾は、あれから七年、出会ってから十年の戦いに光明を見た心地がした。

「ああ。ハハ、やっとわがまま言ったじゃん」
「わがまま? 俺はずっとめちゃくちゃわがままだ。今更なに言ってるんだ」
「いやいいよ。こっちの話。で? わがまま信行ちゃんは何したいんですか?」
「むかつく。その言い方やめてくれ。今度こそちゃんと全部仕舞うよ。弥勒菩薩が顕現するまで誰の手にも触れないように」

 末法の来るその時まで、「あちら」と「こっち」の境い目がなくなるまで、二度と世に出してなるものか。同じ艱難辛苦を受けるものが自分以外にいてたまるか。いくら相手が黒尾であれ、これを告げれば殺されるとて、それだけは今後何に誓っても変わらない海の信念であった。諸悪の根源である自分こそが、何よりそれを遂行していなければいけないと思う。
 ドラマチックな二重に縁どられた目が、それ以上なくそう言っていた。黒尾はわずかに嘆息して、今度は「仕方ない」の仕草で口角を上げる。

「……わかった。じゃあもう好きにすれば。最後に一個だけ聞いていい?」
「……いいよ。なに」
「今お前、仕舞うっつったな? こんだけガバクソな記憶処理でも思い出せない「顛末」、お前ら絶対俺らから抜いてどっかに仕舞っただろ。どこ?」
「教えるわけないだろ話聞いてたのか!?」
「聞いてたからぜってえ見つけるわって思ってんだがァ!?!?」

 ここにきて二人は再び吠えた。今までと違ったのは、二人ともガチの吠えであった点である。先ほどまではなんだかんだちょっと茶化した物言いであったしそういった雰囲気もあったが、今回ばかりはガチかつマジの大声での罵倒である。

「ちょっ……と待ってくれ、こればっかりは本当に据えかねた。本気か? これだけダメって言ってるのに? いい大人だろ引っ掻き回すのやめてくれ本当に!」
「お前が言うんならそれこそ「あっち」だろうが引っ掻き回すけど、逆言えば「あっち」だからこそ引っ掻き回すんですけど!?」
「だからダメだって言ってるんだろ!」
「あっもう言い方が気に食わねえもん、ミリも聞く気失せたわ! ぜってえ探すからな! お前が何やって止めようがやる! いつまでも暗愚バカアホカスザコの黒尾さんだと思うなよ、あれから七年経ってんだぞツテぐらいあるわい!」
「そんなの言ったこと一回もないだろ! 良くない方向に話むちゃくちゃに盛るのやめろよ! もおー!」

 二人はさんざギャンギャン言い合って、ついに海が「そうまで言うならこっちだって用意がある」とスマホと財布だけ持って部屋を出た。出る直前、黒尾が「夏のオリンピック男子バレー日本対アルゼンチン研磨んちで鍋食いながら観るけどお前来んの!!」と投げつけるように訊き、叩き帰すように「行くよ!!!!!」と返事が来たっきり、部屋は水を打ったように静まり返った。
 しばらく静かになった部屋でぽつねんと座ったままだった黒尾は、鬼の居ぬ間にとばかりに方々に連絡を取った。曰く、「海が全力で隠しに行くから素知らんフリしてくれ」と。一部からは「ウケる」「ついにやりよったわ」「待ってた」「あの日の続きじゃん」と返事が来る。
 返事の中には夜久のものもあった。

「お前ら喧嘩すんのこれが初めてじゃね?」

 短いメッセージを見て、黒尾は笑った。
 望むところだ。古今東西、創世神話の終わりの始まりは大抵クソみてえな大喧嘩だ。これがそうなら、なおのことあの日の続きであるべきだった。

「天岩戸だろうがこじ開けてやるってんだよ。こちとら全国区のブロッカーだぞ。こじ開け方なんざ身に染みて知ってんだわ」

 同時刻、ブロッカーの部分を「ウイングスパイカー」に変えただけで全く同じことを言っていたのを、黒尾は知らない。
 かくして、とんだガキくせえ理由で世界の危機レベルの大喧嘩は始まる。なお、無辜の人々は巻き込まれやしない。主に被害を被るのは、今までさんざ歪んだ過保護をおっ被せてきた「あちら側」であり、観るものが言えばそれは「遅すぎる反抗期でしかなかった」のだという。
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