3.ある主将の証言
 学校の怪談。七不思議。
 各校で脈々と語り継がれるそれは、例に漏れずここ音駒高校にも存在する。
 理科室のナントカ。図書室のナントカ。校長室、音楽室、渡り廊下などなど。月並みだ。
 が、音駒高校男子バレーボール部は代々一般生徒よりも七不思議を畏れる。ちゃんと理由がある。
 俺たちの部室が三つ目に語られてしまうからだ。
 曰く、ベンチに入れなかった男バレ部員が事故で死に、今なおレギュラーを夢見て彷徨い、部室で成り代わる隙を狙っている、とか。
 馬鹿馬鹿しい。詭弁だ。
 そう思っていた。


***


「クロ、サポーターどこ?」
「は? エナメルん中だろ」
「ないよ。勝手に出したでしょ」
「知らねーよ。どいつもこいつも世話焼けんな」

 ここ数日、どうにも部内で忘れ物が多い。やれ英語のノート知りませんか、テーピングがない、充電器がない、現国の教科書がない、俺のビブスがない。
 一年たちは「七不思議だあ」と怯えだすし、二年は「お前だろ」とケンカし始める始末。

「練習どころじゃねえ」
「置き勉すっからだろ。案外担任に回収されてるかもしんねえぞ、職員室行ってみろ」
「教室に置いてて回収された前科があるから部室のロッカーに置いてんじゃないすか!」
「リエーフてめえ! 当たり前じゃんみたいな顔してんじゃねえ!」
「夜久さんいつもより怒り方激しくないですか……!? まさかもう入れ替わっ……!?」
「ギャーッ!!」
「ねえウルサイ!」
「あーもぉ〜〜!!」

 もうしっちゃかめっちゃか、なんとか舵を切らないといけないのに、どの方向に切っても向かった先から恐怖やらイライラが沸き立って収拾がつかない。
 もう今日はダメかもしんねえ。俺が一番しっかりしなきゃいけねえのに、なんかもう無理なのでは? と思って「んあーっ」と天を仰ぎかけた。

 ぱん。

 そう大きくはないのに、やけに響く音。部室にいた全員がびっくりして音のした方を向くと、なんかやたら荷物を抱えた海が手を合わせていた。

「はーい、イライラ終了」

 いつものニコニコ顔で、海がもう一度手を叩く。あんまりにもいつも通りすぎというかマイペースというか、なんて言えばいいか俺たちは気が抜けて、詰めていた息を吐いた。

「まず、研磨。朝練のあといつもと違うところにしまってたみたいだ。はいサポーター。黒尾、充電器、教室のコンセントに刺さったままだったって。クラスの人届けてくれて、預かってるから」
「そうだっけ。ゴメンナサイ」
「あーやべ、そうだ昼使ったわ」
「芝山、隣のクラスの子がノート返してくれたよ。忙しそうにしてたから渡しそびれてたんだって」
「あ、そっか貸してて……ありがとうございます!」
「福永、テーピングはこの間使い切ってたよ。補充分出してあるから」
「そうだった、あざます」
「リエーフ、部活終わったら現国の先生のとこ行きなね」
「グェ! 見つかったんすか! くそぉ」
「夜久のビブスはこれ。落とし物で届けられてた。体操着と一緒にして、体育で着替えてそのまま忘れてたんじゃないか? 男子更衣室にあったって」
「あー、言われてみりゃ出した記憶あるな。スマン」

 海はさっさと失せ物たちを各人に返して、「さぁちゃんとしまってきて。で、ちゃっちゃと準備。はい急ぐ!」とまた手を叩く。俺ほんとコイツが副主将じゃなかったらやっていけた気がしねーや。

「黒尾」
「んぁ?」
「大丈夫だよ」
「お? おう」
「ほらしまってきて」
「ありがとオカーサン」
「こんな大きい子ども産んだ覚えはないよ」

 海は笑った。いつも通りだ。時計を見やれば、もうそろ監督が来る時間だった。やべ、急いでポール出さんと。





 それからも何日か失せ物は続いた。その度に海は失せ物たちを抱えながら遅れて体育館に来て、手のかかる子たちなんだから、と笑いながら持ち主たちに返した。

「いくらなんでも続きすぎじゃね?」
「海、あんま甘やかすなよ」
「新品のノートとか残りちょっとだけのシャー芯くらいなら良かっただろうけど、ないと困るものとか、高価なものもあったろ。電子辞書とか」
「時計とかチャリキーとかもあったしな。なー夜久」
「うるせえな。チャリキーなくても押して帰ったわ、結局カバンの中だったしな。失くすものによっちゃキツいけど、灸はキツけりゃキツいほど効くだろ」
「俺たちには球があればいいよ、排球部だし」
「おお、座布団」
「十枚でハワイ?」
「マック」
「お手軽だなあ」

 部活終わり、後輩たちのみんな帰った部室でそんな話をしながら部誌を書いていた。
 失せ物は注意しても一向に減らない。昨日なんか、俺が部室の鍵失くした。部室の前でアツい「早く開けろ」コールを受けながらみっともなくありとあらゆるポケットを叩きまくる俺を横目に、海が「さっきトイレ行くって俺に預けただろ」とドアを開けた時はいろいろ泣きそうだった。
 通い続けて三年目になる部室が、まさかほんとうに七不思議の三つ目なのか。じわりじわりと侵食されていくような気がする。部誌を書く手を止めて天井を仰いだ。日が落ちてちょっと経ったぐらいとは思えないほど、部室は妙に黒々としている。

「なあ暗くね?」
「こないだリエーフに蛍光灯替えさせたばっかりだぞ」

 夜久が食い気味に答えた。面持ちは固い。認めたくない、みたいな顔だった。

「あークソ、塩でも盛りゃいいのかよ」
「ダメだ」

 やけっぱちで吐いた冗談に、鋭い声が返ってくる。言ったのは海だった。俺に向かって言ったはずなのに、視線は顔ごと部室の隅に向けられている。

「……なに?」
「盛り塩はダメ」
「……なんで?」
「……怖がるだろ、みんな。そんなことしたら、本当に何か出るみたいだ」
「出てんだろ、もう」

 情けねえ声が出た。海はちょっと黙って、目線だけ俺に向けた。顔は部室の隅に向けられたままだった。

「主将は黒尾だ。黒尾がそれが良いと思うなら従うよ」
「嫌味か?」
「まさか。偉そうなこと言ったけど俺は副主将で、黒尾を支えるのが仕事だ」
「……そうかよ」
「そうだよ。ところで、まだかかりそう? 用事思い出しちゃったから先に上がるけどいいかな」
「まだかかるわ。お疲れ」
「そうか。じゃあまた明日。夜久もお疲れ」
「おう」

 最後にいつもの笑顔を浮かべて、海は妙に薄暗い部室を後にした。俺と夜久と書きかけの部誌だけが残される。

「なぁ」
「なに」
「海があんなに言うの、珍しいな」
「なにを」
「反対意見をだよ」

 夜久はちょっと拗ねたみたいな顔で言った。どんな感情の顔なんだそれ。頭ん中ゴチャゴチャでもうよくわかんねえ。

「……海が物失くしたとこ、見たことねえな」
「……さっさと終わらして、塩盛って、マック寄って帰んぞ」
「ワリ。そうしよ」

 じわりじわりと侵食されている。七不思議じゃないにしても、部全体が、言いようのない疑心暗鬼に。
 このままじゃマズい。とりあえず早く帰ろう。通い続けて三年目の部室がこんなに居心地悪かったのは初めてだった。





 塩を盛ってから数日、案の定一年は怖がり、二年は「ほら俺じゃなかった」と揉めた。それでも失せ物は絶えず、置いたはずの場所と違うところから見つかることが増えた。海は相変わらず失せ物を抱えて体育館に来た。
 あの日、きっと事件は起こるべくして起った。
 皆一様に部室を気味悪がりはじめてから、部室に留まる時間は最小限になっていた。道具の片づけを一年に任せ、爆速で部誌を書き職員室にブチこんで、戻ってきてみれば二年が部室の前でウロウロしている。

「ァにやってんだ研磨」
「クロ。一年が出られなくなってる。カギ閉めてないのに、ドア開かない」

 山本がドアに張り付き、持ち前のパワーでこじ開けようと四苦八苦している。中からは一年たちの悲鳴とも嗚咽ともつかない声。何が起きてる。鍵が閉まってるはずがない。鍵は俺が持ってるし、閉めてないし。

「壊れたか?」
「直したばっかりでか?」

 夜久が応える。部室のドアは長らく建付けが悪くて、先月新しいものに変わったばかりだ。いくら俺たちの扱いが悪くても、流石にひと月でぶっ壊すような乱暴な使い方はしてない。
 じわりじわりと侵食されている。何が起きてる。どうすればいい。俺はポケットの中の鍵を握りしめて沈黙するしかできなかった。

 ぱん。

 そう大きくはないのに、やけに響く音。音のした方を振り返ると、海が手を合わせていた。

「はい、脳に」
「……は?」
「脳に?」
「……酸素?」
「そう。息して。伝播するから」

 何がだ。なにやら物騒なことを言いながら、海はいつものニコニコ顔を、していなかった。ビッグサーバーのサーブに備えるときと同じ顔をしている。俺たちがすっかり動けなくなっている間に、海はいつも通りサッサと歩いて俺の前まで来た。

「黒尾、鍵ある?」
「えあ、え? ある」
「貸して」

 操られるみたいに鍵を渡せば、海は「ん。ありがと」と俺の背中を強めに叩いた。ぶは、と息が出る。叩かれてわかった、ほんとに息してなかった。
 海は夜久と二年たちの背中も順番にブッ叩いて、部室のドアの前に立つ。

「おーい、いる?」
「います! 海さんですよね!? います!」
「動けるか?」
「怖いこと言わないでくださいよ!」
「元気そうでよかった。ちょっとだけでいいんだけど、窓開けれる?」
「開けます! 開けっ、灰羽くん! 落ちるから!」
「あぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
「あはは」

 海はドアノブに鍵を挿しながら、一年の切羽詰まった悲鳴もなんのその、面白そうに笑った。こわ。なんで笑ってられんの。

「窓開けたー?」
「開けました、開けましたッ」
「じゃあ、ちょっとドアから離れてて」

 また不穏なこと言い出した。海は手のひらを握ったり開いたりして、首を左右に傾けて、肩をぐるりと回した。なんの準備運動だ。そして。

 バァン。

 爆音。海が手を振りかぶって、ドアをブッ叩いた。
 山本ほどのパワープレイヤ―じゃないにしたって、海もウチの点取り屋だ。鍛えぬいて三年目のWSによる全力フルスイングでブッ叩かれたドアは、悲鳴を上げる代わりにビリビリと震える。
 ドアの振動が収まったころ、海は「自宅の冷蔵庫」みたいな気軽さでドアを開けた。中では一年たちが冷や汗と涙とパニックで顔をベロベロにしていた。

「やっぱりコツがいるね」

 何コツって。開けんのにコツいんの。俺も夜久も知らねえけど。
 和やかな声に正気を取り戻した一年たちが、我先にと海の胸に飛び込む。「おおよしよし、怖かったね」なんて聞こえそう、いや実際言ってる。順番に抱きとめてやりながら、その都度手のひらを握ったり開いたりして、その手で背中を優しく叩いてやっていた。

「なに、何したんだよ」
「俺以外知らなかったかもだけど、ここのドア実はたまにコツがいるんだよ」
「嘘だろ」
「ほんと」

 受け応える海の顔は腹立つくらいいつも通りだ。海は部室のなかをさっと見回して、抱きとめたままの一年たちを部室から遠ざける。

「黒尾、夜久、みんな連れてちょっと離れててくれ。終わったら呼びに来るから」
「ほんと何この期に及んで!」
「何なんだよお前。何すんだよ!」
「うーん」

 次々と後輩たちを投げ渡されながら、俺も夜久も声を荒げた。わけわかんねえことばっかりだ。海はちょっと悩んで、それでも冗談みたいに言った。

「ちょっと恫喝?」
「は?」
「じゃあ頼むね」
「オイって!」

 ぱたん。

 コツなんかいらない新品のドアが閉まる。離れろ、とは言われたが、海だって俺だってただしく音駒の血液だ。ここで素直に離れられるほど冷血じゃない。あいつ、何かをしようとしてる。
 後を追うようにドアの前に立ったところで、部室の中から、耳を疑うような音がした。

 ダァン。

 たぶん、踏みしめる音。誰が。中に入っていったのは海しかいない。何を踏みしめた。何を。

「おい」

 絶対零度。触れればすべてが凍る、そんな声。誰の。海しかいない。

「俺たちは全国制覇するんだ。幽霊部員に手を焼いてる暇ないんだよ。練習するでもないなら」

 見たことないけど、流氷みたいだった。海水すら凍るほど寒いところから流れてきて、光ひとつ通さないほど分厚い氷の塊同士が擦れて、この世の終わりみたいな轟音を立てる。そこに落ちればまず助からない。
 いつもの海とは似ても似つかない。
 誰だ。中にいるのは。

「出ていけ‼」

 ぱん。

 手を叩く音。さほど大きいわけでもない、しかし満身の力を込めて打たれた柏手。何が。誰が。どうして。なにもわからんかった。
 息をする音すら聞こえる静けさのあと、ドアは内側から開けられた。わずかに身構えて待てば、いつも通りの海がいた。

「近いな。離れててっていったのに」

 けろり。何事もなかったみたいに言う。全員呆気に取られて、何も言えなかった。

「……おまえ」

 夜久が芝山と身を寄せ合ったまま呟いた。思わずこぼれた、みたいな声だった。

「おまえ、何したんだよ」
「えー。卒業キック授与かな」
「そんなわけあるか!?」

 夜久を皮切りに全員が海に詰めかけた。何した。あれ何。なんでドア開いたの。出ていけって何。卒業キックって何からの。
 すべての問いに、海は律義に答えた。ちょっと恫喝を。虫がいて。コツがいるんだ。だからデカい虫がいて。そう言えばちょっとは格好つくかと思って。
 納得できるわけあるか。部室の入り口で押し問答していたが、一人対部員でおしくらまんじゅうしていれば、海が負けるのは明白だった。わぁわぁと海も含めた全員で部室になだれ込む。

「……明るくね?」
「おいやめろ、やめろ本当そういうのもういいだろやめろ!」

 このあいだの薄暗さが嘘みたいに、部室は明るかった。俺と海と夜久が、通い続けて三年目になる部室だった。
 ……なんか、もう、やめようこの話。知らないほうが幸せなこともあると思う。ぐったりして「帰るぞ」って言えば、海はしゃあしゃあと「ほら主将命令が出たよ、支度して」と手を叩いた。
 全員がわぁわぁあれこれ言いながら身支度して、ドカドカわちゃわちゃしながら帰った。奇妙なことに、これまでの疑心暗鬼なんかどこにも残っていなかった。


*****


 そんなことがあったのが、大体七年くらい前。俺たちは大人になって、たまに集まって、来れないヤツももちろんいたけど、なんかの機会でまとまった人数が集まったから、母校行こうぜって話になった。
 この道こんなに狭かったっけ。あの像まだあんのかよ。思い出話に花を咲かせながら、体育館を覗く。
 シューズが擦れる音。ボールが跳ねる音。熱い空気。エアーサロンパスの匂い。懐かしい、俺たちの青春の体育館が俺たちを出迎えた。
 特別歓待もない。でも、ただそこに体育館があるだけで、俺たちはなんかちょっとじんわりした気持ちになっていた。

「そういえば、部室のドア開かなくなったことありましたよね!」
「犬岡ァ!」
「どうして! わざと触れないようにしていたことをどうして今!」
「障らぬ神に祟りなしって言うだろうが!」
「あーあったなあ。見に行こうか?」
「やめろバカ! せっかくエモい感じだったじゃんバカ! 美しいまま終わらせろバカ! どうすんだこの期に及んで妙なシコリとか残ったら!」

 俺たちも年を取っていい大人になったと思っていても、結局こうして集まれば、あの日々の延長みたいになる。示し合わせるまでもなく「昨日の続き」みたいなテンションで大盛り上がりしていると、当時世話になった教員が通りがかった。

「チワッス!」
「あっお久しぶりです!」
「おー男バレかあ。大きくなったなあ」
「親戚みたいに言うじゃないスか」
「先生、まだ七不思議ってありますか?」
「犬岡ァッ‼‼」

 山本が吠える。もう「イヌオキャァ!」みたいになってた。教員は「あるぞー」と朗らかに言った。

「やっぱり時代かなぁ、ちょっと内容が変わったんだよ」
「えっ」
「えっ?」
「三つ目、男バレの部室だったろ? あれ今野球部の部室なんだよ」

 全員がギュン、と海の方を向いた。海はポワポワと「そうなんですかー」なんて言ってる。

「おい。おい海」
「なに? 黒尾」
「しらばっくれんなよ」
「何を?」
「俺たちに言ってないことあるだろ。いい加減時効なんじゃねえの」
「えーそうだなあ。知らないほうが良いこともあるんじゃない?」
「……何を!?」
「……税金の仕組みとか」
「ッダーもぉ〜〜‼‼」

 ほんとに、俺こいつが副主将じゃなかったらどうなってたか。

「オカーサン、怖い夢見た」
「こんなに大きい子どもを産んだ覚えはないよ」

 俺たちが戦々恐々してるなかで、「あはは」と海は笑った。数年ぶりでも、昨日の延長みたいないつもの笑顔だった。
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