足跡(そくせき)
額の傷の抜糸を行った。
「傷跡は大丈夫だと思います」
人の良さそうな調査兵団の常駐医は私に手鏡を差し出した。
前髪を避けて傷跡を見てみる。
「…見事ですね」
糸を抜いたばかりなのでその傷跡は目立つが、切れた傷は綺麗に塞がっていた。
後数日すれば完治かな。
「これで君のお兄さんにどやされずに済みます」
「これ位で怒っていたら兄上の身体が持ちませんね」
手鏡を返しながらそう言うと常駐医は、ははっ。と声を上げて笑った。
「包帯はどうしますか?」
「大丈夫です」
「分かりました」
常駐医にお礼を言って医務室を出た。
良い天気。
古城の窓から見える空は澄み渡っていて、空気も程よい乾燥をしている。
洗濯したくなっちゃう。
「アネモネ」
呼ばれ振り返るとエルヴィン分隊長が私服姿で立っていた。
と言っても兵団支給のジャケットとズボンが私物の物に変わった位で出で立ちは然程変わっていない。
敬礼を見せて、おはようございます。と返す。
「抜糸は終わったか」
「はい。綺麗に塞がってました」
「そろそろ行こう」
「畏まりました」
そんな私も私服姿だ。
動きやすい様に分隊長と同じくジャケットとズボンを変えただけ。
今日はマーガレッタの遺品を返却しに都の地下街に向かう。
憲兵団の護衛の元行くので任務なのだが、分隊長の提案で私服に雨具を付けて向かうという。
分隊長が先に歩き始めたので後を追った。
門の手前で停まっている馬車が見えた。
「馬車で行くのですか?」
「出来るだけ目立たず向かいたい」
「そうですね」
私はマーガレッタの遺品が入った箱を確認する。
全部入れたよな。
ふと、私に影が差した。
不思議に思って見上げるとエルヴィン分隊長が側に来ていた。
その大きな手で私の前髪をかき上げると、先程抜糸した傷口を見る。
「…大丈夫そうだな」
「はい。まだ糸が縫ってあった箇所が目立ちますが」
「2、3日はアドニスには会わないのだろう?」
「予定はありませんが、突然来られたらガーゼで隠します」
私の苦肉の策を聞いた分隊長はフッと目を細める。
そして私の前髪を梳いて下ろした。
※※
馬車に揺られる。
私は進行方向に、分隊長はその斜め向かいに座る。
特に話すことも無く、沈黙の中馬車が進む。
ふと窓の外から空を見上げると、鳥が数羽飛んでいた。
『アネモネ!凄かったね』
訓練兵団時代、マーガレッタとの会話。
あの日もとても晴れ渡っていた。
「立体起動装置で飛べたよ!」
「ベルトからかかる体重が思ったよりキツい…」
「それは慣れれば大丈夫だよ!」
「何でそんなに興奮してんの」
「だって!空があんなに近かったのよ!」
「あぁ…確かにそうだね」
「アネモネ、テンション低いわね」
「ベルトが痛い」
「どこか捻じれてるのかしら?」
「大丈夫、それは確認したから」
「じゃあ装着している場所が悪いのよ。だから変に体重がかかって身体が痛むのよ」
「へ〜…詳しいね、マーガレッタ」
「だって勉強したもの」
マーガレッタは私の体中に張り巡らせているベルトを1つ1つチェックしてくれる。
「う〜ん…、変な所は無さそう…。もしかしたらアネモネの飛び方、癖があるのかも」
「癖?」
「うん。教えられた通りに飛べてないのよ」
「そうかなぁ…」
「ほら、アネモネは元々身体能力が高いじゃない?素手で木が登れちゃう位。それが悪影響しているのよ、きっと。少しずつ直しましょ」
「うん、良くなるなら直さないとね」
私が言うとマーガレッタがニッコリと笑ってくれる。
花が咲いたように可愛いマーガレッタの笑顔が私は大好きだった。
「それにしても凄かったな〜」
「まだ感動してる」
「空が、あんなに広いなんて」
「?マーガレッタ?」
空を見上げマーガレッタが呟く。
それはまるで憧れのものに出逢ったかのような。
「アネモネ、私ね、地下街の出身だって言ったじゃない」
「うん。聞いた」
「そこは空が無いの」
「…地下だもんね」
「そう。だから、訓練兵団に入ったら空の中をうんと飛びたいって思ってたの」
「そっか」
「アネモネは所属の兵団決めてるの?」
「…調査兵団に、しようと思ってる」
「本当!?私もよ」
「え?」
「地上に出て、最初は空が見えることに感動したわ。なんて広いんだろう、何て色んな表情を見せてくれるんだろう、って。でも、私達って壁の中で生きているじゃない?ここで生きている内は、壁の中の空しか見えないんだって、そう思って…」
『外の世界を見てみたいの。壁の無い空。自分の命を引き換えにしても』
「アネモネ」
エルヴィン分隊長が私を呼ぶ。
見上げいた空にはもう鳥は居なかった。
視線を空から分隊長に移す。
マーガレッタとの会話を思い出していたせいか、酷くぼんやりとしていた。
「…大丈夫か」
「はい」
「…どうした」
「マーガレッタとの…会話を、思い出していました」
「…そうか」
そう言って分隊長の視線は私が膝の上で抱えている箱に移した。
「仲が良かったんだな」
「はい。…マーガレッタとモブリットは友人で…競争相手で…訓練兵団時代は毎日切磋琢磨出来ました」
「そうか」
「マーガレッタは勉強熱心で、何時も調べ物をしていました。どうやったら効率的に巨人を倒せるか、立体起動装置を上手く使えるか。彼女は自分が知った情報を私やモブリットに嬉しそうに話すんです」
ねぇ、聞いてアネモネ!モブリット!そうやって新しい発見があると青い瞳をキラキラと輝かせ話す。
私もモブリットも斬新な切り口の話に何時も聞き入っていた。
「その調べものを纏めた書物も…遺品から出てきました」
「持ってきたのか」
「はい。お見せしよううと思いまして」
ガタリ、音を立てて馬車が止まった。
「着いたようだ」
「はい」
ドアが開いて分隊長が先に降りた。
私も続こうとドアに手を伸ばすと分隊長の手が差し出された。
「分隊長、1人で下りられます」
「エスコートは男のマナーだ」
差し出された手を使わず降りるのはマナーに反する。
そう教えられた私はしぶしぶ分隊長の手を取った。
「ありがとうございます」
「構わない。入口は少し離れている、少し歩くぞ」
「承知いたしました」
分隊長は迷いなく道を進む。
私も雨具を小脇に抱え、箱を抱え後を追った。
※※
ぽっかりと口を開けている、地下街への入口はそんな表現がピッタリくる不気味なものだった。
「アネモネ、雨具を付けなさい」
「はい」
箱を1度置いて雨具を肩にかける。
ボタンを留めようと下を向くとエルヴィン分隊長の指が伸びてきた。
「…すみません」
「あぁ」
分隊長は私のボタンを留めてくれた。
そしてフードまで被せてくれる。
至れり尽くせり。
「緊張してないか」
「…大丈夫です」
あぁ、きっと私が初めて行く場所だから、不安に思ってるんじゃないかと心配してくれてるのか。
フードの陰から分隊長の目を見る。
私の視線に気が付いた分隊長は目を合わせてくれたので口の端を上げると、分隊長の目が優しく細まった。
分隊長は自身のフードも被り地下街の入口へと進んでいった。
箱を持ち上げ私も後に続いた。
「調査兵団分隊長、エルヴィン・スミスだ」
「調査兵団、アネモネ・ウィスティリアです」
既に待っていた憲兵団に名乗ると、それはそれは面倒くさそうに敬礼を見せてきた。
分隊長と私は何時も通りの敬礼を返す。
「…それで、行きたい場所とは?」
俺達をこんなことに巻き込むな、憲兵団の1人はそんな表情を隠しもせず分隊長に問う。
他の2人も嫌々護衛に来た感を醸しながら話を聞いている。
「ここの娼家に行きたい」
分隊長が書類の1枚、遺品の送り先が書いてある紙を見せると憲兵団の3人はハッと馬鹿にしたように笑った。
「調査兵団の分隊長様が娼家?」
「仕事だ。遺品を届ける」
「そう言って、実は自分が楽しみたいだけじゃないのか」
ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべて言い始める。
聞いていて非常に不快だ。
「女性が居る前だ、慎め」
分隊長がぴしゃりと言った。
その眼光は非常に鋭く、フードを被った陰からでも十分な威圧を感じる。
圧された憲兵団はつまらなそうに階段を降り始めた。
「アネモネ」
エルヴィン分隊長が小さく呼ぶ。
「はい」
「地下の奴らと出来るだけ目を合わせるな。何を嗾けられるか分からない」
「…承知いたしました」
フードをグッと深く被った。
目的地は直ぐだった。
階段を降りて、この周辺で1番目立つ大きな建物。
白塗りの一軒家のようだった。
こんな立派な建物を地下街に建設してるのか…。
「俺達はここで待ってるんで、終わったら声かけて下さい」
そう言うと憲兵団の人達はその辺に座ってタバコをふかし始めた。
私は唖然とその人達を見る。
なんだ、この人達、勤務中に。
「来なさい」
分隊長に呼ばれたので後を追う。
「…税金泥棒はあの人達の方だ」
有り得ない堕落さに思わず漏らすと、分隊長は私の方を見て、そうだな。と表情無く同意した。
※※
娼家の扉に付いているドアノッカーを叩くと、中から少年位の黒髪の男の子が出てきた。
身なりがしっかりしていて、背筋もしゃんと伸びている。
「…どちら様でしょうか?」
「調査兵団分隊長、エルヴィン・スミスだ。マダム・フルテッセンスにお会いしたい」
分隊長と私を交互に見上げる少年は、少々お待ちください。と言い残しドアを閉めた。
「…男の子、でしたね」
「そうだ」
「私、てっきり女の方が出てくるとばかり…」
変な先入観だったのかな、失礼なことを思ってしまった。
「ここは男娼専門の娼家だ」
「だん…しょう…?」
聞き慣れない言葉に分隊長を見る。
「男の娼婦だ」
男の、娼婦。
分隊長の言葉を反芻する。
「お、とこの…!?」
想像もしていない事実に驚いた。
「知らなかったのか」
「初めて聞きました…」
へぇ…女性が男性の相手をする場所だとばかり。
逆もあるんだ…。
「…分隊長」
「何だ」
「兄上…ロヴォフはここが行きつけだって言ってませんでした?」
「そうだ」
私の頭が混乱した。
「…もうこの話は考えないことにします」
「そうしなさい」
分隊長の返事が先か、ドアが開いたのが先か。
先程の少年が再び姿を見せてドアは大きく開かれた。
「マダムがお会いすると。この先の客間でお待ちです」
少年は品のある所作でドアの先へエスコートしてくれる。
家の中も一軒家のような造りで、玄関があり、通路があり、その先に客間があった。
階段があって、奥に部屋らしきドアが見えた。
パッと見普通の家に見える、けど、ここは、男娼の娼家。
分隊長はフードを取り少年の案内について行く。
私も後を追った。
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