彼女
「マダム、お連れしました」
案内してくれた少年が言うとソファに座って煙草を吸っていた淑女が立ち上がる。
身体のフィットする艶やかなロングスカートのワンピースを着こなし、金色の長い髪は丁寧に巻かれていた。
華やかな化粧を施し、それもとても似合った女性。
マダム、と呼ばれるに相応しい年齢の方だった。
「ようこそ」
上品な笑みを浮かべる。
「調査兵団の方だと?」
「調査兵団分隊長エルヴィン・スミスです、マダム・フルテッセンス」
マダムは分隊長を見て、そして私を見た。
長い煙草を消しながら訊ねる。
「その後ろの方は?」
「調査兵団アネモネ・ウィスティリアと申します、マダム」
つい癖で、私はカーテシーを行ってしまった。
摘まむスカートの無い腕は空を切る。
恥ずかしくなって慌てて引っ込めた。
それに気付いたマダムがクスリと上品に笑った。
「可愛らしい新兵さんね」
「はぁ……え?」
新兵?そう名乗ってはいない。
「あの、どうして自分が新兵だと…?」
「アネモネ、あの子からの手紙に良く出てきたから」
名前を呼ばれてドキリとした。
あの子。
「マーガレッタ…ですか?」
「そうよ」
座って、とマダムはテーブルを挟んだ向かいのソファを手で指した。
分隊長が先に座り、私も隣に座った。
「とても見目麗しいと書いてあったけど、本当にお綺麗ね」
「いえ、そんな…」
「でも中身はとても大雑把だ、とも」
「…その通りです」
マーガレッタ、どこまで書いてるの!
先程の少年が紅茶をトレイに載せて入ってくる。
分隊長の前に置き、逆側に回ってきて私の前にも置いた。
本当に綺麗な所作。
「ありがとう」
小さな声でお礼を言うと少年はニコリと年相応な笑顔を私に見せて客間を後にした。
「それで?調査兵団の方がわざわざお越しになった理由は?」
そう訊ねられて胸がざわめいた。
マダムはまだ、知らないんだ。
「マーガレッタが先日亡くなりました」
分隊長は簡潔に述べる。
マダムのティーカップを持ち上げた手が止まる。
視線は中に注がれている紅茶を見つめたまま。
「…いつ、」
「入隊して7日目です」
「…まだ壁外調査へは」
「行っていません」
「だったら、どうして」
「殺害されました」
そこで紅茶に注がれていた視線が分隊長を見る。
青色の瞳が混乱で歪んだ。
「…殺された」
「はい」
「、何故」
「憲兵団が調査中です」
そう、まだ、調査中なのだ。
駐屯兵団員が出頭してきて私の額の傷が抜糸出来る程日数は経っているのに、憲兵団の返答は未だに”調査中”。
その為情報も公にはされていない。
マーガレッタが生まれ育ったこの場所に、大した報告も出来ないままやって来ている。
ティーカップを静かにテーブルに置いたマダムは肘置きに腕をついて天井を見た。
「…そう、あの子、地上で死んだの」
思っていたより低い声で少し驚いた。
悲しむ、というより、怒り、それを感じる声色。
「…それで?」
マダムの視線が私に映った。
「彼女が来たってことは、ただ報告するだけじゃないってことでしょ?」
「マーガレッタの希望により遺品の届け先がこちらになっておりましたので、届けに。アネモネ」
私は立ち上がって膝に置いてあった箱をテーブルに置いた。
蓋を開ける。
「…たった、これだけ」
「はい…」
マーガレッタの遺品、と言っても彼女は多く荷物を持たない子だったから、普段着ていた服と、愛読していた本位。
1番上に置かれていた腕章をマダムの指が取り出す。
それを見つめる青色の瞳はやっぱり怒りが含まれていた。
「マーガレッタの身体は…献体に出されています。彼女の、生前の、遺志で」
「献体…。役には立っているってことね…」
腕章を箱に戻したマダムは分隊長と向き合った。
「分隊長さん」
「はい」
「彼女と2人きりにさせて頂けません?」
「えっ?」
私が驚いて先に声を出してしまった。
分隊長は少し伺うような表情でマダムを見ると、分かりました。と立ち上がる。
「アネモネ」
「は、はい…」
分隊長、本当に置いて行く気。
「終わったら来なさい」
「畏…まりました」
私の返事を聞くと分隊長は客間を後にした。
閉められてしまったドアを見つめる。
どうしよう…分隊長が話をすると思っていたから、何も考えてない。
取り敢えず、ロヴォフの情報を聞き出して…。
「アネモネ」
マダムに呼ばれる。
どうしてだろう、この方に名前を呼ばれると、胸がドキドキする。
「突然2人きりにしてゴメンナサイね」
「いいえ…」
「この商売をしていると人を嗅ぎ分けることが上手くなってしまってね。分隊長さんは悪い方では無いでしょうけど、野心が強過ぎるわ」
「野心…」
確かに野心はある。
「話す相手は貴方の方が良さそうだったから」
「は、はぁ…」
「マーガレッタの遺品がどうしてここに届けられるようになったのか、本人から聞いたかしら?」
「…いいえ」
「そう。確か牧師様に届ける筈だったのに」
「…はい。でも、修正されました。マーガレッタ自身によってです」
「マーガレッタが?」
「はい。日付は訓練兵団最後の休暇の日です」
ティーカップに口をつけていたマダムの動きが再び止まる。
「そう…やっぱり」
「やっぱり?」
思い当たる節があるような口調で漏らしたので聞き返すとマダムはティーカップを置いて箱に再び手を伸ばした。
「…この書物は何かしら?」
「あ、それは…マーガレッタが起こした立体起動装置の仮定データです」
「仮定データ?」
マダムはパラパラと書物を捲る。
「…何かの計算式、かしら」
「はい」
「でも、あの子計算は苦手だった筈」
「そうです。でも、そこに書かれている計算式は自分が見た限り、全部正解でした」
「克服したの?」
「いいえ。マーガレッタは訓練兵団時代も計算は苦手でした。苦手だと分かっているので、何回も行ったのでしょう」
ガスを何秒吹かせば、ワイヤーの長さをどれだけ射出すれば、どれ位のスピードが出せば、距離はどこまで行けるのか。
それが全て計算式で仮定されていて、後は実践するのみ、となっている。
細かく数字を変えて、数字の羅列のような計算式が何十頁にも書かれている。
私もマーガレッタの遺品を整理するまで、彼女がこんな緻密な計算式を行っているなんて知らなかった。
ずっと一緒に生活していて知らなかったんだ、きっと私が寝静まった後、私が居ない間に行ったのだろう。
計算式が苦手だから、自分が出した答えが合っているのか、何回も、何回も、繰り返し計算して。
とても根気のいる作業だ。
「マーガレッタは壁の外の空を見るという夢を持っていました」
「その話…貴方にしたのね」
「はい」
「どう思った?」
「どう、ですか?」
「地下から来た娘の戯言だと思った?」
「いいえっ!そんなことありません」
とんでもない!と私は手を横に振った。
「その話をしてくれたマーガレッタの瞳はキラキラと輝いて、夢の実現に努力する姿は尊敬出来ました」
「尊敬…?」
「はい。マーガレッタは聡明で、優しくて、お裁縫が上手で、立体起動装置の整備なんて97期生の中でトップだったんです!気遣いも出来て…尊敬する所が沢山ありました」
私はマーガレッタの素晴らしい点をドンドン上げてマダムに伝えた。
するとマダムはまた上品に笑う。
「…マーガレッタは貴方に出会えて幸せだったのね」
「え?」
「不思議ね…アネモネ。貴方は人を見る目に曇りが無い子、なのね」
「曇り…ですか」
そんな表現で評価されたのは初めてだ。
「この世界の人達はね、自分では無意識でしょうけど、肩書とか役職とか、そうゆうもので人を格付けするの。人格ではないもの。それが無い者を無意識に卑下する。人間だと思わない人が多い。貴方にはそれを微塵も感じないわ」
「それは…多分」
言われて思い当たる部分がある。
「自分自身が…そうして欲しくないから、だと思います」
「あら、そうなの?」
「はい」
視線をマダムから膝に置いた自分の拳に移した。
「私はウィスティリア家という代々医者の家に生まれました。でも私は医者にはならず調査兵団に入りました。予感はしていたのですが、訓練兵団でも、調査兵団でも、ウィスティリア家の父上や兄上の話をされました。まるでそれで私が形作られているかのように」
家が嫌いな訳では無い。
家族とも上手くやってる。
でも、私は1兵団員としてここに居る。
ウィスティリアの家の名前を背負って来た訳じゃない。
心臓を捧げた、他の同期と何ら変わりない、只の新兵。
「そのような話がされるのが嫌なので、自分もしないようにしているんだと思います」
「…良い心掛けよ」
「ありがとうございます」
マーガレッタと気が合ったのは、そうゆう部分だったのかもしれない。
「あの…マダム」
「何かしら?」
「先程…マーガレッタが遺品の送り先を変更したことに思い当たるようでしたが…お尋ねしても?」
伺うように聞くとマダムはポットから紅茶を注ぐ。
私のティーカップにも注いだところで口を開いた。
「この話は…分隊長さんにも報告するのかしら?」
「…内容によっては」
「そう…」
ポットを置いたマダムはカップには手を伸ばさず肘かけに腕を乗せる。
「1つだけ、絶対に約束して欲しい」
「はい」
「危険だと感じたら身を引きなさい」
「身を…?」
「この話にはそれだけのリスクがあるの。アネモネ、貴方はそれを背負う覚悟がある?」
「…はい」
真っ直ぐ目を見つめ返事をした。
その青色の瞳が私の琥珀色の瞳を見つめる。
そして青色の瞳は瞼を閉じた。
「…その口ぶりだと、ある程度の予測は立ててここに来ているのね」
「はい」
私はここに来る前、分隊長から受け取っていたマーガレッタが遺した小さな紙をマダムに差し出した。
受け取ったマダムが紙を開き、そしてその指先は小さく震えた。
「マーガレッタの…字、ね…」
「はい。その紙は自分の立体起動装置に挟まれていました」
「貴方の…?」
「マーガレッタは亡くなる前日、次の日に立体起動装置を見て欲しい。と伝えてきました。その紙を見て欲しい、という意味で。…私は、その言葉を鵜呑みにしました…特に追求もせず…」
胸の中に後悔が再び膨らむ。
事が起こってみれば、あの時こうしていれば、ああしていれば、そんな思いが胸を占める。
それは考えが鈍る。と私は後悔を押し込めた。
「そのメモを受け取った夜、自分はマーガレッタを殺めた相手に襲われました」
マダムが顔を上げる。
私は額の傷を見せた。
綺麗な顔が悲しそうに歪んだ。
「もう抜糸が出来ているのでほぼ完治です」
「傷は…残るの?」
「大しては残りませんが、兵士なのでこれ位の傷あって当然です」
前髪を下ろしながらさも当たり前のように答えておく。
これは本心だ。
「私は知っている情報を出しました。マダム」
改めて問うとマダムは背凭れから身体を起こした。
「…ここにロヴォフが来ていることは知っているかしら?」
「はい」
「ロヴォフは、ここに居る子達と戯れの他に、別の目的もあるの」
「別の目的…?」
「癒着相手との接触よ」
「癒…着…」
「相手はラング商会という所よ。憲兵団にも卸しているわ」
「憲兵…」
マダムから伝えられるワードが私の頭の中でパズルのように組み立てられる。
ロヴォフは商会と癒着がある、その商会は憲兵とも繋がっている。
マーガレッタを殺め、私を襲った駐屯兵団員も少し前までは憲兵団に所属していた…。
「マーガレッタは訓練兵団最後の休暇の日、ここに来たわ」
「そうなんですか?」
じゃあ、書類の変更はその後…?
「そこでロヴォフと商会が一緒にいる所を見てしまったの。癒着の話をしている時だった」
繋がらなかったパズルの、最後のピースが出てきた。
「じゃあ…マーガレッタは…」
意図的に、殺された。
身勝手な理由で。
「この館は…地下街にあるから、どんな話をしても地上に漏れることは無いわ。元々隠匿性の強い場所ですし、私も顧客がここで話したことは外には出さない。信用商売ですから」
「では、何故…?」
どうして、話して下さったの、マダム?
「どうしてかしらね…」
マダムはまた天井を見上げ呟くように。
「これは私の想像なんだけどね、マーガレッタは貴方をここまで導いたんじゃないかしら。事実を聞く為に」
癒着の話を聞いてしまったマーガレッタは遺品の送り先を変えた。
そして私にメッセージを残した。
ここに辿り着けるように、答えに辿り着つように、誰にもバレないようにヒントを残した。
「アネモネ、あの子を牧師様の元に行かせたのは私なの」
「そう…ですか」
「それがあの子の為だと思ったの。マーガレッタなら地上に行っても生きていけるだけの賢さも、順応性もある。よくある話なの。地上に出たは良いけど生活に慣れずに地下街に戻ってくる人」
「…マダム」
「あの子の為だと思ったのに、結局、マーガレッタを死に追いやってしまった。アネモネ、私の選択は合っていたのかしら…」
アネモネ、そう呼ばれる度にドキドキとする、理由。
『アネモネ!』
もう、呼ばれると思っていなかった声に。
心底呼んで欲しいと願っている声に、似ているんだ。
「マダム…貴方は、もしかして…」
良く見れば同じだ、金色の髪に青い瞳。
濃い化粧をしているけど、面影を感じる。
「マーガレッタはね…私の実の子よ」
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